243.記憶の坩堝
固く閉じていた瞳を恐る恐る開いたのは、恐らくロゼッタに手を引かれたからだろう。
まずは少女を視界に捉え、それから肩に乗ったトカゲを一瞥する。
そこまでは最後の記憶と合致したが、オルドレッドを囲む景色だけは別物。
それまで一行がいた臓書は跡形もなく消え、周囲には石造りの発展した街が広がっていた。
景色の変化に唖然としていたものの、再びロゼッタがオルドレッドの手を引くと、ぐいぐい街中を歩いていく。
道中で何度も住人とすれ違うが、ダークエルフの冒険者に。
“露出の激しい女”には見向きもせず、薄幸の美少女にさえ異様なほど反応を示さない。
「…なんなのよ。ココ」
だからこそ普段とは異なる様相に落ち着きを失うが、やがてキョロキョロ見回していたロゼッタが、1軒の家に走りだした。
「ちょっとッ。人の家を覗き見だなんてマナー違反…というより犯罪よ!?」
オルドレッドが毅然と忠告するも、ロゼッタは全く反省する素振りを見せない。
むしろ手招きして共犯になるよう促す様に、改めて注意すべくツカツカ迫ったのも束の間。
『やったーー!!産まれたぞーーー!!』
突如家屋の中から元気な声が響くや、続けて赤子の鳴き声が聞こえてくる。
思わずロゼッタの隣で窓を覗けば、一組の夫婦が想像通りの光景を繰り広げ、赤子が一身に愛を受けて抱えられていた。
微笑ましい様子につい笑みを綻ばせるも、直後に室内がザザッと姿を変える。
そこには銀糸の髪を持つ子供が楽しそうに走り回り、その傍には妊娠した母親が座っていた。
膨らんだ腹はかなりの月日が経過したように思えるが、再び景色がザッと変わった時。
やはり見えたのは産まれた赤子と、それを囲う賑やかな家族たち。
特に銀糸の子供の騒ぎようが尋常ではなく、まるで天使が舞い降りたようにはしゃぐ様は、やはり笑みが浮かんで仕方がない。
その後も家族の営みをつい覗き見ていたが、やがて赤子も自力で這えるようになった頃。
突如景色が暗転するや、家の中に騎士姿の男たちが立っていた。
親の姿は見当たらず、ふいに赤子がビシッと指差される。
『――俺たちも出来るだけの事はしたいが、いつ死ぬとも分からない身分なんだ。安易に引き取る事はできない』
『でも養子に行ったら、私たちは引き離されちゃうんだろ?そんな事絶対にさせないからな!』
妹を守るように抱える少女に、騎士団一行も扱いに困っているらしい。
しかし家まで国が取り上げる事になっており、いよいよ彼女たちの居場所さえ無くなろうという時。
ふいに1人の男が前に進み出るや、少女たちの前で膝をついた。
『…嬢ちゃん。騎士団に入ってみないか?』
『……えっ?』
『た、隊長?何をお考えで…?』
『考えてもみろ。守りたいものがあるってなら、それはもう立派な騎士道だ。あとは嬢ちゃんにその覚悟があるかどうか次第だな』
『なる!!セシリアを守るって父さんたちにも約束したんだ!』
吠えるような威勢に、やがて男が大きく笑い声をあげる。
それから逞しい腕を差し出せば、互いに熱い握手を交わしたが、それからの日々はまさに地獄そのもの。
“子供だから”などの言い訳は許されず、まさに騎士の一員として扱われた。
訓練の一環に何度も目を瞑りたくなる瞬間もあったが、それでも同等に接してくれるからだろう。
少女もまた新たな家族を見つけ、彼らの期待に応えるように力をつけていった。
小国同士の衝突で頻繁に戦場へも駆り出され、その度に功績をつけていった彼女だが、ふいに時間がいくらか消し飛ぶ。
気付けば一帯の景色も変わり、再び見慣れた家屋が眼前に現れた。
『やったーー!!産まれたぞーーー!!』
そして覚えのある声まで聞こえるや、窓から覗いた先には仲睦まじい家族が3人いる。
そんな光景を繰り返し見せられたオルドレッドも、ようやく事態は把握したらしかった。
「……小国で産まれて、絶えない戦争で親も失って…ただ1人の肉親と一緒にいるために、騎士になった…のは理解したわ。けれど何でアデライトに似た子がいるのよ!!それにあの妹がアデットなんじゃなかったの?誰よ、セシリアって!?」
