262.答え合わせは記憶の片隅で
ソニルの家で一晩明かし、朝日が昇る前に出立した一行に、ソニルから「もう一晩だけでも…」と声を掛けられる。
しかし。
「我々は任務の只中なんだ」
とソーニャが一言放った事で、彼もがっくり項垂れた。
傍目にも気落ちしているのが見え、弟子のレマイラたちもまた久々にまともな場所で眠れたことで、旅立ちが少し億劫らしい。
彼女たちの顔にも落胆の色が見えるも、ソニルとレマイラたち。そのどちらもが反論をしなかったのは、ひとえにソーニャの性格を知っていたからだろう。
結局は旅立ちを止める事ができず、ソニルと眠気眼を擦るその妻が見送るなか、アデランテたちは颯爽と人通りのない道を進んで行った。
周囲はいまだ薄暗く、普段ならばまだ寝ている時間。
歩きながら時折カミリアがこくこく舟を漕けば、渋々レマイラが彼女を背負った。
「ん~…まだ歩けるよぉ~」
「ふらふら歩かれる方が怖いっての。いいから甘えとけっ」
「むぅ…ありが…と……ぐぅー」
ふわふわした言葉遣いもすぐに寝息へと変わり、呆れたように溜息を零すレマイラは、その声音に反して破顔していた。
我が子を見守るような笑みを浮かべていたが、ふとザーリーンの視線に気付いたのだろう。
横からにんまり眺めてくる彼女から目を逸らし、途端に不機嫌そうな顔つきを帯びる。
そんな弟子たちの様子を朗らかに見つめていたアデランテは、いまだ眠り続けているロゼッタを背負い直す。
横にズレかけた少女を隣のオルドレッドが腕を出して支え、その周囲を黒い犬とアライグマが。
先頭はソーニャが歩き、やがて陽射しが背中に当たる頃には、町を出た一行は森の中に踏み入っていた。
道は舗装こそされていないが、度々人が使っているのだろう。
左右の木々は枝が剪定され、その後も山の中へ乗り込んでも、横広の獣道が奥まで続いていた。
「…はぁ、はぁ…師匠。次の町までどれくらい離れてるんっすか」
「さぁな」
「……カミリア。そろそろ起こした方がいいんじゃない?」
「はんっ。まだまだいけるっての!」
いまだカミリアを背負うレマイラを、ザーリーンが心配そうに覗き込む。
彼女が軽いとはいえ、山道で人1人を抱えながら進むのは至難の業。
だからこそ揺り起こそうとしたザーリーンが手を伸ばすも、すぐさまレマイラは距離を取った。
疲労の色を見せていた表情も無理やり払拭し、胸を張って足も高らかと上げ始める。
同時にチラッとアデランテを一瞥し、顔色1つ変えずにロゼッタを抱える様子に対抗してか。
ソーニャに遅れないようさらに歩幅を早めるが、ふと先頭の歩みが止まれば、後続も次々足を止める。
何事かと尋ねる間もなく再び隊列は進み、程なく彼女が何故止まったのか。
二股に分かれたもう1つの道を視界の隅に捉えれば、すぐにソーニャの意図を理解する事ができた。
その後も彼女の背中を追い、やがて山のさらに奥へと踏み込んだ時。
「…んにゃ?」
「ふぁ?」
ふとロゼッタが目を覚まし、遅れてカミリアも重そうに頭を持ち上げた。
どちらも森が生い茂る景色のせいで、まだ夢の中にいると思っているのか。
眠気眼を擦りながら周囲を見回していたが、2人が同時に起きた理由には訳があった。
「むぅ…アディ……なんか、ゴぉーって音がするぅ」
アデランテの肩に顎を載せ、ぽわぽわするロゼッタとは対照的に、カミリアはゆっくりレマイラの背中から降ろされる。
体力的にそろそろ限界を覚えていたのか。幸い彼女が弱音を吐く前に、ザーリーンがそれとなくカミリアを降ろしてくれていた。
「……滝の音だな」
一時的に止まっていた足を再び動かしながら、ソーニャがぽつりと告げる。
耳を澄まさずとも確かに聞こえる音に皆が顔を上げるも、どうやら滝に向かって歩いているらしい。
水辺で休憩でもしたいのか。そんな思考がよぎるなか、どんどん滝の轟音が近付いていく。
そんな事をしていれば当然のように。ふいに開けた土地に出れば、空から太陽が降り注いでくる。
温かな陽気に木々も気持ちよさそうに枝を伸ばし、肺に新鮮な空気を摂り込める環境に、誰もが大きな嘆息を吐いた。
何よりも前方で豪快に降り注ぐ滝の景色に、感嘆の声しか零れない。
「…きれい」
カミリアが呟いたのも無理はない。
滝の神々しさはもちろん、舞った滴が周囲をきらきら照らし、陽射しを受けて一層森の美観が高められていた。
そのまま休憩を取る勢いで呆けていたものの、ソーニャの足が止まる事はない。
ずんずん滝に無言で近付く彼女に、レマイラたちも慌ててその背中を追っていく。
水辺に迫るのかと思えばそんな事はなく、迂回したソーニャはさらに奥。
滝の裏へ回り込むように、躊躇なく崖沿いを進んで行った。
その行動の意味を、恐らく弟子たちはすぐに気付いたのだろう。
先日ソニルから聞かされた“バルジの怪”に出てきた“山賊のアジト”。そこに向かっている師匠に嬉々としてレマイラたちはついていき、そんな彼女たちを護衛のアデランテたちが放置しておくわけにもいかない。
「私たちも行くわよ。“あなたの”功績もこの目で一応見ておきたいし」
捨て台詞を吐くようにオルドレッドが告げるが、当人の記憶力に関わらず、まるで確信があるとばかりに甲高い足音を立てながら、彼女もまた滝の裏へ消えていく。
残されたアデランテはいまだ目を瞬かせ、踏み出すべきかも悩んでいたが、後押ししたのは肩を揺するロゼッタ。
そして鼻先でアデランテを押す、ウーフニールの存在だった。
「ア~ディ~ィ~。みんなに置いてかれちゃうよ?早く行こうよぉ」
《さっさと進め》
「ん~…景色には憶えがないんだけどさ。な~んか状況に覚えがあるっていうか、なんていうか……もしかしたら私は1度ココに来たことがあるかもしれないんだ」
《いまだにその認識なのか、この愚か者め》
「そんな言い方しなくたっていいだろう?何なら今すぐ答え合わせをしてくれよ」
「2人ともケンカはだめ!アディも早く歩くの!」
黒い犬に話しかけるアデランテを急かすように、ロゼッタが前後に体を揺らす。
おかげで歩みこそ進むが、いまだ“答え”を求めるアデランテに、ウーフニールは無視を決め込んでしまう。
もしや彼を不機嫌にしてしまうほど、恐ろしい場所だったのか。
目を瞑って記憶を漁ろうとするが、何度考えてもアデランテの認識には掠りもしない。
ならばと。
ロゼッタを背負い直し、脱兎の如く走りだせば、滝の傍で待っているオルドレッドと合流する。
ソーニャたちの後を追えば、恐らく答えも出るだろうと。
半ば期待しながら軽い足取りで進むと、やがて一行は滝の裏に続く狭い道を歩き、ぽっかり空いた空洞へと辿り着いた。