201.殺人者パスカル
ちょっとした小遣い稼ぎに学徒を恫喝した帰り。赤の衛兵が颯爽とミドルバザードを巡回がてら、隊舎へ真っすぐ向かっていた。
夜道に学徒はおろか、雑踏1つとして無い空間は自分のためにあるようで。特権階級の矜持を感じさせてやまない道に、しかし当人の顔色が変わる事は無い。
まるで岩のように顔をしかめたまま。やがて隊舎の前に戻って来ると、杖と本が交差した紋章の棟に辿り着き、赤と青の門番たちの前を通り過ぎていく。
同じ隊服の同胞には軽く挨拶を済ませ、サッサと中へ入れば正面に佇むのはローブを着た女の像。
そして左右に分かれた通路は、右が青の隊服“イゥトポス”の待機所。左が赤の隊服“プルートン”の待機所。
自分の所属先に従うなら迷わず左に向かうところを、しかめ面の衛兵は像に向かって手をかざす。呪文を唱えれば像の隣の壁が消え、新たに出現した通路をすかさず進んだ。
松明も無い煉瓦造りの道を歩けば、やがて断末魔が響く留置所の前を通った。
無実を訴える収監者もいれば、サッサと出すよう叫ぶ者もいる。そんな連中を普段なら杖で突くところだが、今はそんな気分ではない。さらに奥へ進めば重罪人の収容区画へ到達し、自らの罪を認めているからか。
入ってすぐの囚人たちに比べれば、一帯は比較的静かではあった。
それぞれの房には罪状が記されたリストが掛かり、その内1つを取れば内容は重要文化財の破壊活動について。
大図書館を放火した重罪人をチラッと一瞥すれば、3人の男がこの世の終わりとばかりの顔をしている。当人たちは逃げたつもりだったようだが、現場に残された主犯格のナイフが決定的な証拠になったらしい。
ご丁寧にフルネームが真新しく彫られており、複数の目撃証言についてもリストに記載されている。
程々に目を通した所でサッサと移動し、再び足を止めれば別の房のリストに目を通した。
罪状は大学内でもっとも重い、導師相当官の殺害。檻の中を覗けば女が2人身を寄せ合い、片や腰まで伸びた髪が床で心許なく寝ていた。
そしてもう1人は嗚咽を上げ、同房の仲間に抱き着いて顔を上げる様子も無い。本来なら泣く事も騒音に含まれ、“厳重注意”が必要とされるが、やはりそんな気分ではなかった。
リストを回収するとさらに奥へ進み、やがて尋問室の前を通ったところで、扉の外まで鈍い打撃音が響く。合間に苦悶の声まで聞こえ、直後に入室すれば予想通り。
同胞が拳を振りきり、反動で椅子に縛られた重罪人が横に仰け反っていた。髪が短くとも女だと一目で分かったが、犯罪者に性別など関係無い。
同胞が再び拳を振り上げたところで、ようやく仲間の入室に気付いたようだった。
「…おぅ。なんだ交代か?」
「……いや。ちょっくら用事があってな」
「牢に用事って何だよ。また“現行犯”逮捕か?ったく。選挙中だからってどいつもこいつも浮かれやがって…お前もそう思うだろ?……質問したら答えろって言ってんだろうがぁ!!」
「ぐふぅ…っ!」
顎を掴まれていた重罪人の腹に拳を打ち込み、息継ぎをする間もなく横っ面にもう一発叩き込む。痣だらけの娘をどれほど痛めつけていたかは知らないが、まだ彼女の眼差しは鋭い。
それが余計に同志の逆鱗に触れている事を知ってか知らずか。再び上げられた拳に臆する様子もなく、“普段の尋問”では埒が明かないだろう。
溜息を吐くように肩を掴んで止めれば、興奮したまま睨み返される。
「止めんじゃねえ!もう少しで自白するとこなんだよ!」
「…女の事はどうでもいいが、まずお前が頭を冷やせ。そんなんじゃ聞き出せる話も聞き出せねえぜ」
