206.蛇の抜け穴4
矢を撃てば分厚い風の壁が阻み、接近戦に持ち込んでも結果は同じ。オルドレッドたちの攻撃を一切跳ね除けるのに反し、レミオロメからは一方的に魔術が放たれる。
突風で身体の動きを一瞬止めた所に、風の斬撃が襲い掛かり、直後にアデランテが。
あるいはオルドレッドが互いに蹴り飛ばし合い、強引に魔術を回避する。
かまいたちや衝撃波。そして風の壁ばかりが使われるが、敵の実力もこんなモノでは無いだろう。
だからこそ3つの手番で牽制されている事態に、隠す事なく溜息を零した。
「…曲がりなりにも魔物を2体退治した冒険者たちを相手に余裕をかましてると思えば……まいったな」
「私は何もしていないのだけれど」
「2体目とやり合った時に大活躍したじゃないか。最初の奴もオルドレッドが護衛に徹してくれたから戦闘に集中できたわけで…」
「生徒たちに魔晶石を見せびらかす位余裕ぶってたくせに、いちいち持ち上げないでっ」
「……痴話喧嘩はやめてくださいと何度言わせれば…」
「だから違うっつってんでしょうが!!」
苛立ち紛れに矢が放たれるが、風の層に当たった直後に氷の壁が出現。爆発するように雪結晶が花開けば、驚いたアデランテもすぐに走りだす。
宙に浮かぶ氷の壁を蹴り砕き、無数の礫がレミオロメを襲う間に猛然と斬り掛かった。
しかし相手が驚愕したのも束の間。一切身体を動かす事なく横移動で躱され、脇腹を抉るような風の塊がアデランテを襲う。
「ぐぁッ…!」
内蔵を吐き出しそうな衝撃で地に落とされるが、再び獣の如く飛びつけば横一文字に剣を降る。
切っ先があわや当たる寸前、またレミオロメは体幹をズラす事なく躱したが、その様相は風に扇がれた羽根のようで。
豆鉄砲に撃たれたかの表情を見せるアデランテに反し、ウーフニールは彼女の足元が僅かに宙を浮いていた事象を見逃さなかった。
だが分析に礼を言う暇もなく、突如レミオロメの身体周りを風が渦巻けば、質量をもって叩きつけられる。
鋭利な痛みは刃物のようで、ようやく竜巻に捕らわれた事に気付いた頃には、風の壁向こうに放り飛ばされていた。
「アデライトっ!?」
オルドレッドが傍に駆け寄ってくるが、即座に彼女を抱えてその場を飛び退く。
背後では風の玉が床を抉り、消えると同時に弾けて破片をばら撒いていた。
「痛ッ……さっきの矢はもしかして調達屋で襲ってきた奴の魔晶石じゃないのか?あんな使い方も出来たんだな」
「さっきから何でそんなに冷静なのよ!!今破片があなたの背中にっ…てゆーか降ろして!」
「そんな事言ったらオルドレッドだっていつも通り…よっと。だろ?それに手癖の悪さもファインプレーだ!」
「誰のせいだと思っ…きゃっ!?そもそも貶すのか褒めるのかドッチかにしたら!?あと降ろしてってば!!」
暴れるパートナーを肩で担ぎ、“会話”の合間も巧みに風の斬撃を躱していく。しかしオルドレッドを降ろしている暇は無く、むしろ彼女を抱いてから勢いは増すばかり。
「う~ん……剣戟が通じないとなれば、オルドレッドが頼みの綱だな。さっきみたいにアッと驚くような感じで、かつ隙を縫うように一撃を与えれば、今度こそ私が…どうかしたのか?」
「……私、重くない?その、身長もだけれど…お肉とか……その」
「これまでも何度も背負ってきてるんだ。いまさら気にするな」
「つまり重いのね…それでもこんなに動けるなんて、どんな筋力してんのよ」
「そんな事よりも何か案はないか?作戦会議をする機会なんてもう作れないと思うんだが…それにしてもアイツ、ぜんぜん透明化しないな。攻撃をいちいち躱すよりも確実なのに」
「たぶん、魔力の消耗が激しいのよ。さっきまでの会話は冥途の土産ついでの時間稼ぎってところかしら。セコい手を使うわね」
