207.藪をつついた蛇
大学から“嵐”が去り、残された傷痕は思いのほか早く修復された。
1つは幹部たるカルアレロスたちの働きにより、レミオロメの陣営を取り纏めたことから。
そしてもう1つは、対立候補であったガルミナバ・フェルハントが“実在”しなかった事実が、全てを結果付けたと言えよう――。
「…まぁ終わり良ければ、ってやつなんじゃないか?」
バリっと硬いパンを齧り、深々と腰かけるアデランテに覇気は感じられない。
帆の無い馬車でくつろぐ姿に、向かいで座るオルドレッドの訝し気な視線が突き刺さる。
「……依頼は終わったかもしれないけれど、気を抜きすぎじゃなくて?問題はまだ山積みなのよ?」
「そうは言っても、大学の後処理は私らの管轄外。せいぜい魔物を売ってる連中の話をギルドに報告する事しかできないだろ?」
「…だとしても、あなたみたいにすぐ切り替えたりできないわ。数時間前まで魔術師のトップと殺し合ってたのよ?」
アデランテを責めるように告げるが、当人の緩んだ表情に毒気を抜かれたのだろう。口をへの字に曲げるオルドレッドにくすくす笑えば、ますます彼女の顔が歪む。
しかし現に2人の依頼期間は、あくまで大学長選挙が終わるまでのもの。
対立候補がいなくなり、バーティミエルの独壇場となった今。もはや護衛の任は必要とされない。
“最後の依頼”としてレミオロメの指名手配。さらに魔物を扱う組織の存在をギルドに報告すべく、馬車で揺られるほかなかった。
だからこそ暇を持て余したオルドレッドも、悶々とした想いを隠せなかったのか。不貞腐れるように逸らした顔は、到着を今か今かと待ち侘びながら前を。
それでいて瞳はジロっと。アデランテを真っすぐ捉えていた。
「デミトリアで密売に関わってた…レミオロメと関係してた連中は、バーティミエルさんが探すみたいだし。カルアレロス導師たちも補助するらしいから、大学の事は心配していないのだけれど…」
「…けれど?」
もったいぶるオルドレッドに思わず首を傾げれば、応じるように彼女は足を組み直す。
「――あなた。最初からレミオロメが黒幕だって気付いてたんじゃなくて?」
とうとう我慢できなくなったのか。身体ごとアデランテに向き直れば、グッと前に身を乗り出してくる。
狭い馬車内のおかげで、彼女の顔は目と鼻の先にあった。
「…まるで犯人を最初から絞っていたような調査内容だった、って言うのかしら。レミオロメが怪しいって話になった時も、あまり驚いた感じしなかったし」
「あいつの部屋に本棚が1つも無かったから、胡散臭いって思っただけだよ。“知識人”ってのは本に囲まれてなんぼみたいだからな」
(なぁウーフニール?……ウーフニール?)
【知らん】
反応が遅い彼にふと覚えた疑問も、身を引いたオルドレッドに注意を移される。
腕を組んだ拍子に弾んだ胸のせいか。
それとも依頼を“無事”に達成し、かなりの額の小切手を貰ってなお不機嫌そうな表情を浮かべているせいだろう。
後者に至っては心当たりが多すぎるあまり、ボロを出さないか不安さえ覚えていたものの、アデランテを問い詰めるように彼女は口を開いた。
「“予言”…って言ってたかしら。あの女を怪しんでたのも、もしかしてその繋がり?占い学関連の話のように聞こえるけれど」
「まぁ、そんなところだな」
「…ふーん……前にあなたを占い屋に引っ張ってった事があったでしょ?私から提案したとはいえ、正直気休め程度だったと言うか、乙女の嗜みと言うか…とにかく腰を抜かした店員も言っていたけれど、占いの内容って大概はボンヤリしたものなのよ。だって言うのに、それを確信を持ったみたいにレミオロメは話してて…」
足を組み直せば、唸るように熟考する彼女の脳裏には、実在しなかったガルミナバが――正確には、とっくに亡くなっていた対立候補の存在が浮かんだ事だろう。
彼が行なった演説は全て録音や録画。
そしてガルミナバにレミオロメ。そのどちらが当選しても、黒幕が大学を支配できる体制を整えていたらしい。
それも全ては“アルカナの巻物”の情報が遮断されたがためと。自ら告発していた彼女も、手探りで計画を組むほかなかったのだろう。
問い詰めた際の狼狽ぶりが、今でも目に焼き付いて離れなかった。
「――全ての事象は神の実験の産物であり、現実もその結果を反映しているに過ぎない…」
ふいに零された言葉に顔を上げれば、オルドレッドが長い睫毛を瞬かせながら見つめてきた。
「レミオロメが最後に残した言葉。それが何を意味するか分かったりしない?」
「……すまないが、心当たりは無いな」
「…そう」
