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180.ゴンドラ遊覧

 湖に沈む裏地区は“表”の区画に比べて高層建築が多い。大学として機能する前は、ひとえに貧民層を押し込める区画であったがゆえに。


 部屋の広さは魔物が居座れる規模でも、実際は何世帯もの家族を押し込めていた。

 家畜さながらに生活を余儀なくされ、今もアーザーが。ならず者たちが寄り集まって生活している。


 洪水の際は階下を犠牲にし、あとは建物沿いに樽を結んだ板切れを浮かべるだけ。表の区画に同じく漂流物を拾い、黙々と雨天時の生活を続けている。

 中には建物の窓枠に座り、酒や煙草に興じる者。薬物で生気が抜けている住人も見かけ、憲兵団の奮闘も芳しくないらしい。

 陽の光が高層階に遮られているのも相まって、陰鬱とした空気が一帯を包んでいる。


 路地裏よりも陰気な様相の中、小舟で進むアデランテは後方で船頭のように櫂を漕ぎ。一方でオルドレッドは前方に黙って座り込んでいる。

 念の為に警戒は続けているが、それでも視線は何度もパートナーに向いてしまう。出立してから1度も口を開かず、今も膝を抱えたまま振り返る気配は無い。


 当然顔も見えないが、それでも彼女の赤く染まった耳が度々注意を惹いた。


(……やっぱり乱暴に扱い過ぎたかな。犬の尻尾も掴んだら、思いっきり噛みつかれた事あったし…)

【何があった】

(団員で飼ってた野良犬が私にだけ懐いてくれなくてな。少しでも撫でたいと思って…まぁギュッと握ったのがまずかったんだろうけどさ。おかげで手に穴が開くわ、危うく指を失くしそうになるわで、大変だったんだ)

【貴様の失態に興味はない。ダークホース回収時に見せた気性の荒さは、今だかつて観測した事はなかった】

(…あぁ……まぁ、殺った男がオルドレッドを馬鹿にした気がして少し…いや、無性に腹が立った。反省はしてるけど、後悔はしてないかな…お咎めがあるなら聞くぞ)

【心情の変化把握。記憶領域の拡張を開始する】


「…何が何だって?」


 唐突な話題の変化に思わず声を上げれば、驚いたオルドレッドも振り返った。目が合えばすぐに前を向いてしまうが、アデランテに忍耐力の三文字は無い。

 オールを引き上げるや、持ち手を伸ばして軽く彼女の後頭部を小突いた。


 直後にキッと睨まれるが、アデランテもまたオルドレッドを見つめ返す。

 

「前にも言ったけど、私は言われないと分からない性分なんだ。黙っていられるより、怒鳴られてる方がまだ気楽…って言うのも変な話だけどな」

「…整理中だから、もう少し待って」

「話しながらじゃダメなのか?」


 首を傾げながら尋ねれば、途端に怪訝そうな表情が和らぐ。そのまま互いに見つめ合うも、すぐに前方へ向き直って再び顔を逸らされてしまう。

 

「それじゃあ…聞かせて欲しいのだけれど」


 膝を抱えたままポツリと呟けば、水面を伝うように声が木霊する。視線が交わる事はないが、会話には応じるつもりらしい。

 時折顔を背後に傾ける様子に、完全に振り返るまで長くは掛からないだろう。


「あなたの手。それと身体も……一瞬しか見ていないとはいえ、火傷や打撲痕がなかったのは…何故?一応言っておくと怪我をしてないのなら、それに越した事は無いのよ?」

「んんー…そうだなぁ」


(たすけてくれ)

【冷水は温度を下げる効果がある】


「そ、それはだな!鎖も私も濡れてたろ?だから言うほど熱くはなかったし、蹴られたのも相手の姿勢が悪くて、実は大した事がなかったんだ。それに傷の治りが早くて、頑丈なのが私の取柄でな」

