238.新たな刺客
名も無き教団の幹部たちが上げていた、酒池肉林の宴。
そんな彼らも信者とは違った意味で幸福を味わっていたが、全員が全員というわけではない。
酒以外にも怪しげなクスリが散乱し、恐らく配っているものと同じ物なのだろう。
虚空を眺めながらも、時折悲痛で顔を歪ませている。
「おい、起きろ!起きろったら!!…くそっ、なんで導く側ってのは、まともな奴がいないんだ」
「…その“導く側”に私も入っているのかしら?」
幹部を揺すっていたアデランテがハッと顔を上げれば、険しい表情を浮かべるオルドレッドと目が合った。
彼女もまた1人でも起こそうと胸倉を掴んでいたが、成果は見ての通り惨敗。
加えてアデランテの不穏な一言に、ますます気分を害したらしい。
「オルドレッドのことじゃないさ。仮にそんなことがあれば、遠回しに伝えて君に殴られてると思うぞ」
「…ここにいる人たち。目の焦点も合って無いし、話をするだけ無駄ね。ほかに手掛かりを探しましょ」
「ははっ、ずいぶんと乗り気じゃないか。流石は私のパートナーだな」
「都合のいい時だけパートナー呼びしないでッ」
ますます表情を歪めるオルドレッドだったが、いくらか毒気は抜けたらしい。
そっぽを向いた彼女が部屋を去ろうとするも、直後にロゼッタが褐色の腕を引っ張った。
突発的な行動にオルドレッドが足を止めるや、すかさず小さな足は踵を返し、アデランテの元にパタパタ近付いてくる。
腕を何度も引く彼女に屈んでやれば、即座にロゼッタの手が覆面に突っ込まれた。
そのまま懸命に脱がしていくと、やがて素顔が露わになった事に満足したのだろう。
まるで挑発するようにオルドレッドを一瞥するが、今度は耳も引っ張って唇を近付けてくる。
「…あのね?おクスリいっぱい飲むとね?もわもわ~ってなって、お空にいなくなっちゃうんだよ?」
ぼそぼそと話す度に耳をくすぐられるが、概ね話は理解した。
しかしロゼッタがいつそんな情報を入手したのか。改めて尋ねる前にアデランテから離れてしまい、オルドレッドと共に部屋を出て行ってしまった。
おかげで飲んだくれの部屋に1人取り残され、途方に暮れながら辺りを見回していたのも束の間。
傍の椅子に腰かければ、残された宴の後を“処理”し始めた。
(むぐむぐむぐ…霧の正体。それに盲目に従う信者の上に立つ腐敗した幹部……ごくんっ。この薄気味悪さ。カミサマ関連の案件で間違いなさそうだな)
【いまだカチューシャの町は見つからないがな】
(ぷっはーっ…そうそう。それについても聞きたいことがあったんだよ。噂やら集めてココに来たって話だけど、そもそもどんな町だって聞かされてたんだ?)
