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209.真夜中の訪問者

 夜鳥ですら息を潜める静寂の中、星々を遮るように黒い翼が空を覆った。

 風を切りながら街を飛び越えれば、やがて1軒の建物に着地。壁面にしがみつく様は怪物のようであったが、途端に窓が開けばスルリと滑り込んだ。


「…ありがとな」


 フードの下から小声で零せば、金と青の瞳がチラッと赤毛の女を一瞥する。

 まるで夜分の訪問に不満を表すような面構えだったが、陽が昇っていたとしても表情は変わらないだろう。


 再度感謝を示すつもりで微笑みかけるも、相手の視線はアデランテから逸らされる。その先を辿ればベッドに注意が向けられ、小さく膨らんだ毛布が上下に動いていた。


「……いい子にしてたか?」

 

 すかさずベッドに歩み寄れば、一際小さい声で語り掛けた。色違いの瞳には金髪の少女が映り、呼吸をしていなければ人形にも見えたろう。


 だからこそ無意識に。

 むしろ臓書の中でしか触れられなかった彼女の可憐さに、つい金糸を指先ですくった。

 羽根のように軽く、太陽の温かみを持つ髪質にニコリとはにかんだのも束の間。


 カッと見開かれた緑の瞳が、おもむろにアデランテを捉えた。驚いた隙に腰に抱き着かれ、見た目相応の力がギュッと掴んで離さない。


「ろ、ロゼッタ…?」


 辛うじて絞り出せた声は、いまだに驚いていたがゆえか。

 あるいは夜分の遅い時間帯が、無理やり声量を抑えたのかもしれない。


 これまではアデランテから触れていたのに、ロゼッタが接触してきたのは初めてのこと。

 それも腹部にグリグリ頬ずりし、愛玩動物のような愛しさに破顔を。

 一方で予期せぬ展開に狼狽を見せ、パクサーナに説明を求めそうになった時だった。


 ふいにロゼッタが顔を上げ、抱き着いたままアデランテを見つめてくる。

 咄嗟に彼女の頭を撫でつけると、猫のように目を細めたが、一瞬意識が飛んでしまったのか。

 カクンっと力が抜けたロゼッタは、慌てて首を振ってベッドから飛び降りた。


 それから腰に再び抱き着けば、先程のまどろんだ(まなこ)はどこへ消えたのか。今はキラキラ星の如く輝かせ、アデランテだけを視界に映していた。


「…ど、どうかしたのか?ほとんど毎晩会ってたんだし、ウーフニールだってずっと傍に…」

 

 無言の視線に耐え切れず、答えを求めて再度パクサーナを見つめた時。ギュッと抱き締められた腰に思わずロゼッタを見下ろし、顔色1つ変えない彼女に戸惑うや否や――。



「――…アディ」


 

