205.蛇の抜け穴3
静寂の中を蝋燭台が静かに転がり、隅の女に全員の視線が集まる。突然現れた彼女に――レミオロメの“秘書”に驚くのはもちろんの事だが、何よりも肩に刺さったナイフが痛々しく映った。
「アンタが証人を始末するのに使った“ソレ”返すぞ」
事も無く告げるアデランテに視線は移り、一方で秘書からも目が離せない。どちらも交互に見つめていれば、やがて女が口を開いた。
「……いまさら抵抗したところで、聞く耳をもってもらえそうにないですね。なぜ分かったので?」
「そのナイフもだけど、手紙にもアンタの匂いがべったり付いてたんだ。オルドレッドが渡された書状とも筆跡が違うしな」
「…香水を付けているわけでもないのに、犬か何かなんですか?」
「ははっ、知らないのか?一流の冒険者はみんな鼻が利くんだ」
腰に手を当て、高らかに告げるアデランテに反して、オルドレッドは複雑そうな表情を浮かべていた。
だが一方で調達屋の拠点で襲撃者が姿を消していたタネを垣間見て、状況をすぐに理解したのだろう。カルアレロスたちの前に立てば、レミオロメと秘書の両者を忙しなく睨んだ。
「…手紙を処分しろとあれほど言い聞かせてたんですがね」
ふいに女がポツリと零せば、ナイフを投げ捨てるように抜いた。歪んだ顔は痛みからくるものなのか、それとも苛立ちからくるものなのか。
そのどちらか分からずとも、彼女の一言はアデランテの疑念を全て肯定していた。
「“信者”って言うのは心臓を握り潰す勢いで飼い慣らさないと言う事を聞かないもんだぞ?もっともアンタに始末されたとは言え、随分慕ってたようだけどな」
「おかげで首を絞める結果になりましたけどね。それに指示書はともかく、まさか匂いで追い詰められるとは思ってもいませんでしたよ」
「確かにソレらが決め手にはなったが、怪しんだのはもっと前かな…授業中に魔物が襲ってきた事があったろ?本当は私たちじゃなくて、“コイツ”が飛び込む予定だったんじゃないのか?」
負傷した肩を治療する女を尻目に、ビシッと隣で佇むレミオロメを指差した。同時に彼女は飛び上がったものの、口を開く事なく秘書を一瞥する。
その表情には威厳の欠片も無く、まるで親の顔色を窺うような哀愁さえ漂っていたが、沈黙を再び破ったアデランテに注意が集まれば、すかさず魔物を始末した当時。
カルアレロスたちに連れられ、レミオロメの謁見に向かった時の話を続ける。
「結構長いこと大学にいるからな。扉が別の空間に繋がるまでの時間差がある事は理解してたんだが、アンタらに会う時だけは異様に早くてな」
「…そういえばパッと光ってすぐに通れてたわね。生徒が出て行った後すぐだったのに」
「だろ?だから直前まで繋がってたんじゃないかと思ったんだ」
「……視察名目で訪問。突然現れた魔物。颯爽と討伐して英雄に…なんて三文芝居はやはり失敗でしたね。功を焦り過ぎるとろくでもない結果にしかならないと分かっていたつもりなのですが」
「結果的には“お目当て”の導師を陣営にがっつり取り込めたじゃないか」
「計画は1つでも崩れると失敗も同然ですから。魔術師の常識です」
深々と溜息を零した女も、やがて肩の治療を終えたのか。制服は血で染まっていたが、ぐるぐる腕を回せば、壁に気怠そうに寄り掛かった。
本来であればレミオロメがビバザウルスを始末し、勢いのまま敵陣営に向かえば、ダークホースに襲撃されたガルミナバの死を乗り越えて撃退。
英雄の二つ名と共に対立候補を消し、大学長の座を手に入れる一石二鳥の案――のはずが“護衛”により華麗に始末され、挙句にアーザーの仕業とまで報告された。
急遽予定の変更を余儀なくされるや、運び屋グラントを証人に仕立てるつもりが、水没に加えた魔物被害で事態は悪化。
しかし万が一に備えて調達屋の始末しに向かったものの、アデランテたちまで到着して、さらに計画を“変えた”結果が今に至る――と。
「本当に…あなたたちが来てから、何もかもがうまくいかなくなりましたよ。まったく、デュクスーネも“素晴らしい冒険者”と縁があったものですね」
ジッと彼女が見つめた先では、なおも現実が追いついていないカルアレロスが。そして今にも倒れそうなズィレンネイトが、共に目を見開いて秘書を視界に収めていた。
