253.2度目の訪問
「――ほら、起きろ。到着したぞ」
帆の無い馬車に揺られ、オルドレッドは肩に。
そしてロゼッタを膝に乗せていたアデランテが2人を起こせば、眠たそうに一行は目覚める。
見回せば背後には平原。前方には密林が視界を妨げ、大学への入口はもはや目前。
颯爽と馬車を降りれば御者のいない馬は独りでに引き返し、いまだ眠たそうなロゼッタを背負い直す。
「…あの書庫の蔵書量には目を見張るものがあるわね。動く絵も素晴らしいし、何度でも訪れたくなる中毒性もあって……ただ“扉”から先には行かせてもらえないのよね」
「ははっ、あそこはウーフニールの部屋だからな。私も許可を取らないと入れてもらえないんだ」
「それでもロゼッタは自由に出入りしているじゃない。それって不公平だわ」
「代わりに私の部屋に入ってもいいんだぞ?」
「……気持ちだけ受け取っておくわ」
「1度入れば十分な部屋」とは言えず、曖昧に言葉を濁すこと数十分。
深い森に迷い込んだ2人がしばし歩いていると、やがて魔晶石で出来た狼が出迎えに現れる。
見覚えのある光景に迷わず追従すれば、辿り着いたのはペンダントが掛かった苗木の前。
「“鍵を回さば門は開く。オルドレッド・フェミンシアに命じるは、導師カルアレロス・デュクスーネなり!”」
招待状を掲げながらオルドレッドが叫ぶや、ガラス細工の狼が砕ける。
直後に苗木が光り出すと、森の景色が一変。
応接間に転送された一行は周囲を見回し、ガラスケースにぎっしり詰まった本の数々。
さらに小洒落た机の装飾品や燭台を一瞥するも、前回見た時と配置が変わっていないように思える。
やはり飾りとしての側面が強い空間で待たされる最中、キィィっと奥の部屋が勝手に開いた。
すかさず隣室の書斎へ移動すれば、奥に佇む高価な事務机に書類が山となって載せられ、時折聞こえる紙の音が住人の在室を知らしめる。
「おぉ、そこにいるのはオルドレッド殿か?この節は大変お世話になり申した!アデライト殿も息災……?」
カルアレロスがひょっこり顔を出してきたのも束の間。
視線はまずオルドレッドを捉え、それからアデランテに移る。
しかし彼が最後に記憶していた青年の姿は無く、そこに佇むのは胸を膨らませ、かつ金糸の少女を背負う凛々しい乙女。
それでも背格好の似た人物に困惑し、チラッとオルドレッドを一瞥する。
「…か、彼の妹のアデランテよ。それと背中で寝てるのがロゼッタ」
「ほぉほぉ、お初目に掛かる。魔法大学の導師カルアレロスになる。貴殿の兄上にはオルドレッド殿ともども大変世話になった!おかげで大学の秩序も大幅に改善され、できれば小生直々に学内を案内したいのも山々なのだが…」
カルアレロスが両手を広げて喜んでいた矢先。ふと顔を曇らせれば、背後の書類を困ったように見つめ返す。
地位の昇格に伴って責務も増え、部屋から出る暇も無いのだろう。
申し訳なさそうに頭を下げる彼に被りを振れば、程なく大学長を尋ねたい旨を伝える。
もちろんカルアレロスの情報も歓迎したが、エルフに関する知識は皆無らしい。
「力足らずで申し訳ない。大学長ならば何かしらの知識を授けられると思うのだが…如何せん“大幅な制度の改正”をしたがゆえに、今は職業紹介を大学長直々にやっていて、会うのも一筋縄ではいかない事になる。ゆえに業務終了が会える唯一の機会になる」
「…それまで時間を潰すほか無さそうね。アデランテもそれでいいかしら?」
「私はそれで構わないが…特に行きたいところも無いな」
「……アディが行ったところ、ぜんぶ行きたい…」
予想は半分していたとはいえ、暇を持て余したところでロゼッタが眠そうに声を上げる。
アデランテの肩に頬擦りしながら零した要求に、オルドレッドたちが反対する事もない。
すかさずカルアレロスから通行証を渡され、書斎と応接室を抜けたすぐ先。
途端に一行は大学の中心地、ミドルバザードへと足を踏み入れ、所狭しと並ぶ店舗がアデランテたちを迎える。
外周はコロシアムのように高壁が囲い、最後に見た時と何1つ景色は変わらない。
