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177.囚われし不吉の使い

 建物の角を曲がり、積み上がった土嚢の先。爆発と共に粉塵が舞い、ガレキが空から降り注ぐ。

 “裏地区”の住人は悲鳴を上げ、誰もが我先にと屋内へ避難。離れた場所では腕章を着けた一団が困惑し、混乱の対処を決めあぐねているらしい。


 概ね撤退に意見が傾いていたものの、水飛沫を上げたよそ者2人が注意を集めた。


「状況は!?」


 現れるや否や、妖瞳の人物が声を上げた。

 女なのか男なのか。中性的な顔立ちに一瞬迷うも、両頬の古傷が性別の垣根を些細な物と切り捨てる。


「はい!バーティミエル・ナサニアスの書状よ!サッサと答えなさいっ!」


 続けて露出の激しい女が袖から紙切れを取り出し、憲兵の1人にグッと突き出す。短い文面と署名にすぐ確認は取れるも、男たちの視線は突き出た胸や尻。

 それからくびれた腰に視線を向け、“上物の女”に集中力を掻き乱される。


 もっとも当人の形相に震え上がり、おかげで直前の異常事態を思い出したらしい。その際に彼女の長耳に気付き、褐色の肌もまた彼らの瞼に焼き付く。


「お前たちが憲兵だな?何が起きたか知らないか?」

「……あっ、はい!憲兵団、第3シフト班長トドロキと申します!前方の建物内をひっくり返すような騒々しさに続いて、上階が突如爆発してご覧の有様です!」

「第3シフト…?」

「我々憲兵団は当番制であります!恐らく先程の粉塵は、住人が薬の調合に失敗したものと認識しておりまっ…」 


 敬礼しながら勢いよく捲くし立てた声は、急速に覇気を失う。

 男が見つめる先を追えば、彼が“爆発した”と称した建物の奥。砕けた壁の裂け目から、粉塵の中を蠢く巨大な影が映った。


「…調合の失敗がどうのって話。よくある事なのか?」

「……め、珍しくはない、かと…ただ今回のような規模は初めてで…」

「ソレって言うのは怪物か何かを作るための調合だったりはしないか?」

「…ま、麻薬が基本だと思い…ますが…」

「呑気にくだらない質問してる場合じゃないでしょう!?全員直ちに戦闘態勢!市民の避難誘導と誰も近付けないよう、キリキリ動きなさいっ!」


 叱咤に憲兵たちが飛び上がり、蜘蛛の子を散らすように業務へ戻っていく。住人に建物から離れるよう騒ぐが、お世辞にも統率された動きとは言えない。

 加えて彼らの武器は長い棒や鉈。そして傍目にも安物にしか見えない弓に、何処まで治安の維持が出来るのか。

 ぎこちない避難誘導も相まって、不安すら覚えたのも束の間――。



――…キェェェヤァァァアアア!!!


 

 一帯に轟いた魔物の咆哮が、一瞬にして住人たちの血の気を引く。粉塵の中で赤い目が煌き、周囲のガレキを振り払ったソレは蹄を床に叩きつけた。

 

 最初に見えたのは黒い馬の姿。こめかみより闘牛が如き鋭い角を生やし、尾はカギ爪の形をしている。

 背中には巨大な翼も見えるが、鎖が絡まって飛べそうにはない。


「…ペガサス…いや、幻のユニコーンってやつかッ!?」

「“ダークホース”よ!!寝ぼけてる場合じゃないわ!飛ぶ事は無いでしょうけれど、火を吐くから気を付けるのよ!あと手みたいな尻尾にもっ」


 双剣を抜刀し、勢いよく土嚢を乗り越えたオルドレッドに続いて、アデランテもまた身を投じる。だが水面に足先が着地した途端、抵抗も無く全身を飲み込まれてしまう。


 直後に顔を出せば肺に空気を送り込むが、足は底に全く届かない。低地に建つ裏地区に目を瞬かせ、よく見れば小さな桟橋やハシゴが周囲に佇んでいる。

 大雨による水没は日常茶飯事なのか、背後の壁も堤防のように高くそびえ立っていた。

 

