192.人の居ぬ間に
窓の無い部屋では時計が朝日の訪れを伝え、最初に起床したのはレマイラだった。昨晩の疲れは入浴と就寝で癒えたのか。軽い準備体操を終えて着替えを始める。
続けて物音にザーリーンも起こされ、十分な睡眠を以てなお気怠そうにしていたが、それでもベッドを離れると素早く身支度を整えた。
途中でチラッと上段で眠るカミリアを一瞥したものの、“冒険”の疲れや睡眠不足がいまだ応えているらしい。険しい表情を浮かべる彼女をソッとしておき、ゆっくり屈み込めばベッドの下を覗き込んだ。
途端に奥で黒真珠がギラリと輝き、余ったシーツで拵えた住処から、“同居人”が憮然としながら顔を上げる。
「講義に行って来るからカミリアよろしく…」
「なにやってんだよ。まさかお前まで毒されちまったのか?」
「言葉を理解してる事は昨日証明された…」
「犬だってお手やお座りが出来るんだから、訓練すればある程度は…あー、そういえば使役学を受けてる連中に探りを入れるんだったな」
「気を付けて…」
「分かってるっての。昨日の二の舞はウチも御免だ」
深々と溜息を零すレマイラは、上段のカミリアを一瞥して部屋を後にする。続けてザーリーンも彼女を追い、サッと扉を閉めれば鍵を掛ける音が響いた。
静寂が訪れ、1人分の寝息だけが流れるとようやくベッド下から這い出し、迷わずレマイラの寝床へ向かう。
荷を漁る姿はアライグマさながらであったが、当然咎める者はいない。容赦なく私物に目を通すも、特に成果と呼べる物は無かった。
“冒険者の手引き”と題した冊子は、ギルドに関する情報や体験談が満載。魔術師たちの苦悩や喜びなどが、半ば小説染みた内容となって書き込まれていた。
折られたページの端に顔をしかめ、次に引っ張り出した魔物学の資料も読み終える。
やがて全てを元の位置に戻し、踵を返して向かった先はベッド横に置かれたザーリーンの荷物。巨大なリュックに入ったレマイラの物と違い、縦長の旅行鞄は開け口が上部にある。
ベッドや支柱を駆使して移動するが、待ち受けていたのはダイヤル式の施錠。4桁の数字を1から始めれば、外は夜になってしまうだろう。
だが所有者が身支度を整えていた時、ダイヤルを回す音は聞いていた。両手で2桁ずつ鍵を弄るや、3秒と経たずに防衛機能は突破される。
そのまま横に倒して開きたいところだが、獣の身で立て直すのは流石に厳しい。所有者に不信感を与えぬために隙間から潜り込み、時折鞄を小刻みに揺らすが、中身はレマイラの物に比べて整理が行き届いている。
暗視を用いて所持品も漁れば、すぐに本をいくつも引っ張り出した。
占星学。経済学。
“雷の紋章”と題された本は、体内で魔力を効率的に生成する方法が記されていた。
身体能力の強化や雷魔法に関するページの端には、色とりどりの付箋が張られている。
“栄光の道”と書かれた表紙をめくれば、歴代の導師たちの功績が綴られていた。ページをパラパラ流して読了するが、大学長の座に就いた者は記録されていない。
大学の創始者や魔術体系の発展。道具の開発など行なった、純粋な“功績”のみを取り上げているのだろう。
おかげで中身の厚みこそあれ、思いのほか載せられた人間の数は少ない。大学長の座が“人徳”で殆ど決まる以上、条件を絞った人物選択である事が窺える。
それから――パタンっと。
“探索”を済ませたところで、抜け出した鞄の錠を元に戻す。隣に置かれたショルダーバッグへ飛び移り、早速開けば中の状態はレマイラ以上。
それでいてザーリーン以下の荷をパッと漁り、お馴染みの読書タイムにしけ込む。
本の量は他の2人よりも多いが、9割方が薬草学の書物ばかり。回復魔法のススメ、と題される物もあるが“灰は灰に”と書かれた本もある。
炎魔法の初級呪文が記載され、内容も視界に映る物を全て焼き払えと言ったもの。過激な文字列にソッと本を閉じ、鞄の外へもぞもぞ脱出した矢先――。
「――…う~ん……んんっ…レマちゃん?ザーリん?……アライグマちゃ~ん?」
眠気眼を擦る声に顔を上げ、ベッド下へ戻る前にカミリアと目が合ってしまう。
視線を切って隠れる事も出来たろうが、彼女の手が朧気に何度も宙を掻く。片手だけを泳ぐように漂わせ、無言の要求に渋々従えばベッドの支柱を登り、やがて掛け布団を持ち上げたカミリアの懐へ入っていった。