「…いや、なんか……前より空気が悪くなってないか?」
ロゼッタを背負ったままアデランテが零せば、同意するようにオルドレッドも周囲を見回す。
最下層たるアーザーが消えた事で、麻袋を着ている住人がまずいない。
ローブの少年少女に“一般人”が混じるも、距離感ともども彼らの雰囲気はどこかぎこちなかった。
接し方を決めかねているような振る舞いに、市場の賑わいはあってないようなものだった。
そんな雑踏を突き進んでいけば、まず最初に訪れたのは魔法立大図書館。
相変わらず佇む衛兵に通行証を見せ、杖を突いた彼らの合図で扉が開いていく。
薄暗い通路を進めば4層からなる書架の山が視界に飛び込むも、アデランテは当然ながら、オルドレッドでさえ反応する事は無かった。
「…あの時のあなたの気持ちがよく分かったわ」
「ウフニルの方がすごぃ~」
「ふふん、だろ?」
「あっ、でもフワフワ~って浮かぶやつには乗りた~い」
驚かせ甲斐のない一行が一頻り景色を堪能すると、次に昇降用の魔法陣を使用する。
呪文はウーフニールから聞き出し、最上階へ一気に舞えば、あとは入口まで戻るだけ。
「次はね~。動く絵で見た、ぴょんぴょーんってとびおりるやつが見たーい!」
ロゼッタの絶え間ない要望に、アデランテは躊躇する様子すらない。
喜んで欄干を飛び越えれば、次の階の手すりを掴みながら、どんどん1階へ近付いていく。
遅れてオルドレッドもアデランテのあとを追い、やがて到着したのも束の間。
突如背中を押されて図書館を離れると、瞬く間にミドルバザードまで戻された。
「あの時も思ったけれど、何をやってるのよあなたは!?ものすごく注目を浴びたじゃない!」
「オルドレッドもついてきたじゃないか」
「仕方なくよ。仕方なくっ…!カルアレロス導師に苦情が入ったら、どう責任とるつもりなのよ!」
「……すまなかった」
「ごめんなさい」
顔を伏せる2人にひとまず赦しが出るも、図書館を出たところで足を止める。
空気の悪いミドルバザードで買い物をすべきか。
それとも治安が改善したとされるスラム街を訪問すべきか。
それ以外を訪ねるのであれば、ロゼッタの意向に従う限り、残るは実戦力学を行なったグラウンドしかない。
「…ひとまずお茶でもして、何をするか考えるところから始めようかしら?部外者が滅多に立ち入れない場所で、随分と贅沢な悩みを抱えているわけだけれど」
「実際に行きたいところが無いんだから、仕方ないんじゃないか?」
「ロゼもお腹いっぱいだからだいじょーぶ…あっ、でも…」
いまだ背負われたロゼッタがふと顔を上げるや、おもむろにアデランテの頬を両手で挟んだ。
ぷにぷにと揉むように撫で、何事かと考えていたのも束の間。
ハッとなったオルドレッドが突如赤くなるや、素早くロゼッタの両手を掴んだ。
「むぅ、放して!オリィだけずーるーいーっ」
「アデランテが嫌がってるでしょう!人が嫌がることをするんじゃないのっ」
「…いや、別に私は何ともないんだけど…」
「嫌がりなさいよっ!あと他人事みたいに振る舞わないで!」
肩越しの攻防を眺め、やはり他人事のように注意を逸らすが、一向に2人が喧嘩をやめる気配がない。
頬をオルドレッドたちにぷにぷに弄られるも、そもそも何を争っているのか理解できなかった。
(なんかムニムニされるんだけど、何がどうなってるんだ?私の頬と何か関係があるのか?)
【貴様の篭絡行為に関して、小娘と女が衝突を繰り返している】
(……ろうらく、って別に変なことした覚えは…)
【…ダークホースを始末したのち、女に頬を撫でられた貴様は喘ぎ声を上げ、その反撃に褐色の長い耳を…】
「わ、私は喘いでなんかいないぞ!?」
「なによ、私だけだって言いたいのっ?」
「アディのお声かわいかったー」
2人の会話に3人目まで加わり、一行のやり取りはますます白熱していく。
しかし彼女たちがようやく口を閉ざしたのは、アデランテが突如“喘ぎ声”を上げたからにほかならなかった。