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017.魔法使いの弟子

「……ハァ、ハァ、ハァ…リ、リゼ!何ちんたら走ってんのよ!もっと早く走ってっ」

「ゼーゼー…む、無理だよコニー。ボクが体力ないの知ってるでしょ?」

「こんな時まで弱音吐くとかバッカじゃないの?!とにかく足を動かしなさいよ!」


 あらん限りの力で走り続け、少しでも魔物から距離を取ろうとする。

 立ち止まれば追ってくる足音が聞こえそうで、振り返る事も出来なかった。


 息は荒げられ、足も疲れ。

 着ているローブも、汗を吸って重く感じる。

 いっそ脱いでしまいたいが、ふと体を撫でつけた風に涼しさを覚える。


 最初は顔。

 それから上半身。

 最後に下半身を吹き抜けるや、突如風の層が膝下で膨張したように感じられた。


 足を上げられなくなり、そのまま2人揃って前のめりに倒れ込んでしまう。



 短い悲鳴を上げながら咄嗟に顔を腕で庇うが、予期していた衝撃も痛みもない。

 地面は目と鼻の先にあると言うのに、不自然な姿勢で2人は宙に浮かんでいた。


 まるで見えないクッションが受け止めてくれたようだったが、固定されていたのは数秒の間だけ。


「ぐぇっ!」


 風の塊が消え、転倒の続きとばかりに地面が近付く。

 直後に2人の潰れた声が漏れるが、最初の勢いのまま転がるよりは、遥かに痛みが軽減されたろう。



 だが風に足を取られなければ、そもそも転倒する事もなかった。


 すぐさま顔を上げたコニーは、睨みつけながら一帯を見回す。

 同じようにリゼも森へ視線を走らせるが、対照的にどこかオドオドしている。

 茂みがガサリと音を立て、途端に飛び上がった2人は互いの顔を見合う。


 それから首をぎこちなく動かし、音の出所に視線を向けるが、立っていたのは例の魔物ではない。

 崩れるように胸を撫で下ろすも、コニーは再び鋭い眼差しを。

 一方のリゼはホッとした表情を浮かべ、その場で崩れ落ちる。


「…何の騒ぎです?大声なんか出して」


 鬱陶しそうに茂みをかき分け、ローブに引っかかる枝葉を払いながら、ふいに1人の女が進み出る。

 頭まですっぽり覆うフードを外せば、紫のショートヘアが風になびいた。

 

