203.蛇の抜け穴
「――パスカル?」
女学徒の後ろ姿を見送りながら、ふと浮かんだ疑問を肩に停まるウーフニールにぶつける。だが視線を送ったところで彼が答える事は無く、再び少女の背中を探すが雑踏ですでに見えない。
むしろ首筋に刺さる視線に振り返れば、オルドレッドの険しい表情が飛び込んできた。
「…どうかしたのか?」
「……“彼女はいない”ね。こっちを一瞥もしないで即答するだなんて、少し寂しいわ」
「そんな事言われても、いないものはいないし…それにお前は私のパートナーだろ?」
「じゃあ逆に聞かせてもらうけど、もしあなたに女が出来たらパートナー契約は破棄って事かしら…って互いが幸せになるまでって話だものね…まぁ別に私が気にする事じゃないのでしょうけれどっ」
「何の話をしてるのか分からないが、まともに人と付き合える身分じゃないんだ。彼女だなんだって言われても、むしろ困るんだけどな…」
「その理由もいつか教えてもらえるのかしらね?」
呆れたように。かつ刺々しく零す彼女にも疑問符を浮かべるが、今は互いに招集されている身。
小声の話し合いも終え、ツカツカ先を行くオルドレッドの背中を追うも、ふと足を止めれば椅子と机を借りた店に素早く戻った。
厨房では店員たちがバーティミエルの講演に耳を傾けていたが、アデランテの登場に注文と勘違いしたのか。
あたふたと飲み物を用意し出したものの、隙を見てアミュレットを放ってやれば、慌てて青年が受け取った。
「?」を浮かべながらも手の中を覗き、途端に目を見開いた彼が顔を上げた時には、アデランテもニッコリ笑みを浮かべ。片手で別れを告げれば、颯爽とオルドレッドに追いついた。
もっとも彼女は肩越しに怪訝そうな眼差しを向け、気付かれないよう急いだつもりだったが、長い耳は誤魔化せなかったらしい。
しかし追及も無く再び歩き出せば、ミドルバザードの雑踏を早々に抜けていく。やがて門前に辿り着いたが、すかさずオルドレッドが書状を取り出した時。
「――…なに?」
ふいに肩を掴んだアデランテに、また彼女が不満そうに振り返ってきた。レミオロメの呼び出しや女学徒の件で苛立っていた中、まだ何かあるのかと。
食って掛かるような表情も、アデランテの神妙な面持ちで瞬く間に崩れ去る。
「…前に“何があっても信じてくれる”って言った話。あれはまだ有効か?」
「……パートナー契約に則るなら、今のあなたが幸せかどうか次第ね」
「ならオルドレッドの目には、今の私がどう映ってるんだ?」
肩から手を離しても顔色を変えず、アデランテの思惑も色違いの瞳からは読み取れない。
それでも1つ分かっている事は、自分もまた“幸せ”を見つけていない事で。パートナー契約に従うなら、アデランテもまたオルドレッドを信用している事になる。
だからこそ尋ねられた不可解な質問にニコリと答えれば、十分な返答になったらしい。
「ふふっ…“鍵を回さば門は開く。オルドレッド・フェミンシアに命じるは、導師レミオロメ・ジュゼッテなり”!」
詠唱と同時に扉が光り輝き、颯爽と踏み込めば途端に本棚に囲われた部屋に到着した。机周りには書類が山のように積まれ、その後ろではカルアレロスたちの姿が見受けられる。
「…オルドレッド殿?それにアデライト殿まで…」
唐突な訪問にズィレンネイトともども驚いていたが、どうやら2人には知らされていなかったらしい。目を瞬かせる彼らにオルドレッドと見合わせ、レミオロメ直々の招集であった事を伝える。
しかし呼び出されたからには、何か大学内で進展があったのか。
あるいはレミオロメの身に何か起きたのか。
不安を隠し切れない彼らは明らかに狼狽していたが、それでも緊急性を察したのだろう。
直ちに作業の手を止めればオルドレッドたちの案内を買って出るが、アデランテの一声が否応なく振り向かせた。
「アンタの人を見る目に自信は?」
「…それは如何様な理由で尋ねているのか、返してもよい質問になるのかね?」
「どうなんだ」
「……魔法大学より外に出た事は殆ど無いが、学内も蛇の巣窟とも形容できる危険な場所とも言える。よって自ら信頼できる人間を選別する事もまた導師として求められる力であって…」
「悪いが時間があまり無いんだ。簡潔に言ってくれると助かる」
「…む、むぅ…それなりにあるつもりではある」
「ズィレンネイト導師様はどうなのかしら?」
質問の意図は分からずとも、オルドレッドも“信用”して乗っかる事にしたらしい。ふいにズィレンネイトを一瞥すれば、本の山を机に置いた彼がビクついた。
「ど、導師!?そ、そうであるな…己はハッキリ言って無いと断言できよう!少なくとも準導師に上がってこれたのは、ひとえに競争率の低い実戦力学で頭角を表せたからにほかならぬ!……本当に己は導師と名乗って良いのだろうか…?」
「ジュゼッテ代表候補の一存である。それに応えるのが貴殿の…我々の責務とも言えよう」
「…じゃあ最後にもう1つ。【レミオロメ・ジュゼッテ】の事をどこまで信用してるんだ?」
少なくとも導師同士が信頼し合っている事は把握した。だが鋭い問いかけを次に投げると、途端に室内の空気が凍り付く。
まるで謀反を示唆するような言い分だが、幸いオルドレッドは事前に情報を得ている身。乱暴な質問に理解は示しても、愚直な対応に呆れたように肩を落とす。