「おやすみ~…」
そのまま人形の如く抱え込まれ、寝惚けた彼女の声も早々に寝息へ切り替わる。
カミリアの胸の中で拘束されるが、何も伊達や酔狂で付き合っているわけではない。
従来の目的はアミュレット探しであり、奪ったのも男であったが、もはやそれも任意目標も同然。最優先で調査しなければならないのは、大学の秘密そのものであった。
まずはマルガレーテの町における“アルカナの巻物”。
研究員に学徒を徴収するにしても、外出を管理するのはデミトリアの部署。加えて導師が指揮していたなら、大学の関連性は否定しようが無い。
それからフェイタルの町。“白銀のセラフ”。
音による他者の洗脳はともかく、ガラス細工を操る様は、大学入口で見た魔晶石の獣そのもの。
そして最後に偶然訪れた怪奇の館“カニッツァの扉”。
大学内を瞬時に移動する手段は、アデランテすら無意識に怯えさせる程。侵入までに訪れた森の中で迷わせる罠も、館内の不規則な転移を彷彿してしまう。
ゆえに。だからこその別行動。
“本体”はオルドレッドから離れられず、アミュレットの件は口実でしかない。
もしも大学にオーベロンの指令に関わる秘密があるのなら。あるいは呪枷を外す鍵が。
ウーフニールの秘密を解き明かす情報が眠っているかもしれない。
そのためにも寮棟へ潜入し、大学内を移動できる“足”を確保する必要があった。多少は警戒されているが、幸い大学の歪な環境が“賢い獣”の範疇で留めてくれる。
学徒の油断の隙をつき、あわよくば大学の情報も建物構造ごと把握しておきたい。
カミリアの抱き枕になりながら計画を練っていたものの、ふいに扉の鍵が鳴った。
途端に布団の中から抜け出せば、荷をクッションに着地。ベッドの下へ潜り込む頃にゆっくり扉が開かれた。
「…んんっ?レマちゃんもザーリんもおはよ~…あれ。アライグマちゃん…」
「お前まだ寝てたのかよ。チェーンも掛けてねえし、ったく」
悪態を吐くレマイラに反応する事なく、頭をもたげたカミリアは周囲を見回す。
確かアライグマを抱えていたはずが、まさか夢であったのかと思う間もなく。注意はすぐに背負われたザーリーンへ向けられ、眠気眼も否応なく覚醒した。
ベッドを背に床へ座らされる彼女の下へ急ぎ、声を掛けても返事は無い。日頃から気怠そうなザーリーンとは異なる容態に、荷を漁って滋養を探した。
「安心しろって。ただの筋肉痛だよ」
直後にレマイラが呆れたように零し、涙目のカミリアもガバっと顔を上げる。重病患者に向けた薬剤を片付け、代わりに水筒を取り出せば蓋に水を注いだ。
茶葉も一緒に混ぜ、仕上げに掌で包めばソッと自分の口元へ近付ける。
「“触れた者を癒せ。温もりこそ生の顕れなり。我が名をもって命じる。優しき心の主よ”」
潜めた声は水面に波紋し、程なく中から湯気が仄かに立ち昇り始める。そのままザーリーンの唇へ押し当て、彼女と目が合えばゆっくり傾けていく。
喉が緩慢に動き、ソッと離してやれば温かな吐息が漏れ出した。見返りに弱々しい笑顔と感謝を述べられるも、レマイラは依然不機嫌なまま。
「…いつも思うけど、低体温症の治癒魔法でお湯を沸かすのはどうかと思うぜ」
「えへへ~、便利でしょ~」
「褒めてねえから。それに低体温症専用の魔法ってのもウチ的には派手さに欠けるって言うか、折角炎魔法も齧ってんならもっと攻撃性のある術の習得をだな…」
「低体温症は馬鹿に出来ない…」
「お前もお前だ!普段から身体を動かせってあれ程言ってんのに、ちっとばかしグラウンドを走っただけでこの有様だ。風呂だって一から手伝わされたし…ウチは介護士じゃねえんだぞ!?」
「物凄く優しかったから適正あるかも…」
「余計なお世話だっ!」
レマイラの剣幕に反し、ザーリーンは縁側の老婆が如く茶を啜る。微笑ましい口論を横で眺めつつ、もう2つお茶を用意しながらこっそりカミリアは宙を嗅いだ。
良い匂いがするかと思えば、講義終わりに2人はそのまま風呂に入ったらしい。昨日の反省を早速活かしたらしく、レマイラの分を差し出せば自分でも一口。
そして半分まで飲んだところで、ベッド下にグッと押し込んだ。
「身体に良いから飲んでね~」
ギラリと光る目と合えば、挨拶代わりに手を振って身体を抱き起こす。再び女子会に参加すると、話題は相変わらず合同講義に関してだった。
