187.街頭演説
大学の中央区画を占めるミドルバザードは、今日も客と店員でひしめいている。
導師に学徒。店員や運び屋を担うアーザーが行き交い、公共のマナーとばかりに声は潜められていた。
自己主張は控えられ、誰もが雑踏の一部に徹するがゆえ。必然的に注目を集める手段は、単純かつ容易く行動に移せた。
「……ほ、本当に大丈夫なのかね?」
「私とオルドレッド。それに信用してきた馴染みの護衛が2人もついてるんだぞ?胸を張ってやってくれ」
「いつでも動けるようにしておくけれど、何かあればアーザーの区画にすぐ戻るわよ」
短い打ち合わせを済ませ、少し距離を置いた所でバーティミエルが嘆息を吐く。それから飲食店の机が引っ張り出され、街路と店内の境界線ぎりぎりに配置。
椅子2脚を机下に押し込み、グラつきを抑えればお立ち台が完成される。
すかさずバーティミエルが乗れば、たちまち通行人の注意を否応なく惹いた。
「…おほん。我が名はバーティミエル・ナサニアス。導師としての功績や実積も無くば、後ろ盾も無い老人に過ぎん。だが未来ある若人が少しでも大学の在り方に…己の先行きに疑問を持つならば、儂の話を聞いて欲しい…」
見知った存在にまずはアーザーが反応し、血迷った行動に驚愕を示す。学徒もミドルバザードでは滅多に見ない奇行に加え、足元を固める瓜2つの護衛。
加えて“話題の冒険者”が離れた場所で佇む光景に、つい足を止めてしまう。
落ち着いた声で告げられた言葉も、演説よりは嘆願に近い。それでも喧騒とは無縁のミドルバザードにおいて、彼の声量は十分通用した。
興味本位で集まった人だかりも、やがて耳を傾けるに値すると判断したのだろう。1度でも話を聞けば誰もが足を止め、バーティミエルの虜になっていく。
徐々に聴衆も膨らむが、幸い演壇の場所はミドルバザードの隅にある寂れた飲食店。カルアレロスの“刺客”と会話を交わした場所ゆえ、通行人の邪魔にもならない。
そんな演説風景を他人事のように眺め、ふと店員が近付けば水を勧められる。当然オルドレッドは警戒するが、対してアデランテは迷わず喉へ流し込んだ。
「ありがとうな」
ケロっとした様子で店員に笑みを見せれば、すぐさまお盆で顔が隠れてしまう。店の奥へ消える背中を見届け、ふと感じた視線を辿ればオルドレッドと目が合った。
怪訝そうに睨まれるが、すぐにグラスを空にした彼女は口元をグッと拭った。
「……難なく彼が釈放されたのも驚かされたけど、保釈金も払わずに出て来られたのが不思議で仕方ないわ。最悪“ダルグレイ”だってバレて、お金の問題じゃ済まない場合も視野に入れてたのよ?」
「大学長が代わる度に制度もコロっと変わるんだ。“記録の管理”が杜撰なおかげで助かったと思えば良いんじゃないか?首の鉄枷も外せないから看守連中も強くは言えなかったみたいだし、あそこに立ってるのはアーザーでも無ければ、元大学長だった男でもない。何も問題は無いさ」
「…護衛2人が区画に入るための前科も記録に無くって、本人たちも驚いてたのよ?何をしてバーティミエルさんの後を追ったのか聞くつもりはないけれど」
いまだ納得はしておらずとも、アデランテと過ごした時間が感覚を弛緩させたのか。理解の及ばぬ事象は些細な事とばかりに首を振り、胸を持ち上げるように腕を組む。
再び意識を演説へ傾ければ、聞かされるのは大学の全貌そのもの。学び舎としての機能は一握りであり、獣の巣窟同然の街に住む彼らは果たして“知識人”なのか。
暴力と裏切りが前提の環境に身を置く彼らは、魔術を行使する山賊に他ならないのではないか。
真実と言えど暴言に等しい物言いに、しかし聴衆から反論の声は無かった。心当たりがあった事はもちろん、彼の主張を後押ししたのは“実戦力学”の講義に他ならない。
人気を誇る魔晶石学の合同講義により、多くの学徒がこぞって参加し、そして冒険者たちに捻じ伏せられた事で現実を知った。
魔術が万能ではなく、まだまだ発展途上の“力”である事。自身が思っている以上に力不足で、能力の低さは通常ならば落第者に直結する評価。
だからこそ実力者に擦り寄り、あるいは他者を蹴落とす事で総合的に優位へ就く。そんな“野蛮”な生き方が、彼らの理想とする魔術師像なのか。
しかし魔術師とは選ばれし者の特権階級ではなく、新たな力の探求者である事を。守る力を身に着け、弱気を救うための手段である事をバーティミエルは説く。
その間も語り手は大声を出すわけでも、増してや覇気を備えているわけでもない。見た目相応に落ち着いた様子で語り、まるで子供へ聞かせるように。
