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026.導師サリットメシア

 あと少しで奥の部屋に辿り着く所で、突如強烈な衝撃がアデランテを襲った。

 押し潰された肺に息が詰まり、踏み止まろうにも身体は宙に浮いている。そのまま背後へグングン引っ張られ、縦横無尽に張り巡らされた巻物を手繰っていく。


「――…がはッッ」


 失速するアデランテの肉体は床を転がり、受け身も取れずに仰向けで倒れ込むが、顎に伝う血を拭う余裕もない。

 断続的に走る激痛に顔を歪ませ、恐る恐る見下ろせば氷の槍が腹を貫いていた。

 背中に漂う冷気が貫通している事を知らしめ、凍結した傷口がウーフニールの再生を阻み、胴体を半分以上貫く氷柱を掴めば、歯を食い縛りながら身体を起こした。


「ぐっ!……ハァハァ、急に撃ち込まれて反応できなかったとはいえ、咄嗟に避けた結果がこれじゃあな……ふつうは死んでるって…うっ」

【いつまで寝ている。指令を果たせ】

「ははっ、ちょっとは優しくしてくれてもいいんだぞっ……ふんっ!!」


 辛うじて半身と繋がる肉体を軸に身をよじれば、磔から一気に逃れた。

 勢いよく転がった衝撃に激痛が伴ったが、ぽっかり空いた傷口は粘着質な液体が間髪入れずに満たしていく。


「あっ、ちょっと待ってく……あぐっ、今そこは敏感だからぁっ……あンンんッ!!」

【終わった】


 喘ぎ声を気にも留めず、冷淡に結果だけが告げられる。その間も串刺し時とは異なる荒い息遣いを零していたが、寝転がっている暇はない。

 四つん這いになれば、なおも残る熱気と余韻に身体を震わし、ソッと腹部を撫でれば、失ったはずの肉体は確かな質感で指先を押し返した。


 最初からケガを負っていなかった錯覚に陥りそうだが、それでもホッと安堵した直後。唐突に脳内を揺さぶった警鐘に、顔を上げる事なく横へ飛び退いた。

 遅れて重い衝撃が床を鳴らし、視界の端で突き刺さった氷柱を捉える。

 転がりながら棚の後ろへ滑り込み、素早く術者を探すが煙で何も見えない。耳を澄ませても、聞こえるのは炎の轟音と鈍い悲鳴ばかりだった。


 しかし突入当初に比べれば、学徒の殺し合いも落ち着きを見せたらしい。


「…ウーフニール。私らに一撃入れた奴の場所は見えたか?」

【黒煙にて視界不良……貴様が本当に騎士であったのか、その経歴に疑念が浮かび始めてきた】

「なッ、どういうことだ!私が騎士じゃないなら、人生の8割が一瞬で消し飛ぶぞ!?いや9割か…?とにかく1発腹にぶち込まれたのは扉を開ける前だったし、子供と短髪を助ける事で頭が一杯だったから、少し焦って反応が遅れたんだ!」

【貴様の話では前線における偵察任務もこなしていたはず。だが山賊の巣窟然り、この場も然り。なぜ貴様は悉く隠密行動をしくじる】


 話を遮られて一瞬眉をしかめたものの、その後に続く言葉が浮かばない。

 確かに“変幻自在”のウーフニールを活かすなら、隠密を重視すべきなのだろうが、忍耐力のないアデランテとは明らかに相性が悪かった。

 自分が足を引っ張っているのか。

 あるいはオーベロンが与える力をうっかり間違えたのか。


 どちらにしても気が沈む考えに溜息を吐きそうになるが、ふいに身体の表面を冷ややかな風が吹き付けてくる。

 顔を上げて風の出所を探したものの、途端に黒煙の一端が不自然にかき乱された。

 

「――低能な部下たちのおかげで酷い光景になったもので…今日は予期せぬ事ばかりが続く、なんという災難な日なのでしょう。それもこれも全ては侵入者のせい……出てきては如何かね!?手応えはありましたからな。今なら苦しめずにトドメを刺して差し上げると約束しましょう」


 至って静かで、氷柱に似た冷たい声の男が歩み出るや、身体に纏った風が業火をかき散らし、惨事の中でも涼しい顔を浮かべていた。

 彼にとっては火の海など平原を歩く事と変わらないのか。異様な光景に警戒を露わにするが、纏う風はミケランジェリの魔術と様相が異なる。

 歩いた後には霜柱が続き、アデランテが貫かれた場所へ迫る度に冷気が身を震わせた。


「誰かは存じ上げないが、小生の命を狙おうとわざわざ訪問したならば、それは大きな間違い。この偉大なる指導者にして、マルガレーテの賢者サリットメシア・ルバーノは生憎と雑兵ごときに取られる首を持ち合わせてはいないのだよ。落ちこぼれ共を薙ぎ払った程度で、いい気になっていると痛い目に遭うぞ?愚かな侵入者よ」


