226.ロゼッタの冒険劇5
徐々に迫ってくるキスクに、セブンがロゼッタを背後に隠す。
咄嗟にとった行動だったとはいえ、思えば相手が“商品”に手を出すはずもない。
むしろ彼女を人質に取った方が、格段に生存の道に繋がるだろう。
「…悪いことはやっちゃダメなんだから、イヤならやらなくていいんだよ?」
チラッと少女を一瞥するや、緑の瞳が首を傾げながら見つめてきた。
まるで心の内を見透かしたような発言に加え、彼女の浮世離れした空気が、セブンの居心地を悪くする。
おかげで現状を一瞬忘れ去り、その隙にロゼッタが意気揚々と前に進み出た。
「キスクのお兄さんもッ!悪いことだって知ってるなら、やっちゃだめ!やりたくないのにやるのはもっとだめ!」
ビシッと指を向けるロゼッタに、思わずキスクの足が止まる。
顔をしかめた拍子に片目の痣が痛んだものの、背後から冒険者たちの笑い声が聞こえたからだろう。
決意に満ちた表情を浮かべるも、それもすぐに曇り出した。
ロゼッタの勝気な様相が一変し、途端に悲壮感の込もった顔色に、ナイフを掴んだ手が緩む。
当然彼の変化にセブンも気付いたが、ハッと我に返れば慌てて少女を下がらせた。
「なに考えてんだ、お前は!?こいつらは俺より、ずっとタチが悪い連中なんだぞ!」
「だってお兄さん、すっごくかわいそーなんだもん」
「…まさか俺を庇ったわけじゃねえだろうな。言っとくが成人はしてなくとも、女に助けられるほど軟弱じゃねえんだよ」
「う~んとね。かわいそうなのは、あっちのお兄さんのことなんだけど…」
「はぁ!?俺は可哀そうじゃねえのかよっ!」
ロゼッタに掴み掛かりそうになるが、所詮相手は子供。
それも自分より年下の小娘に、年長者として余裕を見せるべきなのだろう。
隙を見てキスクの様子を見るも、どうやらロゼッタの言葉に動揺しているらしい。
彼の思わぬ側面に驚かされる一方で、幾らか出来た時間稼ぎに落ち着きも取り戻してきた。
あわよくば世間知らずのお嬢さんが、新たな余興を始めてはくれないかと。
つい他人任せにしてしまった自分に、一瞬嫌悪感を覚えたのも束の間。
キスクたちから隠すように立たせていたロゼッタが、おもむろにセブンを押し出した。
まるで景色が見えないとばかりの反応に、改めて彼女に頼った自分に後悔の波が押し寄せてくる。
「あのおじさん、ちょっとかわいそうだったけど、みんなにいじわるするからもうダメなの!……ウフニルぅぅううーー!!」
小さな身体で大きく胸を膨らませ、途端に大声を出したロゼッタに、誰もが目を丸くした。
しかし今いる場所は街外れの倉庫。
どんなに悲鳴を上げようとも、誰の耳に届くわけでも無い。
程なく男たちの薄ら笑いが浮かんだ――…その直後だった。
突如青年たちと冒険者の間を、炎の壁がせり出した。
轟々と焼き付ける炎上網に、誰もが呆然としていたものの、我に返ったロゼッタがセブンの膝に飛びつく。
体格差に関係無く転ばせると、彼に訝し気な眼差しを向けられた刹那。
頭上を炎の球が通り過ぎ、背後の障害物を焼き尽くした。
「あちちッ…。ほら、帰れるようになったんだから、ゆっくりしないのッ。お兄さんたちも!」
燃え盛る炎の中で、毅然と告げるロゼッタの声に視線が集まる。
煌々と照る庫内で金の髪はなびき、端整な顔つきもまた業火の明かりで惹き立つ。
その姿はまるで炎の化身――あるいは妖精か。
そんな妄想に耽って間もなく、傍の木箱が崩れると、急速に現実が迫ってきた。
あまりの熱気に情けない悲鳴まで少年の1人が上げ、もはや冒険者に目をくれている暇はない。
我先にセブンの抜け穴に群がれば、最後に出ようとしたキスクが足を止め、セブンを一瞥する。
「…いいからサッサと行け。ケリをつけんのはそのあとだ」
