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179.水辺に燃える情熱

 裏地区を沈めた湖は巨大な水柱を上げ、雨が如く住人に降り注ぐ。衝撃は桟橋をも揺らし、轟音は鼓膜をいつまでも震わせた。

 しかし嵐のような騒がしさも収まれば、一転して不気味な静寂が裏地区を包む。衣擦れの音さえ響く中、ぼこぼこ泡立った水面が突如せり上がった。


「――ッッぶっはぁぁッッ!!…はぁ…はぁ……んッ…だ、大丈夫、か?」


 桟橋にしがみつき、担ぎ上げたオルドレッドを隣に寄り掛ける。互いに水を吐き出し、気怠そうに橋へ上がれば、ゴロンっと仰向けに寝転がった。

 肉迫した戦闘も相まってやっと息継ぎを満足にこなすや。途端に日差しが瞼を照らして、思わず腕で視界を遮った。


 曇り空が知らぬ間に晴れていたらしく、空中戦を繰り広げていながら何故気付かなかったのか。瞬く間に浮かんだ答えに溜息を零すも、ふと耳にした咳き込みに視線を隣へ移した。

 桟橋に這い上がったオルドレッドは突っ伏したまま、力尽きたようにその場で倒れていた。


「…まさかとは思わないけれど、三途の川…じゃないわよね」


(…ウーフニール?)

【どうした】


「大丈夫だ。私たちはちゃんとココにいる」

「……そう」


 消え入るような返事に、もう1度オルドレッドを一瞥する。顔は伏せたままだが、軽く傾けてきた瞳は海のように青い。

 長い睫毛や髪先からは水が滴り、まどろんだ眼差しから妖艶さをも漂ってくる。


 不思議と顔を逸らせず、ジッと見つめていたのも束の間。突如身体を起こしたオルドレッドは、反応する間もなくアデランテに覆い被さった。

 滴る雫がヒタヒタ降りかかり、背中に受けた日差しで一層褐色の肌が惹き立つ。


 豊潤な肉体には鎖の痕もくっきり残り、あわや乳房も零れ落ちる寸前。咄嗟に腕を伸ばして押さえようとしたが、先にオルドレッドが手首を掴んだ。

 そのまま掌を眺め、再び視線が合えば頬にも手を添えられる。

 

 それから素早く。かつ丁寧にアデランテの顔を四方に傾け、正位置に戻されたところで一際険しい表情を浮かべた。


「…手の怪我、何ともないようね」


 グッと顔を近づけ、頬の傷をなぞるように指先が触れる。


「鎖…あれだけ焼かれてたのに、登って火傷1つ負ってない。爆発にも巻き込まれてたのに」

「……それは、だな…」

「登る途中で沢山蹴られて、打撲痕も全く無いなんて…」


 追及から逃すまいと、オルドレッドの全身が絡みつく。濡れた身体が僅かな隙間さえ埋め、隅々まで彼女の肉感が伝わってくる。

 なおも鋭い眼差しを向けてくるオルドレッドに。数々の揺さぶりを掛けてきた彼女に、動揺を悟られたか定かではない。

 普段ならアデランテの胸中など、とっくに晒されていた事だろう。


 だが不幸中の幸いと言うべきか。意識が逸れたおかげで、心の内を悟られる事はなかった。


 他でもない、オルドレッド自身の手によって。


「…んッッ……すまないが、離れてくれ…頼む」

「答えてくれるまで離れる気はないわ。それとも何処か怪我でもっ…?」

「ぅんッ…古傷、に触られると……こそばゆいんだ」

 

 珍しい声音に目を瞬かせたのも束の間。普段は他人事のように。

 羨むほど冷静に振る舞うアデランテが、今やオルドレッドの下で足掻いている。弱々しい瞳を向け、古傷を撫でれば――ピクリっと。

 指使いを変える度に痙攣して悶える姿に、密着した身体を通して余す事なく震えが伝わってくる。


 そのまま顎筋に沿えば、首をよじって“何か”に抗っているのだろう。右頬の3本傷を優しく撫でるや、つぐんだ口から熱い吐息が洩れる。

 かつてない光景に喉を鳴らし、圧倒的な愉悦がオルドレッドを襲った。

 

