211.屋敷未満、家屋以上
朝一でギルドに向かい、大学の近況。並びにレミオロメの手配について報告するはずが、佇んでいた場所は貴族街の一角。
煌びやかな豪邸が建ち並ぶ景色に、多くは羨望か嫉妬の眼差しを向けた事だろう。
しかしアデランテにとっては、“お腹いっぱい”な光景。たとえ豪華な料理を積まれても、二の足を踏む体験が脳裏をよぎった。
もっともアデランテが立っていたのは、3階建ての一軒家の前。一般的な家屋よりも立派な佇まいはしていたが、周囲の豪邸とは比肩できない程浮いて見える。
貴族街の入口に立っていた守衛も、問題が起きた際に駆けつけてくれるのか、甚だ疑問すら覚えてしまう。
「…ギルドに行かなくていい、って言われた時は何事かと思ったけど、一体何を企んでるんだ?もしかして新しい依頼か?」
【現在ギルドの責任者は出張中であり、報告先は必然的に副官へする事になる】
「それは昨晩も聞いたよ。でもソイツの家でわざわざ話すより、冒険者としてギルドで報告する方が自然なんじゃないか?ほら、いつも事務所の狭い部屋に連れてかれてたろ」
【副官は屋敷の生存者の1人でもある】
「……そういえば、前にそんな話をしてたっけな」
再びよぎる屋敷の記憶に溜息を零すが、訪問先を知ったのは数秒前のこと。導かれるがままに青い煙を追い、守衛所で冒険者プレートも提示した。
マスクにフードの怪しい出で立ちではあったが、訪問者として“予約”が入っていたらしい。すんなり通されて、今や副ギルド長の門前まで迫っていた。
ここまでの順調な道のりも、“寄り道”さえ無ければ昼前に着く事もできたろう。
「いいか?これから難しい話をしなきゃいけないから、大人しくするんだぞ?」
「……ウフニルよりむつかしいお話?」
小さな手を引いたまま、屈んで言い聞かせるアデランテに、金糸の少女がコクリと首を傾げる。
その隣では頬も耳も垂れた黒い犬が居座り、思わず“彼”をチラッと一瞥した。
【小娘の同伴に何ら問題は無い】
(…そうは言ってもな。大学の話だって子供に聞かせるものじゃないし、屋敷の事だって…やっぱり2人で留守番をしてもらった方が…)
【副官の家を尋ねる理由は、小娘の存在があるためにほかならない】
(ロゼッタの?)
「…アディ?」
キュッと手が握り返され、我に返ってロゼッタに笑みを浮かべるも、誤魔化しはマスクの下で隠れてしまう。
無言で黒い犬を眺めていただけでも不気味だったろうが、幸い彼女はウーフニールの存在を知っている。
だからこそ不穏な気配を察したのか。不安そうに見つめてくる彼女を抱き上げれば、腕に乗せたまま扉を軽く叩いた。
「なんでもないさ。それよりウーフニールの事はナイショだからな?」
「知ってるぅ~。ロゼ、ウフニルとも約束したもんっ」
《“ウーフニール”だと何度言わせる》
「えへへ~。ウフニル~」
それまでの様相も一変。途端に笑みを浮かべたロゼッタが仰け反れば、逆さまになってウーフニールを撫でた。
彼女の機嫌が直った一方で、アデランテとは異なる距離感に。
ロゼッタ相手に仕方ないとはいえ、微塵も触れさせない彼が無抵抗に撫でられる姿に、ふつふつと虚しさが込み上げてくる。
大学に行っている間に何があったのか。
ゆくゆくは問い詰めるつもりだったが、今は開かれた扉に意識を向ける必要があった。
「……アデライト様ですね?」
隙間から覗く若い女中がアデランテを。
それから抱えられたロゼッタに、傍で座り込むウーフニールを眺めた。
