234.地平線まで広がる平穏
深い森を抜け、開けた土地に出ては森に戻る生活を繰り返すこと2週間。
目的地の見えない旅路にオルドレッドも痺れを切らすが、それはアデランテも同じこと。
いつ着くとも分からないどころか、もはや目的とする町の名前すら憶えていない。
ウーフニールがいなければ狂ってしまいそうな道のりも、やがてアデランテの想いに応じてか。
ふいに広がった平原が3人を出迎えるが、その景色は異様の一言に尽きたろう。
辺りに点々と白いテントが建つ様に、オルドレッドが肩を当ててくる。
「…これがあなたの言ってた目的地?」
「どう……なんだろうな」
(ウーフニール?)
【知らん】
(目的地って町じゃなかったのか?)
【知らん】
(なっ、じゃあ何があってこんな所に連れ込んだんだよ!?)
【情報を“視た”わけではない。奇怪な噂を収集した結果、辿り着いたまでだ】
訝し気な眼差しを向けるオルドレッドに、アデランテもまた困ったように四方を見回す。
ロゼッタも足元に引き寄せるが、彼女が不安がったのは当然だろう。
白いテントに混じってチラホラ人の姿は見えても、彼らが視線を向けてくる事はない。
平原に座って漠然と地平線を眺め、誰もが夢現と言った様子だった。
おかげで今立っている事すら夢のように感じてならないが、ふいに物陰から女が迫ってくる。
村娘の風貌をした彼女に警戒をしたのも束の間。
「あ、あの~……ココで合ってるん、ですよね?」
自信がなさそうに語り掛けてくる彼女に、いくらか共感できたのだろう。
オルドレッドがこっそり短剣から手を離せば、すかさずアデランテを睨みつける。
「さぁ、どうかしらね。私も是非“ココで合ってる”のか教えてほしいものだわ」
「…もしこの場所が正解だとして、君は何を待ってるんだ?」
「――……虹の彼方を」
ポツリと告げた彼女に疑問符が浮かぶも、オルドレッドと見合わせたタイミングから、聞き間違いではなかったらしい。
より具体的に詳細を尋ねようとすれば、ロゼッタの指先が奥にいた人物に注意を向けさせた。
「……なにか配っているように見えるのだけれど、何かしら」
目を細めて焦点を絞っても、離れた場所では流石にハッキリとは見えないようだ。
対照的にアデランテの視界は望遠が働き、映ったのは白いローブに身を包んだ1人の男。
そこら中で無気力に座る一団に小さなヒョウタンを配っているが、どうやら水筒代わりらしい。
渡された男たちが次々と口を付けているものの、中身は半分ほど顎を伝っている。
飲む度に目も虚ろになっていき、傍から見ても廃人にしか見えない。
「…飲み物を配ってるようだが、絶対に口を付けるな。そこらで座り込んでる連中みたいになるぞ」
「あなた、アレが見えてるの!?アタシより視力が良いってどんだけよッ」
「……あの~、なんか真っすぐこっちに来てませんか?別の人が」
風に負けそうなボソボソ声に振り返るも、視線を追った先にまた別の男が立っていた。
白いテントの1つから出てきたらしく、やはり束ねられたヒョウタンを持ち歩いている。
頭に載せた草冠さえ無ければ、もう少し警戒を解く事もできたろう。
「ようこそいらっしゃいました。我らが新たな同志たちよ。遠路はるばる来てもらった手前、もてなさなくては教団の沽券に関わりますからな。よろしければ1口どうぞ」
髭面を風になびかせ、朗らかな笑みを浮かべる彼からヒョウタンが3つ。
アデランテの影に隠れたロゼッタに気付くや、もう1つ差し出されるが、オルドレッドたちが受け取る事はない。
“教団の沽券”に関わる前に、対人関係を結びたくない相手を警戒したのも束の間。
2人に話しかけてきた村娘が、恐る恐るヒョウタンに手を伸ばした。
「…あ、あの…あのっ……」
