259.第三の視点
何の変哲も無い男女をフラフラと追わされ、やがて彼らが建物に入った時。
突如体を持ち上げられたカミリアは、気付けば屋根の上に立っていた。
「――合図を出したらさっき言ってた魔法を使ってくれッ」
それから告げられたアデランテの一言に戸惑いつつ、慌てて杖を取り出せば、割れた天窓にソッと杖先を差し込んだ。
歩いている道中でどんな魔法が使えるのか。
淡々と聞いてくるアデランテに、得意げに語った事を後悔しながら。
かつ状況を呑み込めないまま、いざ魔術を発動したのも束の間。
室内が煙幕で満たされるや否や、おもむろにアデランテが階下へと飛び降りた。
天窓に躊躇なく突っ込み、次に聞こえたのはガラスが砕ける音。
そして剣戟と悲鳴が一帯に轟き、屋根の上にいる事も忘れて身が竦んでしまった。
しばらく頭を抱えて震えていたものの、それから風の音が耳を吹き抜けると、ようやく静寂が訪れた事に気付く。
「…アデランテ、さん?」
届くはずもない呟きをポツリと零すも、その場から動けるわけでもない。
縮こまったまま周囲を見回し、やがてアデランテが単身で乗り込んだことを思い出したのだろう。
再び割れた天窓から階下を覗き込むが、いまだ煙幕が広がっていて中が見えない。
いっそ彼女のあとを追うべきかと。
恐る恐る体の向きを変え、ゆっくり足を天窓に伸ばした時だった。
「……そんな入り方をしたらケガをするぞ?」
おもむろにアデランテの声が聞こえるや、驚いた拍子にそのまま落ちそうになった。
幸い腕を掴まれたおかげで事なきを得るも、抱き上げられたカミリアは混乱する。
いつの間にアデランテは背後に立っていたのか。
階下は一体どうなっているのか。
数々の質問も屋根の端まで移動し、そのまま飛び降りたアデランテにしがみつくのが精一杯で、瞬く間に疑念は思考の彼方に霧散した。
目もキュッと固く閉じ、程なく逆立った髪が肩に落ち着いた刹那。
ふいに鋭くも甲高い声が聞こえれば、おもわず瞳をパッと開いた。
「…1人で頑張りすぎじゃないかしら?もう少し私たちにも参加する機会があっても良かったと思うわよ」
アデランテに抱えられたまま顔を上げれば、視線の先に佇んでいたのはオルドレッド。
胸を持ち上げるように腕を組み、呆れるような視線を投げかけてくる。
「一応皆で隠れ家を特定したわけだし、私1人の手柄ってわけじゃないだろ?」
「最後に美味しいところを持ってかれて、素直に喜べたもんじゃないわよ。そもそもあんな狭い窓を通らせるなんて何を考えてるの?体が何度もつっかえて大変だったわ」
不貞腐れるようにオルドレッドが告げれば、その起伏の激しい体を思わず眺めてしまう。
胸はもちろん。膨らんだ尻や鍛えられた肩。
ほぼ半裸と言っても差し支えない装備も相まって、女のカミリアでさえ彼女の肢体から目が離せない。
その様子を傍に居るザーリーンも恨めしそうに見つめていると、ふいにレマイラの賑やかな足音が一行と合流する。
「おい、中で何があったんだよ!急にどんちゃん騒ぎが聞こえてくるから飛び込もうとしたらコイツに止められるし…」
「コイツじゃなくてロゼだってばぁ!」
肩を揺さぶるロゼッタの姿に癒され、そのまま脱力しかねない勢いだったが、まだ事態が解決したわけではない。
建物内で拘束された賊の存在に改めてザーリーンが警鐘を鳴らすも、アデランテは至って冷静に応じた。
「“逃げ出せないよう”叩きのめしたから大丈夫だろ。それにこの街はただの中継地点で、拠点は他にもまだあるらしい」
「……あの状況で尋問までやってのけたんですか?それに私やオルドレッドさんは、ただ倉庫の中に潜んでいただけなんですけど…一緒にいる意味ありましたか?」
「ウチに至っては建物の外で子守りしてただけだぜ?」
「まぁまぁ、落ち着きなさいよ2人とも。人数がいるから全員で奇襲すればいいって話でもないのよ?」
不満そうに呟くレマイラたちを諫めれば、オルドレッドが渋々間に割って入る。
それから一行の役割を説明すると、アデランテが第一陣として突撃を。
第二陣のザーリーンたちは、倉庫内で敵が逃げ回った場合の援護を。
そして建物外へ飛び出した場合に備え、第三陣のレマイラに入口を見張ってもらってたこと。
それらを淡々と伝える様にひとまず納得してもらったが、同時に懸念が1つ生まれたらしい。
「…今言った事を、なんの打ち合わせも無しに全部行なったんすか?」
「大雑把に言うのなら場数と経験ね。それなりにお互い付き合いもあるし、誰がどう動くかも何となく想像できるわ」
「それなら尾行はどうやって…」
1番困惑していたのは恐らくレマイラだろう。ザーリーンやカミリアはともかく、彼女が連れていたのは少女とアライグマだけ。
“場数と経験”を積むには幼過ぎる容姿や獣の同伴に、謎は謎を呼ぶばかりだった。
だからこそ答えの1つでも聞きたかったものの、タイミングよく――あるいは悪く、彼女たちの師匠が一行に合流した。
埃塗れの姿からおよその道程が分かり、焦げ付いたマントからも戦闘があったのだろう。
気怠そうに吐息を漏らしたソーニャが髪を振り乱せば、素早くアデランテたちを見回した。
「…全員集まっているようだな。進捗はどうだ?」
彼女の視線は弟子たちに向けられ、いつものハッキリした口調で問いかけられる。
しかし答える間もなくアデランテが応じれば、ザッと建物内の様子。
そして彼女が得たであろう、中継地点の情報をさっくりソーニャに伝えた。
その言葉に難しい顔が浮かべられるも、やがて話にも納得できたのか。
一際大きな溜息が零されると、ソーニャはその場から歩き出した。
背後から遅れてアデランテたちも追うが、彼女がどこへ向かっているのかは誰も分からない。
「…あの、師匠?次はどこに行くんすか?アデランテさんたちが制圧した倉庫を確認しなくてもいいんすか?」
「彼女から聞いた以上の情報は期待できないだろう。それに私が調査した別の建物も、大した話は聞けなかった。一旦この街の衛兵に事態の収拾は任せ、我々は別の拠点へ向かう事にする」
「……それまでは私たちも護衛を継続する事になるのかしら?」
「追加費用は払おう。それに今回は大学に1番近い拠点を潰せた事で、大いに意義のある1日となった。今後ともよろしく頼むぞ冒険者諸君」
アデランテたちの意見も聞かず、もはやソーニャの中では決定事項だったのだろう。
揚々と歩く彼女に変わって弟子たちは頭を下げるも、アデランテはすでに大学へ向かった当初の目的を忘却。
オルドレッドはそんなパートナーに溜息を零し、一方でロゼッタは新たな“乗り物”を見つけてはしゃいでいるらしい。
そんな少女を迷惑そうにレマイラは背負うや、女の集団と獣2匹はひとまず衛兵の駐屯基地を目指した。