 オルドレッドに視線を移せば、彼女もアデランテ同様にずぶ濡れ。髪から水を滴らせ、胸が浮き輪の如く彼女を浮かべている。


「……何よ」


 気怠そうな表情に反し、ジロリと睨みつけてくる瞳は鋭い。それでも彼女の前髪を払ってやれば、ニッコリと微笑みで返した。


「そんなに怒るなよ。これからどう動くのかと思ってな。魔物の事は何も分からないし、リーダーに判断を任せるよ」

「…見た感じ、建物の中から動けないみたいだし、コッチにも幸い気付いてないわ。二手に分かれて回り込んだら、屋内ですぐに挟み撃ち。翼の鎖が外れる前に仕留めるわよ。ただ敵の視野は広いから、近付く時は十分注意して」

「先に着いた方が仕留めれば良いんじゃないのか?」

「言っておくけれど、前回倒したビバサウルスは本来巣から離れないし、防衛に特化してる魔物なの。対してダークホースは攻勢特化。気性も荒くて、1度敵だと認識したら地の果てまで追いかけて…人の話を聞いてるの?」

「…やっぱり“先輩”には敵わないなって思っただけさ。気にしないでくれ」

「嫌味なら後にして。ひとまず先走って被害を広めないよう気を付けて頂戴…散開っ」

「りょーかい!」


 アデランテの返事を合図に左右へ散るが、水飛沫を上げる真似はしない。流れるように横移動し、建物の影に向かう間も敵は視界に捉えておく。

 砕けた壁からは魔物が上半身を晒し、なおも奇声を上げながら暴れている。その度に鎖の喧しい音が響くが、まだ建物から離れられないのだろう。


 しかし身を震わす度に煉瓦の破片が飛び、当たれば軽傷では済まない。挙句に憲兵団が届きもしない矢を放ち、魔物を不用意に刺激している。

 下手をすれば住人に当たりかねず、いっそ彼らに注意すべく戻ろうとした時。魔物の口から火の弾が放たれ、土嚢に直撃した途端に業火が広まっていく。


 悲鳴が一帯に轟くも、幸い怪我人はいないらしい。消火活動に勤しむ者もおらず、遅すぎる危機感に誰もが逃げ回っている。


 阿鼻叫喚に魔物は増々興奮してしまうが、騒ぎに乗じて素早く湖を渡れば、一気に潜って目的地まで侵入。

 水没した1階を泳いで階上に進み、やがて3階の天井で顔を出せば肺を空気一杯に満たした。


「……結構まじめな質問だったんだけどな」

【幻獣の話か】

「そっちじゃなくて…いや、まぁそれも大真面目に聞いたわけだけど、魔物が調合できるのかって話。ウーフニールと初めて会った時の事をつい思い出してな」


 移動しながら呟く間も、思い浮かぶのは2人が運命的な出会いを果たした、人生でもっとも最高かつ最低な1日。

 アデランテは仲間を失い、四肢をもがれた。ウーフニールは瓶に詰められ、身体を奪われた。

 

 脳裏をよぎる苦い記憶に、ウーフニールもまた共感したのだろう。不機嫌そうな唸り声にクスリと笑い、水から上がればさらに上階を目指す。

 その間も会話は続き、ウーフニールが“調合”の結果生まれた可能性を唱えた。作り方さえ分かれば、記憶を要求する彼の“体質”も治せるかもしれない。

 そんな細やかな希望をポツリと告げるが、ウーフニールからの返答はなかった。


「…お前は気にならないのか?自分が何処でどうやって生まれて、生みの親がどんな奴なのか、とかさ」

【興味はない】

「私はあるんだけどなぁ…ロゼッタの親も、探せば何処かにいると思うか?」

【貴様は自身の肉親を記憶しているのか】

「あんまり。物心ついた時には死んでたからな」

【ならば何故“親”について関心を持つ】

「別にいいだろ?親無しでも、親代わりの奴はいたんだから…ただロゼッタを引き取る相手が見つかるまで、仮にも私らが保護者なんだし、ちゃんと世話ができるか心配してるだけだよ」