初対面であれば困惑を覚える組み合わせも、恐らく事前に外見は伝えられていたのだろう。アデランテが応じれば、速やかに入ってすぐ左の部屋へ案内された。
玄関の正面は階段。右手にも客人用のソファが見えたが、連れられたのはダイニングのような個室。
周囲には簡素な生け花が置かれているだけで、特に豪華さは感じられない。
むしろ貴族街の雰囲気に反し、酷く質素にすら見えた。
「こちらにて今しばらくお待ちくださいませ」
頭を下げた女中も颯爽と去り、手前の椅子で座ったアデランテの隣にロゼッタ。そして彼女を挟むように、ウーフニールがさらに椅子1つ向こうに座り込む。
ロゼッタを守るためとはいえ、物理的な距離の遠さにまた溜息を零してしまう。
【どうした】
「…なんでもないよ」
「どうかしたの?」
「な、なんでもないんだ。本当に…」
少女の緑の瞳が2つ。さらに奥から黒い犬に眺められ、慌てて被りを振った。
胸に手を置いて自分を落ち着ければ、ウーフニールが常に共にある事を言い聞かせるが、瞑想の時間は程なく扉の音に遮られる。
振り返れば雅なドレスに包んだ女が入室し、一目で貴族だと分かる雰囲気はもちろん。その歩き方や所作の1つ1つが優雅にさえ思えた。
質素な部屋も相まって、途端に空間が彩られたのも束の間。彼女に続いて入ってきた男の風貌は、まるで戦士そのもの。
身なりこそ整えていたが、隻腕も相まって、彼が纏う空気は易々と拭う事はできない。
そしてもう1人。
「やっほぉー!元気してた~カワイ子ちゃん!!」
入室して間もなく、ロゼッタに抱き着いた女に、思わず剣を振るいそうになった。
しかしウーフニールに腕を制され、加えて黒い犬自体が動く気配は無い。状況に困惑しながら眺めていると、ふいに女が視線を向けてきた。
「…ああーーーっ!?あの時の連れない男ーっ!」
一瞬の沈黙の末、突然指を差して吠えられたが、当のアデランテには記憶にも掠らない。むしろフードにマスクを着けた状態で、何を根拠に“あの時”と言っているのか。
(…誰だ?こんな奴と会ったっけ?)
【気にする必要は無い】
疑問符を浮かべるアデランテをよそに、女はいまだロゼッタに抱き着いている。彼女が拒絶する様子は無いが、それにしても馴れ馴れしいのではないか。
一瞬浮かんだ殺気も、直後に女の頭上に浮かんだ文字が、幸い意識を霧散した。
(……リンプラント・カリシフラー?)
どこかで覚えがある名前だと思えば、視界の端にロゼッタの落書きが映った。“第三の人物”と瞬く間に照合されたが、謎が1つ解けたところで新たな謎が浮かぶ。
「…ロゼッタの面倒を見てくれた、んだよな?世話をかけた」
「べっつにー?アンタのためにやったんじゃないしー。ただこっちの諸事情とか、メアリと固い女の友情で結ばれてるから…えっ、ロゼッタ?この子、ロゼッタって言うの!?ちょーカワゆいんですけどーっ!」
「……リン。座れ」
「お兄、もうちょっとだけ…」
「リンちゃん。座って?」
「…はぁ~い」
嵐のようなやり取りの間に、サッサと奥の椅子に座っていたのだろう。最初に入室した2人が落ち着いた、それでいて威厳のある声で諭せば、渋々リンプラントは男の隣に座った。
互いに向かい合ったところで、すかさず女中が紅茶をそれぞれの前に用意していく。
「改めてお忙しい時に、足を伸ばして頂いてごめんなさいね?主人とリンちゃんを助けてくれた人に、どうしても一言お礼が言いたくって」
「…助けた?私が?」
「救助要請をしてくれた事があったろう?疲労困憊の身であったろうに、ただ1人ギルドに戻らせてしまって、あの時は申し訳ないことをしたと思ってる」