「…これがいいの?」

「んくぅ…や…やめてくれぇ…後生だか、らぁん!」

「ふふっ、我慢は身体に良くないんじゃなくて?素直になれば、少しは楽になるんじゃないかしら…」


 半ば目的を見失いつつ、オルドレッドの追及は続く。

 よじって逃げた先に合わせて、引き寄せるように身体を密着させ。片腕も押さえつけられ、もはや逃げ場は何処にも無い。


 オルドレッドの荒い息遣いまで首筋に掛かり、その度に身体の芯が疼く。いっそ白状して楽にもなりたいが、ウーフニールのおかげで耐性は付いていた。

 なけなしの理性を働かせ、キッとオルドレッドを見つめれば彼女の攻勢もふいに止まる。


 青い瞳がアデランテを見下ろすも、ふと彼女が紡いだ言葉が脳裏に浮かんだ。


「…くぅ、あッ……我慢、しなくて…いいんだよ…な?」


 喉から絞り出すような声に、オルドレッドが目を見開く。一瞬怯んだ隙を逃さず、おもむろに手を伸ばせばガッ――と。

 もっとも目立つ2つの“突起”を片方掴むが、触れる時は繊細なほど優しく。かつ絶妙な力加減で包み、不意打ちにオルドレッドも甘い声を漏らした。


「あぁんっっ!……んゅ、ちょ、そこは…デリケー、トぉっ?!…なんだからぁ……おぅんっ!」

「ふふん。オルドレッドが離せば私も離す、ゾぉッ!?」

「先に離すのはあなたノォんっ!!?…方よっ……ゆ、指先で揉まないでぇ~」

「それは私のセリ…フだッ……くぅ…」


 抵抗する程に豊潤な肉体が押し付けられ、古傷の撫で加減も一層執拗になる。挙句に左右の頬へ移る度に首や顎筋を伝い、否が応でも背中が強張った。


 しかしアデランテも負けてはいない。時にキュッと強めに握り込んでは、指先でしごきながら万遍なく掌を動かす。

 先端を軽く摘まんでやれば、オルドレッドが一際大きく身悶えて。彼女と出会ってから恋焦がれた“耳”の触れ心地は、ウーフニールに勝るとも劣らない。

 

「…このっっ往生しなっさい!!」

「いぎぃッ!?」

 

 突如オルドレッドが顔を押し付けるや、そのまま頬を食んだ。古傷をふやかすように舐り、時に顎を這う唇や舌に電流が背筋に迸る。

 あわや零しかけた声を押し殺すべく、ふと目に留まったものを口に入れた瞬間。オルドレッドのくぐもった悲鳴が、頬を伝って喉の奥まで轟いた。


 無防備な長い耳を食み返せば、刺激に応じてオルドレッドも激しく舐る。互いの声が共鳴し合い、桟橋の下を水紋が激しく走り始めるや――。

 


「――…お宅ら、お熱いね~」


 間の抜けた、聞き覚えのある声に交わりも唐突に止まる。ゆっくり見上げれば若い船頭が小舟で横になり、ニヤニヤしながら2人を見つめていた。

 さらに視線を移せば憲兵を始め、野次馬も遠巻きに鑑賞していたらしい。中にはアデランテと目が合った女が、黄色い声を上げながら手を振ってくる始末。


「いんや~、火のない所に煙は立たねって爺様が言ってたけど、大学内の噂もやっぱ間違ってなかったんな」


 へらへら笑みを浮かべる青年から視線を外せば、必然的にオルドレッドと目が合う。耳に留まらず、顔全体が赤く火照った彼女の瞳に映るのはアデランテ自身。

 豊満な胸に押し潰され、唾液まみれの頬が日差しの下で淫靡に艶めいていた。


 なおも固まるオルドレッドにソッと腕を伸ばすが、直後に我に返った彼女が慌てて飛び退けば、起き上がったアデランテの背後に隠れた。

 身体を抱きすくめる姿は、まるで生まれたての子鹿のようで。声を掛けるか迷ったものの、ふと視線を野次馬へ移せば威勢のいい怒号がようやく耳に届いた。


 湖に続く鎖を男衆が引っ張っており、掛け声を上げながら踏ん張る様子から、その先に何が繋がっているかは容易に想像がつく。

 

