239.何も無さが平原たる由縁
巨大な納屋が何棟か。そして幹部の別荘が1軒。
それ以外は何も無い平原で、新たに現れた馬車が信者たちを“補充”しにやってきた。
目的地ではすでに多くが霧の影響で消えていたが、それでも外には円を組んで座る一団が。
あるいは踊っていたり、虚空をぼんやり眺めていたりと、各々が平穏を漫喫しているようだった。
そんな光景も、常人から見れば異様に映った事だろう。しかしクスリを服用した乗員らに、思考などあってないようなもの。
馬車に乗る“運営”たちの指示に従い、家畜の如く次々下車していく。
「…おい。ほかの連中はどこに行った?ここで有難い説教の1つや2つをする手筈だろ」
「どうせ酒盛りでもして頭がイッちまってるんですよ。んな事よりサッサとコイツらを降ろして…」
馬車の扉を開き、雑談を交わしていた最中だった。ふいに男の1人が押し黙ると、その首にはナイフが突き付けられていた。
もう1人も警戒する暇もなく、目と鼻の先に長い刃がギラリと煌いている。
「遠路はるばるご苦労様。ただ申し訳ない…とも思わないけれど、ココにいる人たちと荷物全部。丸々引き取って街にでも降ろしてくれると助かるわ」
「それとテントでクスリを配ってた連中にも言っておいてくれ。“次は警告しない”とな」
「……あっ…えっ?」
「私たちの仲間が常にお前たちを見張ってる。間違っても適当な仕事はするんじゃないぞ」
アデランテの呟きを最後に、血の気が引いた男たちはぎこちなく頷く。
それから慣れた様子で信者たちを回収すれば、同時に彼らを効率よく回して、荷の積載にも努めた。
全てが終わる頃には縛り上げた幹部も搭乗させ、納屋も余す事なく無事に焼却。
移動する準備も整い、朝方に到着した一行は夕方に引き返す事になったが、信者の中には納屋で出会った青年もいた。
不安そうな表情を終始浮かべていたものの、アデランテの相槌1つで渋々馬車に乗れば、平原に残されたのは雰囲気にそぐわない別荘が1軒。
そしてオルドレッドたちの“4人”であったが、信者たちを見送っていたのはその内の3人のみ。
一方のアデランテは、頭上高くで飛ぶトンビをただジッと見上げていた。
まるで馬車を監視するような動きに1人微笑めば、ふと感じた視線を辿り、オルドレッドの眼差しと向き合う。
「…鳥がどうかしたのかしら」
「……べつに?何がどうと言うわけではないけど…」
「ふぅ~ん…ところでロゼッタの肩に乗ってた“トカゲ”。髪の中にずっと隠れてたのが、気付いたらいなくなってたのよ。あなた、何か知らないかしら?」
「………ろ、ロゼッタは動物に好かれる体質みたいだからな。それが理由なんじゃないか?」
「爬虫類が人に懐くだなんて聞いたことないわ。ところで…ウフニィル……さん?は…」
《知らん》
オルドレッドが恐る恐る尋ねれば、黒騎士が冷たく言葉を返す。
まだ“彼”の存在に慣れていないのか。幾らか距離は感じるものの、ウーフニールが表に出てきたという事は、オルドレッドを大なり小なり信用した証。
そんな2人にくすりと笑えば、一斉に視線がギロリと向けられた。
覆面のおかげで慄いた事はバレなかったろうが、それはあくまで表面上の話。
恐らくオルドレッドは経験から。
そしてウーフニールは確実に知っているだろう事実に喉を鳴らし、ひとまず“元幹部”たちの別荘へ引き返す事を勧めた。
むしろ率先して歩き出し、程なく辿り着いたのも束の間。
「アディー!!」
入室したアデランテにロゼッタが途端に抱き着き、埋められていた顔がグッと見上げてくる。
「あのね?みんなが忙しいときに、お部屋を全部きれいにしたんだよ!ロゼ1人で全部やったの!」
「おー、それは助かるな。将来は良いお嫁さんになれるぞー」
「えへへ~、そのつもりだよ~」
「…その子の声。初めて聞いたのだけれど、なに?私とずっといた時は、話す気なかったのかしら?」
抱え上げる間も互いにニコニコ笑うも、オルドレッドの険しい声と表情が背後から伝わってくる。
振り返る度胸もなく、ロゼッタを腕に乗せて移動すれば、宴が行なわれていた部屋へ踏み込んだ。
すると室内はロゼッタの宣言通り。
宴のあとは何もなく、ソファや机が置かれた居間が視界にすぐさま広まった。
壁には鹿の剥製も飾られ、寛ぐのはもちろんのこと。会議室としても使用できる空間に、各々がソファへと腰を下ろす。
なお、ウーフニールだけは扉の傍で壁に寄り掛かっていた。
「…じゃあ、アデライトの言う通り“馬車は無事に送り届けられる”ことを信じるとして…次は何をするつもり?」
ロゼッタが置いたフルーツジュースに口を付けながら、オルドレッドが訝し気にアデランテを見つめる。
そう尋ねるのも、縛り上げた幹部たちから聞き出した情報に、教団の成り立ちが含まれていたからだろう。
かつて敗残兵だった教主が仲間達と霧に包まれ、辿り着いた先は自らの過去だった。
