216.転がる先の卵
雑踏の冒険者たちが、街の住人たちにすり替わり始めた頃。小さな中庭を囲う柵向こうで、一軒の古民家が見えてきた。
表に掲げる鍋型の看板には“新人冒険者を応援!!”と彫られ、目印に気付けばすかさず建物に入っていく。
外観よりも広い室内に思わず見回せば、ふいに左端の扉から割腹のいい女が出てくる。
「いらっしゃ……ギルドから派遣された“教育担当官”かい?」
愛想の良い笑みも一転。マスクにフードをした人物と、その隣に立つ露出の多いダークエルフ。
それから現れた黒い犬や金糸の少女に、険しい顔も途端に驚きへと変わる。
「もう話は通ってるみたいだな。青銅等級のアデライトと…」
「…オルドレッドよ」
「それとッ……あぁー…」
ぶっきらぼうに答えるオルドレッドのあとで、チラッとロゼッタを一瞥する。
アデランテの裾を掴んだまま佇む彼女の身分を、何と説明すべきなのか。
事前の言い分を失念していた事を後悔したが、直後に喉が勝手に動き出した。
『彼女の世話を任されてな。それ以上でも以下でもない』
「……弟さんが亡くなった話は一応聞いてるよ。お姉さんは1人で親御さんに報告でも…いや、なんでもないよ」
それまでのハッキリとした声音が、途端に萎んだように覇気が薄れていく。
店主の変化に2人は互いに見合わせるも、すぐに気持ちを切り替えたのだろう。再び頑固そうな顔つきを取り戻せば、裏庭に“依頼対象”がいる事を聞かされる。
「金は貰ってるからね。開いてる部屋の1つを泊まるなり好きに使いな。食事もいるなら事前に教えるように」
「…う~ん、そこがどうなるかは今後の展開次第かな」
「まぁ好きにしな…ところでソッチのちっこいのはどうすんだい?まさか連れ歩くわけじゃないだろうね」
「ははっ。彼女には最強のボディーガードが付いてるからな。安心してくれ」
そう言いながら黒い犬に触れようとするが、躊躇もなく手に噛みつかれる。それが証明とばかりに愛想笑いを浮かべるも、マスクにフードでは表情も相手には見えない。
オルドレッドも呆れながら顔を逸らすだけだが、店主もそれ以上口を挟む気は無いのだろう。
無言で裏口を指差せば、颯爽と元来た部屋に引き返してしまった。
それから3人と1匹で奥に進むも、建物を出れば程よい広さの庭が映り込む。
日頃からよく手入れされているのか。芝生の青さは寝転がれそうで、日が差せば日光浴にも適したろう。
しかし目撃者が――それもオルドレッドたち以外の若人たちが、草むしりを止めて硬直する様子に、とても寛いでいる暇はない。
誰も装備は着ていないものの、端に寄せられた武器の数々。
そして雨も陽射しも無い中、不相応な汗を流している姿から、今しがたまで稽古に励んでいたのだろう。
アデランテたちが現れなければ、そのまま宿に戻って1日を終えていたに違いない。
「…しゅ、集合!」
ようやく我に返った1人の女の声に、慌てて一同が走りだした。
次々と目前に整列していき、まるで兵隊のように直立する。
「……ブラッドパック!のリーダーを務めてます、アマナと言います!本日はお忙しいところを…っ」
「…何を固くなってるのか知らないけれど、査定に来たわけでもないんだから、もっとリラックスなさいよ」
汗を拭く間もなく、背筋を伸ばす彼らに冷ややかな声が浴びせられる。
薄着の新米たち以上に肌を晒すオルドレッドに、2人の男たちはもちろん。残る3人の女冒険者たちも、否応なく視線を彼女に向けた。
それぞれ足。腕。顔。
長い耳。
そして零れそうなほど豊かな胸と、彼女に向けられた眼差しも、やがて溜息を零したオルドレッドの瞳まで持ち上がった。
「…冒険者ギルドから派遣された、ソロ冒険者のお2人ですよね。女将さんからそういった方は、金等級も同然だってよく言われてまして…」
「そんなの大袈裟よ。それに私もアデライトも堅苦しいのは好きじゃないの。“技術指導”の名目で来ていると言っても、お互いもっと気楽にやりましょ?」
「じゃあ、はい!俺はジーオって言うんですけど、オルドレッドさんに彼氏は…っ」