「…引き揚げるのは良いが、その後どうするんだ?」

「街には元冒険者もいっからな。解体すりゃ良い材料が沢山手に入るってもんよ…まぁ裏区の連中の総取りだろうけどな」

「なっ、それはダメよ!?襲撃に関わる大事な証拠品なんだから、回収しないとっ」


 噛みつく勢いでオルドレッドが割って入るも、アデランテの背後からは出てこない。身長の高さから隠れ切れていないと言うのに、なおも肩を掴んで身体を縮めている。

 振り返れば顔を逸らされ、前に向き直ると青年も引き揚げ作業を眺めていた。


 憲兵もポカンと見届けているだけで、積極的に関わる様子はない。仮に彼らが指示を出した所で、誰も要求通りに動きはしないだろう。


 しばし考えた末、オルドレッドに青年のボートへ乗るよう指示を出した。


「すぐ戻ってくるッ」


 言い終えない内に颯爽と走り去り、向かうは鎖を引く男たちの下。桟橋を飛び越えて瞬く間に辿り着くや、アデランテに気付いた群衆が一斉に押し黙った。

 不気味な静寂に水面すら静まり返り、全員の視線が一身に突き刺さる。


(…書庫でウーフニールに見られても平気なのに、何が違うんだろうな)

【何をするつもりだ】

(相棒のサポートが私らの役目だろ?)

【“貴様”の役割だ。ウーフニールは一切関与しない】

(りょーかい)


「…俺らになんか用かい。強い兄さん」


 無言で佇むアデランテに、鎖を引いていた男が話しかけてくる。声音からして魔物の死骸を奪われないか警戒しているのだろう。

 威嚇するように殺気立てるが、当然アデランテには通用しない。そして残念ながら彼らの懸念も現実のものとなる。

 

「今引き揚げてるソレは、まぁ大事な証拠品ってやつなんだ。悪いが回収出来たら……洞穴の爺さッ…【バーティミエル】の所へ持って行ってくれないか」

「……ジジイは俺たちのボスじゃねえ。それに倒したのはアンタでも、ここじゃ俺たちがルールだ」

「そうだとしても生憎こっちも仕事でな。解決しなければ今日と同じ事がまた起きる。もう区画だけの問題でも済まないと思うぞ」

「そん時はそん時だ。こっちは目の前に落ちた儲けを見過ごすほど生活に余裕はねえんでな。よそ者はよそ者同士、好きな所で乳繰り合ってろや。誰も止めたりしねえよ」

「儲けがどうのって話なら、爺さんに頼んで…」

「いいから引っ込んでろっての!こっちは忙しいんだ!!あのアバズレの所戻って、慰めてもらってろっつってんだよ!何なら女と交換でもいいんだぜ?」


 途端に下卑た笑い声を上げ、活気づいた男たちは再び引き揚げを再開する。アデランテがいないように振る舞い、すでに頭の中は分け前の事で一杯なのだろう。

 町が賑やかなのは良い事だが、時と場合にもよる。


 フゥーっとアデランテが溜息を吐くや、目にも止まらぬ速さで男の胸倉を掴んだ。突然の事に鎖を引く音も止まり、またもや視線が一斉に集まる。


「そんなに欲しけりゃ、魔物はくれてやる。ただ条件が1つある…」

「…な、なんだよ条件って」

「お前を始め、鎖に触れてる連中全員を事件に関わる一味として斬り殺す。魔物の死骸よりも首を運ぶ方が楽だからな。次に運び屋をやろうなんて考える輩も、少しは抑止できるだろう?」