隙を伺うように尋ねられた問いに、鼓動が飛び跳ねたのは言うまでもない。驚くあまりに表情ですら体現できず、その反応を彼女がどのように受け取ったのか。
ぷいっとそっぽを向いたオルドレッドからは、読み解く事ができない。
しかし“神”と聞かされた途端、“赤い霧”が脳裏をよぎったのは言うまでもないだろう。
アデランテの救世主にして、永劫の主。
時に弄ぶように現れ、そして悪戯に痛めつけていく存在が、自然とレミオロメの言葉と合致した。
「……それとシャルティアの事だけど…」
「…え~っと」
【ニセ大学長候補の女だ】
「あ、あぁ!あいつな!それがどうかしたのか?」
「どうかしたのか、って…ナイフは急所を外していたけれど、そのあと人形みたいに動かなくなっちゃったでしょ?重要参考人だし、大学の方で何とかするって言っても…あの姿。たぶんバーティミエルさんの…その」
「命を魔力に変換する研究…だったか?話を聞くに、店員の子が亡くなった時の症状と同じだな」
「それにナイフで貫いた直後に、部屋の奥に転移門が出現したでしょ?大学で見てきたものとは見た目が違うし、まさかあの凶器が発動の媒介だったとか…?」
「恐らくな。私の反応が遅れたばっかりに逃がしてしまったし、申し訳なかったッ痛だだだっ…」
気まずそうに頬を掻いた途端、反対の頬をふいにオルドレッドが摘まむ。そのまま彼女の元に引き寄せられるや、グイっと顔が近付いてくる。
「私とあなたは対等!アデライトのおかげでレミオロメも、何ならその偽物や陰謀まで丸々ひっくるめて解決したんだから、いちいち自分を卑下しないでっ」
「…ごめん」
「うん。私もごめんなさい…それにありがとう…頬っぺの事も、命を救ってくれた事も…」
放した頬を優しく撫でられ、ゆっくり身を引いたオルドレッドが再び顔を逸らす。
そのまま指先で自身の唇を撫で、艶やかな触れ心地を楽しむように。惚けた瞳を向けた先を追えば、映るのは荷車を牽く馬だけ。
行きにアデランテたちを拾った同種かは判断できないが、ウーフニールに尋ねれば一発だろう。
そんな事を思いながらオルドレッドに視線を戻した時。すでに彼女は胸をすくうように腕を、そして足を晒すように組んでいた。
表情もいつもの険しいものになり、予想通りオルドレッドの言葉も詰問調に変わる。
まるで耳の赤みを誤魔化すような態度の豹変に、しかし指摘する勇気はなかった。
「…ところで私。あなたとずっと一緒に行動していたわよね?」
「あ、あぁ…そうだな」
「仕事中も、寝る時も起きてる時も、傍を離れたりしなかったわよね?」
「……商店街に初めて行った時や、魔物が襲ってき…」
「な い わ よ ね!?」
「…ありません」
中腰になったオルドレッドに見下ろされ、俯くアデランテの鼻先には胸の谷間が覗く。もしもそれ以上口答えをしていれば、そのまま顔を埋められていたかもしれない。
「聞かせてもらいたいのだけれど、まずは“ボルテモアの手紙”。いつ、どこで手に入れたのかしら?」
「……そう、だな…あっ、【調達屋の部屋】だよ!ほら、オルドレッドたちが寝室を探してる間に1度離れたろ?その時にチョロっと…」
「見つけた時点で教えてくれなかったわけは?」
「そのあとすぐに襲撃されたから、話すタイミングが無かったというか、忘れていたというか…」
「…調達屋の名前、ベルムゾンって言ったかしら。彼も台帳を残してたくらいだし、何かしら調査でもしていたのかしら…で、シャルティアに装着した魔力封じの枷の出所なんだけれど」
「シャル…?あっと…そ、それも調達屋のところでだな…」
「それじゃあアライグマは?肩に登ったかと思えばアミュレットを手渡すし、気付いたら消えていたのに、レミオロメの足にも噛み痕があって…」
「ま、前にこっそり餌付けしたのが懐いたんじゃないかな。部屋を出た後に放しておいたし、きっと今頃は大学で逞しく生きてるさ。うん」
「……アミュレットを生徒に放った理由は?」
「私が持ってても困るだろ?」
「男が貰っても余計に困ると思うのだけれど」
ジト目で見つめてくる彼女の攻勢は止まず、まるで犯人を追い詰める気迫そのものに、あるいは馬車を飛び降りていたかもしれない。
しかし彼女はいまだ眼前に佇み、褐色の手もアデランテの膝を押さえていた。
青と金の瞳を惜しまず覗き、覚えしかない構図につい笑ってしまえば、ムッとした彼女に顔を挟まれる。
そのままアデランテに跨れば、膝にどっかりと座った。
傍から見れば愛を語らう恋人のようであったが、周囲にいる生き物と言えば、荷車を牽く馬だけ。
何よりも互いの表情を見れば、決してそのような間柄には見えなかったろう。