181.ひび割れた酒瓶
店主が胡散臭そうに入店した客を睨めば、座っていた男も異変に気付く。振り返れば区画の者でもなく、大学の衛士でも無い事は一目瞭然。
裏地区の入口で魔物と対峙していた、冒険者2名に他ならなかった。
ハッと我に返ればすぐに一般客を装うが、不審な挙動は素人目にも怪しく見えたろう。何よりも彼自身の表情が、ありありと心の内を物語っていた。
「――あんた…魔物を運んだ連中の1人だろ?」
アデランテがカウンターに寄り掛かるや、第一声に男はビクリと肩を震わす。血の気が失せた顔に汗が流れ、誤魔化すように酒を喉へ流し込む。
「……俺は何も知らねえよ。人違いじゃねえのか?」
「現場に残された足跡が一致してるんだ。余計な話は省かせてもらいたいんだがな」
「足跡だぁ?俺は馬の化け物の事なんざ知らねえぜ。ここでずっと酒を飲んでたんだからよ…なぁ?」
グラスを掲げて店主に合図を出すが、彼が応じる事は無い。
もともと愛想が悪いのか。それとも話に関わりたくないのか。
せめてもの相槌に、追加の酒がグラスへごぼごぼ注がれていく。
「馬の話…もまぁあるけど、聞いてるのはソッチの事じゃない。森の中でデッカイ木箱を運んだろう?」
笑みを浮かべたのも束の間、傾けたグラスが宙で止まる。恐る恐る顔を向ければ、左右非対称の瞳が容赦なく男を射抜く。
背後にはオルドレッドの気配も感じられ、逃げ場は何処にもない。救いを求めるように店主を見るが、やはり厄介事は御免なのだろう。
不穏な会話内容に、背を向けた挙句に奥で作業を始めている。
一行に関わる気はなくとも、話には興味があるらしい。
「えーっと、【グラント。ドニー。マルシャス。ブロイテン。ダニカ。ガダフィ】。全員あんたのお仲間だな?」
「…な、何だよ。ソイツらが俺の事でも話したってのか?」
「どうだかな。だが馬の件に深く関わってない事は少なくとも知ってる。話し辛いなら場所を変えても良いぞ」
「……念の為に言っておくけれど彼の“尋問”。恐ろしく的確で容赦ないわよ?あなたの仕事仲間を何処かで聞き出してくる位にはねっ」
割り込むようにオルドレッドが口を挟むも、視線はアデランテに向けられている。情報の出所を男以上に訝しんでいたが、聞き出すつもりは無いらしい。
パートナー契約の信用ゆえか。あるいは理解を放棄したのだろう。
少なくとも男の反応から出鱈目ではない事を理解し、尋問に迷わず加わっていた。
「それに魔物を持ち込んだなんて知れたら、いくら密輸が盛んな町でも流石に“2度”も騒ぎを起こしたらまずいんじゃないかしら?」
「重要参考人だから他の連中に手を出されても困るけどな」
「あら意外ね。手荒な事をするのが流儀なのかと思っていたのだけれど?」
「相手にもよるさ。言葉で分からないなら他に手はないし、1番手っ取り早い方法なのも事実だしな」
「だそうよ?ダークホースも回収して今頃はバーティミエルさんの所へ運ばれてるでしょうし、生き残ったあなたが主犯と言う筋書きが確定しそうね」
「ま、待ってくれ…」
「話す気になった?あまりゆっくりしてると、私たちより優しくない人たちが来て、尋問を引き継ぐかもしれないわよ?」
「協力する気がある内は手出しをさせないさ……少なくとも生きて引き渡す事は無いかもしれないが…」
不自然に顔を逸らすアデランテに、オルドレッドの視線が突き刺さる。複雑な心境が両者の表情に浮かぶも、2人の変化に気を配れる余裕は男に無い。
瞳は不規則に震え、縋るように見つめた店主もカウンターを離れていく。
そのまま追っていけば、店内にいた他の客も知らぬ間に姿を消していた。誰もが厄介事は御免らしく、開け放たれた扉を閉めた店主も裏口へ去る。
客入りもこれからだったろうに、営業できるのも全ては命あっての物種。災厄を免れるためにも情報は大事だが、知り過ぎるのも危険と判断したのだろう。
店主たちの対応に背中を押され、取り残された男は重い溜息を吐く。
“空中戦”も一部始終を見ていたとはいえ、強引に逃げ出せない事は百も承知。何よりも逃亡した所で、酒場に辿り着けた冒険者が何処までも追ってくるのは目に見えている。
その時は“友好的”に話しかけてくる保証も全く無い。
男の顔色はますます悪くなるが、気持ちに反して腕は独りでに動く。店主が餞別に置いた酒瓶を掴み、グイっと一気に呷った。
「…手出し云々って話だがよ。情報を聞き出し終わったら始末する、なんて事はないよな?」
「一応報告は爺さん…【バーティミエル】を先に通す事になってるんだ。あんたの処遇は私らが決める事じゃないが、大人しく協力するならそれまでは護衛対象も同然さ」
「……衛士共に突き出さねえのか?」
「そうしてほしいのなら私は構わなくてよ?」
アデランテに倣い、オルドレッドもカウンターに寄り掛かる。男の視線は一端彼女の胸へ向くが、下心が込み上げる程の余裕はない。
名残惜しむように顔を逸らせば、酒を呷りながら深い溜息と共に情報を吐いた。
大学の外へ通じる下水路の存在を始め、住人の生活を豊かにする密輸品の数々。しかし中には、彼らの想像を絶する“商品”も実在している。
「――それが魔物の取引なのか?」
「素材やら魔術の研究やらで使うって話だ。大抵はデミトリアから発注が来るんだけどな」
(デミトリアって何だ?)
