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232.避難所

 古書の匂いに満たされ、仄かな明かりが差し込む臓書の回廊。

 その底に位置する“寛ぎ空間”で、逆立ちしたアデランテが片腕で屈伸を続けていた。


 ソファの背もたれに全体重を預け、身体を震わす度にソファが軋み音を上げる。


「――…298ッ……299………300!」


 腕を一気に伸ばし、汗を滴らせながら転がり込めば、滑るようにソファへ身体を預ける。


 息を弾ませながら虚空を眺めていたものの、やがて視線は上下する自身の胸に向けられた。


「ここに戻ってこないと、自分が女だった事も忘れてしまうな…」


 装備を外したおかげで身体の線が強調され、ついつい指先で小突けば、再びソファに身を投げた。


 程よい気怠さと差し込む明かりに、そのまま眠ってしまうのも良いだろう。

 しかし何もしていないと思考ばかりが先行し、気付けば“独り言”を呟いていた。


「…新米連中も連携が取れてくるようになったし、“新人の新人”を気遣う余裕もできてきた。私たちがお払い箱になる日も遠くないな……ウーフニール?…ウーフニール!!」

【どうした】


 大声を出せば上階から黒い巨塊が姿を現し、無数の目玉がアデランテを捉える。

 悪夢のような光景も今となっては慣れたもので、腹底を震わす声も無性に心地よい。


「せっかく話してるんだから、相槌の1つや2つくらいしてくれよ。さみしいだろ?」

【貴様の戯言に付き合う理由はない】

「そんな言い方しなくても……それはそうと、ギルドの職員がやたら街の近況のこと気にしてたけど、本当に何も知らないのか?」

【知らん】

「ロゼッタと一緒にずっと街にいたんだろ?鳥と犬で交互にさ…って思ったけど、ロゼッタを危険に晒すわけないし、お前が言うなら何も無かったんだろうな」


 愚問であったかと。

 猫のように身体を目一杯伸ばすが、おかげでウーフニールが目を細めていた事に気付けなかったらしい。

 

 だが途端に神妙な面持ちを浮かべるや、小さな溜息をポツリと零した。


「…悪いけど、もう1度“依頼”の話を聞かせてくれないか?」

【カチューシャの町。プルーストの果実を処分せよ】

「……何度聞いても憶えられないな」


 ウーフニールから改めて聞かされた直後だというのに、やはり脳内に定着しない単語に再び溜息を吐く。

 

