174.底に君臨せし者
区画の入口から奥へ進むほど貧民街はどんどん荒れていく。最奥に進もうものなら、一体どのような地獄が広がっているのか。
想像に難くは無かったものの、予想は意図も容易く裏切られる事になった。
遠方から聞こえた囁きも、近付く程に喧騒へ変わっていく。やがて建物の角を曲がるや、通り一帯に鮮やかな商店街が続いていた。
ミドルバザードほどの規模は無いが、“店”はそれぞれ所狭しと絨毯を敷いている。中には屋台顔負けの店構えも見え、着ている衣服もまた色とりどり。
とても彼らが大学を行き来していた“労働者”には見えず、アーザーの区画だと知らなければ、村の催しにすら見えたろう。
しかし並んでいる“商品”に、珍しい物は何1つ無い。新品もあるが、多くは古めかしい品ばかり。
まるで自宅の物を持ち寄った品揃えに、オルドレッドは頻りに周囲を見回す。
「……アデライトはココに来た事でもあるのかしら?」
「あるわけないだろ。何でそんなこと聞くんだ?」
「人から聞いたにしては真っすぐ来られたし、こんな光景を見ても全然驚いてないからよ。まるで常連客さながらって感じ」
「“親切”に教えてもらったから、だろうな」
オルドレッドの訝し気な瞳に笑みで応じる間も、視界には青い煙が道なりに走っている。
脳内で1度訪れた商店街に注意も払わずに歩き出せば、彼女の腕がピッタリ密着してきた。
「…他に何を聞いたのよ?」
唇を耳元に近付けるや、首筋をくすぐるようにオルドレッドが囁く。
答えを得るまで離れるつもりは毛頭ないのだろう。渋々ウーフニールに情報を求めれば、金の文字が瞳に浮かぶ。
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【労働階級の層アーザー】
★住人の構成
・大学内で服役する学徒
・借金を背負い、大学に売られた者
・学費を払えずに落ちぶれた元学徒
・家族を構成し、区画内で新たな生を送る者
★主な生活意欲
・貯金し、魔術師として再起を図ること
・負債を返したのち、大学を出ること
⇒資金難の結果、犯罪行為を厭わない集団も
★主な生活資金
・大学内における雑務全般
・数々の悪事代行
・学徒の副業手伝い
⇒講義メモを販売する学徒の写し作業を担当
⇒洗濯屋における洗浄実務、など
・写しのメモを元に独自の講義を行なう
・大学の備品や物資を区画内へ密輸
⇒門番による身体検査は賄賂で回避可能
⇒そもそも人の出入りが多ければ検査も適当
★公然の秘密
・大学外に繋がる下水道がいくつも存在する
⇒喰らった個体に詳細な情報無し
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文字の羅列を読み上げていくが、特に不信感は与えなかったらしい。長い耳をぴくぴく動かし、やがて情報を消化したのだろう。
腕に寄り掛かったオルドレッドが離れ、歩調も元の速度へ戻る。
「……随分と詳しく教えてくれたのね。それとも聞き方が良かったのかしら」
「ちょっとしたコツがあるのさ。企業機密ってやつだけどな」
「いつかご教授願いたいけれど…死ぬ程怯えさせるのが手腕なら遠慮しておくわ。ゴロつき相手にしか使えないでしょう?」
「う~ん…そういうわけでも…いや、なんでもないッ」
「……?ところで私たちは何処へ向かっているの?情報集めなら確かに適切な場所でしょうけれど、何だか別の目的がありそうね」
「着けば分かるさ」
平然と語るアデランテに向ける表情は険しく、しかしオルドレッドに行く当てがあるわけでもない。確かな足取りで進む様子に渋々従うが、何よりも商店街を早く抜けたいのだろう。
2人がよそ者である以前に、容姿はアーザーの区画でなくとも酷く目立つ。
色違いの瞳に、古傷を顔に刻んだ男。
豊潤な肉体を晒すダークエルフ。
珍しい訪問者の出現に、通り過ぎた端から声が消えていく。
見世物染みた環境を足早に進み、やがて建物が減れば畑に家畜。鉱石を積んだ荷車が、市場とは異なる賑わいを見せていた。
それでも近付けば静寂が訪れ、視線も四方八方から突き刺さる。作業の邪魔にならないよう移動を続け、やがて荷車が行き来する鉱山へ辿り着く。
入口の端では屈強な男が佇み、鋭い眼差しで冒険者たちを睨んでいた。
「……よそ者が何の用だ」
「中にいるお宅のボスと会いに来た」
「生憎予約制だ。またのお越しを」
「…大学長の書状があるのだけれど、それでも?」
「こんな所でそんな紙切れが通用するように見えるか?予約票でも受け取ってサッサと失せな」
「その予約票は何処にあるのかしら」
「さてな。欲しけりゃ自分で探せ」
「……あんたを叩きのめせば、どこで手に入るか思い出せるか?」