【世話の大半をウーフニールに押し付けながら、何を不安に思う事がある】

「…今はそうかもしれないけど、帰ったら私だって面倒の1つや2つ位ちゃんと見てやれる…と思う」

【貴様が安請け合いしたアミュレットの捜索も、ウーフニールが受け持っている】

「……ちゃんと身体で返すから、それでチャラにしてくれ」

 

 言葉で適うはずがない相手にキュッと口を閉ざし、階段を慎重に昇って行く。進む度に建物を揺らす振動が上から伝わり、倒壊も時間の問題だろう。

 階層を通り過ぎ際にチラッと一瞥すれば、部屋の中央を巨大な穴が穿っていた。底から伸びた太い鎖は断続的に揺れ、天井までずっと続いている。

 張り詰めた異音は今にも千切れそうで、呑気に観察している場合でもない。オルドレッドと合流は出来ずとも、待っていれば区画だけの騒ぎでは済まなくなる。


 すぐさま階段へ向かえば、ガレキに埋もれた部屋を抜けてさらに上を目指す。

 道中砕けた段差は強引に跳んで端に掴まり。殆ど床が落ちた階層は鎖に飛びつき、振り子の要領で横切っていく。

 やがて目的の階へ到達するや、壁に背中を押し付けて扉をゆっくり開けた。戸が歪な軋み音を上げるが、幸い室内から響く咆哮や鎖が音を掻き消してくれた。

 

 ホッと胸を撫で下ろし、改めて魔物を観察すれば鎖は後ろ足をも捕らえていたらしい。建物の地下から飛び出したものの、絡まって身動きが取れなくなったのだろう。

 何度蹴ろうと騒がしい音が立つだけで、その場から動けずにいた。



 だからこそ仕留めるなら今。


 剣を抜き、気持ちを素早く切り替えた刹那。1歩踏み出した足をその場でピタリと止めた。

 

「……なぁ。あの羽根ってさ。空を飛べるんだよな」

【それがどうした】

「もしアレを摂り込めたら、私の背中から生やして飛べたり出来るのか?」

【注目を集める真似は推奨しない】

「推奨しない…じゃなくてッ、出来るかどうかって話だよ!」

【飛行能力をこの眼で確認したわけではない。貴様が要求する高度に達するかは不明】

「…お前らしい答えだな」


 笑みを綻ばせ、気を取り直して進撃を再び開始する。いくら夢は大きくとも、目撃者がいては摂り込む暇もないだろう。

 “次の機会”に期待する他ないだろうが、ふいに覚えた違和感に再び足を止める。正体を探るように首を傾げれば、ガレキの崩れた音がまず耳に届いた。

 遥か階下の水面に重々しい波紋が広まり、アデランテの心をもざわつかせる。

 

 それ以外の音が聞こえない状況に。静寂だけが流れる様相に、恐る恐る顔を上げた先。アデランテの青と金の瞳は、途端に魔物の赤い双眸とかち合ってしまう。


「――…やぁ」

 

 ぎこちない笑みで返すも、開かれた魔物の口内が赤く燃え滾った。直後に地獄を彷彿させる光景が眼前に迫り、慌てて瓦礫の影に飛び込めば、遮蔽物を溶かす勢いで炎が吐き出される。