「何甘い事言ってやがんだ。てめえらしくもねえ。いいか?こいつは事あるごとに準導師の名を盾に無実を訴える大嘘吐きの恥知らずなんだっ。自分がどういう立場か、まずは叩き込む必要があってだなぁ…」
「……くっ…だから…違うって何度言わせれば、あぐ…ッ!」
もう一撃浴びせたところで「ほらな?」と。肩を竦める同志に溜息を零せば、ともかく休憩するように促す。
当人はまだ出来ると申告するが、再三伝えたところでようやく折れたらしい。渋々重罪人を房に連れ帰るが、本来の目的は尋問室ではない。
思わぬ道草に踵を返せば、さらに通路を進んで証拠品保管室に到達。書類の山が棚という棚に捻じ込まれ、机の下の無数の箱には押収品を詰め込んだ汚れ部屋だが、2つの組織が“管理”していれば仕方のない光景だろう。
もはやゴミ捨て場にも見える空間に、必要以外で訪れる者はおらず。颯爽と室内に入れば棚を指先で追い、やがて1冊の記録帳を引き抜いた。
そのままめくっていけばピタリとページを止め、房から回収したリストも隣に添える。
「……言われた通りにしたんだ。そろそろ開放して…痛っ!」
机に両手を突き、ボソリと独り言を零した直後。咄嗟に首を押さえるが、猛烈な頭痛に襲われて視界がぐにゃぐにゃに揺れる。
呼吸も満足に出来なくなり、首を絞めるように押さえ込めば口から泡を零し。瞳が裏返れば無言で床に倒れる直前で、背中から飛び出したウーフニールは机に着地。
劇薬の効力を観測したところで、すぐに記録帳に関心を移した。
《…レマイラ・サーロナイト。ザーリーン・マルミコス。カミリア・イスカトリナ》
ページをめくりながら記録に目を通し、描かれた精密な肖像画も相まってすぐに該当する情報は見つかった。
あとは綺麗に冊子から千切ってリストと共に呑み込み、数ページの消失も判別できない状態を保てば、元の棚にギュッと押し込む。
ずさんな管理体制に思わず顔をしかめるが、ザッと一帯を改めれば机の上を歩き出した。
衛兵が迷わず記録帳を引き抜いたところから、一応は新旧で分かれてはいるらしい。グルっと部屋を1周する勢いで回れば、やがて古びた冊子を覗いていく。
パラパラめくっては戻そうとしたが、すでに死体が倒れている時点で一帯は事件現場と化している。
ゆっくりしている暇も無く。不本意ながら出しっぱなしで次々引き抜けば、パラパラめくっていたところでピタリと。
小さな手で強引に止めれば、“ダルグレイ・サルフマン”のページを凝視する。肖像画は“バーティミエル・ナサニアス”に一見して似つかないが、ウーフニールの眼は誤魔化せない。
即座に整合性が取れたところで罪状を確認し、その過程で元大学長であった事実も把握した。あわよくば弱味を握るだけのつもりが、思わぬ情報に首を傾げていた直後。
ふと数ページめくってみれば、若かりし頃の双子たちも発見した。罪状は導師や準導師。そして複数名の学徒の虐殺と書かれているが、詳しい記述は書かれていなかった。
さらなる探求心と知識欲を駆り立てられたものの、やはり時間と肉体の制限が余計な調査を許してはくれない。
渋々元来た道を辿れば次の案件に取り掛かり。無作為に引き抜いて中身を改めれば、記録帳が机中に散乱したところで2つの結論に達した。
《カルアレロス・デュクスーネの妻の襲撃犯。獄中にて自決。死因は“猛毒”……罪人の拘束に使用される鉄枷が新たな拘束具へ移行した経緯、並びに道具の詳細に関する情報は無し》
調査内容を臓書に写したところで、ひとまず保管庫での用は済んだ。だが表向きは証拠の隠滅が完了しただけで、懸念そのものはまだ拭えない。
準導師の殺害に関わった娘たちが、記録を消しただけで罪を逃れる事が出来るのか。
