247.応える時
「――んっ」
ふと瞳を開けた時。周囲には人骨が散乱し、洞窟の天井がまず視界に入った。
「…あれ?確か最後にいたのは平原だったような…」
むくりと身体を起こしたアデランテが立ち上がろうとするも、片手が少しだけ重く感じる。
見下ろせばロゼッタが隣で眠り、ギュッと指先を絡めてきていた。
「……ロゼッタ。それに…オルドレッドも」
そしてロゼッタが握る反対側の手にはオルドレッドが横たわり、胸を上下させながら小さな寝息を立てている。
まるで洞窟で1泊したようであったが、人骨の存在がまずその予想を否定した。
「…何がどうなってるんだ?」
【ようやく目覚めたか】
「うぉっ、ってウーフニールか。一体何が起きてるんだ?」
【どこまで覚えている】
馴染みのある腹底を震わす声に安堵したのも束の間。早々に尋問されると一瞬言葉に詰まるも、覚えているのは平原で薬に酔いしれた事だけ。
それをそのまま伝えるが、ほかにもボンヤリと記憶していた事があった。
「長い…長い夢を見ていた気分なんだ。それも凄く懐かしい夢を」
「――それはそれは随分と御大層な夢だったのでしょうね」
にっこりとほくそ笑んでいた矢先、ふと聞こえた声に顔を向ければ、オルドレッドもゆっくり身体を起こしていた。
寝起きとは思えない鋭い眼差しに戸惑うも、視線は程なくロゼッタに向けられる。
仰向けのままぐっすり眠り、両手に花――もといアデランテとオルドレッドの手を握ったまま、起きてくる気配はない。
時折うなされるように顔をしかめるが、ソッと髪を撫でてやれば、途端に表情も和らぐ。
年相応の寝顔に再び笑みが零れるも、ふいにオルドレッドが頬に触れてきた。
「…おはよう」
「……お、おはよ…ぐぅッ!」
挨拶もほどほどに、今度は拳がアデランテの頬を殴りつける。
「これで目も覚めたかしら?」
声音は至って落ち着いているが、顔つきは羅刹女そのもの。
しかし殴った頬をゆっくり撫でられるや、その手は顎を伝って首筋に。
それから胸まで降ろされると、おもむろにギュッと鷲掴みにされた。
「あんっ!」
「ちょっと、変な声出さないでっ……やっぱり本物のようね。“アデランテ・シャルゼノート”」
ようやく胸が解放されたのも束の間。突如本名を唱えられるや、思わず喉を鳴らしてしまう。
「答えられるなら答えて。あなたは……一体何なの?」
「……ナニ、と言われてもな」
「先に言っておくけれど、心の中とやらには入らせてもらったわ。本棚がたくさんあって、黒い塊の怪物がいて…本当にあなたは私が知ってる……人なの?」
声音は徐々に弱くなっていき、瞳もみるみる潤んでいく。
言葉に詰まる問いにアデランテも弱り、静寂が互いを支配した時だった。
「あぅん!!」
おもむろにアデランテが嬌声を上げるや、身じろいだ様子を一瞬心配したオルドレッドも、すぐに肩の異変にピタリと止まる。
少しずつ膨らむ異物は玉虫色にうねり、その度に熱い吐息が零れるからだろう。
やはり不安が勝ったオルドレッドが再び声を掛けかけるが、直後にカラスを模った“ソレ”が、普通の生き物のように首を傾げた。
《この人間は貴様が知る人物で間違いはない》
黒い嘴を開き、平然と言葉を囀ったのも束の間。
目を見開いたオルドレッドがすぐさま弓を構えるも、肩で息をしていたアデランテもカラスを庇うように両手を広げた。
「はぁ、はぁ…撃ちたければ私を撃てっ。ただ私は一切手を出さないからな」
《貴様はな》
「お前もだぞっ。絶対に何もするなよ!」
アデランテの必死な呼びかけを尻目に、矢はカラスに真っすぐ向けられる。
震える矢じりは今にも放たれそうだったが、代わりにオルドレッドの言葉が紡がれる。
「…答えて。“ブラッドパック”の訓練中にいた犬や鳥。それに大学で見たアライグマは、全部そいつなの?」
「…ぶらっどぱっ……?」
《最後の街で世話をした未熟者たちのことだ》
「あ、あぁーー…えっと、はい…」
「……居酒屋で話してくれた落石の話は、ウソだったの?」
「…すまない。何の話か分からないんだ」
「なら、憶えてる話を教えて」
断固としてオルドレッドは矢を降ろさないが、弦の引きは弱い。
話す度に和らぐ声に諭されるように思考を巡らせれば、まず浮かんだのが自らのズタボロの身体。
それから“ウーフニールに助けられた”ことを伝え、以来彷徨い続けていた事を告げる。
「…なら、果物を探すよう依頼したのは誰なの?」
核心を突く問いに、アデランテは口を閉ざす。
するとオルドレッドの視線は、矢じりを向けた先へと移った。
「……あなたは何で彼女を…アデランテを助けたの?それが間違った事とは言わないけれど」
《利害の一致だ》
「…どんな?」
《人間には肉体を。ウーフニールは記憶を》
「意味が分からないわ……ところでアデライ…アデランテは、男なの?それとも女?」
《女だ》
「あなたには聞いてないわよっ…で、どうなの?」
「……女、だけど」
叱られた子供のように首を竦め、次にかけられる言葉を大人しく待っていた刹那。
おもむろに胸倉を掴まれるや、そのままオルドレッドの下へ引き寄せられた。
次の瞬間には唇を塞がれ、突然の行動に目を白黒させていたものの、熱いキスもそう長くは続かない。
やがて彼女が離れると、直後に鋭い平手打ちがアデランテの頬に炸裂した。
「…想ってること全部晒しただけよ…ほらっ、ぐずぐずしてないで、こんな洞窟出るわよ。その子もサッサと連れてこないと風邪をひくわ」
「……ほかに、聞いたりしないのか?」
「あら、聞いてほしいなら今からた~っぷり、聞いてあげてもいいのよ?ただ私は曲がりなりにもあなたの“パートナー”ですもの…四の五の言わずに信じるって約束したじゃない」
「…そんな約束したっけか?ぐぁッッ」
今度は反対の頬を拳で殴られ、仰け反る間に立ち上がった彼女が、すかさずロゼッタを抱きかかえる。
その姿はまるで母親のようであったものの、余計な口を利けば何をされるか分からないからだろう。
言葉を呑み込んで無かった事にしたが、後ろめたさと山程の疑問が同時に浮かび上がった。
(…私がいない間に、随分とあの2人は仲良くなったんだな)
【共同作業は人脈を育む、と書物にも記してある】
(一緒に仕事って、一体何をやって……そもそもオルドレッドのやつ、お前に…ウーフニールに会ったって話が出てたけど…いや、何なら本棚の空間の事を言い当ててたし…)
【道すがら説明する】
(………ウーフニールのことがバレたのって、やっぱり私の責任だよな。本当にすまない)
【“協力者”の存在もまたウーフニールを秘匿するうえで重要な役割を果たす。貴様にとっても有益な関係となろう】
オルドレッドの制裁の次はウーフニール。
そう覚悟していたつもりが、彼の反応は極めて淡泊なものだった。
むしろどちらもこの状況をアデランテよりも受け入れている事に、困惑をますます憶えていたのも束の間。
人骨があちこち転がるのも構わず、すたすたオルドレッドは歩き去っていく。
トドメに肩で止まっていたカラスが飛び立てば、もはやその場で座り込んでいる理由など無かった。