200.アライグマ・パスカルの事件簿
死体がレマイラに倒れ掛かった時。即座に鞄から脱出すれば、素早く部屋の中へ飛び込んだ。
程なく現れた衛兵に3人は連れ去られたが、聞こえてくるのは「どちらの管轄であるべきか」だった。
おかげで室内の調査はおざなりになったものの、それでも青と赤の衛兵が1人ずつ。念の為に歩いて回ったが、すでに部屋は荒らされた後。
仮に何かを持ち出され、何かを処分されていたとしても、彼らに知る由もない。何より“現行犯”で捕らえたのだから、あとは尋問して聞き出せばよいだけ。
追加の罪状が加わったところでサッサと撤収し、パタンっと扉が閉じられた。
ようやく静寂が訪れたところでグニっと。子猫ですら入れない棚の隙間から顔を出せば、身体を順次引き出していく。
潰れた身体を膨らませるように、やがて全身を出したところで周囲をザッと見回した。
《…書類関連の証拠品は一見して無し。実験器具も破壊されている模様》
記録を取るようにブツブツと零し、机の上に登った所で割れたガラス片の山を見つめる。一通り破片を視界に収めれば、それらの割れ目から元の形を視覚的に復元。
途端に実験器具の“幽霊”が完成するが、薬剤の調合に使う試験管の群体であった事が分かっただけ。そして仕上げに液体をペロッと舐め、考え込むように静止すると踵を返して部屋の探索に移った。
室内は本や収納棚が部屋を囲んでいるだけで、パッと見るだけでは大きな発見も無い。
だからこそ溜息を吐けば、アライグマの小さな身体を駆使して素早く。かつ最大限効率的に動いて、部屋の捜査を開始した。
幸い器用に動かせる手があったから良かったものの、万が一猫や鳥の姿であれば一層難航したに違いない。
融通の利かない分身体にまた唸り声を零し、それでも調査は無事に終わった。
死体も少女たちと共に持ち去られてしまったが、記憶だけで十分検分はできる。
結論から言えば、書類は全て破棄されていた事から、殺害は予定調和であったらしい。不自然に空っぽな収納の数から考えて、一辺に運び出したとは思えなかった。
続けて血だまりや鮮血を見る限り、実行犯は2人。死体に刺さった背中のナイフの角度や位置から、レマイラたちよりも高身長の人物の仕業である。
そして机の鮮血から察するに、背中を見せている間に一刺し。反射的に振り向いたところで、それまで向かい合っていた相手が首に一刺し。挟まれる形で立っていた事から、死者は相手の事を信頼していたはず。
血が不自然に付着していない物もあり、犯行を終えたのちに荒らして回ったのだろうが、仕事を終えた犯人が去ったあと。死体が息を吹き返したのか。
刺された場所から続く血痕は真っすぐ扉へ向かい、そこで彼も力尽きたらしい。
ドアノブにもたれ掛かって息を引き取り、結果的にレマイラに倒れ込んでしまった。
《せめて手掛かりを残せば良いものを…》
サッと見回しても、ダイイングメッセージの類は無い。ただレマイラたちを巻き込んだだけで終わる迷惑な“容疑者”に唸り声を零すが、一方で良くも悪くも“素直”な人物であったとも断定できる。
もしも死者が狡猾な人物であったなら、裏切りに対して手掛かりを残していたろう。
だが実際は命にしがみつくだけで終わり、黒幕と言うよりも良い様に使われていた事が見て取れる。
ゆえに口封じも兼ねて始末されたのだろうが、部屋を調べた限りでは、彼の主な役目は“麻酔薬の製造”。実験器具の下に飛散した液体や、残された素材の数々が結果を示している。
興奮剤も作られていたらしいが、幸い犯人には処分すべきか判断するだけの知識がなかったのだろう。
必然的に導き出される答えは、犯人に薬学の知識が無く。それでいて殺人を実行に移す胆力があった事。
そして死者の講義に1度だけ参加したカミリアの証言から、“護衛2人”による犯行だと結論付けられた。
ミドルバザードでアーザーと取引をしていた話を薬剤店でも聞けたが、区画を跨ぐ調査が必要なら、そちらはアデランテに任せれば良い。
今はボルテモアの部屋を調べるべく、根掘り葉掘り。壁を叩いては床も蹴り、それでも何も見つからなければ天井も確かめる予定であった。
証拠は粗方消されているとは言え、犯人に専門知識が無かった事。そしてボルテモアが良い様に使われるほど素直な人物であった事が、調査の切り口になるはず。
何よりソーニャの部屋でも大抵の扉は壁に隠され、熱帯雨林から別の部屋へ移動できたのは、せいぜい銭湯とレマイラたちの寝室だけ。
何度か当人を尾行しても、鬱蒼と生い茂る草や異常なまでの警戒心で結局思うような捜査も出来なかった。
彼女の本棚に収められた書物も一通り目を通したが、どれも薬学に通ずる“当たり障りのない”資料ばかり。
加えて表に出される研究内容も一貫せず、思いついたような物ばかりが散見するために、今1つソーニャの真意を掴めない。
尻尾を掴ませない彼女の同行を鑑みれば、やはりボルテモアは素直だったのだろう。研究も麻薬と麻酔で1本化されていたが、問題なのは麻酔の方。
