254.あらいぐま薬草店
魔法大学。その中央で繁栄するミドルバザードでは、かつてのような活気は無い。
客こそ増えてもいまだ“元アーザー”との接し方に翻弄され、学生はもちろん。
当の元アーザーでさえ困惑を見せていたが、全ての住人が戸惑っていたわけではない。
中には区別なく対応していた店も点在し、その内1つの店名が“あらいぐま薬草店”。
マスコットは長期不在であっても、需要そのものはなおも高いままだった。
「…毎度ありがとうございました」
紙袋に入れた薬草を客に渡すや、ザーリーンが溜息を押し殺しながら次の客の準備をする。
腰まで伸ばした髪が揺れる回数は少なく、最小限の動きで業務を淡々とこなしていた。
一方で受付はカミリアが対応し、彼女のおさげを始め、奥で薬草を積むレマイラの短髪は忙しなく乱れる。
客入りの多さに従業員を増やしたいが、導師ソーニャ曰く「これもまた修行」。
体力をつける名目で休みなく働き、一通り掃けたところで2人はぐったり身体を壁に預けた。
「あ~…つかの間の休息がキモチ良いぃ…」
「レマイラ。行儀が悪い」
「はははっ、もうちょっとで閉店だし、それまでがんばろぉ~?」
「…くっそ。師匠もウチらを手伝って、少しでも苦労が分かりゃいいんだ。しかも販売ノルマまで設定しやがってっ」
「う~ん、でもソーニャ導師も忙しいと思うよ~?」
受付台に寝そべっていたカミリアがポツリと零せば、レマイラもそれ以上口を開く事はない。
現に導師ソーニャ・ボイニッチの忙しさは、いつ寝てるとも分からないほどであり、主な原因は魔物の出現に関する調査。
そして冒険者ギルドとの取引を円満に戻すべく、調整に奔走していると本人からは聞かされている。
しばらくは彼女の顔も見ていないが、今頃は大学の外で活躍している事だろう。
「…ウチら。曲がりなりにもあの人の弟子なんだよな?その割には毎回置いてかれてねえか?」
「大学を任されてると思えばいい」
「そうそう!ソーニャ導師も何か考えがあるんだよ~…たぶん」
「薬草の効能調査も前より詳細にするようお達しも出てる。私たちに仕事を任せてくれるのは、信頼してくれてる証拠」
「……実は導師とは別に、ちょいと気になる話があってよ…」
体を起こしたレマイラが軽く店の外を一瞥すれば、つられてザーリーンたちも辺りを警戒する。
幸い客がまだ寄ってくる様子はなく、改めて声をひそめれば、2人がソッと顔を寄せてきた。
「アーザっっ…“一般区画”で魔晶石の採掘やってるだろ?最近どうも採取量が悪いってもっぱらの噂なんだ」
「…魔晶石は大学の主産業。仮にそうだとしても、今は出が悪いだけ」
「……でも鉱山はいつかは枯渇するものだし、もし“そうなった”ら大学の運営資金って何に…」
雲行きが怪しくなる会話に、ふと一同が口を閉ざした時。
ゆっくり視線を逸らした先には、天井から吊るされた薬草の数々が目に入る。
大学内でも需要がある品々ならば、恐らく外界でも通用するはず。
その事実が一層彼女たちの役目の重要性を強調するも、同時に魔晶石の枯渇が浮き彫りになってくる。
直近では薬草の栽培に力を入れており、魔術の訓練も申し訳程度にやっているだけ。
「…サッサと報告書まとめて店を閉めようぜ。部屋に戻ったら、導師に状況を説明してもらえるよう作戦会議だっ」
ようやく調子を取り戻したレマイラの決意に、カミリアは笑顔を。
そしてザーリーンは溜息を零し、各々が適宜残る業務を片付けていく。
その後も訪れる客たちを対応するや、瞬く間に店を閉めた一行はデミトリアの区画を目指した。
ソーニャ導師の研究所がある建物であり、また彼女たちの住処でもある帰路に、心なしか3人の足取りは軽い。
帰宅後にどう過ごすかまで話し合い始めるも、ふとカミリアが足を止めれば、残る2人も同じくその場で静止した。
「…図書館の本。今日中に返さなきゃだった…」
この世の終わりのような顔をする彼女をポフポフ撫でるも、延滞料金そのものは割高。
かつてはそれだけでアーザーの区画へ落とされていた可能性も考えれば、カミリアの反応も仕方が無いのだろう。
「ごめんっ。すぐに追いかけるから先に行ってて~」
「…別に急ぎってわけじゃねえんだし、一緒に行きゃいいだろ?」
「またゴミ箱に落とされたら探すのも面倒」
「もぅ、そんなことしないよ~。あたしだって成長してるんだからぁ…でも、そのおかげでパスカルと会えたんだよね~……元気にしてるかなぁ」
嘆息を零すカミリアにつられそうになるも、やはり彼女の頭を撫でる事でしか慰める術はない。
もっともザーリーンも肩を落とすや、今頃は“用心棒アデライト”の事を思い浮かべているのだろう。
恋する乙女の表情を浮かべていたものの、彼女にまで気を回すつもりはレマイラに無かった。
「……あんだけ強い奴と一緒にいるんだ。タヌキも元気にやってるさ…それにウチもボコボコにされた借りがあるし、どっかでくたばってたら承知しねえっての」
「レマイラは放り投げられてただけ。誤解するような言い方しない」
ムッとしたザーリーンもいつもの表情に戻り、全員が調子を取り戻したところで、魔法立大図書館も最早目前。
足早にレマイラが駆けようとするも、ふいに彼女の足がピタリと止まる。
その前方には3人のよそ者が佇み、何かを言い合っていたのも束の間。
突如フードで頭を覆っていた人物が身悶えするや、隣にいたダークエルフが素早く支えた。
病人かと心配して近付こうとするも、やがてゆっくり相手が体を起こした時。
脱げたマスクがその凛々しい顔立ちを露わにし、肩に乗っていた小動物がカミリアの目を輝かせた。
「~~~ッッパスカル!!!」
飛びつかん勢いで一気に迫るや、迷わず手を伸ばしたカミリアがアライグマの背に触れた。
見間違えないとばかりに何度も撫で、そのまま抱き上げようとしたのも束の間。
ハッとなって我に返れば、アライグマの訝しむような視線はもちろん。その周囲を囲むダークエルフたちや少女。
そして追いついたレマイラたちの足音に、しおしおと身を竦めていく。
「え、あ、その…ごめんなさい。あの、お久しぶりです…“あの時”も粗相をして……あれ?」
慌てて弁明を続けようとしたものの、ふとフードの人物に胸があることに気付く。
しかし色違いの瞳や顔の傷痕は記憶に残されたままであり、不思議そうに首を傾げた。
「……あんたら、カルアレロス導師の護衛だったよな。そっちの人は…」
「あぁ…そうだったわね。前回いたのは“彼女”の兄で、名前はアデランテよ」
「…よろしく」
一通り互いの自己紹介も終え、何とも言えない空気が流れるも、散開しようとしたアデランテたちの前にザーリーンが立ち塞がる。
「……お茶でも、どうですか」
絞るように告げられた一声に、アデランテたちも互いに見合わせる。
しかしザーリーンの積極的な関わりにレマイラたちも驚き、同時に拒否する理由も無かったのだろう。
彼女の意思を尊重するように2人も冒険者たちを招待し、一行が住まう区画デミトリアへと案内した。
もしもレマイラが本の返却を口に出さなければ、寄り道も無く辿り着いたに違いない。