193.レマイラな午後
ミドルバザードの賑わいは喧騒とは程遠く、それでも雑踏のひしめきは絶えない。厳粛かつ不気味な空間の最中、釘を打ち付ける甲高い音が一帯に響き渡った。
「――…板っ!!」
レマイラの声がつんざき、傍で働くアーザーが要求に従って1枚の板を渡す。学徒同士の衝突で店舗が焼け落ち、当然誰かしら修理する必要があるのは自然の理。
だが魔法大学にいるのなら、魔法で天地を創造するかの如く直す事は出来ないものか。
ブツブツ文句を言いながらも、身体を動かす口実があれば何でも良い。加えて給金も出るならば、小言を他人に聞かれない方が懸命だろう。
何よりも店の修理に割り当てられる方が、路地の補修を担当させられるより遥かにマシ。“噂”では衛兵同士が諍いを起こし、連なる店舗ごと一帯を焼いたらしい。
物騒な事件ばかりが発生する大学内で、原因の矛先が向かうのは大学長選挙。誰が当選するにしても早く終われと囁かれるが、その度にレマイラは硬直する。
――少なくとも路地の騒動は選挙と関係無い。
脳裏をよぎる言葉と共に、思い出すのは狂乱した衛兵と不気味なおぞましい声。
途端に全身の鳥肌が立ち、捲った裾と袖で露わになっていた手足を擦る。カミリアに言って聞かせた俗説を反芻し、一心不乱に釘を打ち付けていく。
おかげで屋根は一通り直され、額を拭いながら嘆息を吐けば今度は溜息を零した。
ミドルバザードを少し高い場所から見渡し、幾らか気分を良くしたのも束の間。諦めたように腰のポーチを開ければ、丸まったアライグマと目が合ってしまう。
「…まぁ……大人しくはしてるよな」
注意するまでもなく、鞄の中で微動だにしない様子に再び蓋を閉じる。
別にアライグマが悪いとは思わない。現に彼がいなければ、食券は今頃ゴミと共に廃棄されていたろうから。
ただ目が合う度に先日の騒動が蘇り、漠然とした不安に冷汗が流れる。ザーリーンも半ば篭絡され、今やルームメイトを守れるのはレマイラだけ。
あわよくば言い訳を添えて逃がしたいが、流石に人で密集する場所では厳しい。じっくり機会を窺うよう自分に言い聞かせ、颯爽と屋根から降りて行く。
「レマイラ様、お疲れ様でした」
「そっちもお疲れ。ウチはこの後も用事あるから、後の報告は宜しくな」
「承知いたしました」
アーザーに粛々と頭を下げられるや、逃げるようにその場を去る。歳は殆ど変わらないだろうに、身分の違いで丁寧に接されるのはいまだ慣れない。
そして同時に一歩間違えれば、自身もまた彼らと同じ立場に陥る。その時は恐らく自分1人ではなく、ザーリーンとカミリアも連れて。
だからこそ直近の問題を処分したいが、路地へ入り込む勇気はない。“あの声”を万が一にでも再び聞いてしまえば、レマイラすら発狂するだろう。
アライグマ以前の問題に溜息を吐き、捨てる場所を模索していた矢先。
「おぅ、レマイラじゃねえか!バイト上がりか?」
ふいに掛けられた声に跳び上がり、ぎこちなく背後へ振り返る。上機嫌に話しかけてくる男へ露骨に溜息を吐き、おもむろに前へ向き直った。
「おいおいおいおい!無視するこたぁねえだろ。どっか調子でも悪いのか?」
「色々忙しいってだけだよ。お前は相変わらず能天気そうで羨ましいよ」
「なんだよ、今日は随分刺々しいなぁ…もしかしてあれか?実戦力学が魔晶石学と合併したのが気に喰わないとか」
「…まぁ、それもあるわな」
兄とも弟とも区分できない関係の相手だけに、油断してしまったのか。全てとはいかないが、心の閊えを一部当てられてつい溜息を零す。
無言で突き放すつもりだったが、気さくに話し合える人物へ非常に振る舞うのも辛い。いつものレマイラ通りに振る舞えば、途端に学友が肩を組んできた。
「まぁ熱心に取り組んでたってのに、後からハエが群がってくりゃ誰も良い気はしないわな。ご愁傷様」
「まったくだよ。このままじゃ受講料まで跳ね上がって、バイトだけじゃ追いつかなくなるってのに…」
