173.射手は戸惑う
顔を出しては隠れ、射っては身を潜める。繰り返される単調な作業に辟易するも、命のやり取りに変わりはない。
ボーガン。弓矢。
数を撃てば当たる状況に油断は大敵。負傷をすればアデライトにも迷惑をかけてしまう。
その一方で階下でのやり取りを思い出してムッとするが、気持ちを切り替えれば、即座に弓を構えて矢を放つ。
着弾を確認する事なく隠れ、矢を装填して気を鎮めれば敵の配置。そして撃ってくるタイミングを頭に思い浮かべて、隙が出来れば再び掃射を開始する。
敵が圧倒的な頭数に驕っている内に仕留め、接近戦に持ち込む知能がつくまでに減らさなければならない。そうすれば1階で防衛するアデライトも、少しは対応が楽になるだろう。
そうやって戦局に集中しようとするが、レミオロメに託された傭兵色の強い依頼に。つくづく割の合わない仕事に、思わず深い溜息を零した。
何よりもパートナーを殴った粗相に、どう謝罪すべきか悩んでいた矢先。ふとオルドレッドの耳が震えれば、自身でも何に反応したのか分からない。
しばし周囲の気配を探り、ようやく正体に気付けば向かいの建物を覗いた。
「――…アデライト?」
聞こえるはずもないだろうに、ついその名を呟いてしまう。彼の影を探すように首を伸ばし、時折撃たれる矢に素早く身を隠した。
しかし疑惑は確信に変わり、明らかに減った矢の本数に再び覗き込む。素早く視線を走らせるが、記憶した配置に敵の姿は見当たらない。
代わりに窓の奥に銀糸の輝きを捉え、パートナーの機動力に驚いた反面。気付けば階下へ駆け降り、矢だらけの通りを走り抜けて建物に飛び込んでいた。
両手には剣を携え、周囲の暗闇を最大限警戒はしていたものの、屋内の静寂は集中力を散らすには十分だった。
床は倒れた男たちで占められ、そのどれもが恐ろしい力で殴り倒されている。息こそまだあるが、骨折で済めば幸いな方だろう。
声を掛けたくらいでは目を覚まさず、白目をむいた男たちから注意を逸らす。オルドレッドの耳は2階で音を拾い、武器を構えながら慎重に階段を昇っていく。
依然警戒は続けていたが、廊下の戦況は1階に同じ。瀕死の男たちで一帯はひしめくも、呻き声の1つも聞こえない。
念入りに1部屋ずつ確認するが、静寂は粘つく霧のように身体へ纏わりつく。不思議と汗が止まらず、胸下や谷間に溜まる不快な感触に顔をしかめる。
それでも壁に身体を預けながら奥の部屋を目指せば、扉向こうから微かに声が聞こえた。僅かに開いた隙間から中を覗き、見えたのは奥に佇むアデライトの背中。
そして胸倉を掴まれ、今にも失禁しそうな様子で怯えるチンピラ。相棒に恐れをなすのは、階下の惨状からも当然だろう。
だというのに。その表情は生命の危機に陥ったモノではない。
もっと根源的な。視てはいけない物を見たような反応が、オルドレッドにまで伝わってくる。
思わず喉を鳴らせば、ふいにアデライトが顔を向けてきた。
「――…オルドレッドか?」
鼓動が飛び跳ねた。
気配も足音も消し、彼が振り返らねば。隙間を注視しなければ、そもそもオルドレッドに気付けなかったはず。
だが現に発見されてしまい、止まらない汗を慌てて拭う。深呼吸を何度も繰り返し、やがて疚しい事は何1つ無いとばかりに。
キュッと顔を引き締めれば、堂々と部屋へ踏み込んだ。仮に問われたところで「警戒のために覗いていた」と言えば済むだけ。
理論武装までして再会を果たしたつもりが、むしろアデライトの反応そのものに驚いてしまった。
戦果に胸を張るならともかく、何処かビクつくようで。まるで悪戯が見つかった子供のような表情に、思わず足を止めてしまう。
不可解な空気に目を瞬かせるも、チラッと男を一瞥すれば、これから尋問される事は一目瞭然。