【…やはりこの女を連れてきたのは間違いだった】
トカゲが深々と溜息を吐けば、ロゼッタが慰めるように頭を撫でる。
その様相にビクリとオルドレッドが驚き、ウーフニールの声が聞こえた事に1歩引いたのは一瞬だけ。
もはや何でもありの空間で取り乱していては、抵抗するだけ身が持たないと判断したのか。すぐに気を取り直せば一息吐き、窓を軽く小突いた。
「…それで?ウーフニールとアデラ……イト、の関係は?ココまできて話せない、なんて言わないわよね?」
【断る】
「今言わせないって言ったばかりじゃないの!何がどうなってるのか、そこだけでも説明しなさいよ!少なくともアデライトが言ってた“動物を貸してくれる知人”があなたなんだってことは、とっくにお見通しなのよッ?」
「2人ともケンカしないのー。それより早くアディを見つけないと!」
「見つけるも何もッ…そういえばアレは幻影だったのよね」
トカゲに捲くし立てるのを止め、ふと窓を覗けば賑やかな子供が視界に映る。
しかし彼女を始め、この空間に存在する人物たちは、皆透き通って触れる事もできない。
そんな場所で一体何が出来るのかと。口元を押さえていたオルドレッドが、やがて我に返ったように顔を上げた。
「…果物」
「くだもの?」
「アデライトが探してたものよ。連れ去られる前にずっと話していて、なんのことかサッパリだったけれど…ひとまず果物を片っ端から漁るわよ。人に触れなくとも、物には干渉できるみたいだから」
そこまで毅然と告げれば、ロゼッタも十分納得されたのか。
途端に走りだして辺りの果物を探すも、熱中するあまりに、肩で鎮座していたトカゲをスられた事に気付かなかったらしい。
家の中を漁るロゼッタを見守りつつ、やがてオルドレッドの注意はウーフニールへと向けられる。
「…いくつか聞きたいから答えて。言えなくても、言わなくても、どちらでもいいから」
視線の先につまんだトカゲを持ってくるも、傍目から見ればとても間抜けな光景に見えた事だろう。
しかし周りにいるのは、あくまで過去の幻影のみ。
人目を気にする事無く睨みつければ、返事も待たずに艶やかな口を開いた。
「あそこにいる子供…もちろんロゼッタじゃない方よ?……それであの銀糸の髪の子は、アデライトと同一人物なの?」
【話すつもりはない】
「あなたはアデライトの何なの?」
【話せる内容ではない】
「…彼が身体に戦傷を負っている事は知ってるわ。それに顔の傷…特に頬を走る1本傷の方…“妹”のアデットにもあったわよね。前に“兄”のアデライトに尋ねた時は“父親譲り”だなんて言っていたけれど、そんなものは過去の出来事を見てても無かったわ」
【何が言いたい】
小さい身体にも関わらず、腹底を震わす声はやはりまだ慣れない。
それでも視線を逸らさずにいると、つい指先にも力が入りそうになった。
「アデライトも、アデットも…どっちも考え事をする時、頬の傷を撫でる癖があるのよ。その傷が出来た瞬間を知りたいのに、その光景が1度も映らないのは何故?それに彼の部下たちが落石で埋まった話も、まだ1度も見ていないのよ?ココはアデライトの……アデットと2人の過去を覗いているんじゃないのッ?」
【……話すつもりはない】
「………アデライトにまた会えたら、本人に全部尋ねても良いかしら?」
【好きにしろ】
悶々と尋問を続けていたものの、最後の質問で一通り気は済んだのか。
溜息を零したオルドレッドがトカゲを掌に載せれば、キョロキョロ周囲を見回した。
消えたロゼッタの行方を追っていたようだったが、程なく当人はアデランテの住処から飛び出してくる。
その手にはリンゴや梨が握られ、ひとまず任意目標は達成されていた。
「アディのおうちで見つけたー!おいしーよー」
「ちょっと、なに食べてるのよッ。変なものでも入ってたらどうす…あら、本当に美味しいわね」
ぐいぐい押し付けられて渋々口にすれば、思わぬ歯応えにオルドレッドもつい残りを頬張ってしまう。
食べ終える間もなく“これじゃない”感は否めなかったが、ひとまず出だしとしては、まずまずの成果ではあった。