「キツいなら援助するぜ?何なら俺らが立ち上げた“貧民会”に入れば相互幇助もするし、男と女でそれぞれ出来る事と出来ない事もあんだろ?」
「名前を変えたら検討くらいはしてやるよ……で、ウチになんの用事だ?」
「合コンのセットアップを頼みたい!!」
店の角を曲がった所で学友は突如手を合わせ、神を拝むように頭を下げてきた。率直な要求はレマイラの類友ならではだろうが、それでも彼を訝しんでしまう。
「……ま~た誰かに貸し作ったのか?」
「またって、普段は自力で返してるっての!ただ物を要求するタイプの奴らじゃないから、ちっと面倒臭えっつーか…」
「何したらそんな奴らと関われんだよ」
「仲間が密売の容疑で捕まりかけてな。もちろん俺らと一緒にいたから、そんなわけねーって言ったところで、今度は共犯扱いされてな。ま、後ろ盾の無い連中の性って言うんかね。下手すりゃ全員お縄か、仲間を見捨てるかって状態になった時、ボンボン連中が弁明してくれてよ」
「…嵌められたのか?」
「そんな感じはしなかったな。かと言って善意でやったって言うより、俺らがやったやってないに関わらず、暇潰しで助けたって感じ」
「そいつらと合コンしろって?」
「そうなんだよ~。だから頼むよ~。レマイラ以外に女の知り合いなんていねーし、埋め合わせは前払いでするからさ~。飯も俺たちの奢りで、別に連中と付き合わなきゃいけないって話でも、おべっか使う相手でもねーからさ~」
なおも手を合わせてくる彼は、恐らく放っておけば足に縋りついてきたろう。友からの最低な要求に反吐が出るが、だからと言って見捨てるのも忍びない。
彼の立場も理解できるからこそ一蹴出来ず、頭を掻いて大袈裟に溜息を吐いた。
「……食券1ヶ月分。あとウチが指定する講義の出席権3科目分を2ヶ月譲渡」
「…最初のはともかく、後半はキッツいぜレマイラさん」
「“2ヶ月”順番を譲ってもらうだけだろ?それに3科目絞ってるだけ有難く思えよ。ちなみに食券は当然ウチだけの分じゃないからな」
「くっそ~、マジかぁ~…」
「なんだなんだ?乙女が身体を張るってのに、お前から見たウチの価値はその程度って事か?」
「…食券2ヶ月。講義の出席権2科目でどうだ?」
「交渉の余地なしだ。嫌なら他の女に当たってくれ」
“出席権3科目”の時点でメンツはすでに決まり、当人たちもすぐ了承するだろう。
ボンボンのイケメンがいればザーリーンが。タダ飯の話をすれば、カミリアも喜んで“お食事会”に参加するはず。
報償と代価に1人頷いていたものの、やがて学友が重々しく顔を上げた。
「…食券はすぐに用意する。ただ要求を全面的に飲む代わりに、1つ俺の条件を増やさせてくれ」
「内容によるけど言ってみな」
ほぼほぼ交渉が成立したのも束の間。ふいに彼が持っていた袋を丸々渡され、思わず両手で受け取ってしまう。
大きさに反して地味に重く、香りや触感から土が詰まっているらしい。
「…土嚢?」
「植物学の準導師に肥料を持ってくよう頼まれてんだよ。元々は仲間の仕事で、それが俺に回って来て…」
「仕事をぶん投げたくなるくらい面倒な奴なのか?そんなの条件に加えられても…」
「支払いは良いけど、杖でケツを殴ってきそうな気迫のキビキビした人なんだよ。ミス1つで実験材料にされそうで純粋に怖ぇっつーか…まぁあれだ。女同士ならまだ話しやすいかもだし、割の良いバイト先を紹介した、って事でココは1つ頼む!」
再び拝み倒す彼の姿勢は増々深く、放っておけばそのまま土下座しかねない。大学内では珍しくない光景でも、やはり崇められる立場は苦手だった。
怪訝そうに彼の脛を蹴り上げ、学友が飛び跳ねた所で交渉は成立。目を輝かせると前金を支払い次第準備を進める旨を告げ、颯爽と去ろうとした。
直後にレマイラがローブを掴まなければ、そのまま雑踏へ紛れていたろう。
「な、なななんだよ!この流れでやっぱ無しってのは流石に勘弁だぜ!?」