一帯の轟音や壮絶な景色に関わらず、緊迫感のない声が互いの間で行き交う。
明らかにアデランテに毒されたオルドレッドもそれを自覚しているのか。深々と溜息を零す彼女の胸が増々押し当てられ、重量が肩にグッと圧し掛かる。
しかし二言三言交わせる程度には場を取り成した時、垂直に飛んで来た幾つもの竜巻に、アデランテは紙一重で躱しながら床に。
オルドレッドは彼女を足場に高く跳び、“台風の目”を狙って矢を放った。
瞬時にレミオロメが風の膜で頭上を覆うが、その間に蝋燭を拾っていたアデランテが僅かな火種を基に、“火吹き”を彼女の足元に向けて披露する。
“業火”と見紛う火力は瞬く間に床を広がり、隙間を縫うように迫りくる様に、次は冷気がレミオロメの裾から流れ出す。
炎と氷のぶつかり合いに湯気が立ち込め、風の壁がかき混ぜる事によって一帯はもはや煙幕状態。アデランテたちはおろか、相手からも2人を視認する事は厳しい。
狼狽するレミオロメを追い込むように天井が悲鳴を上げ、ハッと見上げれば刺さった矢を起点に瓦礫が崩れ落ちていく。
まるで落盤が如き勢いに、しかし“風の鎧”が危険を遠ざけてくれる。風圧に押されるように身体は脇へ退けられ、オルドレッドの“奇襲”も彼女には通じない。
それでもホッとした刹那、煙幕に映った人影に風の玉を咄嗟に放ったが、当たった瞬間に霞の如く霧散した。
幻のように消えた“ソレ”と手応えの無さに驚愕するも――ガクンっと。ふいに膝の力が抜け、予期せず床にへたり込んでしまう。
何事かと視線を向ければ、太ももにアライグマが齧りついている。
噛み千切らん勢いにようやく痛覚が戻り、すぐさま掌を向けるが相手は獣。人よりも素早く、かつ小さな容姿でサッと風の鎧を潜れば、瞬く間に煙の中へ消えていった。
ポツンと残されたレミオロメも呆然としていたが、その間も浮かぶのは獣が一体どこから現れたのか。
そして仕留めた人影は誰だったのか。
後者は“アデランテ”の顔がすぐ浮かんだものの、直後に痛み出した傷口に回復魔法を唱える。
思いのほか深い傷に時間は掛かりそうだが、状況が状況なだけにゆっくりしていられない。しかしレミオロメの焦燥に反し、再び業火が前面から迫れば風の息吹で跳ね返す。
翻った炎は相手に吹き込み、今頃は黒焦げになっているはずだろう。
今回こそ確かな手応えを感じ、ニヤリと勝ち誇った矢先だった。
「あっ!――うぅ…」
レミオロメの肩を1本の矢が貫き、回復も途中で中断される。それまで纏っていた風も途絶え、巻き込んでいた煙もゆっくり消えていった。
「……確かに“風の魔晶石”を仕込んだ矢なら、彼女の防御も突破できたけれど…術を弱めるために集中力を切らしておく、って言って一体何をしたの?」
弓を構えたまま警戒を続けるオルドレッドが、訝しみながらチラッとアデランテを一瞥する。レミオロメの血だらけの足や“傷口”に、疑問を覚えるのは当然だろう。
しかしいつも通りに笑みで返せば、それ以上彼女から追及される事は無い。諦めたように矢を向き直し、レミオロメに鋭い眼差しを向けた。
「さて、あなたが繋がってる魔物を運ぶ組織のこと。洗いざらい話してもらうわよ」
「あと対立候補に魔物を送り込んで返り討ちにされてた場合の計画も是非教えてもらいたいな」
「…それ、今聞く必要ある?」
「相手の策略は全部潰しておいた方がいいだろ?」
「……まったく。本当に運が悪いと言いますか……予言も当てになりませんね」
溜息を零すレミオロメが足に手をかざせば、オルドレッドの指が弦を絞る。魔術の行使を一切許さない彼女の意思が伝わる一方で、呆れたように話は続けられた。
「本来であればとっくの昔に大学長の座についていたはずなのですよ?ですが“情報源”からの連絡が突然途切れてしまいまして…おかげで全ての計画が総崩れ。シャクティアも始末して“レミオロメ”の名をこの世から消し去ろうとしたのですが…残念ですね」