【大学敷地内外の出入りを管理し、扉から別の空間へ転移する魔法陣を管轄する部署だ…以前も同様の問いに答えたはずだが】
(覚える事が多すぎて、いつも以上に余裕がないんだよ…)
「依頼者は知っているの?」
「さてね。グラントが依頼を受けて、俺らは従うだけだったからな」
「…今の話、本当でしょうね」
「大丈夫だ。今のところ嘘は吐いてない」
オルドレッドの疑惑に満ちた瞳は、アデランテの声で落ち着く。代わりに男の方が動揺し、思わず自身の顔を擦った。
そんなに考えが表情に出やすい人間だったのか。ふと浮かんだ疑問も、すぐに話の続きを催促されてどうでも良くなった。
一連の出来事に罪悪感は無いが、恐ろしい事態に巻き込まれた事は自覚している。我が身を守るためにも腹の内を晒せば、驚く程秘密はポロポロ流れ出ていく。
外へ繋がる通路を確保できれば、その交易は大学内まで広がる。学徒から講師陣まで幅広い顧客がいる中で、男たちの“大手”取引先はデミトリア。
“魔物”や様々な嗜好品を運ぶ見返りに、植物学を駆使したクスリや酒を渡される
。それらをアーザーで販売し、確固たる地位と生活が約束されるのも一時だけ。
美酒を味わうためには、相応の覚悟や犠牲を伴わねばならない。
そもそも通路の発見自体が容易ではなく、中には掘り進めて落盤に遭った者もいる。ようやく開通できた所で、今度は存在の秘匿が必須。
競合にバレた場合は爆破による妨害や、武力介入などの脅威に晒されてしまう。取引が表沙汰になる事も伏せ、なおかつ表向きは貧乏人のふり。
神経を擦り減らす生活を続ける中、通路の維持もまた大いに彼らを悩ませた。
「俺らは古い下水路を使ってたんだがよ。御覧の通り雨が降れば、何もかもが水没しやがる。飛び出した馬の化物も、地下に運ばれたところで溺れかけて暴れたって所だろうな」
「お仲間は溺死したと思うか?」
「珍しい事じゃねえ。密輸稼業じゃ良くあるこった。苦労して持ち込んだ物が流されるなら、まだ良い方だ」
「ビバサウルスを運び込んだ事は認めるのね?」
「…何だその、ビバ何ちゃらってのは」
「森にデカイ木箱を運んた時の話だ」
「あぁ、そうだよ。俺らで運んだのは確かだ…だが妙な依頼だったっつーか、何つーか…」
歯切れが悪い男に耳を傾ければ、再び酒を呷って燃料が補給される。
普段なら近場の魔法陣まで運ぶはずが、指定された場所は大グラウンド近く。面倒だと思いながらも、ただ距離が伸びた程度の要求。
特に気にする事もなく運ぶが、その日はやはり勝手が違った。
デミトリアから支給された麻酔が切れ、暴走した荷が木箱を破って逃亡。負傷者まで出した依頼に撤退し、裏地区の奥で潜伏していた矢先だった。
“表”の騒動にも関わらず、次の依頼が彼らに舞い込んでしまう。
「言っとくが俺は反対したんだ!ぜってー何かおかしいってなっ!だがグラントは前金で2倍貰ったとかで、結局仕事を決行しやがったんだよ。これだから野心家は…っ」
「2倍の報酬、ね…その話はいつ、どうやって取り決めたのかしら?ココで?それとも大学?」
「騒ぎの後はずっとコッチに潜んでたからな。裏地区でじゃねえのか?」
「そもそも入手経路はどうなってるんだ?外でいちいち相手が待ってるわけじゃないんだろ?」
「俺らが魔術師どもから受け取ったクスリやら酒やらを箱に詰めて下水路に置いとけば、次に行った時には外の物とすり替わってるって寸法だ。外で動いてる連中は元冒険者のマルシャスの繋がりなんで、どんな奴らか会った事はねえがな」