「……本当はドゥーランも呼んだんだけど、“忙しくて”来れないんだってー。ほーんと素直じゃないやつ」
【冒険者ギルドにて救助要請を行ない、口外及び入場を禁止された時の話だ】
「あ、あぁ!あの時か。大した事はしていないさ。気にしないでくれ」
ポカンっと面食らっていたものの、途端に記憶が鮮明に浮かび上がった。
辛うじてロゼッタを背負って帰った事は覚えていたが、そのあとも漠然と“誰にも話すな”“来るな”と単純に憶えていただけ。
屋敷の出来事に至っては、もはやパクサーナと過ごした日々しか記憶になかった。
「ふふっ、刺激的な話もいいけど、自己紹介が先じゃないかしら。あなた?」
「そ、そうだったな。えーごほんっ…彼女は4代目ブラシュカッツ家当主のルイーズで、かつては俺たちのパーティのスポンサーをしていてな。今は副ギルド長である俺を夫に迎え入れて、ギルドにも多大な支援を行なってくれている」
「そんでアタシがケイルダンの妹のリンプラント・カリシフラー。冒険者係担当官のドゥーランの補佐をしてて、メアリの心の友っ……そういえばメアリは?」
家主よりも尊大に話していたのも束の間、ふいにロゼッタとアデランテ。
それからウーフニールを見回すが、訪問者は2人と1匹だけ。
彼女が何の話をしているかは、当然アデランテには知る由もない。
「ロゼッタちゃん。メアリがどこにいるか知らない?今日だって2人が来てくれるって言うから、お姉さん楽しみにしてたんだけどぉ~…」
「…あ~っと、彼女はもともと知人の伝手で雇っていてな。“十分稼いだので帰ります。リンプラント様に宜しくお伝えください”…だそうだ」
「……釈然としないけど、そ~ゆーとこがメアリらしいっちゃメアリらしいのかな~」
頬杖をついたリンプラントが寂しそうに溜息を零すが、それでいて悲哀は感じられない。むしろ納得したような様相に、ますますアデランテの困惑を誘う。
それ以上彼女からの追及もなく、途端に沈黙が部屋一帯を包んだ刹那。
「お待たせしました」
タイミングを見計らったように女中が現れ、台車に豪勢な料理を乗せて運んでくる。
「さぁさぁ。皆さん遠慮せずに食べてね?まだまだ沢山ありますから」
「ギンジョウからも十分労うよう言われてるんだ。ルイーズの言うように、どんどん食べてくれ」
「ロゼッタちゃんが好きそうなお菓子もた~くさぁん作ってもらうから、いっぱいいっぱい食べてね~」
【ギンジョウとは屋敷の捜索に向かった際に同行した男だ】
固まっていたアデランテの謎が1つ解ければ、すかさず注意は料理に向けられる。
ロゼッタと自分の分を取り寄せ、チラッとウーフニールを見つめるが、流石は貴族街の女中。抜かりなく彼の分の受け皿が床に置かれ、それすら美味しそうに見える。
もはや空腹は頂点に達し、さっそくマスクを降ろして食べようとした時だった。
「…フード。外しませんの?」
一口目を頬張ろうとしたところで、ルイーズがポツリと零す。見上げれば主催者の3人が訝し気にアデランテを眺め、食事会に向かない風貌に戸惑っているのだろう。
普段なら意にも介さないところだが、ふいにロゼッタが袖を引っ張った。彼女の無言の訴えに最初は応戦していたものの、やはり無垢な瞳には勝てない。
渋々フードを外せば、リンプラントやルイーズは直後に絶句を。
ロゼッタは得意そうに胸を張り、その間に喰らったお預けを晴らすように料理を頬張っていく。
アデランテ以外の咀嚼音が聞こえたのは、それから5分後の事だった。