 直撃は受けずとも熱気が襲い、逃げたくとも炎の壁が選択肢を奪う。


「熱ッ…!くっそ、いつの間にバレてたんだ!?」

【貴様が不毛な願望を口にした時点で捕捉されていた】

「なっ、あれでも結構声を抑えてたんだぞ?」

【聴覚が鋭敏であると推察。女より詳細な情報を入手するか、喰らうべきだったな】

「そんな時間は無かったし、絶対させないぞッ」


 威勢よく声は上げるものの、顔を上げる隙も無い。ただ異常なまでの熱気が押し寄せ、肌や喉が不快な程にヒリつく。

 いっそ水にでも飛び込みたいが、中央の大穴までは距離がある。焼かれる覚悟の突進すら視野に入れた矢先。

 ふいに熱が離れていき、恐る恐る顔を上げた所で再び猛火が押し寄せた。ほんの一瞬しか見えなかったが、ウーフニールが観察するには十分な時間は稼げた。


 再び遮蔽物の裏に隠れるや、視界の端に映像が浮かぶ。魔物を繋げる鎖が赤く熱され、恐らく焼き切る事を思いついたのだろう。

 下手な刺激を与えた自身に反省するが、後悔先に立たず。もはや出来る事は責任をもって特攻し、魔物を無力化する事のみ。

 

 一息吐いて剣を握り、いざ飛び出そうとした途端に業火が鎮まる。魔物の絶叫が代わりに轟き、思わず顔を出せば悶え苦しむダークホースの姿を捉えた。

 そして弓を構え、片目を射抜いたオルドレッドが入口に佇む姿も。魔物が火炎弾を彼女に放つ光景も――。


「…私もあいつも、余計な刺激を与えてばっかな気がしてきたよ」


 ポツリと零せば瓦礫を飛び越え、一気に魔物へ迫ると炎の一撃を躱す。再び遮蔽物に隠れ、注意がアデランテに向いた隙にオルドレッドも距離を詰める。

 冒険者2人へ交互に火を吐き、徐々に近付いてくる脅威にもはや諦めたのだろう。優先順位を鎖の切断に変えた魔物に危機感を覚え、アデランテが瓦礫を顔面に投擲。

 しかし直撃しても効果は薄く、意識を惹いた隙に突貫したオルドレッドの矢が首に刺さる。


 もっとも瓦礫に同じく、隆起した筋肉には致命傷にもならないらしい。狙いも射手に移り、近過ぎる距離にもはや遮蔽物は役に立たないだろう。

 首が膨らみ、赤い炎が彼女に襲い掛かろうという時。影から飛び出したアデランテに、すぐさま標的が変更される。


 傍から見ればヤケっぱちか。あるいは捨て身覚悟の特攻に見えたろう。

 

 現にオルドレッドが叫ぼうとしたが、アデランテの狙いは魔物ではない。

 向かう先はもっと手前。宙に張り詰めた鎖へ鋭い蹴りを入れ、ガクンっと魔物の体勢を崩す。

 強引に炎の着弾点を逸らし、人間離れした一撃にオルドレッドはおろか。魔物ですら困惑を覚える最中、鎖を沿うようにアデランテの剣筋が標的を捉えた。

 

 しかし一撃を与える暇も無く、カギ爪状の尻尾が蛇の如き反射で刃を掴む。思わぬ反撃で己の肉体が無防備に晒され、魔物の口内に炎が灯される。

 身の危険よりもパートナーに目撃される事を心配したが、直後に双剣を胴体に突き立てたオルドレッドが視界に映った。



 魔物も射抜かれた片目で、接近を視認できなかったのだろう。だがしがみつくように与えた一撃も、筋肉の壁が深手を阻む。

 尻尾はなおも剣を放さず、後ろ足の蹴りも辛うじて躱せば、鎖が勢いよく弾け飛んだ。その身を拘束していた楔も徐々に解けていき、やがて翼が勇ましく広げられる。

 

「――…ッッ!!いますぐ離れろ!」

 

 咄嗟に叫ぶも、残った鎖がしがみついていたオルドレッドをも縛り付けた。アデランテも剣を掴まれ、魔物が雄々しく翼を羽ばたいた時。

 目も開けられない強風が2人を包み、冒険者の悲鳴も黒い巨体と共に大空へ吸い込まれていった。

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