小難しい話も抜きに、あくまで大学の現実と具体的な未来像について告げるだけ。
だと言うのに学徒はおろか、気付けば道行く導師すら足を止めていた。時折通りがかる他候補の水晶演説に至っては、迷惑そうに睨みつけている。
「…随分と皆熱心に耳を傾けてるのね」
「漠然とした大学の未来じゃなく、自分たちの今について話してるからな。理想ばかりを夢見る連中と現実を語る男とじゃ、隔たりが出るのも当たり前さ」
「あら、彼があなたの推し候補だったなんて知らなかったわ」
「神様じゃなくっても必死な奴の声くらい聞こえるさ…だからオルドレッドも話に乗ったんじゃないのか?」
周囲を警戒がてら。オルドレッドを一瞥すれば、長い耳の揺れが演説への関心を示す。付き合いの長さで気付けた事柄かはともかく、アデランテの視線に気付いたのだろう。
ムッと見つめ返されるが、すぐに注意は聴衆へと向けられる。
「……私たち、こんな事してて大丈夫なのかしら。納得してる上で彼に協力してると言っても、曲がりなりにもカルアレロス様の“対立候補”を応援してるのよ?」
「私らが今受けてる依頼は“実行犯と依頼した証拠の確保”なんだ。前者が消えてしまった以上、残った後者を守るのは当然だろう?」
「帳簿を所持する証言者として、って事?詭弁も良い所ね…それにしても本当に彼が大学長になるなんて可能なのかしら。あなたが言うと全部出来ちゃう気がして、つい流されてしまったけれど…」
「当選は投票じゃなくて、より多くの人間を陣営に取り込んだ時点で勝つんだろ?それに導師じゃなきゃ当選できないなんて話は聞いてないぞ」
(…聞いてないよな?)
【認識に相違は無い】
「……ほんっと、突飛な発想と言うか、揚げ足を取るのがお上手ですこと」
「汚れ仕事は慣れてるからな」
からから笑えば怪訝そうに横目で睨まれたが、彼女が言葉を続ける事は無い。これまで行なってきた数々の“蛮勇”がよぎったのか。
ぷいっとそっぽを向く彼女に微笑み、アデランテもまた護衛の任に戻った。聴衆が増える事は喜ばしいが、同時に刺客が紛れる絶好の機会でもある。
周囲の警戒を強化するも、一方で浮かぶのは“他の要素”ばかり。早々にバーティミエルの声を意識から切り離せば、1人思考に耽っていく。
選挙がどのような結末を迎えるのであれ、一通り役者も舞台も整った。バーティミエルが有するコネも駆使し、デミトリアの内部も調査中。
うまくいけば魔物の“発注者”はもちろん、取引先も判明するかもしれない。力の及ばない問題はバーティミエルの人脈に任せ、意識を目下の疑念へ引き戻す。
次に浮かぶのは大学の事でもなく、臓書に姿を現す金糸の娘“ロゼッタ”。バーティミエルの鉄枷の事を知って以来、まず力づくで彼女の足から外せない事。
加えて少女が魔術師であるなら、臓書を出入りできる謎も不思議と納得がいく。だが魔術を封じられた彼女が、どのようにしてアデランテの心の内に入り込むのか。
奴隷商に引き渡された時点で嵌めていた事から、装着した魔術師も判然としない。いつかロゼッタから聞き出せれば幸いだが、幼気な少女から聞くのも酷。
そして鉄枷が遺物同然であり、大学で普及する最新の物が彼女に使われていない理由とは。
ぐるぐる思考を巡らすも、狭い思考の檻では浮かぶ答えも限られる。仮に臓書へ降りたところで、ウーフニールからも答えは得られないだろう。
むしろ強情に迫れば、ロゼッタを摂り込んで回答を得ようとするに違いない。
大学の災厄よりも難解な事態に頭を悩ますが、ふと顔を上げてパートナーを見やった。ロゼッタの鉄枷を思い浮かべた拍子に、オルドレッドの足が視界に収められる。
【傷は概ね回復済み】
「うぉぉおッ!?」
油断し切っていたのもあるだろう。挙句に背筋を這うように囁かれた声音に、思わず声と身体が反り返る。
奇声にオルドレッドはおろか、一部の聴衆すら反応するが彼らの扱いも慣れたもの。笑顔で誤魔化し、ジッと見つめ返せば自ずと相手が視線を逸らす。
いまだ驚くオルドレッドにも、忘れていた事を思い出したと口パクで告げるだけ。
それでも予想通り。怪訝そうに睨まれるが、今はバーティミエルが演説中。加えて問題は無いと彼女に主張すれば、無理に追及される事も無い。
ようやく視線が逸らされたところでホッとし、胸をギュッと握り締める。
(いきなり脅かすなよな?爺さんの護衛が奇声を上げる奴だなんて噂が広がったら、どうするつもりなんだ!)