 ポツリと零された声に心臓が止まり、咄嗟にパクサーナに視線を移した。しかし“彼”は相変わらず険しい表情を浮かべるだけで、何よりも音源はロゼッタから聞こえた。


「…アディ?」


 再び耳にした、花畑に舞う蝶のような声に振り返れば、緑の瞳とかち合った。

 依然彼女は無表情だったが、凍り付いていたロゼッタの口元が、途端に笑みを浮かべた。


「アディ!」

「ロゼッタ…?」

「アディ!!」

「…ロゼッタ、だよな?」

《そうでなければ他に誰がいる》


 ぴょんぴょん飛び跳ねるロゼッタに反し、アデランテの戸惑いはパクサーナに向けられる。


 彼女が言葉を発したのはもちろんのこと。笑みまで浮かべる様相は、直近で一体どのような変化があったのか。

 翼を生やしていた時でさえ臓書で会っていたはずが、突然の光景にいまだ思考が追いつかない。


「アディ!アディ!こっちッ」


 そんな当人の困惑に構わず、ぐいぐい腕を引っ張るロゼッタは、そのままロフトの手前までアデランテを引きずった。

 何事かと思う間もなく、ハシゴを昇った彼女は頂上付近でピタリと止まる。


「アディ!みて、みて!」

「お、おぉぉ!随分と身軽になったんだな。今ならソファの背もたれも往復して…ロゼッタぁぁあ!?」


 ようやく現実が追いついてきた矢先。ハシゴから飛び降りたロゼッタを、慌ててアデランテが抱きとめる。

 大の大人であっても怪我を免れない高さだが、彼女の笑みやあどけなさ。何よりも屋敷から人形然としていた姿からの代わり映えに、つい口を閉ざしてしまう。


 それもアデランテの首にギュッと抱き着かれては、頬擦りする彼女を叱る度量はなかった。


「もー1回みてて?」

「ろ、ロゼッタ。凄いのは分かったから、もう少し安全なことをだな…」

「あと1回だけ!ねっ?」


 首を傾げるロゼッタに絆され、渋々彼女を降ろせば、やはりハシゴに真っすぐ向かった。頂上に着けば再び飛び出し、2度目とあって今度は狼狽する事もない。


「アディ!アディ!こんどはコッチ!」


 アデランテに抱かれたまま、グイグイ肩を掴んで指した方角は部屋隅の机。彼女の下僕とばかりに指示に従えば、暴れた彼女をゆっくり椅子に降ろす。

 机の上には紙切れが積まれ、1枚1枚に絵や文字が書かれていた。


「これはね?おみせやさんでお買い物したときの!」

「…野菜を買ったのか?」

「やさいじゃなくてフルーツ!それでね?コッチのお店のパンケーキがすっっごくおいしかったの!」

「ロゼッタの舌をうならせた一品か。それは興味があるな」

「あとね、あとね?コレ、いっぱい勉強したの!」


 目まぐるしく切り替わる“画廊”を見終われば、次は文字だらけの紙切れが引き出された。

 単語の繰り返しから文章の練習まで。びっしりと書かれた彼女の成果に、自ずとロゼッタの饒舌ぶりを理解する。


 単純な文章量であれば、アデランテが筆を持った回数を優に超していたかもしれない。


「ここ!ここにアディのサイン書いて?」


 ペラペラとめくっていくアデランテの顔に、突然紙切れがグッと押し付けられる。困惑しながらも受け取れば、そこに描かれていたのは4人の人物だった。


 1人は赤毛。1人は半分ほどの大きさで描かれた金糸。

 そしてアデランテだと分かる銀糸の三つ編みに、最後の1人は弓らしき物を抱えている。


「…りんぷらんと……かりしふらぁ?」


 その下に書かれた文字を読み上げるが、明らかにロゼッタの文字ではない。カッコつけたような字体に思わずパクサーナを見るが、彼は相変わらず無言で見つめてくるだけ。


 再び絵に注意を戻せば、金糸の人物の下には“ロゼッタ”の名が。

 そして赤毛の下には“めりぃ”と彼女の字体で書かれ、さらなる困惑がアデランテを襲う。


 だがクレヨンを押し付けられ、すかさず自分の署名をしようとした時。ふと絵の右端に浮かぶ黒い太陽に気付いた。

 ぐるぐると何度も塗り潰された様子は、傍から見れば失敗を隠そうとしたのか。

 あるいは日食を表したようにさえ見えたろう。


 しかし見る者には――むしろアデランテとロゼッタ以外には理解出来ない絵に、ついついクスリと笑ってしまった。


「…どーしたの?なにか変だった?」

「いや、よく描けてるよ。とにかく私の名前…」


 心配そうに覗くロゼッタの頭を撫で、クレヨンを紙に載せたのも束の間。ピタリと指が止まれば、それ以上先に進める事ができなかった。


 “アデランテ・シャルゼノート”は落盤に遭って死んだ。

 “アデット・ソーデンダガー”は放浪の旅に出ている。

 そして今も名乗っている“ウフニィル・アデ・ライト”も、厳密にはウーフニールに与えたようなもの。



 それでは銀糸の三つ編みをした人物の下に、何と署名すればよいのか。

 

 迷った時はすかさずパクサーナを見るが、何も言わずに視線を返した彼も、アデランテの訴えを感じたのだろう。

 やはり何も告げず、会釈をするように俯けば、紫煙をくゆらせて消えてしまった。

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