互いに1歩も譲らぬ最中、増々顔をしかめた男はアデランテを一瞥する。無言で向かい合うが、二の腕の筋肉も飾りではないだろう。
“奴隷”とは思えない軽装に身を包み、背中には大斧を担いでいる。
酔っ払いが間違って喧嘩を売れば、一瞬で正気に戻る気迫まで有していたが、そんな彼も肩を落とせばあっさり脇へ退いた。
「……道なりに進んでいけ。奥にいる野郎に“一昨日きやがれ”って伝えりゃ通してもらえる」
無造作に首を傾けて道を示し、横を通り過ぎれば再び門番の立ち位置につく。まるで帰り道を塞ぐようであったが、話しかければまた退いてくれるだろう。
「… “ちょっとしたコツ”…ね」
呆れたように呟くオルドレッドも、道なりの暗闇に瞳を凝らす。作業員用の大通りではなく、狭い通路には殆ど松明が置かれていない。
表に立つ優秀な門番の存在ゆえに、人通りも普段は少ないのだろう。
注意しなければ粗削りの壁や天井にぶつかりそうで。時節歩幅を緩めては慎重に歩くおかげで、背後のオルドレッドに何度も接触する。
その度に柔らかな身体に跳ね返され、例え豊潤な胸に弾かれても、アデランテが謝罪する声音は変わらない。
「……あまり女扱いされるのも好きじゃないのだけれど、反応が無いのも傷つくわ」
「怪我でもしたのか?強くぶつかったつもりは無いんだが…」
「身体じゃなくて女心の方よ。一応パートナー以前に女なんだから……ちょっとくらい胸に触って動揺したって…罰は当たらないと思うわよ」
「胸なら飲み会の帰りにずっと私に当たってたぞ?」
「なっ!?そんな事した覚えはっ……もしかして酔ってる時に何かしたかしら?」
「おぶった時に当たった程度さ。弾む度にズリ落ちるから、帰り道は結構大変だった」
「好きで大きくなったわけじゃないわよ!大体装備だって殆ど入らないから、全部オーダーメイドかフリーサイズだしっ…ところであなたって…胸が小さい方が好み、だったりする?」
「…胸がどうのって言われても、そもそも私自身がおんナ゛ァ゛ッッ!!?」
何の気なしに会話していた矢先、突如背筋を駆け巡った電流に声が裏返る。オルドレッドもビクつき、心配そうに肩を触れると再び身体が痙攣した。
咄嗟に彼女の手首を掴めば驚かしてしまったが、空いた手で健在ぶりを主張すれば、再び道を突き進んだ。
背後ではオルドレッドの甲高い足音が聞こえ、会話の続きが気になるのだろう。首筋に熱い視線を感じるも、彼女から逃れるように歩くこと数分。
ふいに前方が明るくなり、光と影の中を1人の男が佇んでいた。装備は表で見た門番に同じで、それどころか顔まで瓜二つ。
双子の概念を知らなければ、表の男が瞬間移動したように思えたろう。
「……よそ者が何の用だ」
「ボスに会うんで表の奴に通してもらった。道を開けてくれ」
「生憎予約制だ。またのお越しを」
「……一昨日きやがれ、で良かったかしら」
声も発言も全く同じ男に、恐る恐るオルドレッドが合言葉を紡ぐ。直後に男は脇へ避けるが、所作はやはり表の門番と酷似している。
オルドレッドは目を丸くするも、人の顔を覚えないアデランテには関係ない。颯爽と鉄扉を押し開けば、空洞に1軒の掘っ立て小屋が立っていた。
窓は1つもなく、訝しげに建物に近付けば2人並んだところで戸に軽くノック。直後に「…入りたまえ」と。間を置かずにしわがれた男の声が響いた。
背後を確認するが挟み撃ちの気配はない。すかさず軋む扉を通り抜ければ、室内は小さなワンルーム。
ベッドと調理台の他は、奥に粗末な机が置かれているだけ。その手前では老人が腰かけ、ロウソクの下で頻りに筆を走らせていた。
招いた客人を一瞥する事なく、やがて一段落ついたのか。ようやく顔を上げれば、割れた眼鏡越しに冒険者たちを出迎える。
「アーザーの区画へようこそいらしたな、お客人。こんな老いぼれに何の用かね」
「大学の敷地に魔物を放った奴を探してるんだ。心当たりはないか?」
「ほほぉ、随分とまた直球で来たな。少し位は雑談を交えても良かったと思うがな、お客人」
「ゆっくりしてると本格的に大学の連中が介入してくるぞ。出し惜しみ無しで教えて貰えるなら助かる」
「……なるほど。予約のないお客人が通されたのも納得だ」
伸ばし放題の髭で口元は見えず、それでも肩を小刻みに揺らせば、細めた目から笑っている事が窺える。
「疑心と欺瞞が蔓延る大学で過ごしてきたが、お客人のような瞳は初めてだ……まるで…そう、獣のソレと同じ物を持っておる」
「目つきが悪くてすまなかったな。それで情報は?」
「なになに、目つきの話ではないわ。それにお客人の妖瞳。実際目にするのは初めてだ…宝石など色褪せる程美しい」
「そいつはどうも。で、情報は?」