【遥か遠い理想郷】
(……まぁ、クスリを続けてれば“お花畑”にはずっといられるだろうが、それと霧に包まれる事と何の関係が…)
最後の一切れを食べ終え、ザッと机を見渡していた時。
空き皿や瓶とは別に居座る、白い粉の存在が露骨に視界へ飛び込んできた。
考えずとも信者を廃人に変えた物質である事は分かるも、躊躇したのは数秒だけ。
程なく手を伸ばしたものの、突然腕が虚空で固定される。
【なんのつもりだ】
「……コイツの副作用。私の中でしばらく留めてもらう事はできないか?」
神妙な顔つきに笑みが途端に浮かべられ、直後に腕の強張りも解けていく。
おかげで難なくクスリに手を出せば、次々と喉へ流し込んでいった。
すると甘い香りがむせ返し、吐き気すら催す臭いを幸いウーフニールが遮断してくれる。
口いっぱいに粉を詰めながら感謝を告げれば、今度こそ片付いた食卓から早々に離れ、サッサと扉に向かった。
「オルドレッドたちは今どのあたりだ?」
【2階奥の寝室を調査中だ】
「そっか…ロゼッタに付けた“護衛”だけじゃ、少しばかり火力不足だな。場所を移すぞ」
扉をソッと開け、彼女たち以外に誰もいない事を確認すれば、1階の別の部屋へと移動した。
滑り込むように入った先は日用品が置かれた物置で、内側からも鍵が掛けられる。
おかげで得られた密室にホッとしたのも束の間。
「ぐわぁッッ…う、ぐぐぅ……ぅんッ」
一瞬上げた悲鳴をすぐに抑え込むも、程なくそれも甘い吐息に切り替わる。
身体を抱えるように屈んでいたものの、疼く腹に触れるだけで官能的な衝動が襲ってきた。
だからこそ咄嗟に腕を離し、上体を仰け反った瞬間。
血も流さず、腹を突き破るように黒い手甲が飛び出せば、一層アデランテは歯を食い縛る。
苦悶の声にも構わず、それから肩当て。兜と。
徐々に“ソレ”はせり出し、やがてゾブン――っと甲冑が丸々抜け落ちるや、一際大きな声を出したからだろう。
その場で崩れ落ち、激しい息遣いを零していた時分。
休む間もなく背中に腕が突き立てられ、続けてズルズルと“何か”を引きずり出される感覚に、再び切ない疼きが集中する。
だがそれも最後は甲冑の時に同じく、激痛と悲惨な叫び声と共に終わりを迎えた。
「…はぁ…はぁ……んぐっ…いままでで…1番痛かった気がする」
官能と激痛。それからまた同じ感覚を繰り返し、拷問とも言える時間を終えても気分はいまだ冴えない。
それでもグッと身体を起こすが、足に力が入らないのだろう。棚に背中を預けて見上げれば、眼前に佇んでいたのは黒い甲冑騎士。
片手には薙刀を持ち、最後に引き出された物の正体を確認すると、つい鼻で笑ってしまった。
《何がおかしい》
「…いや、なんでもないさ。ひとまず戦力は確保できそうか?……ウーフニール?」
呼吸を整えながら相槌を待っていたが、相棒からの返答は無かった。
むしろ兜そのものがアデランテから逸らされ、視線は閉じられた扉へと向けられている。
一体どうしたのかと尋ねる寸前、突如戸が乱暴に内側へ開かれ、矢を構えたオルドレッドの眼差しが室内を網羅した。
悲鳴を聞いて駆けつけてきたのは明白で、最初に奥で虫の息のアデランテを。
それから傍で薙刀を持つ、禍々しい黒騎士の姿が海色の瞳に映った。
肩から上はフードで覆われ、腰から下を布が。
胴と腕。そして足には甲冑が覗いていたが、兜の顔部分は蜂の巣の如く穴だらけ。
異様な雰囲気にますます弓を絞る音が強まるも、背後から腕を引くロゼッタに加え、アデランテの必死な呼びかけが幸いオルドレッドに届いたらしい。
「…変に庇ってるわけじゃないでしょうね。そもそも誰なのよ?こんなところで…アデライトと密室で何をしてたのかしら?」
弓は降ろされたものの、警戒まで解けたわけではない。
そのためにもアデランテが言い訳を考え始めるも、口を開く前に薙刀が遮るようにギラついた。
《…お初目に掛かる。アデライトの関係者“ウフニィル・ザー・ヴォン”だ。奴がいつも世話になっている》
「……ウフニィル…確かあなたの名前もウフニィル・アデ・ライトで……は、初めまして!!オルドレッド・フェミンシアです!か、彼の…っ。アデライトのパートナーを務めてます!」
即座に弓をしまい、一瞬で敵意が消えたまでは良かった。
しかしその後もオルドレッドの謝罪は続き、物置から出られるまで、もう少し時間を要してしまった。