「……今度は何を狙ってるつもり?」
スラスラと話すレミオロメに、彼女の“前科”がオルドレッドの警鐘を鳴らしているのだろう。
その瞳は彼女の挙動1つ1つを捉え、決して視界から離さないよう睨んでいた時だった。グッと迫ったアデランテがレミオロメの喉元に剣を突き付け、オルドレッドを凌駕する気迫が彼女の顔を強張らせる。
「…“予言”って言うのは何の話だ?」
「……何か心当たりでも…っ」
「何の話か言え。“情報源”についてもだ」
「………どうやら“色々”事情をお察しのようですね。実に興味深い…」
「私と2人きりで話したくなければ、次の言葉はよく選ぶんだな。尋問の腕はオルドレッドのお墨付きだぞ」
おもむろに出された名前に一瞬パートナーが口を開いたが、すぐに閉ざして矢をキリキリ向けた。
“次の言葉”とアデランテの反応を待っているのだろう。交互に青い瞳を動かしていたものの、ふいに3人を分断していた背後の分厚い風の層が解かれた。
思わず一瞥すればカルアレロスたちを始め、シャクティアの視線もまた返ってくるが、恐らく事件の裏付けが取れたのだろう。
彼らの険しい表情とはまた別に、“偽物”の青ざめた顔色からボルテモアの死が堪えたに違いない。
しかし再び合流した隙を。
オルドレッドが視線を外した僅かな時間を狙い、レミオロメが掌を持ち上げた時。
「がぁぁ…っっ!!」
即座に片腕を斬り落としたが、すでにオルドレッドの頭を風の玉で閉じ込めた後だった。
目に見えて苦しむ彼女は首を掴み、残る手で口元を払うが魔術が消える事は無い。
「――オルドレッド!!」
傍に駆け寄って同じく風の玉を払っても効果は無く、やがて彼女なりに諦めたのだろう。矢を取り出せば先端を自身の顔に向け、一瞬何事かと思ったのも束の間。
調達屋で回収した魔晶石の内、使われたのは“氷”“土”“風”。
残る“火”の矢の存在をウーフニールに警告され、咄嗟に彼女の腕を掴んで起死回生の一手を止めた。
直後に恨みがましく睨まれたが、アデランテも策が無いわけではない。思いきり息を吸えば自ら顔を突っ込み、オルドレッドの首に腕を回すと勢いのまま唇を塞いだ。
突然の行動に目を見開いたが、空気を送り込む事で多少は落ち着いたらしい。
そのままキュッとアデランテの背中に手を回すも、蕩けた瞳は瞬時に鋭い物へ変わる。
視線の先には昇降魔法陣の応用か。
天井に磔にされたカルアレロスたちが映り、歪なナイフでシャクティアを深々と刺したレミオロメも、魔術の発動と共に動き出していたのだろう。
絶望的な表情を浮かべた“元レミオロメ”も生気を失うや、彼女の身体を突き抜けるように光の柱が部屋の奥へ向かい、カーテンを惜しみなく照射する。
途端に内側へ吸い込まれるように。
カーテンが光りの中に呑み込まれるや、深淵に続く渦潮が壁一面を覆った。その吸引力はオルドレッドを包む風の玉すら吸い込み、咄嗟に互いの身体を抱けば、アデランテが床を掴む。
足は轟々と宙を浮き、カルアレロスたちも天井に固定されていなければ、とっくに呑み込まれていたろう。
「――…全ての事象は神の実験の産物であり、現実もその結果を反映しているに過ぎない…」
シャクティアの骸が渦に消えていく最中、悠然と佇むレミオロメがゆっくり視線を向けてくる。
「その意味をいずれお教えする事に致しましょう…右腕の借りを返す時にでも――」
失った腕を振る彼女は顔色にこそ感情を浮かべずとも、瞳には深淵同様の漆黒が渦巻いていた。
それが何を意味するのか知る機会も無く、やがて彼女も渦潮の中へ吸い込まれていった時。摂り込まれた豪華な机を最後に、一帯は風1つとして吹かない密室へと戻った。