ぶっきらぼうに告げたものの、直後に崩れた木箱にビクついたからだろう。
格好がつかないセブンを鼻で笑い、すかさず出て行ったキスクを追うように、ロゼッタの腕を掴んだ時だった。
「…あれ、お前のボディーガードはどうしたんだよ。あいつらにやられたのか?」
彼女の半身とさえ思える黒い犬を探し、キョロキョロと見回すセブンの腕を、ギュッとロゼッタが掴む。
「――あとで会えるから、だいじょーぶッ…ねっ?」
首を傾げ、笑みを浮かべる少女に、それ以上語れる言葉は無かった。
ロゼッタに腕を引かれるがまま、勢いよく倉庫を飛び出せば、直後に背後で燃えた廃材が落下する。
もはや使用不可能な侵入口に加え、火はすでに倉庫の屋根まで燃え広がっていた。
「…ずらかろうぜ」
ふいに零された、誰の声とも分からない提案に反論する者はいない。
敵も味方も無くその場を去り、脇道を使って倉庫から徐々に離れていく。
見上げれば黒煙が空に立ち昇っているのが見え、これから徐々に人だかりが出来る事だろう。
「……で、どうすんだリーダー?」
陽射しから隠れるように暗い路地を歩く最中、ぽつりとエイロットが声を掛ける。
応えるようにキスクが顔を上げるも、片目を飾る青痣のおかげか。
覇気のない彼はいまだ握っていたナイフを見れば、無造作に路肩へ放った。
それからロゼッタを。
次にセブンを訝し気に睨み、溜息を零した彼が虚空を眺めた。
「…状況がどうあれ、連中を置き去りにアジトから逃げ出したんだ。制裁は免れないだろうさ」
「今から合流したところで、結果も変わらないだろうな…」
「へっ。ご主人様がいなくなった途端にずいぶん弱気じゃねえか。何なら俺の子分になってもいいんだぜ?」
「死んでも御免だね」
ここぞとばかりにセブンが胸を張れば、キスクが露骨に顔を歪めた。
おかげで彼も調子を取り戻し、幾らか空気も和んだのも束の間。
セブンの仲間である小柄のマートが、眉をしかめながら首を突っ込んできた。
「そもそも僕たちだって根無し草じゃんか。この前エイロットたちにぶっ壊されたからさ」
「…お前らまだ住処見つけてなかったのかよ?」
「おかげさまでなっ!!マートも余計なこと言うんじゃねえ!!」
「へっへっへ…で、話し戻すけど、どうすんだリーダー?」
「……戻らないとなれば、街を出る以外に方法はない。あてもなく彷徨うか、連中の目を掻い潜って生活を続けるか…だな」
ようやく前向きになった一行も、瞬く間に先行きが暗くなる。
無論セブンたちも冒険者に目を付けられた以上、キスクたちと立場は変わらない。
いっそ街を出る方が現実味を帯びてきたところで、ふとエイロットが顔を上げた。
「…そういやお前。冒険者の後ろ盾がいるって言わなかったか?」
「……ロゼにきいてるの?」
しばしの沈黙の末、ようやく金糸の髪を翻しながらロゼッタが振り返る。
「ほかに誰がいんだよ…で、そいつは強いのか?パーティは組んでんのか?」
「しらない人にあんまり話しちゃダメって、ウフニルにも言われてるの…」
「いまさらソレかよ……なぁ、これでも冒険者にこき使われてきた身なんだ。そいつに紹介してもらえれば、俺達もそれなりに役立つはずだぜ?」
「……ダメだったらロゼでわるいこと考えてるでしょ?そーしたらウフニルがすっごーく怒るから、わるいことはメッ、だよ?」
まるで心の内を読まれたような。
そんな想いで一瞬身体が強張るが、当の本人は気難しい表情から一変。
にっこり微笑むと、彼女を包む空気も途端に華やかになる。
邪念も霧散していくようであったが、その背後には常にロゼッタの傍に控えていた、獣型の“黒い影”が渦巻いている事。
そして彼女の底知れない器に、誰もが口を閉ざして彼女のあとを追った。