217.腕試し
草木が眠りにつく漆黒の森で、5つの影が茂みをかき分けていた。
皆一様に周囲を見回し、警戒を怠らないのはもちろん。一列に並ぶ彼らが、互いに欠けていないかを確認し合っている。
各々は武器こそ携えるも、やはり深夜の強行軍は心細いのか。
引け腰である事は否めないが、それでも背後で“援軍”が守備に就いているからだろう。
時折振り返り、その姿が見えなくとも安堵の表情が彼らにチラついていた。
「…慎重なのは良いのだけれど、少し移動が遅すぎるんじゃなくて?足音も立てすぎよッ」
そんな彼らを尻目に、木陰から覗いたオルドレッドがポツリと零す。
日頃から険しい表情は浮かべる方だったが、今夜はいつにも増して瞳が鋭い。
大まかな意識は鉄等級冒険者“ブラックパック”に向けられるも、アデランテを睨む時は一際厳格な顔つきになった。
「……それで?何が狙いなわけ?」
今にも掴み掛かりそうな気迫を有していたが、優先順位は“尋問”ではない。
眼差しもすぐに冒険者たちへ移されるも、如何せん集中できないのだろう。
チラチラとアデランテを窺う彼女に、口を閉ざしているのは容易ではなかった。
「副ギルド長から直々に依頼されてな。困ってたところで丁度熟練の冒険者が“パートナー”だったから助かったよ」
「都合の良い時だけパートナー呼ばわりしないでッ。それに私が何を聞いてるのか分かってるくせに、下手な誤魔化しするんじゃないわよ」
「パーティは組みたくないって話だろ?ちゃんと覚えてるさ。ただ私は冒険者崩れでしかないから、教育しろと急に頼まれてもな…」
「……確かに人並み外れているものね。普通の人間…それも冒険者の卵にそんな指導役を押し付けられたら、あの子たちも溜まったもんじゃないわ。実力の高さだけを買うのも考え物だって、きちんとギルドに報告しておくのよ?」
腕前の評価と辛辣な意見を同時に告げられるが、街へ戻る頃にはアデランテも忘れているに違いない。
もっともウーフニールがいるからには、記憶力の程度など杞憂そのもの。“覚書”は彼に任せ、冒険者たちもオルドレッドに丸投げする勢いだった。
「大体なんで私があの子たちの指揮を取ってるのよ。あなたが受けた依頼でしょ?」
「教育者として天賦の才でもあるんじゃないか」
「冷やかさないでッ。そもそもアデライトが黙ってるから、話す羽目になってるんじゃない。これじゃあ、まるで私が率先して教育を引き受けたように見えてしまうわ」
「真面目な教官で連中もむしろホッとしたんじゃないか?」
「私はせいぜい助手の類よ」
溜息を零したオルドレッドが、さらに続けようとするも、ふと互いに足を止めれば前方に注意を向ける。
視線の先ではアマナたちが静止し、その理由も想像に難くは無い。
判断基準は、まず彼らが武器を構えていること。
山賊がいる地域でもなければ、野営した冒険者に矛先を向けるとも思えず、考えられる相手は魔物だけ。
加えて互いに出している手信号や雰囲気から、どうやら標的ではないらしい。
「また移動するみたいね…それにしてもあの子たち。何を根拠に進んでるのかしら」
「足跡があるわけでもないしな。行き当たりばったりじゃないといいが…」
「……副ギルド長から直々の依頼、ね」
修正された進行方向を追ったところで、再びオルドレッドに視線を移す。
「ギルド長が代わった話も聞いたわ。副ギルド長のレミエットが昇進して、その後釜が金等級冒険者だったかしら…それと宿に置いてきた女の子に、何か関係があるの?」
これまで通り小声で呟かれるが、アデランテに顔を向ける事はない。
魔物の出現区域に辿り着いた事で、冒険者たちに一層集中しているのだろう。
「副ギルド長“直々”の依頼だものね。そういえば私と大学に行く前に行った“極秘任務”にも金等級が関わっていたような気がするのだけれど、もしかしたらコネが出来る程度の接触でもあったのかしら?」
一瞬鋭い眼差しが刺さった気がするも、腰の剣を掴んだアデランテが合図になったのか。
オルドレッドも前方を窺えば、今度こそ冒険者たちは“当たり”を引いたらしい。
チラッとアデランテたちを見つめたのも然り。武器の持ち方も、空気も変わったところで会話も強引に途切れる。
同時に教官の2人は散開し、互いに状況が把握できる位置に移動し終えた刹那。
徐々に標的へ接近したアマナたちは、それぞれ戦闘陣形に移行していく。
「…広がり過ぎじゃないか?あれだと牛の魔物に逃げられるぞ……なぁウーフニール?」
【知らん】
マスクをグッと上げながら口を動かせば、腹底を震わす声が脳裏に響く。
彼からすれば心底興味が無い出来事なのだろうが、それをアデランテが構う事はない。
魔物を挟むように回り込んだオルドレッドにも注意しつつ、念の為に剣の柄も握り込む。
「今から口を出すわけにもいかないしなぁ…う~ん、もどかしい」