「せ、先生たいへんなんです!なんか大きな魔物が急に現れてっ」

「大きな魔物?」

「牙もあって、毛むくじゃらで、アタシたちなんて一瞬で潰せちゃいそうな大きい腕でさ!」

「毛むくじゃら…」

「木もなぎ倒して、んも~凄い迫力だったよね!?」


 “先生”に会えて安堵した反動か。

 興奮気味に報告する2人を訝し気に眺めつつ、その背後を何度確認しても、見えるのは子供が作った獣道だけ。

 脅威どころか、特段なにも変化は見受けられない。



 そもそも付近一帯に魔物が出た話など、かれこれ数年も聞いていない。

 いまだコニーたちは捲くし立てるも、咳払いをすれば2人まとめて黙らせた。


「…想像力が豊かなのは構いませんが、仕事をサボる口実に使うのは感心しませんね。採取用のカゴはどうしたんです?」

「へっ?……カゴって、だから魔物に追いかけられて…」

「その魔物はどこにいるのですか?見たところ2人とも無事で、後ろには猫の子1匹いないように見えます…リゼ?」

「はい!?…えっと、え~っと…そう、ですね……気のせい、だったかも…です」

「ちょっ!?こんの裏切者ぉーー!!」


 怒りを露にするコニーから目を逸らすリゼ。

 その2人のやり取りに呆れ、眉間を悩ましく揉みながら深いため息を吐いた。



 魔術の師弟関係を結んでから早数ヵ月。

 コニーの嘘は今に始まった事ではない。


 採取した素材が突風で巻き上げられた。

 巨大な獣がどこからともなく現れ、採取どころではなかった。

 リゼが転んで仕事が捗らなかった。


 塗り固められたバレる嘘の厚さは、もはや耳を傾けるに値しない。

 リゼを罵倒するコニーの肩を掴むや、ビクリと彼女は震える。


 裾を折って屈み込み、彼女の瞳を覗けば偽りはすぐに露見するはずだった。



 しかしコニーは決して顔を背けず、力強い眼差しで見返してきたのは想定外。

 思わず身を引いてしまいそうになるも、グッと堪えて肩を握る手の力を強めた。


 流石のコニーもたちまち体を竦め、目に宿る力も弱々しくなる。


「良いですか。この際魔物がいたかどうかは関係ありません。問題は本日の作業成果をあなた方が放棄、もといカゴを置いてきた事にあります」

「魔物がいたからそれどころじゃなかったんだけど…」

「言い訳は聞きたくありません。どのような経緯があれ、仕事を放り出すことは許しませんよ?今はまだ子供でも、いずれ大人になった時に責任が生じてきます。何よりもあなた方はいずれ立派な魔術師になる身なのですから、今からそのような振る舞いをしていては将来が心配です」

「あの…先生。コニーを擁護するわけじゃないですけど、本当に毛むくじゃらで大きな魔物が出てきて…」

「リゼまで一緒になって…罰として2人の採取量を増やします。それまで戻ってきてはなりませんよ」


 何度も繰り返してきた説教に、自分でも溜息を吐いてしまいそうになる。


 それでもコレはいつもの事。

 茶番が終われば、文句を言いながらも彼らは採取に行くはず。



 ところがコニーは諦めず、いまだしつこく食い下がってくる。

 魔物が本当にいた事。

 今カゴを取りに行けば確実に食べられる。

 またはカゴそのものが持っていかれたかもと捲くし立てた。


 リゼも彼女の背中に隠れながら告げるが、取り合うつもりは断じてない。

 必死に訴えたくなるだけ、後ろめたい事柄でもあるのだろう。

 森中に響き渡るコニーの声は、魔物とやらの注意をも惹きかねない声量に達している。



 だが代わりに背後から現れたのは、“先生”同様の服装をしたメガネの男。

 そして彼に引き連れられた、リゼたちと年恰好の変わらない2人の少年少女だった。


 コニーに集中するあまり気付くのが遅れ、ふと3人を一瞥した女は、立ち上がってローブの土埃を払った。


「…何か御用ですかミケランジェリ」

「いえ、そちらのお弟子さんたちが悲鳴を上げていたとザクセンが心配するものですから、様子を見に来まして」

「べ、別に俺は心配してないッスよ!?ただ何か出たんなら、俺の魔法で蹴散らしてやろうと思っただけで…や~い、お前らまだ魔法の1つも覚えてないんだってな!使えない弟子持つとアナスターシャ先生も苦労すっぜ」

「あ゛んっ?この前までおねしょしてたザクセン坊に言われる筋合いないし!カミラも小便臭い兄弟子とか嫌だよね~?」

「な、何年前の話だよ!?カミラも嗅ぐんじゃねぇえ!」


 コニーたちの言い合いに淀んでいた空気は一瞬で霧散し、新たに現れたミケランジェリ含め、一同は絶え間なく笑みを浮かべる。



 しかしアナスターシャは依然表情を変えず、一行のやり取りを遠巻きに眺めていた。

 コニーとザクセンの言い争いも泥沼化し、終わりの見えない口論に軽く手を叩く。


 それだけで魔法のように全員の注目が集まった。


「…いずれにせよ、ミケランジェリには迷惑を掛けました。あとはこちらで対応できますので」

「いえいえ、同期のよしみですから。それよりも来る途中で魔物がどうとか、カゴの回収が云々と…盗み聞きするつもりはなかったのですが、聞こえてしまいまして。素材が必要ならお分けしますが?」