「ちょいと聞きたい事があんだよ…お前ん所で使役学取ってる奴っているか?」
周囲を見回し、声を潜めるレマイラに思わず彼も辺りを警戒する。
まずい会話をしているつもりもないが、怪し気な空気に彼も乗り掛かったらしい。
「…もしかして、さっきの出席権に関わる話か?」
「ソレとは全然関係無い。ただ……知り合いが使役学に興味あるらしくてな。今どんな感じなのかと思ってよ」
「どんな…って。まぁ仲間に1人いるから、今度そいつから話を聞いて…」
「あぁ、別に講義の詳しい概要じゃなくて、何か厄介な問題が起きてないかって話だよ。知り合いが最近選挙のアレコレで面倒事に巻き込まれてな。ちっと疑心暗鬼なんだ」
「あー、そういう……ん~、でも何もねえと思うぞ?何か事件が起きたら、大体仲間内でそういう話は挙がるし、使役学を受けてる奴は特に噂好きだからな」
肩を竦める学友の話に感謝を告げ、今度こそ別れると彼は何処かへ消える。寮棟へ戻る予定だったレマイラも行き先を変え、渋々“デミトリア区画”を目指した。
その間も情報を整理するが、表向きでは使役学の講義で問題は起きていないらしい。
しかし仮にあったとしても、表沙汰になってしまえば講師の名折れ。黙しているか、情報統制を敷いているのがオチだろう。
考えてみれば密輸が横行する手前、使役学以外で獣を搬入する目的も数多い。
そして幸か不幸か。例の“アレ”は自力で脱出したらしいが、“ソレ”を持て余したレマイラは次に如何なる行動を起こすべきか。
「……占い屋にでも行って、適当に相談すっかね」
だんだん重くなる肥料に溜息を洩らし、ついには現実逃避まで始めてしまった。気付けば目的地にも辿り着き、アライグマを捨てる機会まで逃してしまう。
「――とまれっっ」
番兵にも止められ、すぐに“土嚢”を確かめられるがチェックは雑。頻繁に届く荷物に興味は示さないが、彼らの手がポーチへ伸ばされた途端。
咄嗟に身体を反転させてしまい、隠すように立ちまわってしまった。
しまった――と思った時にはもう手遅れ。完全に衛兵から不審な目で見られ、逃げるか捕まるかの2択のみが脳裏に浮かぶ。
今更ながら“実験材料”と言えば済んだものを、やはり正直者は馬鹿を見る。いつかザーリーンに言われた戒めに肩を落とし、抵抗する気力も沸かなかった。
やがて衛兵が乱暴に肩を掴み、無理やり背中を向けさせられると乱暴にポーチが開かれる。留め具が外れる聞き慣れた音は、まるで断頭台の刃を連想させ。蓋が閉じられると同時にゆっくり瞼を閉じた。
「――…行って良し」
ビクリと肩を震わせたのも束の間。驚いて振り返れば門が開かれ、衛兵たちも道を開けてくれる。
まさかアライグマを持ち込む事も、肥料と同じく日常的なのか。奇跡に近い偶然に助けられつつ、それでもわざわざ確認する真似はしない。
肥料を抱えて飛び込めば、背後で重々しく扉が閉ざされる。全身の力が抜けそうなほど嘆息を吐くが、直後にポーチへ片手を伸ばす。
蓋を開けずに中へ手を突っ込むも、指先には何も掠れない。バフバフ叩けど空気の塊が洩れ出すだけで、恐る恐る覗いてみれば中はカラ。
狸に化かされたように目を瞬かせるが、程なく現実的な答えが脳裏をよぎった。
「…勝手に逃げてくれたか」
ホッと胸を撫で下ろす一方で、誰かに逃走現場を見られてはいなかったか。不安こそ瞬時に溢れたが、今は衛兵の目を逃れた事。
何よりもレマイラたちの学徒生活を取り戻した事実が、心底彼女を安堵させた。
それからは心機一転。
肥料を肩に担げば胸を張り、颯爽と薄暗い通路を歩き出した。後ろめたい事情を何1つ持たない身はとても軽く、足先に触れた違和感を1度見。
そして2度見するまで気付かぬ程、頭の中はお花畑一色であったらしい。
「お、おまっ…なんっ……うぇぇえ!?」
周囲を見回せど、幸い声を聞いた者は誰もいない。
だが1匹だけ。
黒真珠の瞳を向けてくるアライグマだけが、彼女の足元で耳を傾けていた。