「……ダークホースの死骸。頭が無かったのは?」

「爆発した時に吹っ飛んだんじゃないか?おかげで私も巻き込まれずに済んだと言うか…」


 思いつく限りの噓八百を並べるも、オルドレッドが異を唱える気配はない。語る間に顔を見られずに済んだのは幸いだが、反応が無いのも不安を覚える。

 ジッと見つめていれば、背中に刺さった視線が気になったのか。溜息を吐くように言葉を紡けば、肩越しにアデランテを見つめてきた。


「……剣。落下地点の修正に使っていたけれど…」

「おぉ、あれか!オルドレッドが魔物の突進を躱した時の動きを参考にしたんだ。上手くいって良かったよ」

「ソレ、欠けたりしてない?着水する前に凄い音が聞こえたわよ。大学じゃ武器なんて手に入らないでしょうし、最悪“この町”で入手できないか優先して探した方がいいわね」

「安心してくれ。私の剣も頑丈さが売りなんだ。むしろそのせいで……?」

 

 ビッと自身を指した所で、次第に勢いが薄れていく。何か忘れているような気がしてならず、1つずつ記憶を手繰り寄せてみる。

 

 水没した町。

 小舟での移動。

 魔物との空中戦。


 そして桟橋における首斬り獄門。


(…そういえばさ。剣に切れ味があったけど、何か摂り込んでたっけか?最近は魔物と特に戦ってない…と思うし、刃の整備も全然してないはずだしな)

【過去の負傷記録より再現した。現在の基準値は右頬の傷痕に準拠している】

(語彙力が足りなくて悪いけど、相変わらず器用な事してるなぁ…いつから出来るようになったんだ?屋敷の後にカミサマと会った時か?)

【詳細な時期は不明。事前の試験運用に伴い、問題なく機能する事が証明されたゆえに導入したまで】

(……事前の試験運用?)


 引っかかる単語に疑問符が浮かぶも、風に吹かれた霧の如く彼の声も消えていく。漠然とした不安にもう1度尋ねようとしたが、自ずと視界にオルドレッドが映った。


 不自然な会話の途切れを訝しみ、向けられた鋭い眼差しに慌てて話題を変える。


「と、ところで魔物の弱点って何かあったのか?正直出たとこ勝負だったから、結構ビクビクしてたんだ」

「あれで?…でもそうねぇ。強いて挙げるなら、大抵は口内とか目が弱点よ。致命傷にならなくても、大抵はそれだけで怯むし、興奮しても潰れた視界に回り込めば時間も稼げるわ。口の中にダメージを与えれば食欲も減らせるわよ」

「口と目、となれば飛び道具が主流かぁ…」

「必要ならショートボウがお勧めね。安くて軽い。持ち運びも便利。矢尻も慣れてくれば河原の石なんかで作れるから、私は重宝してるわ」

 

 冒険者の話題に活気づき、オルドレッドも徐々にアデランテへ向き直る。

 鬱々とした表情も影を潜み、先輩として。パートナーとしての逞しい顔が、そこにはあった。

 

 それから話は魔物の対応評価に移り、アデランテの点数は百点満点。あえて苦言を呈すなら、飛び立つ前に仕留めれば大空で戦わずに済んだ事だろう。

 しかしオルドレッドも強く言えた義理ではない。裏から建物へ回った際、野次馬の舟に邪魔された挙句に乗員にまで絡まれた。


 当時の事を思い出したように頬を膨らませ、無事に合流を果たせれば。共に魔物を仕留める事が出来れば、空中戦を興じずに済んだかもしれない。

 魔晶石も全て使われずに済んだろうと、スカスカになった腰のポーチを叩いた。


 直後にアデランテが弁済を申し入れたが、オルドレッドは断固として承諾せず、「必要経費だから」と頑なに拒絶する。


「命はお金に代えられないわ…」


 そして何よりも。ふと陰りを見せた儚い笑みに、それ以上語り掛ける事は出来なかった。

 その一言の重みは彼女が1番理解し、そしてアデランテにとっては縁の無い言葉。

 