その間も沈黙は重々しく続き、ズィレンネイトはいまだ困惑していたが、一方のカルアレロスは何かを察したのだろう。
学内騒動の調査に出向いた冒険者たちも、元はと言えば彼の護衛。そしてアデランテが尋ねる問いが、何を意味するのか。
これまでにない表情を浮かべた彼も、やがて深々と溜息を吐いた。
「…ジュゼッテ代表候補が陣営を築く前は、出世できるのが貴族や生まれ持った血筋と決まっていたゆえ、我ら平民の出自の者にとっては、革命とも呼べる大偉業を成して…」
「もう1度だけ言うが、簡潔に言ってくれ。それでアンタが責められるわけじゃないんだ」
「……素直に分からないと言ったらどうだ、カルアレロス。己がジュゼッテ代表候補を推すのは、対立候補が先代同様に血統主義を押すからであり、準導師まで…今や導師まで昇進して頂いた恩義にほかならん…お前の護衛が尋ねている真意はなおも理解できんがな」
「…それで、カルアレロス様の答えは?」
「………ズィレンネイトに同様である」
「そうか…――それなら答えは自分の目と耳で出してくれ」
意味深な一言に細やかな笑みを加えれば、ポカンとした導師たちが固まったのも束の間。書状を持つオルドレッドにカルアレロスが我に返れば、慌てて冒険者たちを部屋の奥へ先導する。
ズィレンネイトも一行の後ろを歩き、程なく扉が開かれると本棚の類は何もない、ただ奥の壁一面がカーテンで仕切られた、机が1つ置かれている空間に出た。
前回は長いトンネルを歩いたはずだったが、あまりにも異なる工程に、相変わらず部屋の転移にはなれない。
そしてこれからも慣れる事はないだろう。
「…随分とご活躍されているようですね、フェミンシアにソーデンダガー。アーザーでの戦果はすでに耳に入れていますよ?」
机の後ろではレミオロメが両手を組み、顎を載せて笑みを浮かべていた。
首を傾げれば左右の巻き髪も揺れ、机に何も置かれていない様子から、アデランテたちの到着を待ち侘びていたらしい。
しかし和やかな空気を漂わせる彼女に反し、冒険者たちの反応は初めて会った時と何ら変わらなかった。
「それはまた随分と地獄耳なんだな」
「陣営に所属する導師たちが、魔物の襲撃の件を解決する事に躍起になっていまして、各々が護衛や助手。あるいは弟子に調査をさせた時に、ダークホースの姿を見かけたとか…アーザーと言えど立派な働き手が集う区画ですからね。お手柄でしたよ」
「そいつはどうも」
「…ですが、ミドルバザードの件はどうしても理解できずにいるのです。差し支えなければ、今1度教えていただけますか?」
「商店街で特に問題を起こした記憶は無いけどな…無いよな?」
【皆無】
「無いわね」
「…だ、そうだぞ?」
微笑むレミオロメにアデランテは真顔で応えるが、当然彼女が求めていた答えでは無いのだろう。
「――御冗談を…」
鼻で笑うように溜息を零した彼女が、ゆっくり椅子に背中を預ければ、予想通りバーティミエルの話が持ち出された。
許可のない演説に介入した衛兵をレミオロメの書状で追い払い、“不穏分子を匿っている”と報告がなされたらしい。
「…説明はして頂けますよね?」
表向きは和やかでも、明らかに声音が違う。敏感に察知した導師たちは瞬時に固まったが、冒険者たちの立ち位置は変わらない。
強いて言えばオルドレッドがそれとなくアデランテから離れ、“万が一”の事態に備えたくらいだろう。
数歩下がった彼女の姿はもちろんウーフニールが捉え、会話の主導権は全て委任されたらしい。
「…私たちが命じられたのは“実行犯の確保”と“相手陣営が依頼した証拠を掴む”ことだった。生憎前者は妨害が入ったが、後者はまだ健在だ」
「それが新たな対立候補を生んでいる事と何の関係が?」
「依頼に協力してもらう代わりに、ちょっとした護衛を頼まれたんだ。なにぶん強力な証人だから無下に断れなくてな」
「それでしたら大学の権限を以て速やかにその者を召喚してください。事件の解決に当たって手段を選んではいられません」
「おいおい、そんな山賊みたいな野蛮な真似ができるわけないだろ?それに最初も言ったが、私たちの依頼はあくまで“事件の調査”。それと……【カルアレロス導師】の護衛だけだ。陣営の当選に尽力しろ、とは一言も聞いていない」
飄々と告げるアデランテに、オルドレッドの訝し気な眼差しがぐんぐん突き刺さる。だがレミオロメの物に比べれば、天と地ほどの差がある事は一目瞭然だった。
そんな胸中を表すように彼女が立ち上がれば、色鮮やかなローブを揺らして机端に腰かける。
「…それでは此度の件、第三勢力に加担するだけの成果は“当然”得られたのでしょうね?」
薄く塗った口紅の隙間から囀られた透き通った声も、今や曇天の如く影が差していた。僅かに浮いた小皴も目立つようになり、アデランテの評価が彼女の中で著しく下がっている事だろう。
しかし“当然”アデランテが取り合う事はなく、チラッとオルドレッドを一瞥すればニコリ――と。半ば呆れたように首を傾げれば、お立ち台を譲ってくれる。
導師たちは空気の変わり目に不安を覚えたようだったが、一方でアデランテが堂々としているからか。幾らか平静を取り戻したところで、次の発言が気になるのだろう。
誰もが息を潜めて耳を傾けるなか、身体の中の唸り声にクスリと笑いながらアデランテが顔を上げた。