「アデライト、ちょっと落ち着きなさいよ…初めまして。私はオルドレッドで彼はアデライト。レミオロメ・ジュゼッテ大学長候補の依頼で、魔物の件を捜査している冒険者よ」
「…儂が関わっているとでも言われたのかね?」
それまで悠然と構えていたのも束の間。“依頼主”の名を口にするや、身体を強張らせた彼の目元は険しくなる。
訪問者を警戒する様相に、情報も引き出せそうにはない。ひとまず魔物の襲撃について説明し、アーザーの区画に実行犯がいる事。
捕縛と協力の要請をするも、罪をなすりつけるための偽装工作を老人に疑われる。
実際盗難が起きれば、アーザーの仕業と証言しただけで拘束される情勢に、彼が慎重になるのも当然だろう。
しかしアデランテの観察眼。加えてウーフニールの死角なき眼を持ってすれば、濡れ衣の余地は無かった。
「――残念だが足跡はボロ靴のもの。魔物を入れた箱も大層な物ではなく、引っ張るのに使った荒縄の切れ端も同じことが言える。大学の連中が罪を着せるために、そこまでの趣向を凝らせるとも思えないな」
「……確かに我々を使った方が遥かに合理的だ。そちらの言い分もまかり通ってはいる…しかし儂の預かり知らぬ話でもあるゆえ、調査に協力できるか難しいところだ」
「この区画の事は分からないけれど、アデライトが言うには取りまとめ役なんでしょう?何か心当たりとかないの?」
「お2人の懸念は十分理解している。儂としても無差別に我々の同志が罪を被り、拘束される事は望まん…ここまで来たならば途中で商店街を見たろう?」
「話を逸らさないでくれ」
「年寄りの話は聞くものだぞ、お若いの」
唐突に話題を変えるや、老人は割れた眼鏡を汚れた衣服の端で拭く。その間も“協力する条件”と称し、淡々と昔語りを始めた。
“バーティミエル・ナサニアス”が区画に送り込まれた頃。アーザーは刑務所を街にしたような空間で、餓死や殺し合いは日常茶飯事だった。
獣以下の生活を送る彼らに、まずバーティミエルが与えたのは文明と秩序。内容は密輸などの薄ら暗い取引であっても、平穏が訪れた事に変わりはない。
だがそれらも大学との程よい距離感や、一定の取り締まりがあってこそ成り立つ。 もしも魔物の襲撃をアーザーの仕業にされては、築き上げた平穏の瓦解は必須。厳格な統制の末、下手をすれば獣の時代へ逆戻りするだろう。
仮に実行犯を捕らえた所で、魔物を運んだアーザーの罪も消えるわけではない。黒幕の正体を暴いても、区画に多大な圧力を掛けられるはず。
「――つまり私たちをあなたが雇って、“最良の結果”になるよう調整してほしい…で良かったかしら?」
「区画の現状を維持出来れば何でも構わん。報酬は調査への全面協力、でどうだね?」
「…調整なんて言われても、私は細かい話が苦手なんだ。ただでさえ解決を急かされてるし、意向に沿えなくても文句は言わないでくれよ」
「狡猾な大学長候補に依頼されたお客人だ。それもアキレスが儂への面通しを許した程の御仁。きっと期待に沿ってくれると信じておるよ」
「アキレス、って言うのは合言葉を教えてくれた人の事よね。あなたの護衛なの?」
「そうだ……それとも許可したのはトータスの方だったかな。長い付き合いでも、儂でさえ時に間違ってしまう」
髭を撫でながら乾いた笑い声を老人は上げるも、冒険者たちの表情は動かない。気まずそうに咳払いし、居住まいを正した彼は再び机に向かって筆を走らせた。
それから1分と経たずに紙を掴み上げ、“依頼書”をアデランテへ引き渡す。
「お客人が持つ書状よりも、ココでは余程効力を持つ。大抵の者であれば口も軽くなるだろう」
「…大抵、か」
「……それ、私たちが来る前から書いてたわよね。面通しも何も、最初から会うつもりだったんじゃなくって?」
「問題が起きれば、必ず区画にガサ入れが来るでな。特に今は選挙時で、護衛を雇っている導師も多かろう。点数稼ぎに必ず誰かしら送り込まれると予想した結果…ではあるが、まさか大学長候補の直々の依頼とは思わなんだ」
愉快そうに笑う彼を尻目に、“書状”をサッとオルドレッドに手渡す。目を通した彼女が溜息を漏らせば、ポーチへしまった所で契約は成立したのだろう。
「…さて。話がまとまった所で、儂が話しうる限りの情報を提供しよう。もちろん協力は一切惜しまん」
手を髭の上で組み、如何なる質問にも応じる姿勢を見せるバーティミエルに対し、オルドレッドの視線はアデランテに向けられた。
最初に質問する権利を振られるや、口元を押さえながら思考に耽る。その間もウーフニールが“案”を次々出すが 顔を上げたアデランテは直感に従って言葉を紡いだ。
「――…この辺りで食事を摂れる場所を知らないか?」