「……何も、殺さなくったって…」

「証拠隠滅に関わる奴の話に興味はない。いますぐ選べ」

「に、兄さん落ち着けって…」

「次に余計な口を利いたら交渉は終わりだ……選べ」


 男を片手で持ち上げるや、元いた列へ乱暴に投げ飛ばす。背後でジャラリと鎖の音が響き、慌てて飛び退いた男はまず仲間を見た。


 一連の流れに一行は血の気が引き、中には手を離す者まで出る始末。戦意を失ってはいるが、それでも多勢に無勢である事に変わりはない。


「…てめえな。魔物1匹殺った位で調子乗っっ……」


 男が啖呵を切った直後。鈍い水音が1つ響き、言葉の続きを聞く事はなかった。

 フラついた男の身体も力を失い、その場でバタリと倒れ込む。


 依然話す様子もなく、代わりに首からゴポゴポと。倒れたグラスのように“中身”が溢れ出し、水面を深紅に染めていく。


「――余計な口を利くなと警告はしたぞ」


 戦慄すら覚える静寂の中、ポツリとアデランテが呟く。ざわめきもなければ、群衆が悲鳴を上げる事もない。

 その端整な顔立ちも、色違いの瞳も彼らの目には入らない。もはや口を利く事すら憚られ、魔物よりも恐ろしい存在が彼らの視界に映っていたのだから。


「お前らはどうする?さっき言いかけた事だが、運ぶなら爺さんに報酬を払ってもらうつもりなんだ…それにこのまま放っておけば、水で腐って後処理も面倒になるぞ」


 声の調子は最初に話しかけた時と同じ。抑揚は一切無く、何事もなかったかのように。あるいはアデランテにとって、本当に何でもなかったのかもしれない。


 大学の人間が彼らを扱う様相とは異なる、雑草を毟った程度の佇まいに。そもそも遥か上空から落下し、物ともしていない“怪物”に。

 瞼が瞬く音さえ聞こえそうな静寂の最中、コポリと魔物の死骸が水面に浮かぶ。



 首がない死体は、これで“2つ”になった。



 途端に鎖を掴んでいた男の1人が、慌てて首を縦に振る。口を開けば次に肩から上を無くすのは自分かもしれない。

 伝染するように全員の意思が無言で一致し、引き揚げ作業が黙々と再開される。見張っていたアデランテも踵を返すや、道中に憲兵団の1人を捕まえた。


「…えーっと…【第3シフト班長のトドロキ】だったな」

「は、はぃい゛い゛っ!?」

「じいさんの所へアレを確実に届けてくれ。ついでにココで見た事も全部証言するんだ」

「あ、あの…そろそろシフトも終わる時間でして…」

「何か言ったか?」


 トドロキの首がぶんぶん左右へ振られる。それを合図に現場の監督も終わり、小舟へ移動すれば青年の前に立った。

 当初浮かべていた彼の笑みはとっくに消え、心なしか顔色もすこぶる悪い。


「すまないがボートを貸してもらえないか?もっと奥の方に行く用事があるんだ」

「……ほぁ?あ、あぁ…むしろお宅にあげるよ!返さなくていい!」

「貰っても困るんだけどな」

「それなら適当に捨てとけば、誰か勝手に拾うから!なっ?それにお宅が言ったように、魔物が出る位危ないなら、オイラもいない方がいいだろ?じゃあな!!」


 小舟の荷物を回収するや、アデランテを避けるように青年は走り去る。土嚢を越えれば激しい水飛沫が聞こえ、服が濡れる事も厭わないらしい。

 音が遠ざかればオルドレッドに視線を戻し、早々に仕事を終わらすべく舟に移るが、飛び乗った拍子に激しく左右へ揺れた。


 咄嗟に伸ばされた彼女の腕を掴み、勢いのまま抱き合えばやっと足場も落ち着く。


「――…さて、私たちも行こうか」


 オルドレッドを抱き締めたまま。事もなく言い放つアデランテに、ハッとなったパートナーは慌てて距離を置いた。

 背後に引き下がれば舟の先端に座り込み、それから振り返る事はなかった。

 しかし目が合った際に何か言いかけていたようで。一方で話したい時に口を開くだろうとオールを握れば、水没した町の中へ静かに舟を漕いでいった。

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