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221.鳥は古巣に

 宿屋ツバクロの朝は早い。

 家事の一部を冒険者たちが担っているとはいえ、彼らの持ち分はあくまで利用後の後始末や、頻繁に使う空間の掃除だけ。

 自分の部屋や持ち物の管理はもちろん、裏庭や食堂の片付けも任されている。



 ゆえに正面玄関を始め、残る箇所は全て店主の領分。

 泊まり客に表立って掃除をさせれば、新たな訪問客に悪印象を与えかねない対策でもあるとはいえ、1番の理由は彼らが“冒険者”だから。


 ギルドで依頼を受ける事が優先される新米たちに、経営のノウハウを教えるつもりはない。 


 だからこそ普段は1人で作業をこなすはずが、今は裏庭で“従業員”と洗濯物に勤しんでいた。


「…ほれ、もっと腰に力入れな。あんたは身体が小さいんだから、遠慮せずにガンガンやりゃいいんだよ」


 洗濯桶で空室のベッドシーツをもみほぐす傍ら、足で踏み洗いするロゼッタに助言する。


 すかさず緑の瞳が店主に向けられるが、それも数秒の間だけ。

 俯いたロゼッタの髪が顔を覆えば、少し強めに足踏みが再開される。

 


 アデランテたち(指導役)が不在の間は、一応面倒を見る事になっているが、今の所手を焼くような目には遭っていない。

 むしろ幼さに反してキリキリ働き、文句1つ零さず手足を動かしている。


 それどころか1度として声を聞いた試しがなく、彼女の後見人であろう冒険者も、覆面を被っていて素性が知れない。

 

 ロゼッタの姉(赤毛の女)との出会いがなければ、まず預かりを拒否していたろう。

 


 だが初対面で人形のようだった彼女が、子供らしく動き回る姿に安堵したのも事実。

 体格差こそあれ、家事の手伝いも少しばかりは助けられている。

 

 あるいは愛想をもっと振りまければ、良い看板娘にもなれたろうが、そんな少女にも頼もしいボディーガードがいた。


 

 物干し竿にチラッと視線を移すと、そこには1羽のタカが止まっている。

 黒い犬と入れ替わりに現れたソレは、周囲を警戒しつつ、ロゼッタの見張りにも余念がない。

 訓練された鳥獣を見るのは初めてだが、その振る舞いはあまりにも不自然。


 まるで人の意思が宿っているようにさえ感じたものの、言葉にしてしまえば陳腐そのもの。

 なぜなら店主の妄想は、もはや御伽噺の領域に達していたからだ。


「……ま、面倒を起こさなきゃ、何も言うつもりはないけどね」


 溜息を零しながら店主が立ち上がると、洗濯物を順に干していく。

 絞っても濡れたシーツは重いのだろう。震えながら持ち上げるロゼッタから受け取れば、やはり普段より数秒早く洗濯を終えた心持ちにさせられる。


「はい、お疲れさん。次の仕事だけど……まだ働けるかい?」


 店主の訝し気な問いに、ロゼッタがコクコク頷く。

 肩で息をしているようにも見えるが、ひとまず“力仕事”はしばらく頼まない方が良いだろう。



 食器洗い。

 玄関の掃き掃除。

 空き部屋の窓拭き。


 いくらでも案は浮かぶが、ふと調味料を切らしていた事に気付いた。


「――てなわけで、今言ったものを店で買ってきてほしいんだよ。お金の場所は前に教えたろ?ソレと買い物かごを持って、チャチャっと……まぁゆっくり慌てずにね」


 いつもの調子で話せば、慌てて最後に一言付け足した。


 仮に1人で勝手に怪我をしていたとしても、ロゼッタを預かっている身。

 次に冒険者たちが宿に戻ってきた時に、顔を向けられなくなるだろう。


 言葉選びには慎重さを要すも、ジッと見つめてきた緑の瞳が逸れると、要求は無事に伝わったらしい。


 いつもの調子でロゼッタが歩き去れば、途中まで追っていた店主は台所で静止。

 少女の小さな背中を見送るが、ふと玄関に消える彼女の姿に違和感を覚えた。


 その正体に気付く頃には、ロゼッタから決して離れなかったタカが、何故か傍にいなかったこと。

 

 そして店主の与り知らぬところで、少女が黒い犬と表で合流していた。

 