「……外に繋がってるのなら、ココから出たいって思うのが普通だと思うのだけれど」
「町から出れば山賊や魔物がいる。道端にいれば白い目で見られて、下手すりゃ衛兵に捕まる。それに引き換えアーザーは壁に囲まれてるわ、税金は払わなくていいわで、ノウハウさえ分かれば生活にも困らねえ安全な場所なんだよ」
酒気を溜息ともども男は零すが、人生は太く短く。病や負傷のリスクも厭わず、好きなように歩む輩が区画に残るのだとのたまう。
半ばヤケにも聞こえる発言でも、問題は男の生き様ではない。魔物を売る商売が世に成り立ち、すでにアデランテも2度現場に遭遇している事だった。
最初はバルジの町において、山賊の巣窟で囚われたトロールを。次に“神様の依頼”で向かい、ガラスの都で開かれた催しのオーガ。
運搬を担っているのが冒険者であり、知識を悪用しての商売なのだろう。険しい表情を浮かべるや、ふいにオルドレッドと目が合った。
大学長選挙を超える問題に、同じ結論に達したらしい。調査には大学を出る他ないが、今は目先の事態を収束させる事が先決。
入手経路は把握できても、黒幕はアーザーを間に挟んで足跡を煙に巻いている。相手の顔が見えてこず、チラッと男を一瞥すれば酒を飲む手が止まった。
「ところで1回目に運んだ時、負傷者が出たって話だったな。そいつらは今どこにいる?」
「人手が必要ってんで、無理やり連れてかれちまったよ。今頃は雨で溺れ死んだか、生き埋めってとこじゃねえか?」
「お仲間って割には、随分素っ気ないのね」
「死人が出る仕事なんだ。入れ替わりなんざ日常茶飯事だよ。今となっちゃ、残ったのは俺だけになっちまったがな…」
「…つまりお前が唯一の“有力な”生き証人ってわけだ」
再び呷ろうとした手が止まり、ぎこちない視線はアデランテに向けられる。話はいくらでもするが、これ以上関わりたくはないのだろう。
仲間の死と情報漏洩を手切れ金にする魂胆が、ありありと男の顔に浮かぶ。左右を挟む冒険者たちを交互に見つめ、突き刺さる無言の訴えに汗が止まらない。
「…い、言っとくけどよ。俺は本っっっ当に、これ以上何も知らねえんだ!!もともとグラントとは賭け仲間で、荷物の運搬しか手伝ってなかったんだからよっ」
「ならクスリと酒を大学から受け取ってる奴は知ってるはずだろ?話を聞く限りでは、あんたが大学を出入りしてるわけじゃなさそうだし、入手元の奴は下水路での運搬に携わってないんじゃないか?」
「……大学内に行くのは“調達屋”の仕事だ」
「なら案内してくれ」
事もなくアデランテは告げ、ジッと見ていた男は視線を逸らすや、溜息を酒で隠す。
仲間を売る気はないが、事態はすでに手が負えない所まで来ている。仮に断った所で、少なくとも冒険者たちが男の下まで辿り着けたのだ。
後から来る衛士や、もっと恐ろしい一団が遅かれ早かれ制裁に乗り出すはず。
ならば“穏健派”のバーティミエルと組む彼女らに従った方が百倍マシ。何よりも吠える度胸があれば、最初から下っ端として生活もしていなかったろう。
むしろ瞳の色が違う冒険者の言う通り、区画から逃げ出していたかもしれない。
自らの奴隷根性に酒臭い呼気を漏らすや、気怠そうに立ち上がって2人を先導する。酔いも回らず、クスリをやったところで気持ちが鎮まるとも思えなかった。
それでも今出来る事があるとすれば、乗り掛かった舟が行き着く場所まで追従する事だけ。
もう1度溜息を吐けば店主の餞別を抱え、背後の足音も携えて店を後にした。持参した土産で少しは“調達屋”も気を許してくれる事を祈って。