【依頼を受けたのは貴様のはずだが】
「私が指導者の器かよッ。それにこの依頼は“オルドレッドのため”でもあるんだ。彼女に任せたからには、彼女のルールに従うさ」
【手出し口出しは無用にして、通常業務の常時監視…時間の無駄だ】
「長い目で見れば私らのためにもなるんだ。それまでは気長に付き合ってくれよ」
提案に唸り声が返され、ついほくそ笑んだのも束の間。飛び出した弓使いの2人がレッドブルを驚かせ、寝起きの奇襲は成功したらしい。
巨体に見合わず逃げ惑い、咄嗟に逃げ出した方向には、残る3人の冒険者たちが待ち構えている。
「ジーオ!そっちに行ったわ!!」
「横着せずに1匹を集中して仕留めるように!マデランとデクスは、ほかを散らして!」
アマナの掛け声に全員が動き、掠る程度の矢傷に魔物も散開していく。
狙い通り1匹だけを群れから離す事に成功し、近接に特化したジーオやビニリアンたちも挟撃に加わる。
3人分の攻撃が赤い雄牛に降り掛かるも、大きな角や分厚い筋肉。そして突進による勢いも相まって、次々武器が弾かれてしまう。
体格と力不足に、恐らく魔物が群れていなくとも勝機は無かったに違いない。
ジーオとビニリアンも素通りし、前方に佇むアマナに猛進していく様に、冒険者たちが悲鳴を上げる。
咄嗟に彼女が身体をよじるが、避けきるにはあまりにも心許ない。そのまま突進を喰らえば、怪我は免れなかったろう。
しかし直後にレッドブルが足を止め、顔を勢いよく振ると明後日の方向に走りだした。
遠くで魔物の足音が轟き、一転して静寂に包まれた冒険者たちの一帯では、誰も動く事はない。
作戦も失敗に終わってしまったが、幸い怪我人は出なかった。
このままレッドブルの群れを追う事も可能とはいえ、一同に再挑戦する気力は無いらしい。
むしろ魔物を動揺させた“原因”に困惑したらしく、彼らの目が辺りを何度も行き交っている。
「…“私は”手を出してないからセーフだよな?」
フードの下でニンマリ笑みを浮かべ、ゆっくり茂みから現れたアデランテに、視線が一斉に向けられる。
直後に武器を構える者もいたが、彼らの視界に映るのは顔を隠した男。
それも片腕にタカを乗せ、悠然と姿を現した様相は、まるで森の化身そのもの。
アマナを襲ったレッドブルの視界を横切った“相棒”の存在も相まって、童話の世界に引き込まれたようだった。
「……いつまで固まってるのよ。魔物が出る森の中で油断は禁物ッ」
呆けている冒険者たちへ喝を入れるように、オルドレッドもまた反対側から進み出た。
静かながらも毅然とした声音だったが、冒険者たちが直立するには十分なものだったらしい。
そんな彼らの表情は敗色に染まっていたものの、教官が黙する理由にはならなかった。
「とりあえず森に入ってからの動きは一通り見させてもらったわ。それも含めて話したい事があるから、1度宿に引き返すわよ」
「……ですがまだ1匹も…」
「初日から仕留められたら、私たちの面目も潰れるのよ。今夜は先輩の顔を立てて、撤退の準備をなさい……トロトロしないのッ!」
いまだ困惑していた彼らも、鶴の一声で瞬く間に元来た道を戻って行く。
もしもアマラが隊列を遵守させていなければ、またオルドレッドの怒りを買っていたかもしれないが、幸いにも彼女の注意はアデランテに向けられていた。
「大学ではアライグマ。ギネスバイエルンでは犬…随分と動物に好かれてるのね」
「アライグマは偶然だが、こいつと犬の方は“知り合い”から借りたんだ。用が済んだらすぐに返すさ」
「…私以外にもパートナーがいるってことかしら?」
訝し気な問いかけに、フードで隠された顔はオルドレッドにこそ向けていた。
だがこっそり“相棒”の胸に伸ばされた手は、直後に嘴が指先を容赦なくついばむ。
「……パートナーはオルドレッドだけさ。知り合いとは…まぁ腐れ縁ってやつだ。気にしないでくれ」
「…さっきの話の続き。1つだけ答えて……あなたが預かった女の子。一体どういう関係なの?」
肩を並べたオルドレッドが、ふいに裾をキュッと握ってくる。
「訳ありで私といるだけでな。それ以上は何も言える事がないんだ。すまない」
「……他の冒険者から引き取った、とか?」
「似たようなもんだな…それより“コレ”。外さなくても良かったのか?」
開いた手で軽くフードを上げれば、マスクも少し下げる。露わになった顔に一瞬目を見開いたオルドレッドも、すぐに前へ向き直った。
「…どうせ外しても目立つだけでしょ?そのままで良いわよ」
「そうか?教育者が正体不明だと連中も不安になるかと思って…」
「――それでいいのよッ」
言葉を続ける間もなく、フードを無理やり降ろされた反動で、思い切り身体が前のめりになる。
同時にタカが足場を失えば、鳴き声を上げる事なく夜明けの街へ飛び立っていった。