 確かに金には代えられないが、“力”に変える事は出来た。左手を何度も開閉し、オールを握る手にもグッと力を入れる。

 失ったはずの肉体は元通りに復元され、偽りの身体が今も動いてくれている。物思いに耽る前に顔を振って鬱憤を払い、ふと脳裏をよぎった言葉を紡いだ。


「――空から落ちた時、“言っておきたかったこと”って魔晶石の事だったのか?」


 疑問符を浮かべるアデランテに、一瞬呆けたオルドレッドが途端に目を見開く。再び前に向き直ってしまい、重い沈黙が小舟の上に漂ってしまう。


 唐突な空気の変化に、また地雷を踏んでしまったのか。困り顔で彼女のうなじを見つめた所で、答えが浮かぶわけでもない。

 自力で導けるはずもなく、ウーフニールに乞うても【知らん】と一蹴されるだけ。


 無音の溜息を零しながらオールを漕ぎ、気付けば到着地は目と鼻の先。桟橋に引かれた青い煙は、とある建物の前で止まっていた。


「着いたぞ」


 ポツリと零せば、流石のオルドレッドも顔を上げた。視線の先には酒場と分かる店構えが佇み、次に彼女の瞳はアデランテに向けられる。

 まるで地元民が如く案内された場所に、疑問が湧くのは当然。目的地も知らずについてきた彼女にとっては、不可解な事この上ないのだろう。



 だが大グラウンドの森に残された足跡に符合する水跡が、桟橋で発見された等と。

 その後も僅かに残った泥や土埃、水滴を追って舟を漕いでいた等と。

 “青い煙”を辿り、酒場に導かれた等と説明できるはずもない。

 

 言い訳の在庫はとっくに切れ、記憶を必死に手繰り寄せる最中。逃げるように小舟を降りた所で、ふいに腕を掴まれる。

 強引に振り返らされ、眼前に迫ったオルドレッドに掛ける言葉も見つからない。焦燥感を露わにするや、幸い彼女から追及される事はなかった。



 代わりに懐からハンカチを取り出し、頬にあてがわれると人肌の温もりが。オルドレッドの香りが鼻腔をくすぐり、愛でるように顔を拭われていく。


「…もう細かい事は聞かないわ。私を信じてパートナー契約を結んでくれたのに、あなたを疑うのも間違っているものね」


 ニッコリ微笑んでくれるオルドレッドに、グサリと心臓を何かが突き刺した。オーベロンに握られた時に比べれば遥かに軽いが、動悸は増々激しく打っている。

 ひとえに“極まった罪悪感”というものだろう。


「それに……あ、あんな事して、ごめんなさい…そのせいで男たちに嘗められて、酷い事までさせちゃって…」

「……やっぱり耳がまだ痛むのか?」

「…ふぇ?」


 顔を逸らしたオルドレッドの手首を掴み、1歩近付けば思った事をそのまま告げた。しかし斜め上の話題に、疑問符が浮かぶ前に彼女が顔がみるみる赤く染まっていく。

 

「オルドレッドが舐めてきたからって、確かに掴んだのは悪かったと思う。でも触り心地は想像以上に柔らかくって、機会があるならまた摘まんでみたいって考えてるくらいで…」

「ちょ、ちょっと待って。今そういう話をしてるんじゃ…そもそも耳なんて、ダニエルにすら触らせた事なかったのよ!?人前でナニしてくれてんのよ!!」

「先にシテきたのはソッチだろ!?やめてくれって言ってるのに、古傷やら顎やら甘嚙みしてきて…」

「それはっ…物の弾みで、つい……あぁ!もぅ、行くわよ!」

「まだ話は終わってないぞ!触るならまだしも、舌先でなぞるようにだな…ッ!」

「もうこの話は終わり!!酒場の事も、何もかんも不問に伏すって言ってるんだから、有難く交渉に応じなさいよね!コッチは何があってもあなたを信じるって、曲がりなりにも約束しちゃったんだからっ!」


 強引に腕を引かれ、グイグイ先導する彼女に舟上での面影はない。いまだ押し倒された件は解決していないが、オルドレッドの調子が戻ったならば。

 アデランテもまた不問に伏すべきなのかもしれない。


 それでも煮え切らないまま彼女に足並みを揃え、ボロボロの扉を迷わず抜けていく。店内は樽や板を適当に組んだ机が並び、湿気が酷ければ椅子も小箱を置いただけ。

 客入りが悪いのか殆ど閑散としていたが、アデランテが見つめる先はただ1人。唯一まともな椅子が置かれたカウンター席でポツンと座る男の背中に。


 青い煙に沿いながら、迷う事なく歩き出していた。

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