そこで“赤い果実”を手にした彼は、唯一この世に帰還を果たし、敗戦の歴史を塗り替えたとされている。
無論オルドレッドはこの話を信じておらず、また興味が一切無いのだろう。
今夜は1泊するにしても、明日には離れたい心境が表情に出ていたが、それも全ては奇怪な霧の存在を不気味がっているため。
教団そのものはインチキでも、信者たちが集団で失踪したのは紛れもない事実だった。
「私は霧の謎を…もとい、消えた連中がどこへ消えたか追うつもりだ」
「…あなたの依頼が“ただの果物探し”じゃない事は分かったわ。でも誰かの道楽で、それも眉唾なアイテムを入手しに行くような真似はしないでチョーダイ。私はともかく、何かあればその子が悲しむでしょう?」
「ロゼは平気だもん!アディは何があってもずっと一緒だからッ」
険しい表情をますますしかめるオルドレッドに反し、ロゼッタは甘えるようにアデランテの膝上に身体を投げ出す。
一見して平和な光景に見えたものの、当然納得できるような返答では無かったのだろう。
おもむろにオルドレッドが、割れんばかりの勢いでグラスを肘掛けに置いた。
「無責任なこと言ってんじゃないわよッ。仮にも大切に思ってるなら、バカな考えを辞めさせるのが筋ってものでしょうに!」
「おねーさんと違って、ロゼはアディを信用してるからいいの!べーっ」
「このッ……ウフニィルさんは止めるつもりはないのかしら?」
勝ち誇ったようなロゼッタ。乾いた笑い声を上げるアデランテ。
2人を順に眺めたオルドレッドは、藁にも縋る想いで黒騎士を見つめるも、ウーフニールは一瞥もせずに返答する。
《…教団が壊滅しようとも、奇怪な現象が残っては解決に程遠い。元を絶つためにも、調査は必然だろう》
腹底を震わすような声にまだ慣れないのか。
長い耳を震わすオルドレッドが深々と肩を落とすも、やがて状況を受け入れたのだろう。
グラスの残りを一気に呷れば、口元をグイっと威勢よく拭った。
「えぇ、そうですものねッ。私はアデライトのパートナーだもの。乗り掛かった舟が泥船だろうと手は貸すわよ!!……最初にも聞いたけれど、次は何をするつもり?」
「ははっ、ようこそアデライトのパーティへ」
「嬉しくないけどいらっしゃーい。お祝い、する?」
「余計な事しなくたっていいわよ。それに今は“冒険者会議”を開いてるの。お子様は静かにしてなさい」
「ロゼも冒険者だよ?前にねー…あれ?」
意気揚々とソファに立ち上がり、ハッとなって黒騎士を見た彼女は、すぐさまソファから降りる。
しかしその行動で何を言おうとしたのかを忘れたのか。
そもそも記憶が曖昧なのか。
混乱したように首を傾げる彼女から視線を逸らせば、オルドレッドが溜息と共に会話を続けた。
「……霧の正体を探るにしても、まずは発生源を探すことが先決かしら。この前の光景を見ていた限り、まるで山から流れてきて、信者をすくい上げるように消えていったわ」
《霧が北東から北西にかけて移動する様相を確認した。度々現象が発生しているのであれば、北側から巡っているのだろう》
「それなら話も早いわね。明日は北の山で…確か赤い果実だったかしら。それを探せば一件落着ってことで、ケリも早々に着くわ」
「それなら二手に分かれた方が早いな。皆は山に登って調査を。私は霧の中に入って果物を探してくる」
「……はぁっ?」
そのまま会議を解散にする流れが一瞬見えたが、即座に待ったをかけたオルドレッドにより、続行の決定が下される。
それから彼女の怒声に近い話し合いが続けられるも、言葉を交わしたところでアデランテの意思が変わることはない。
覆面の剥がれた素顔の力強さに、少しずつオルドレッドから覇気が失われていく。
「…もしかしてやり直したい過去があるの?以前、お仲間さんが落石に襲われたって話を聞いたけれど、自然災害はあなたの手に及ぶところじゃないわ」
「………落石?」
申し訳なさそうに尋ねる彼女に対し、アデランテは不思議そうに疑問符を浮かべる。
“お仲間”と言われて思わず黒騎士を見たが、彼との冒険で落石に見舞われた旅はあったか。
必死に記憶の糸を辿ってみるが、せいぜい魔物に生きたまま喰われた事しか思い出せない。
「そういうオルドレッドはどうなんだ?もしかして過去に戻りたくて、私と役目を変わりたいとか…」
「冗談はよしてッ。そもそもあなたが霧の中に行くことに反対だし、ダニエルたちとの別れもそれは悲しいわよ。けれど……それを否定したら、あなたとの出会いも否定することになるじゃない。イヤよ、そんなの」
「…後悔する回数の方が多いと思うけどな」
「“冒険”なんてそんなものよ……あなたが霧に挑もうとするのも、きっとね」
ニッコリと浮かべられた微笑みは今にも消えそうだったが、オルドレッドもまた覚悟は出来たらしい。
全員の足並みが揃ったところで作戦会議を再開するも、アデランテの空腹が集中力を奪いつつあった事は、彼女とウーフニールだけの秘密だった。