 淡々と話しつつアデランテを捜し、時節掌から粉雪を放って火を順々に消して回っている。 

 呪文の詠唱はしておらず、戦場で相対した“高等な魔術師”と見受けた今、次こそは慎重に行動すべきだろう。

 

 魔術の殺傷力は掠るだけで致命傷に成り得るうえ、詠唱の手間が無いならミケランジェリを仕留めた手は使えない。

 最悪上空で身体ごと貫かれる危険性が孕み、チラッと様子を窺っては視界に入らないよう、影から影へと身を移す。


「ほれほれほれ。攻め込んだ時の威勢はどうしたのかね?次に小生の視界に入ったが最期、死ぬ程度では済ませはせぬぞ?色々聞きたい事もあるのでね……おや?」

「……うぅぅ、せ、先生。た。助け、て。樹液を……樹液をくだざっ゛…」

「見苦しい」


 足元で手を伸ばし、全身に火傷を負った若い学徒の頭を氷柱が貫いた。首から上はかき消え、痙攣する手が宙を掻きむしるとやがて動かなくなる。


「本当に救いようがない連中で。大学の底辺で這っていた所を折角拾ってやって、魔術も使えるようにしたというのに…所詮ウジ虫はウジ虫。おっと」


 サリットメシアの周囲を渦巻く氷のマントが、飛来した火の玉を弾き飛ばす。しかし過剰に反応するでもなく、放たれた方角を一瞥すれば血だらけの学徒が佇んでいた。

 彼がもたれかかった巻物は血で染まり、火傷や凍傷を節々に負っていたものの、背中から滴る出血が余命を物語っていた。

 

「…俺たちは、ウジ虫なんかじゃない!」

「これは失敬。いずれは空を飛べるウジ虫と比べるのは迂闊だったね。ウジ虫にも満たない存在は…何かあるかね?いくらでも候補は受け付けますぞ…えっと、ところで君は誰だったかね」

「……〝視線の先を穿て!紅蓮の子を捧げよ!我が名をもって命じる。堕ちた陽のっぼぁぁ゛あ゛」


 詠唱が終わるのも待たず、無情にも氷柱が学徒を貫いた。力なく崩れ落ちる彼を見る導師の目は、研がれた刃よりも鋭い。


「敵対する対象の力量も図れず、感情に身を委ねて魔法を行使する。挙句にお仲間のウジ虫を燃やし、巨万の富まで焼いてしまう。そんなグズを何と呼べばいいのかね?ただでさえ忙しいというのに、小生の手を煩わせ、挙句に後始末までやらせるとは。まったくもって救いがたい…」



「――…ならソイツらを引き入れた理由はなんだ」


 眉間を揉みながら己の不幸を嘆くや、突如聞こえた女の声に導師が振り向いた。氷の息吹を放つが手応えはなく、勢いが衰え始めた氷のマントを発動し直す。

 それから一瞬取り乱した自身を戒め、再び炎の海を歩んでいく。


「君は誰だね?ここまで暴れておいて、いまさら外にお仲間が控えている、なんという事はないだろうね。そんな事はそもそもあり得ない…そうあり得ないのだ。研究所を部外者に特定されるなど…」

「質問に答えていないぞ」

「そこか!?」


 巨大な氷柱が巻物をまき込んで、研究所の彼方へ飛んでいく。道すがら炎も消し去るが、切り開かれた視界に真新しい死体は見つからない。

 苛立ちを隠さず、再び消化と捜索に専念する。


「…チッ、劣等生とは良いものでね。どんな手を使っても高みを目指して這い上がろうとする。その頂きが例え幻と同義語であっても、それが子供の皮膚を剥ぐ事になろうともね」

「だが劣等生がいなけきゃ、お前は何もできない。違うか?」

「小生の研究には人手が必要で、大学では腐るほど人材が手に入るのだよ。もっとも君が手を下さずとも勝手に自滅するようでは、まだまだ樹液に改善の余地はありそうで……それと君の正体についてだが、恐らく情報を売った顧客が手法を独占するために雇ったゴロツキだろう。立ち回りを考えるに、機密情報を持ち出す人材としては不適切だがね」


【同感だ】


 ガタンッ、っと立てられた物音にすかさず氷柱を放つが、間一髪で躱されて標的を逃してしまう。


 しかし尻尾は見えた。幸か不幸か、本棚も巻物も灰になりつつあるおかげで、隠れ場所も減っている。

 視界に入るのも時間の問題と笑みを張り付け、徐々に包囲網を狭めていく。


「しかしながら単身でこれ程の被害を出したのも事実。どうかね、今からでも小生の元に仕えんか?君になら惜しまず樹液を飲ませてやってもよいぞ?眠る必要もなくなり、痛みも忘れる。力は増幅され、これまで以上の成果を発揮できる事だろう!」