もしも彼がオルドレッドを呼ばなければ、アデランテもまた来る事はなく、“計画”も無事に遂行できていたろう。
だが現実に直面した今、もはや諦めに近い感情すら彼女からは漂ってくる。
だからこそアデランテの危機感が一層募っていった。
「……黒い馬の魔物を相手陣営に置いとくって元々の計画。聞いてて思ったけど、無理があり過ぎないか?」
「“ビバザウルスを送り込む程の卑劣漢”ですからね。彼の手元に魔物がいても何ら不思議ではないでしょう」
「だとしてもだ。相手候補だってそれなりの実力者なんだろう?もし魔物が倒されていたら、それこそアンタ側の人間が送ったと思われるんじゃないか?」
「その点は心配ありません」
腕を組み、女が淡々と告げる間もアデランテは移動を続ける。そのままオルドレッドの前に立てば、背後では瞬時に弓の準備がなされた。
1度は護衛やアーザーを使って口封じを図った相手に、次の動きが手に取るように分かり、それゆえに合流したのも愚策だったかもしれない。
しかし傍にいれば彼女たちの盾にもなれ、最悪蹴り飛ばして一行を遠ざける事も可能。“一撃”は受け止める自信も相まっての判断だったが、いまだに焦りを感じてならない。
ひとえに秘書たる女の落ち着きぶりに、警戒を一向に怠れないからだろう。
「…ところで1つ提案させて頂きますが、“彼女”が大学長に任命された暁には甘い汁を啜れますよ?大学の影響も今後はさらに広がり、冒険者などに身を扮しなくとも、悠々自適な生活が送れるでしょうね」
「だそうだぞ、リーダー?」
「ふざけてる場合じゃないでしょ!?あとリーダー呼びはやめてっ……でも、そうね。“あなた”の言い方で返すなら、依頼人の意向を汲み取るのが護衛の務めよ」
呆れたように告げるオルドレッドが一瞥すれば、青ざめたカルアレロスがビクリと反応する。だが目は口程に物を言い、改めて依頼人の意向を確認した時。
「………――レミオロメ…導師?」
ふいに聞こえた声に振り返れば、一同の視線は“レミオロメ”に向けられる。
すでに机から離れた彼女に、もはや学長候補としての威厳はおろか、導師としての威光も見受けられない。
まるで迷子になったような様相は、“秘書”が話し出してからずっと続いていた。
「…ぼ、ボルテモアが…弟が殺害されたと…」
「心配には及びませんよ。彼の死はあらかじめ計画していたものですから。あなたは何も考えず、これまで通り従ってくださればいいのです」
「し、しかし我々ランドスケープ一族の繁栄を約束されて…」
「1人でもいれば十分でしょう?それとも“汚れ仕事”を担った彼との関わりを持ち続けて、今後の学長生命に支障をきたして良いとでも?大学長になれるのは1人でも、ボルテモアの代わりはいくらでもいるのですから、気をしっかり持ちなさい」
「……ジュゼッテ学長候補殿。少々よろしいか?」
殺伐とした空気の中、カルアレロスが秘書に向かって口を開く。
「単刀直入にお尋ねしたい。貴殿が魔物を大学内に招き入れたのですかな?」
「そうですが?」
「…それは小生やズィレンネイトを確実に陣営の中軸に招き入れ、かつ“彼女”の実力を我々に披露するために?」
「もちろんそれらの意図もありますが、対立候補ガルミナバ・フェルハントを確実に始末するための口実を作るため、でもありますね。彼の右翼的な思想、さらに高齢である事を算出すれば、またすぐに大学長選挙が始まってしまいかねませんよ?事態の収束や大学の安泰のためにも、これは必要不可欠な行ないなのです」
「魔物を売る組織と関係を持ってもか?冒険者としてじゃなく、一個人として言わせてもらうが、そんな奴がトップの組織なんて…あっ悪い。オルドレッド…」
「だから何で私の顔色をいちいち窺うのよ!!言いたい事は好きに言えばいい、って前にも言ったじゃない!?」
「そんな事言われても、ここに来るまでずっと怒りっぽかったし」
「あなたがそうやってドッチつかずの態度を取ってるからでしょ――!!」
オルドレッドが叫んだ直後。アデランテの影から放たれた矢が、真っすぐ女に向かって飛んでいく。
彼女の足を狙っていたものの、突然方向を変えた鏃は天井に吸い込まれてしまう。張り付いた矢に誰もが呆然と見ていたが、オルドレッドは弓を構えたまま女を。