「無理をなさらなくても宜しいのですよ。いずれ求めの時がやってくるでしょうから」
彼女の肩に手を置き、にっこり微笑む男を訝し気に見つめていた時だった。
ふいに女がヒョウタンに口を付け、ゴクゴク喉を鳴らし出した。
止める間もなく飲み干した彼女が口元を拭えば、まどろんだ瞳が再び男へ向けられる。
「あのぉ~…過去がぁぁあ……過去にぃい戻れ、もど……も」
フニャフニャし出した彼女の肩を取り、ゆっくり地面に降ろしてやる。
他の一団と同様に腑抜けた様子に、ますます飲む気が失せた一方で、依然笑みを浮かべていた男が去ろうとしていた。
「ちょっと待ちなさいよ!ココはなんの場所なの?なにが目的で人が集まってるのよ」
「それに教団がどうのって言ってたよな。座り込んでるのは入信希望者ってところか?」
「…おや、皆さまは違うので?」
足を止めた男が振り返れば、ニコリと愛想のよい笑みが浮かべられる。
再びヒョウタンを差し出されるが、屈んで渡されたロゼッタが拒絶しても、彼は嫌な顔を1つとしてしない。
「皆さまは人生で後悔している事はありますかな?」
首を傾げて告げてくる男に、2人が返答するつもりはなかった。その反応を予期していたように言葉が続けられる。
「誰しも戻りたい過去。やり直したい過去を持ちうるわけですが、当教団はその望みを叶えるお手伝いをする事を使命としております」
「…まさか“あの状態”になる事で過去に戻ってる、とは言わないわよね?」
「いえいえ。コレはあくまで気持ちを落ち着け、現世のしがらみを少しでも和らげるための秘薬でございます。聖なる儀式は“お迎え”が来るまで、今しばらくお待ちくださいませ」
深々と頭を下げた男が踵を返せば、再びオルドレッドと見合わせる。
足元では女がへたり込み、呆けた表情で虚空を眺めていた。
「…あなたが言ってた探し物、ってもしかして教団に攫われた人を連れ戻すこと?果物うんぬんも、その人の名前が関係してるとか?」
「……すまないが私も詳しくは…それよりオルドレッドは見たか?」
「ヒョウタンのことかしら?あの男、人に勧めておきながら、最後まで自分では口を付けてなかったわね…なにをしてるの?」
肩を寄せてひそひそ話していたものの、ふいにアデランテが屈みこむと、へたり込んだ女の顎をクイッと持ち上げる。
マスクを外せばすかさず彼女に唇を重ね、程なく離れると再び立ち上がった。
(どうだ?)
【強力な幻覚剤の成分を検出。不用意に毒を摂り込むな】
「ははっ、やっぱり飲んだらマズいやつだったか。ひとまず“お迎え”が来るらしいから、それまで時間を潰して……どうしたんだ?」
テキパキと指示を出していると、おもむろにオルドレッドの鋭い眼差しが突き刺さる。
足元からはロゼッタの訝し気な視線まで向けられ、板挟みの気分に陥ってしまった。
ウーフニールの眼には慣れても、“彼女たちの目”に慣れる日は早々来ないだろう。
戸惑うアデランテにやがて2人分の溜息が聞こえ、オルドレッドは早々に狩りの準備を。
ロゼッタは寝床を探し、木の根元をキョロキョロ見回し出した。
これまでにない動揺を味合わされたのも事実だが、普段の“依頼”はウーフニールと2人だけの二人三脚。
新たに加わったロゼッタたちへの不安も当然あるものの、いつもとは違う景色につい笑みを零してしまった。
【どうした】
「ふふっ、なんでもないさ…何はともあれ、今回もよろしくな。相棒」
マスクで顔を隠していると、唸るような溜息が返ってきた。
ロゼッタたちが呆れた理由は分からなかったが、ウーフニールの気持ちは誰よりもよく分かっていたこと。
そしていつかオルドレッドたちとは別れる事になっても、彼だけは離れる事がないと思うと、やはり笑みが込み上げてやまなかった。