衛兵が彼女たちの顔どころか、性別すら記憶しているか怪しいとはいえ、攪乱の為にもっと暗躍すべきか。
様々な案がよぎる中でピンっと耳を立てれば、通路から足音が近付いてくる。程なく扉が開かれ、気怠そうに顔を出したのはレマイラを尋問していた男だった。
「おい。いつまでもダラダラしてっと晩飯喰い損ねるぞ。それにさっきのガキの房のリストが消えてたが、用事ってのは中身の手直しか何か…っ」
サッと愚痴を零してすぐに引き返す予定だったのだろう。視線はずっと通路に向けていたが、ふと彼が視線を移せば床には死体が。
机には散乱する記録帳と1匹のアライグマが座っている。突然の光景に目が点になり、心身共に男は静止してしまうが、毒を食らうなら皿まで。
最初の衛兵にも開き直って“話しかけた”手前、もはや遠慮は無用だった。
ふいにアライグマの顔に亀裂が走れば、まるで両断されたようにパックリと。左右に上半身が開くと断面に牙が生え、巨大な口だけの怪物と化した。
牙も1つ1つが歪にうねり、おぞましい唸り声を上げる存在にやる事は1つ。半狂乱になりながら杖をかざせば、火球が真っすぐ怪物へ飛んで行く。
すかさず躱せば爆音を上げながら証拠品が燃え盛るが、衛兵の目に映るのは化物ただ1匹。確実に抹消すべく移動先へ放ち続けるが、素早い動きに翻弄されて一向に捉えられない。
むしろ炎が邪魔で姿そのものが見えなくなり、杖先を振りかざしながら標的を探していた矢先。
「ぎゃああああああっっ!!!?」
突如鋭い痛みが足に走り、倒れる拍子に杖を手放してしまう。咄嗟に扉の取っ手に掴まったが、勢いよく引き寄せられたせいでパタンっと。
唯一の出口を自ら閉めてしまい、為す術もなく仰向けに倒れると身体をしたたかに打ち付ける。直後にもう片方の足にまで激痛が走り、絶叫を上げたところでココは留置所の最奥。
尋問室と同じで、声は誰の元にも届かない。
その事実を忘れる程に助けを呼び続けたが、やがて身体の上をのそのそと。突如小さな足が事も無く歩けば、胸元でピタリとアライグマが止まった。
その姿は野生の獣さながらで。怪物染みた姿でもなければ、首を傾げる仕草に愛らしさすら覚えたろう。
だが床に押し倒された男はその本質を知っていた。
「…え、餌か!?餌が欲しいのか!な…ななななら部屋を出ればいくらでもやるよ!なっ?お、おおお、落ち着いて…っ」
震える声で話しかけるが、その視線はメラメラ燃えてしまった杖に向けられ。再び怪物に焦点を合わせれば、ゆっくり手を伸ばした。
頭を撫でるように。相手を落ち着けるように伸ばされた掌に、アライグマは反対側に首を傾げた。
その瞬間――。
「〝視線の先を穿て!紅蓮の子を捧げよっ!我が名をもって命じる。堕ちた陽の主よぉお!”」
開かれた掌から火球が飛び出すが、直後にアライグマの顔が縦に裂けた。起死回生の一撃はあっさり通過してしまうが、杖を使っていた威力に比べれば月にすっぽん。
そのまま手首から先を噛み砕かれ。喉が裂けるほどの悲鳴を上げながら残る腕で払おうとしたが、怪物は意図も容易く両手とも口の中に収めた。
四肢を封じられた男は声にならない嗚咽を上げ、しかしその瞳は割れた頭を広げながら。徐々に近付いてくるアライグマに向けられていた。
不気味な唸り声を発しながら牙が刻一刻と近付くが、ふいに刃先が顔を掠めて目を閉ざした時。
《――自分がどういう立場か。まずは叩き込む必要がある…》
突如腹底を這うような声に驚き、思わず目を見開いてしまった。
おかげで襲い掛かってくる瞬間が脳裏に焼き付き。瞬く間に牙が顔を覆えば、悲鳴でくぐもる自分の声と。顔を無残に刻まれる音が、男の命を奪うまで永劫続いた。