230.休憩も仕事の内
ギルドが騒がしいのは毎度のこと。
ただでさえ日中はごった返すなか、新人用の窓口も増やした事で、職員たちはフル勤務。
辛うじて休日を取れるシフトに、職員募集の話が必然的に持ち上がる一方――…。
「…あぁーもぅ、わっかんない!!!」
2階の事務所奥。
冒険者係のコーナーで、1人リンプラントが頭を抱え込んでいた。
書類の山に顔を突っ込み、魂が抜けたような溜息を零せば、机の奥に座すドゥーランがすかさず彼女を睨む。
「職務怠慢だゴラ」
「だぁ~って~……ハァ」
「おい!!」
机に振り下ろされた拳は直前で止まり、視線は素早く積み上がった書類を一瞥する。
恐らく“過去の失敗”から学んだのだろう。
苛立ち紛れに坊主頭を撫でつければ、リンプラントに劣らない疲れ目を向けた。
彼女が担当する“難事件の数々”に、同情していないと言えばウソになる。
「…曲がりなりにも幹部がだれてんじゃねえっての。下の連中に示しがつかないだろうが」
「うぅ、だったら人手増やしてよ~。後輩が沢山できたら、見られてる分だけ張り切っちゃえるんだからさぁ」
「アホ抜かせ。てめぇが扱ってる案件を、そこらにいる馬の骨に知られるわけにいかねえだろ?サッサと片付ければ、有休の1日や2日はやるって言ってんだ。働け」
「無理だってば~。ぶっちゃけ迷宮入りもいいとこなんだよぅ?」
「だったら事実を捻じ曲げてでも、それっぽい屁理屈をこねろや。冒険者の“神隠し”事件を解決した腕前があんなら、何とかなるだろうよ」
「……別にアタシ1人で解決したわけじゃないし」
ドゥーランなりに発破をかけようとも、彼女から覇気が湧き上がってこない。
相当疲れている事は容易に想像でき、渋々自分の仕事に戻れば、書類の山に彼の顔が見えなくなる。
再び訪れた静寂が安息をもたらすわけでもなく、かと言ってサボっている暇もない。
頬を机につけたまま傍の資料を引き寄せれば、素早く自分の筆跡に目を通した。
事件の詳細は一通りまとめる事はできたが、嵌められたパズルのピースの色は全て白。
完成したところで、何1つとして理解するには至らなかった。
「…最初は街外れの倉庫で火災。中から出てきた死体は冒険者で、焼け死ぬ前に引き裂かれた死体が多数――…」
パラパラめくりながら呟けば、次に映るのはギルドが提携する孤児院の情報。
「職員は全員死亡。でも無傷だった子供たちは日常的に虐待を受け、一部は違法に売り飛ばされていた…」
「前ギルド長の負の遺産だな。提携先を全部見直す必要がありそうだ、クソが」
「人が考えてる時に頭の中入ってこないでよ。盗み聞きとか趣味悪っ」
突っ伏しながら悪態をつくも、すぐに書類を見直せば次の案件を読み取る。
街中は不自然な焼死体や引き裂かれた屍で溢れ、そのどれもが要注意人物にリストアップされた冒険者か、一見して悪人だと分かる面構えの男ばかり。
中には一般人に見える被害者もいたが、裏を取れば全員が真っ黒。
ギネスバイエルンの闇を担う集団の死に、“天罰が下った”としか思えなかった。
「魔物が忍び込んだ…なんて知れ渡ったらパニックの元。魔術師の仕業ならギルドと関係が悪化しちゃうし、謎のカルト教団!……な~んてものがあるなら、アタシの耳に届いてるっての」
「縄張り争い。取引の失敗。仲間割れ。そんなとこじゃないのか?」
「そうするだけの案件が“こいつら”の間で出回ってないんだよね。帳簿を見ると甘い汁はそれなりに吸ってたみたいだし、こんな大事になる前兆も全然ないし…」
「衛兵どもには見張りを強化させて、今のところ類似した事件は1つも起きてないんだ。変な噂が流れる前に、さっきの方向で報告書を纏めちまいな」
「そんな適当にやっていい事じゃ…っ」
顔を起こしながらムッと返すも、ふと言葉を止めればドゥーランの視線が向けられる。
訝し気に次の言葉を待っていたものの、「ちょっと休憩」と零したリンプラントは、無音で事務所をあとにした。
止められる事なく職員用の出口を抜け、降り注ぐ太陽光を数日ぶりに浴びたからだろう。
一瞬顔をしかめるが、程なく進み出した歩調は通行人より少し速い。