「――その見返りに“木”を守り続けなきゃならないんだろ?」


 反射的に振り返って掌を広げるが、すぐに構えを解くと侵入者の姿を観察する。


 性別は女。弓や杖の類は持たず、着込んだ装備は近接特化。

 逃げ場の限られた密室で魔術師相手に姿を見せるなら、よほど腕に自信があるのか。あるいは若さゆえの自惚れか。

 その顔は怒りに満ちているようで。それでいて酷く呆れた表情を浮かべる様子に、真意がどちらにあるか計り知れない。


 だが古傷が走る頬を掻くや、向けられた色違いの瞳に視線を奪われ、つい感嘆の声を漏らしてしまう。


「ようやく観念したのかね。あるいは気持ちが固まったのなら、小生も手間が省けて助かるのだが」

「散々聞いてる文言だから、反吐が出る前に出てきただけだ。さっきの続きだけど、樹液を飲むと木から離れられなくなる。飲み続けないと効力はない。そうだろ」

「……随分調べられたようですな。如何にも、継続して恩恵を得るには樹液を摂取し続けるほかなく、小生が織機のために利用しているだけで、本来は大樹自身を守らせるための分泌液でしかない。しかし案ずる事なかれ。研究が進めばゆくゆくは“未来”だけでなく、樹液すら売り物になる日が来る。さすれば樹液を求め、各国の軍部がこぞって小生に跪くだろう。悪い話ではなかろうて?」

「悪い話そのものだろうが…」


 心底興味がない様子で話を聞くアデランテに、氷結の竜巻が押し寄せる。すぐに避けても立て続けに氷の槍が撃ち込まれ、再び長い狩りの時間が始まった。


「まったくもって不愉快な1日ですな。これだけの規模の設備を整えるのに如何ほどの時間を有したか理解もせず、災厄を振り撒くとは…!!」


 放たれた氷柱をギリギリで避け、這うように一撃を振り上げても刃は男に届かない。激しく回転する氷礫に火花が散るだけで、当人は不敵な笑みを浮かべている。

 即座に距離を取れば、小さな氷の矢がアデランテの足元へ次々撃ち込まれていく。


 もはや研究素材が蜂の巣になる事も厭わないのだろう。掌から断続的に魔術が放たれるが、一方で侵入者にも1発として掠らない。

 それでもサリットメシアが慌てる事はなく、余裕を持って最後に隠れた遮蔽物の裏へ回り込んだ時。


「…消えた?」


 進行方向を辿ったはずが標的は消え、虚空を滅多刺しにしていた状況に呪文を解く。だが直後に大きな布ずれの音が聞こえ、咄嗟に顔を上げた先に彼女はいた。

 鬼気迫る形相で剣を構え、凶刃が眉間目掛けて振り下ろされるや、咄嗟に両手を掲げて氷の風が頭上を覆い、アデランテの一撃を弾き飛ばす。

 一瞬でも反応が遅れていたなら。恐怖に突き動かされていなければ、サリットメシアはその場で仕留められていたろう。


「くぅぅッッ!!やっぱり2番煎じだとダメか。これだから魔術師相手は苦手なんだよ」


 冷や汗をかく導師と異なり、相手はさして悔やむ様子も見せない。次の一手を考える彼女に畏怖を覚え、反射的に魔術を撃ち込もうとした手を下ろす。


「……解せませんな。それだけの力量を持ち合わせた者の襲撃を、アルカナが予知出来ぬとは。奥にいる被検者の暴走含め、小事に反応しないのは少々難があると言わざるを得ないが……些か小事と呼ぶには被害が大きいようだがね」

「被検者ってのは短髪…【アナスターシャ】のことか?」


 天井まで張り巡らせた巻物が、パチパチ音を立てながら崩れ落ち、張りを失った物は煙を燻らせながら、隅でうずくまるように転がっていた。

 人皮の焦げる不愉快な臭いで、アデランテは一層鋭く部屋を睨み。対照的にサリットメシアは、研究所が燃え落ちる様を他人事のように見回していた。


「アナスターシャ、とは誰かね?」

「…自分で拾った研究者の名前も覚えてないのか」

「小生が知るべき事柄は織機が綴る未来と、それが生み出す無限の富。未来を握る者はいかなる過ちも、いかなる成功も思うがまま…ただ中には予知にすら値せず、樹液の依存すら跳ねのける輩もいるようでね。そういった不確定要素を隷属させる事もまた、小生の研究をさらなる高みへと押し上げて…」

「それ以上口を開くな」


 アデランテの様相が一変した事で、サリットメシアも再び表情を曇らせる。長年の安楽生活で気後れしたとはいえ、殺意で彼女に負けるつもりもなかった。


 巻物はすべて焼かれ、新たに素材と人手を揃えなければ織機の稼働はおろか。樹液すら満足に精製されなくなる。

 元の状態に戻すまでにどれ程の労力が必要になるか。考えるまでもない苛立ちに青筋を浮かべるや、警告もなく巨大な氷柱が飛ばされた。

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