「…しゅっぱーつ!」


 小声で拳を空に突き出せば、その先では1羽のタカが勇ましく飛び去っていく。

 方角からしてギネスバイエルンの森に向かっているが、ロゼッタが気に掛ける事柄ではない。


 黒い犬の頭を撫でれば、元気よく商店街へと歩き出した。

 

「――それでね?昨日はいっぱいいーっぱい!お掃除をして足がつかれちゃったッ」

《知っている》

「しってるのはしってるよ?でもロゼが考えてることは、ウフニルもしらないでしょ?だからちゃんとお話するの!」

《前を向いて黙れ》


 四つ足で進むウーフニールの傍らで、ロゼッタが口を閉ざす事はない。

 宿にいる間は“沈黙令”を守っている反動か。だとしてもこれだけ話しながら、よくも黙っていられるものだと感心してしまう。



 もっとも彼女が指示に従うのは、下手な発言がアデランテの首を絞めるため。


 彼女の事を最優先に考える行動原理からも、少なくともウーフニールの敵ではない。

 その事実も含めてロゼッタに手を出せないのが、非常にもどかしかった。


「…ウフニル?」


 溜息を零すように鼻息を鳴らせば、ロゼッタがぴったり身体をつけてくる。


「ひみつにしてくれて、ほんとにありがとー」

《何の話だ》


 甘ったるい声が耳元で囁かれ、怪訝そうに彼女を睨みつける。

 しかし周りから見れば、犬の首に顔を埋めた少女が、和やかに映った事だろう。


「ロゼが話せるようになったとき、アディにちゃんと会えるまでナイショしてくれたでしょ?だからありがとー」

《貴様が秘匿するよう、騒ぎ立てたからに他ならない》

「だって~、はじめてお話するならスキな人に声をさいしょにきいてほしいでしょ?あっ、ウフニルのことも大好きだよぉ~」

《言葉を教えたのは、貴様から過去の情報――もとい臓書へ侵入した方法や、捕らえられた経緯と出生を聞くためだ。決して戯言を耳にするためではない》

「むぅー。ウフニルのお話はむずかしすぎるってばぁ」


 歩きながら寄り掛かる彼女を振り払えば、不貞腐れながらロゼッタも隣に佇む。


 話せるようになってからも「直接会えるまでヒミツにして!」と言われ、愚直に守ってしまったとはいえ、結局彼女から聞き出せた情報は無い。


 過去の記憶が一切無く、気付いた時には“雌鶏の目覚め亭”にいたこと。

 そして次の瞬間には、パクサーナ体を通して臓書を訪れていた。


 ロゼッタの供述に従えば、それ以上の話に期待はもてないが、一方で疑念が1つ残される。


《貴様は何とも思わないのか》

「……なに、ってなぁに?」


 唐突な問いかけに、今度はロゼッタがキョトンとした。


《幼少の身と言えど、記憶が無ければ己が何者なのか。何処から来たのか。自らの存在に疑問を持つのは自然の事だが、貴様からそのような感情は一切窺えない》

「だからウフニルのお話はむずかしいってばぁ…う~ん……前にね?アディがおしえてくれたの。怖くなくなる魔法の呪文って」

《…まさか“ウーフニール”のことではあるまいな》

「えっへっへ~、大当たりぃ~!」


 聞き覚えのある用語を訝し気に問えば、途端にロゼッタが首に抱き着いてきた。

 そのまま顔をぐりぐり押し付けてくるが、もしも相手がアデランテであれば、迷わず顔に噛みついていたろう。


「ウフニルはウフニルで、アディもウフニルとずっと一緒だから、な~んにも怖くないだよ~」

《名すら無い小娘が何を言っている》

「ロゼはロゼだも~ん。アディがそう呼んでくれるもん!」

《……その名を貴様が忘れたらば?》


 ロゼッタを押し退けるように顔を向けるが、彼女の腕が離れることはない。ますますしがみつかれて、犬の身では解きようがなかった。


「ふふ~ん。そのときはアディとウフニルがおしえてくれるでしょ?だからだいじょーぶ!!」


 満面の笑みを浮かべる少女に、思わず目を細めたが、彼女の金の髪に陽の光が反射したからではないだろう。

 ようやく離れたロゼッタが先を歩けば、遅れてウーフニールもまた付き従った。


 黒色の身体は、まるで彼女の影のようにさえ見えたが、その認識に間違いはない。

 肌身離れず傍にいるのは、何もアデランテの頼みだけが理由ではないのだから。

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