一方で矢を見上げていたアデランテにも、ウーフニールが下方から吹き上げた微量の竜巻の存在を知らしめた。
「…不敬罪ですよ?冒険者フェミンシア。それとも痴話喧嘩の苛立ちをこちらに向けたので?」
「だから違うって言っ……魔物を悪用し、人命を脅かしている言質も取れました。これからは護衛ではなく、一冒険者として対応させて頂きます。それで宜しいですねカルアレロス導師」
「…今となっては“準”導師である。最悪肩書が消える事も考えられるが、現状ではそれもやむを得ない事になる」
「己も同感だ」
「あらあら、宜しいのですか?このままではガルミナバが当選して、お2人の立場はもちろんのこと。冒険者ギルドの関係も悪化しまっ……そのための“第三勢力”なわけですね?」
「学長候補の“代わり”もいくらでもいるって事さ。それでも勧誘したいなら、もっと魅力的な提案に…いや、悪人の誘いはお断りだ」
「何1人で喋ってんのよっ」
文句を零しながら放たれた2発目の矢は、やはり“レミオロメ”には届かない。しかし天井へ上がる直前に突如爆発し、すかさず3発4発目と黒煙に撃ち込まれていく。
「…容赦ないな。魔晶石の矢か?」
「相手は大学長候補なんだから気を抜かないで。この程度で死ぬわけないんだから……たぶん」
いくらか表情が曇ったものの、オルドレッドが弓を降ろす事はない。アデランテもまた剣を抜き、黒煙に包まれた部屋の隅を睨んでいた矢先。
煙が押し返されるように2人を包めば、そのまま背後で壁のように立ち込めた。
カルアレロスたちから分断され、風魔法による力が働いているのだろう。轟々と吹き荒れる黒煙によって視覚や聴覚まで遮られ、今や“レミオロメ”と冒険者の3人きりとなった。
「…さて、これで思う存分相手ができますね。煙幕には感謝してますよフェミンシア」
「気安く呼ばないでチョーダイ。それに両足をボロボロにしてやるつもりだったんだから、礼もいらないわ」
「あらあら、短い間に随分と嫌われましたね。こちらとしては魔物退治を被害も出さずに収めたお2人の実力を高く買っているのですが」
間髪入れずに5発目の矢が放たれるが、やはり天井に張り付いて脅威にもならない。
レミオロメも魔術に自信を持ってるからか。目と鼻の先で火花が散っても微動だにしなかった。
「これ以上アデライトのファンが増えられても迷惑なだけよ。そんな事より私たちの質問に答えなさい。まだ話せる内に話してもらわないと、彼があなたに何するか分かったもんじゃないわ」
「手短にお願いしますね。“壁”の向こうでは今頃シャクティアがデュクスーネたちを始末しているはずですから、合流されると悠長に会話も出来なくなります」
「…しゃくてぃあ?」
「あの女のニセモノの事よ。さっきまで机で話してたでしょ?」
「偽物と言っても“大学長候補”に立てるよう仕上げていますからね。準導師2人を相手に遅れは取らないでしょう」
「……なんだ、アイツは体術も使えるのか?そいつは厄介だな…」
「何の話してんのよ」
「さっき“本物”に向かってナイフ投げたろ?そのドサクサに紛れて魔力を封じるって輪っかを偽物の方に着けたんだ。念には念を入れようと思って…もしかして気付かなかったのか?」
唖然とするオルドレッドたちに困惑を示すも、直後にレミオロメが深い溜息を零した。
「…あの2人は姉弟揃って本当に使えませんね。これだから血統主義で導師を任命するなど愚かな政策だと…」
「アンタらの反応から察するに、偽物はアーザーでの出来事にも関与はしてなさそうだしな」
「アレらにそのような判断力も指導力もありませんよ」
「……なら何で使えない2人を影武者に仕立てたのかしら。最初からあなたがやればいいじゃない」
「“血統主義”の話をもうお忘れですか?」
挑発するように零したレミオロメが両手を広げれば、掌に風の玉が形成されていく。終始余裕を浮かべていた瞳も怪しくギラつき、もはやアデランテたちは彼女の“敵”。
一触即発の空気が吹き荒れる中、ふとオルドレッドを一瞥すれば、最初は神妙な顔つきで。
しかしアデランテが見せた締まりのない表情に、すぐさま笑みが返ってくる。
最初から予想していた“予定調和”はもはや驚くに値せず、渋々武器を構え直せば、途端に冒険者の顔つきに戻した。