一行の中でも比較的体格の良い青年が、元気よく声を上げた矢先だった。
彼のつま先の傍に矢が突き立ち、着弾音が鈍い悲鳴を轟かせる。
「……気負わなくても良いとは言ったけれど、気安く接していいわけではなくてよ?」
それから続いたオルドレッドの言葉に、誰もが彼女を一瞥する。その手には弓が握られ、目にも止まらぬ速さで抜いたのだろう。
「…ジーオ、だったわね。あとは?」
武器をしまいながら告げるや、緩みかけた一同の背筋がまた伸びる。
“気楽な関係”が瞬時に凍り付き、上下関係がはっきりした瞬間でもあった。
「………アマナです。武器は大槌で、このパーティのリーダーを務めてます」
掠れるような声も徐々に張りを取り戻し、そんなリーダーに勇気づけられたのか。
次に弓使いの男女デクスとマデランが名乗り出せば、どちらも言葉遣いが丁寧で、兄妹かと思えば別人らしい。
そして敬語を使わない大剣使いの女ビニリアンの紹介で、一通り顔合わせを終える。
もっともロゼッタや黒い犬に触れられる事はなく、なぜこの場に双方がいるのか。
疑問こそ彼らの瞳に浮かべど、口に出す勇気は無いらしい。
その象徴とも思える矢を地面から引き抜けば、指揮棒のようにオルドレッドが冒険者たちを指す。
「これからの予定は?一応今日は挨拶だけのつもりで来たのだけれど」
「食事と仮眠を取ったらレッドブルズを狩りに行く予定です」
「…わざわざ夜に?暗い森だと足元が見えないんだから、かえって危険じゃないかしら」
「リスクは分かってますが、目標は5匹なのに2日経っても仕留められてないんです」
「あっ、でも1匹はウチが手傷を負わせる事ができましたよ?」
「マデランはちょっと黙ってて…とにかく私たちは夜襲を仕掛けて、1匹でも多く倒す計画を立てています」
話す度に少しずつ自信を取り戻すように、やがてアマナが質問に応じるが、オルドレッドから――増してや、アデランテが計画に口を挟む様子は無い。
助言する事もなく、街の外で集合する旨だけを告げたのも束の間。背後に掛けられた声に、再び彼女たちへ振り返る。
「あの…っ。お2人は別の場所で泊まるんですか?」
「宿を取っているんですもの。当たり前でしょ?荷物だってソッチにあるんだし」
「…指導に来て頂いてる身で差し出がましいかと思いますが、出来ればこの宿に…“ツバクロ”で泊まって頂く事は可能でしょうか?お金が必要なら私たちでも何とか出来ますのでっ」
小声で懇願するアマナの背後では、彼女に同意しているのだろう。コクコク頷く冒険者一同に、思わずアデランテたちが見合わせる。
それから一行を一瞥すれば、泊まっていた2パーティの内、片方は“全滅”したこと。
そしてもう一方は身内の都合で次々辞退し、残った数名の冒険者も受け入れを検討したが、大所帯では食べていけない。
結果的に宿屋“ツバクロ”に宿泊しているのは、ブラッドパックの1パーティだけ。
おかげで女将さんが寂しそうだと。
加えて全滅したパーティの事で、気落ちしている事が伝えられる。
もちろん彼女を癒せそうな、ロゼッタと犬の両方も視界に収める事を忘れない。
「我儘は承知なんですけど、女将さんには大変お世話になっていて…恩返しをしたくとも、今はどうしようもなくて…」
再びアマナが肩を落とせば、呼応して一帯の空気が重くなる。
女将だけではなく、共に冒険者を目指していた仲間たちが消えた事で、彼らも心細くなっているのだろう。
かと言って強く要求できるはずもなく、徐々に伸ばされた腕も戻されていく。
そんな一行の姿に、溜息を零したオルドレッドと見合わせた。
「…私は宿の主人に引き払う旨を伝えるだけで済むが」
「……こっちはソレに加えて、荷物を取ってくる必要があるわね」
諦めたような声音に反し、アマナたちの表情は途端に輝く。
そんな反応にもはや“再検討”の余地は無く、颯爽とアデランテたちが表口へ去ったのは喜ばしい事――のはずが、瞬きを終える間もなく姿を消した2人の俊足。
そして置いていかれたロゼッタたちの処遇で、一行の安息はすぐに終わりを迎えた。