「――…それでよ。次の講義の予定が1週間待ち。いつもスカスカだったってのに、魔晶石学の連中と物珍しさで集まった奴らとで、今やグッチャグチャだよ。これだから俄かってのは嫌だね」
「私は魔晶石学の講義出てるから、むしろ常連の1人…」
「その度に背負って風呂の世話をしろってのは御免だからな」
「2人とも楽しそうで良かったね~」
「楽しくはっ…いや、まぁ普段よりも賑やかで、刺激はあったけどよ…お前も今度参加したらどうだ?」
「イケメンも目の保養…」
「そういえば色違いの目のお兄さんも一緒なんだっけ~。ポニーテールもしてて、綺麗な人だったよね~。流石初めて会ったレマちゃんが、ほっぺ赤くするだけあるムグぅっ!?」
何の気なしに口を開けば、突如レマイラが眼前に迫った。口も手で塞ぎ、鬼気迫る表情に無言で頷いたが、話を遮るには1歩遅かったらしい。
「……レマイラ。もしかして狙ってる?」
「あれは不意打ちだからノーカンだ!それに講義の参加を知ったのだって後だし…」
「状況説明求む…」
「えっとね~。寮の扉を開けてくれた時にニッコリ笑ってくれてムグムグっ」
「なるほど…」
「…な、何だよ。別に何もねえって…それにあいつの隣にはダークエルフの女がずっといたし、入る余地なんてないだろ」
「おっぱい大きい人~?凄くセクシーだったけど、ちょっと怖かったな~」
「あの人と付き合ってたらショック…」
「色恋は分かんねえけど、只者じゃないだろあいつ。カルアレロス準導師の傍を離れないのもあっけど、色男と一緒でどんなに身体動かしても顔色1つ変えねえし、素人目にも隙が無いって感じ」
「衛兵のパワハラ話を聞かないのも納得…」
それまで話し合っていたのも束の間、突如沈黙が部屋一帯を包み込む。お茶でも切れたのかとコップを覗くが、もちろん因果関係は無い。
講義を通して大学外の実力を体験し、互いに思う所があったのだろう。魔術師を目指し、研磨してきた技術が通用しなかった現実に言葉が出て来ない。
井の中の蛙であった事が身に染みた所で、ふとレマイラが顔を上げる。
「…さて、午後からの予定はどんな感じなんだ?」
強引に話を変え、辛気臭い空気が苦手な彼女らしい手法にザーリーンが笑う。だが筋肉痛に表情はすぐに歪んでしまい、カミリアが支えながらベッドに移行した。
少なくとも彼女の予定は決まり、残る話し相手はあと1人。チラッとカミリアが一瞥されるも、薬草学の小テスト勉強を溜息混じりに零す。
試験そのものは苦手だが、それ以前に不安を覚えるのは留守組が2人。そして外出組が1人になってしまうこと。
申し訳なさそうに見つめられるレマイラも、仕方ないとばかりに頭を撫でつける。
「まっ、バイトするだけだから心配すんなって。帰りに何か美味い物でも買って…」
「そうだ!パスカルを連れてけば、2人になると思うよ~」
「…はぁっ?」
「パスカル…?」
重苦しい空気の中、素っ頓狂な声を上げるカミリアにレマイラは動揺を。ザーリーンも思わず顔を上げ、ルームメイトがベッド下に潜る姿を見守る。
やがてグッと両手に抱えていたのは、他でも無い部屋の新たな住人だった。
「名前。もしかして…」
「ふっふ~ん。魔法大学を創った“パスカル・グレリンガル”のお名前をお貸りしました~。ドヤ~っ」
「…偉業を成し遂げた自分の名前を犬や猫に付けられんのも嫌だな…ってそんな話じゃなくて、何が寂しくて獣畜生を連れ歩かなきゃならないんだよ!」
「ずっと部屋に置いとくのもストレスかな~って」
「ウチの精神が擦り減らされるわっ!大体見つかればウチら全員がヤバいって、昨日話したばっかだろ?」
「“賢い”事が一緒に判明したのも事実…」
全面的に案が否定されるが、思わぬ人物からの後押しに視線はザーリーンへ集まる。筋肉痛に苦しめられてはいたものの、彼女の瞳はアライグマを捉えていた。
そして淑女協定に従うなら、多数決では2対1。レマイラに口を挟む余地はなく、程なく諦めて受け取るために腕を伸ばした時。
ペシンっと小さな手に叩き落とされ、ふてぶてしい視線で見つめ返される。
「……上等だ、コノヤロウっ」
「ケンカがだ~め。パスカルも仲良くしないとだよ~?」
カミリアの膝にトンっと乗せ、彼の顔を上から覗き込むが、視線が交わる事は無い。その瞳はなおもレマイラに向けられ、彼女もまた親の仇が如く睨み返していた。