【興味は無い。貴様の疑問に答えたまでだ】
(…オルドレッドの足の事か?それはまぁ最初に見た時傷も結構深かったし、心配どころか区画の離脱も考えてたからな。一応足を引きずったりはしてないみたいだけど)
【通常時の歩行に比べ、特段差異は確認できない。容態は順調に回復している模様】
(爺さんに貰った薬草のおかげなんだろうが…回復魔法は身体に負担を掛けるんだってな。私の身体が疼く理由も何となく納得できた)
【貴様が嬌声を上げる口実にはならん】
(少しくらいは良いだろ?いや、別に変な声を上げたいわけでも無いけどさ。これでもバラバラの身体を治してもらった身なんだぞ?我慢はするけど、あんま指摘しないでくれよ)
心中の唸り声を聞きながら微笑み、手を何度も開閉して身体の調子を確認する。指を如何に動かそうと意のままに操れ、呼吸をすれば空気が肺の隅々まで渡っていく。
どんな傷でも立ちどころに癒える、祝福された呪われし身体は今日も万全。オルドレッドの盾となり矛となる準備は常に整い、店員から3杯目の水を渡される。
(……そういえばアミュレットの件ってどうなってるんだ?)
サッと飲み干した所でふと店内を見回し、隅の机に視線を落とす。変哲も無い家具でしかないのに、呼び水が如く青年と会話した記憶が押し寄せる。
もっとも内容は大半が思い出せず、依頼の品が“大切なアミュレット”であった事。挙句に記憶の中の彼は姿形がボヤけ、すれ違っても気付けないだろう。
むしろウーフニールに“女であった”等と嘘を吐かれても信じたかもしれない。
それでも不思議と頭の片隅に留めていたのは、大切な物を取り戻すためなら、殺人すら厭わなかった青年の覚悟ゆえ。
彼のような“犠牲者”を出さないためにも、やはりバーティミエルの当選が望ましいだろう。
むしろそうである事を願い、ウーフニールに質問した事すら忘却した刹那。
【――依頼は完了している】
ポツリと告げられた腹底を這う声に、疑問符が無数に浮かぶ。依頼を丸投げしたのは事実であれ、“完了”とはどういう事か。
再び質問を投げようとした途端、突如オルドレッドの短い嬌声が響く。
驚いて向き直れば胸を苦しそうに抱え、素早く近付けばソッと傍に寄り添った。咄嗟に腕を胸元に伸ばしたが、ガッと手首を掴まれて行動を制される。
耳まで赤くしたオルドレッドと途端に目が合ったものの、視線はすぐに胸の谷間へ。引き抜かれた書状へ移され、赤く光る様相はレミオロメの呼び出しに他ならない。
アデランテの頬まで伝わる紙の熱気が、オルドレッドを“刺激”したのだろう。不本意そうに書状をポーチへ放り込めば、聴衆の視線を振り切るように歩き出した。
去り際に双子へ合図を送り、バーティミエルの護衛を長年仕えた彼らに任せ、雑踏の脇を抜けようとした時。
突如群衆の中から小さな影が飛び出し、勢いよく地面を這っていった。そのままアデランテの身体を登るや、遅れて隊列から現れた人影に注意を向ける。
絞り出すように身体を押し出したためか。反動で前のめりに倒れ、咄嗟に受け止めれば小さな悲鳴を最後に事態はすぐに落ち着いた。
突然の事にしばし目を瞬かせたものの、やがて人影がゆっくり顔を上げるや。アデランテの妖瞳を真正面から見据え、互いに呆然とその場に立ち尽くした。