瞬く間に雑踏を抜け出し、やがて着いたのは1軒の宿屋だった。
「ふぅー……私用じゃない、私用じゃない。あくまで仕事…」
ブツブツ唱えながら呼吸を整え、キッと上げた顔は熟練の冒険者のもの。
あるいは仕事モードとも揶揄される空気を纏い、いざ扉を潜り抜けていく。
「…お、おじゃましま~っす」
「いらっしゃいま…せ」
落ち着いた雰囲気の部屋に迎えられるや、声を掛けてきたのは宿屋ツバクロの女将ではない。
幼さを残す青年が前掛けを着け、挨拶を述べた顔が何故か凍り付いていた。
ギルドの職員である事は服装からも察せたろうが、そこまで驚くものなのか。
相手の反応に違和感を覚えつつ、新しい冒険者が宿に来たのかと。
我が事のように喜びかけたリンプラントも、すぐに職員の顔に戻って、女将を呼ぶよう尋ねた直後だった。
ふと2階の廊下を歩くロゼッタの姿を捉えるや、目の前の青年など眼中にも入らない。
「ロゼッタちゅわぁぁぁああんん!!!!」
両手を振って彼女に語り掛ければ、ベッドのシーツを抱えたロゼッタがゆっくり降りてくる。
もっとも8割方の距離はリンプラントが詰め、接触と同時に軽々と抱え上げた。
「ひっさしぶり~!元気してた?ちゃんとご飯食べてる?お菓子もいっぱい食べさせてもらってる?何か必要なものがあれば、いっっつでもお姉さんを頼ってくれても…っ」
「……あのぉ~…何の用っすか?」
振り回す勢いでロゼッタを抱き込んだのも束の間。
恐る恐る告げた青年に、ハッとなって慌てて取り繕う。
すでに威厳など無いに等しかったろうが、まだ挽回のチャンスはある。
咳払いしながら女将の所在を尋ねれば、ギルドの方に出向いていると言う。
「あっちゃ~、入れ違いかぁ……何しに行ったか聞いてる?」
「さぁ…用事が済んだらすぐに戻るって聞いてますけど」
「ふ~~ん…じゃ、帰ってくるまで待たせてもらおうかな。ちなみにブラッドパックっていう冒険者パーティの事は知ってる?」
「先輩たちのこと?朝から依頼でいないっすよ」
「またまた入れ違いかぁ……ま、ロゼッタちゃんと一緒にお留守番し~よおっと!」
「…あのロゼッタ姐さんも仕事があって…」
ドカっと居間に腰を下ろすリンプラントの膝には、ロゼッタがちょこんっと乗っている。
動かなければ人形のようではあったが、彼女の顔が青年に向けられると、すぐに彼は去ってしまった。
「……ロゼッタ姐さん?」
金糸の髪に頬擦りをしていたものの、耳に残った言葉に思わず顔を上げる。
しかし青年の姿はすでに無く、代わりにいたのは黒い忠犬だけだった。
「会うの2回目なんだし、そんな警戒しなくてもいいじゃーん……ねぇロゼッタちゃん。メアリーがどこに行ったか知らな~い?」
気怠そうな犬の瞳から視線を外して程なく。
抱き込んだロゼッタに身体を預ければ、小さな溜息をポツリと零した。
「お姉さん今すっごく困っててさ。メアリーがいれば前みたいにズバっと解決できそうなんだけど……何て言うのかな。正義の騎士ナイトマンの仕業なんじゃないかって事件がまたあってね?」
ロゼッタの顔横に頬を当てれば、子供の柔肌が余す事なく伝わってくる。
その間も無表情な彼女の様相に油断してか。あるいはパクサーナがいた頃の名残だったのだろう。
ポロポロと事件のあらましを零し、時折ウーフニールにも視線を移す。
リンプラントの心中では、屋敷で活躍した黒カラスが浮かんだのか。
だからこそ口が軽くなってしまったのかもしれず、人語を理解した鳥のように、何かしらの“お告げ”に期待したのかもしれない。
「…あの時は辛かったけどさ。まるで絵本の中にいたみたいで……でもお姫様はアタシじゃなくて、フーガくんはロゼッタちゃんだけの王子様だったんだよね……守れなくてごめんね?」
徐々に声音が弱々しくなるや、リンプラントの顔が肩口に埋まる。
ロゼッタを人形のように抱く姿は、むしろ彼女が少女に見えたものの、おかげで緑の瞳が黒い犬に向けられている事に気付かない。
その光景を目にしていれば、それこそフーガと黒カラスの“会話模様”を彷彿させていただろう。