「何なら俺がついてってやってもいいぜ?」

「ザクセンはいらない。さっすがミケランジェリ先生、頼りになる~!えーっとね。取ってたのはモウセンゴケとカニュレアンとぉ~…」

「コニーっ!!」


 ふいに放たれたアナスターシャの鋭い声音に、話していたコニーも、彼女に聞き入っていた一同も瞬時に言葉を失う。

 同時に自身でも大声を出してしまった事にハッとなり、バツが悪そうに顔を背けた。


 ようやく温まった雰囲気も凍てつき、誰も動かなければ話す事もない。

 気まずい静寂に嘆息を吐き、最初に動き出したのはアナスターシャだった。

 コニーたちが走ってきた方角に向き直り、茂みへ憮然と歩き出す。


「弟子の不祥事は師の責任です。コニー、リゼ、行きますよ。このあとも仕事は山積みなのですから」 


 振り返ることなく、2人の獣道を進みだすアナスターシャを見送ると、コニーたちは顔を見合わせる。

 それからミケランジェリたちに別れを告げ、急いで彼女のあとに追いすがった。

 まるで舗装された街道を歩く速度に、小走りでなければ子供の足では追いつけない。


 息切れする程ではないが、それでも師が纏う鬼気迫る雰囲気に近付くのも憚られる。

 2人は聞かれないよう、適度に距離を保ったままコソコソ耳打ちした。


「…カゴを失くした事、怒ってるわけじゃないよね」

「多分。それはいつも通りって感じだったし…でも先生。ミケランジェリ先生と会う度に何か怒ってない?アタシの気のせいかな」

「それについてはちょっと仮説あるんだよね。あとで話すけど」

「なんで今話さないのよ?」

「何をコソコソ話しているんですか2人とも?」


 会話に割って入るようにピシャリと紡がれた言葉で飛び上がりそうになるも、気付けば魔物と遭遇した場所に戻っていた。


 ひっくり返った篭と散乱した素材を見つめ、当時の恐怖が蘇ったのだろう。

 慌ててアナスターシャのローブにしがみつくと、周囲を忙しなく見回した。


 彼女の背後から覗けば、折れた倒木はいまだ残っている。


 

 しかし魔物はおろか、獣1匹見当たらない。

 狼狽えるコニーたちを差し置き、数歩進みだしたアナスターシャにつられて2人も前に引っ張られる。

 屈んで素材を吟味した彼女はサッと顔を上げ、一帯に目を走らせるも、弟子同様の結論に至ったのだろう。

 すぐに素材を篭に詰め戻し、スクッと立ち上がって2人を見降ろす。 


「素材がまだいくつか採取できていませんが、まぁ良いでしょう。ですが1番重要な素材が1つ足りていません。何か覚えていますか?」

「…どれだろう。わかりません!」

「モウセンゴケ……じゃないですよね。キャトルブランチ、でもなさそうですし…」

「人の顔色を窺って答えを探すのはあなたの悪い癖ですよリゼ。コニーもすぐに諦める癖を何とかしなさい。答えは“トリノアシノセ”です」

「…それって強めの幻覚作用があるキノコですよね?何に使うんです?」

「研究に使う素材です。さっ、ここで待っていますから、すぐに採取してきてください。特徴や自生する場所は心得ていますね?」


 組んだ腕に篭を通し、脇に退くと背後に隠れていた2人の姿が全方位に晒される。

 唐突な命令はまるで荒海へ放り込まれた気分に陥らされるも、探しに行かねばアナスターシャはいつまでも動かない。


 彼女の思考を理解するコニーはため息を吐き、その様子にムッとした師が咎める前にリゼは弟子仲間を森へ押しやる。

 徐々に茂みで姿は見えなくなり、指示を聞かない弟子たちにもはや溜息も出ない。


 椅子でもあれば腰を下ろしたい一方で、アナスターシャはすぐに周囲を警戒した。



 弟子2人が何を見たのか定かではない。

 しかしカゴの散乱具合から見て。

 コニーの反応から見て。

 確かに彼女たちを脅かした何かは実在する。



――バサッ。


 ふいに物音が頭上で聞こえ、咄嗟に屈んで呪文を唱える準備をした。


「…鳥、ですか」


 すぐに構えを解き、胸を撫で下ろすと飛び去って行くフクロウの姿を見送る。

 同時に答えも見えた気がした。



 鳥の体長は子供半分ほど。

 恐らく茂みから飛び出したフクロウに驚いて、コニーたちは逃げ出したのだろう。

 嘘はついていなかったが、慌てん坊の弟子たちに思わずクスリと笑ってしまう。


「もう少し慎重に周囲を観察することを教えなければなりませんね」


 呆れながら来た道を見返し、警戒を解けば弟子たちが去った方角を見つめる。

 遠くで作業に勤しむ音を聞きながら、待つ間も魔術研究の構想を頭の中で組み立て始めた。

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