非常に強力な物で、少なくとも人間を5人は軽く殺せる程の威力を有していた劇薬そのもの。用途が“ソレ”に対応しているなら、いっそ毒物でも作る方が懸命である。
必然的に薬物の目的を理解するが、結論を急ぐのはアデランテの悪い癖。彼女に感化されぬよう順を追えば、まず調査目標が脳裏に浮かぶ。
①アルカナの巻物
②白銀のセラフ
③カニッツァの扉
①と③はデミトリアを調査する必要があり、建物自体への潜入は成功したとはいえ、管理者たちに接触するには最低でも“人型”である事が求められる。
それ以前に関係者でもなければ下手に探りを入れられず、刺激して終わるだけの可能性もあるだろう。
そして②に関しては、大学入口で遭遇したガラス細工の獣から鑑み。魔晶石学を専攻するカルアレロスに期待したが、収穫を得る事も無かった。
①②③、と。
直接的な調査こそ出来ないが、それでも追う手段はまだ残されている。少なくとも②に関しては魔物の売買が関わり、捕獲に当たって当然無傷で捕まえるのが好ましいはず。
そこにボルテモアの致死量を超える麻酔薬を当てはめれば、構図自体はあっさり出来上がった。
《残る問題は証拠の有無》
机に再び登り、キョロキョロ部屋を見回せば次の捜索場所を探した。いくら想像を巡らせても、証拠が無ければ絵に描いた餅。
もはや天井も範囲に入れるべきか検討していた時。ふとよぎった香りの層に立ち止まれば、数歩下がって匂いの元を探し始めた。
鼻を鳴らしながら机を飛び降り、やがて棚の下部の前で立ち止まる。引き出しがあるわけでもなく、あくまで棚を支えるための部位なのだろう。
それでもコツコツ叩いてみれば、返ってくる反響が空洞である事を示す。しばらく開け口を探してみたが調査は芳しく無く、侵入する隙間もない様子に目標を変更。
棚を登って戸を開ければ、すかさず中へ飛び込んで捜索を続けた。
流石の犯人もローブにまで手を出す事は無かったようだが、おかげで匂いが服に付いただけなのかと。
事実香りが漂っているだけに“ハズレ”のように思えたものの、外から嗅いだ時の匂いが棚の下部からしていたなら、まだ目的の物は見つかっていない。
棚の中を隅々まで調べ、やがて端で見つけた穴が劣化による物ではなく。鍵穴だと当たりを付けると、すかさず手を差し込んでグルグルかき回した。
液体化させて中身をいじると、高度な技術も必要とせずに――カチリと。小気味の良い音が響いた途端に底が微かに横にズレ、壁を押せば滑るように開いていく。
《…調査結果の内容に訂正あり。書類関連の証拠に該当する証拠品を複数検出》
報告書の中身を修正するように呟けば、視線の先に映ったのは無数の紙切れ。匂いの大元も探り当てたところで、金貨の山へ飛び込むように潜り込んだ。
ザッと中身をあらためれば、内容は核心をつくものばかり。中にはカルアレロスの妻への襲撃指示まで示唆され、指示通りに進めれば何1つ問題は無い事。
そして指示書は始末するよう挨拶文のように書かれていたが、こうして記録が残されているのは万が一の保険というわけでも無いのだろう。
良い様に使える“素直”で従順な召使いは、恐らく手紙の相手を盲信していたに違いない。彼なりの歪んだ忠誠と崇拝によるコレクションの結果、秘密の隠し場所に人知れず証拠を積み上げていたようだ。
手紙に宛名は書かれていないが、匂いや筆跡さえ分かれば十分。黒幕が判明したところで、あとは魔物の売買の証拠をアーザーの区画で見つかる事を期待するほかない。
《室内の調査完了。任意目標も完了…》
やるべき事も終わり、これ以上の別行動も不要。あとはアデランテの下へ帰還するだけだが、ふと扉を見つめればその場で腰を下ろした。
建物自体を抜け出すのも困難ではあるものの、浮かぶのは脱出路ではなく連行された移送手段の姿。
連行されると言うのに、スカスカの鞄に気付いた彼女たちは混乱の中。“パスカル”を探して見回していたが、レマイラだけは経験則からだろう。
部屋をチラッと一瞥して、ウーフニールの進行先に勘付いていたらしい。
しかしだからどう、と言う事でもない。彼女たちは大学の取り決めに従い、留置所へ運ばれたはず。
いまさら連れ去られたところで、もはやウーフニールにとっては何の利益も無かった。
だがオーベロンの依頼と大学の関連性はまだ解けておらず、さらなる調査が求められるのは火を見るよりも明らか。
大学選挙が終わるまでの間か。はたまた別の機会で訪れた場合の調査時に、少しでも情報源を確保しておく必要もあるだろう。
また一から大学関係者と人脈を築くのも面倒。そして幸か不幸か、留置所はかつて摂り込んだアーザーが記憶していた。
アデランテの合流にせよ、建物の脱出にせよ。第三の目標を達成するにしても、工程は途中まで同じ。アライグマの身では苦難の道である事には変わりない。
ならばと茨の道を選択するが、やはり唸り声を零して進む事から。酷く気乗りがしない案なのだろうと、自覚しながらも軽快な足取りで扉に向かった。