 森で野営中に“啓示”を受けた時は、どうなるかとも思ったが、幸い注意を引くこともなかった。

 次に行く町の情報もすでに入手しており、ウーフニールの手腕には相変わらず驚かされる。


 もっとも情報源は気になる所だが、仮に聞かされても理解できるとは思えない。

 尋ねても教えてもらえる可能性は低く、ひとまず思考を強引に振り払った。


「ところでオルドレッドたちの様子はどうだ?」

【不毛な議論を繰り広げている】

「まだ喧嘩してるのか…それにしてもナントカの果実って…」

【プルーストの果実】

「“果実”って名前が付くからには、ナマモノなんだよな?いまさらそんなものを処分しろって事は…まさか腐ったりしてるんじゃないか?」

【ギルドの女より食事の誘いを受けている。返答は】

「…えっ、果実の件か!?まさか情報源って…」

【貴様を夕餉に招待しているだけだ。可否の応答を求めている】

「……う~ん、“また今度”ってことでよろしく頼む」

【了承した】


 単調に答えるウーフニールに感謝し、いっそオルドレッドとの“交渉”も任せてしまいたくなるが、そればかりはパートナーとして憚られる。


 落ち着いた心持ちも徐々に荒れていくも、やがてギルドの職員が部屋を去ったらしい。

 オルドレッドと2人きりになった事も告げられ、意を決して表へと出向いた。


「――ほんっと、礼儀のなってない女ね。元金等級だなんて嘘吐いてまで、私を見下したかったのかしら?あなたも何があったら、あの女から依頼を受ける羽目になったのよッ」

「んん~…まぁ、いろいろあってな」

「ふ~ん。イロイロあったのね。話す気が無いのなら百歩譲って、それ以上は聞き出すつもりもないわ……でもね」


 それまで互いに距離もあったはずが、気付けば壁際に追い詰められていた。


 突き出された胸がアデランテをその場に押さえ、鋭い視線が頭上から降り注ぐ。


「その代わりに病気か…それともケガでもしているのなら、いますぐ教会に行って治してもらうわよ」

「…なんの話だ?」

「3日前。森の中。寝てる時ッ」


 重要な事項とばかりに語気を強め、ますます身体を密着されるが、強調されずとも十分想いは伝わってくる。

 覆面も強引に引き剥がされ、咄嗟に俯いた顔もグッと顎を持ち上げられてしまう。


 状況さえ違えば、恋人が愛を語らうように見えなくもなかったかもしれない。


「……気付かないとでも思ったの?夜中にあんな暴れ出して、落ち着いたら今度は周りを見回して、誰にも見られてないか確認して…」

「ほ、本当に何でもないんだ。単純に寝つきが悪かったと言うか、悪夢を見たって言うか」

「胸を押さえて息を乱しながら汗を滝のように流す事が“ナンデモナイ”?ふざけないでッッ」


 顎に触れていた指先は、もはや胸倉を力強く握り締めていた。

 リンプラントとの口論でさえ見せなかった表情に、返す言葉すら浮かばない。


 それがもしも悲しみではなく、もっと怒りに任せた言動であったなら、何かしらの勢いで言い返せていたろう。


(…どうしよう)

【真実を語ればいい】

(なっ、カミサマの話か?)

【街を発つ話だ、愚か者】


「……何か言いなさいよ」


 目まぐるしく瞳を泳がせていた傍らで、オルドレッドの弱々しい声音が現実に意識を引き戻す。


 胸倉を掴む指先を震わす彼女が、ますます表情を歪めていったからか。

 咄嗟にオルドレッドの手を包んでしまい、驚く彼女の瞳から一滴の涙が流れた。


「その、寝つきが悪かったのは本当なんだ。この街も何だかんだ言って気に入ってるし…」

「……けれど?」


 ぐすんっと鼻をすするオルドレッドに、優しく頬の涙を拭ってやる。

 反省するロゼッタを彷彿させる姿につい微笑んでしまい、おかげで彼女の顔も少しだけ締まった。


「“仕事”が急に入ってな。行き先も結構離れた場所にあるらしいから、そろそろ街を離れなきゃいけないんだ」

「…一緒にいる女の子に関連すること?それとも傭兵業の…」

「2つ目、が近いかな。契約主との腐れ縁でね」

「……そう、なの」


 肩の力を抜くように告げられ、ようやく胸倉を離されると、ひとまず胸をホッと撫で下ろす。

 

 しかしオルドレッドが目元を乱暴に拭うや、再び毅然とした表情を向けてきた。



 覚えのある気迫に嫌な予感を覚えるも、いまだ胸と壁の間に挟まれて、その場から逃げる事もできない。


「私も行くわッ」

「……その」

「あの子たちなら十分鉄等級として…ううん。銅等級として通用する実力を持ってるわ。それにさっきの職員にも、再三新人用の訓練教室を開くよう進言したのよ?私たちがいなくても、何も問題はない…なんて言ったら自惚れかしらね」

「…でも」

「そもそも人がどれだけ心配したと思ってるのよ?夜中に暴れても何も言わないから黙っていてあげて。ずっと心ココに非ずって感じでも、必死に口を閉じていてあげたのに…」

「しかし…ッ」

「胸を押さえてッ。声を押し殺してッ。息も荒げてッ。汗をダラダラ流すくらい、やりたくない仕事なんでしょ?そんなところに1人で行かせると思っているの?私はあなたのパートナーなんだから、危険な場所なら一緒に行くわよッ」


 額を押し当てられ、一辺倒に気持ちを押し付けられたのも束の間。

 ふいに階下からアマナの声が聞こえ、昼食の誘いにアデランテが恐る恐る応える。


 その後もオルドレッドはピクリとも動かなかったが、ようやく離れると胸も退けられ、途端に呼吸も楽になった。


「……何が何でもついていくから、覚悟しておいて」


 覆面をネクタイのようにサッと直され、すかさず彼女は去って行くが、甘い残り香はその場に留まっていた。


 まるでアデランテをその場に縛り付けるようであったものの、重い身体を持ち上げれば、落ち着いた足取りでオルドレッドのあとを追う。


「ウーフニールはどう思う?」

【貴様に一任する】

「…言うと思ったよ」

 

 いっそ彼が全力で断ってくるのであれば、まだ“検討の余地”もあったろう。


 しかしオルドレッドの執念深さはウーフニール以上。

 その評価は初めて会った頃から変わらず、小さな嘆息を零せば、皆がいる食堂を目指した。

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