だが口が利けないのか。歯をガタガタ鳴らし、怪物でも見たような形相を浮かべていた。
「怪我はないか?」
聞き慣れたはずの声音に飛び上がりかけ、慌てて胸を押さえる。爆発しかけた鼓動も落ち着け、一呼吸置けば動揺を悟られまいと彼を睨む。
「……おかげさまでね。あなたは?」
「見ての通りさ。オルドレッドが注意を惹き付けたおかげで、無事に制圧できた」
「好きで囮になったわけじゃないわよ…でもあなた、いつの間に移動して…」
「それよりコイツと“話”がしたいんだ。その間に表を警戒してもらえないか?」
すぐ降りるから、と告げる彼に反論する余地は無かった。開いた口を無理やり閉ざし、大人しく引き下がれば階下へ降りていく。
その足でサッと表通りを確認するが、出歩く者は誰1人いない。騒ぎの大きさを考えれば、それも仕方がない事だろう。
それでも壁に身を寄せ、援軍に備えて弓を構えておく。警戒こそ続けるが、ここまでの行動は全て作戦通り。
魔物騒動の後で冒険者がフラつけば、自ずと後ろめたい輩が接触してくるはず。そのために街道をフラつき、相手の動きを待ったつもりだった。
下手な聞き込みは相手を警戒させ、無関係な人間に話しかければ区画内で密告者扱い。最悪の場合は、2人の知らないところで制裁されているかもしれない。
捜査における武力行使も書状で許可され、交戦も十分想定内。にも関わらず、何故か結果が心に引っ掛かる。
漠然としすぎて原因は浮かばないが、ピクリと耳が震えると思考は中断された。
階段を降りるアデライトの足音に。廊下を進み、入口に向かって来る彼に振り返る。
「――ハズレだ」
「…話した、のかしら?」
「包み隠さずな。ただ区画を実質取り仕切ってる奴がいるらしい。答えを聞くならソイツから、だな」
「……貧民街のボスがいるなら、こんなに暴れて大丈夫だったの?私も応戦したから文句を言う筋合いは無いのでしょうけれど」
「コイツらは町でもはぐれ者扱いだったから問題はないさ。ただ良い顔はされないだろうから、警戒はした方がいい」
「自衛用の武器まで持ってるみたいだから、一層慎重に動く必要はありそうね……念の為に互いに離れた場合の集合場所も決めて…何よ」
淡々と話していた矢先、ふとアデライトの困惑した表情が視界に映る。失言でもあったかと記憶を反芻するも、特に心当たりはない。
疑問符を浮かべるオルドレッドに、やがてアデライトは口ごもるように呟いた。
「……さっきは…その…変なことを言ったなら謝るから、何で怒ったのか教えてくれないか?」
補足される言葉に首を傾げるも、頬を掻く彼の仕草に殴打の過去が蘇る。過剰に反応した自身の愚行さえ思い出し、途端に耳まで赤く染まってしまう。
「だ、大丈夫よぉっ!?むしろ私が子供だったって言うか、その…ごめんなさい」
「声が裏返って大丈夫も何もないだろ。怒る時はちゃんと怒れって言ったのはオルドレッドなんだぞ?私が何か言ったなら教えてくれ。また繰り返して…殴られるのもイヤだしな」
引き下がれば咄嗟に腕を掴まれ、鼓動が飛び跳ねたのも束の間。アデライトの姿は先程とは打って変わり、子供のようにしか見えない。
無防備な表情につい笑みが綻んでしまい、気付けば彼の頬をギュッとつねっていた。
「似合わない顔しないのっ。あれは私が手を出したのが悪くて、アデライトは…デリカシーが少し足りなかったってだけよ」
「デリカシー…?…【純潔】の話か?」
「あまり言わないでチョーダイ。大体私は人間より長生きする種族だから、そもそもあなたたちの尺度で考えるのがおかしいってだけで、別にお…男の経験が無くったって困らないし…」
「……子作りするのに経験も何も関係ないだろ」
「こ、子作り!?話を飛躍させないでっっ……ちょっと待って。あなたってもしかして…経験、ないの?」
「戦闘経験ならあるぞ?」
「そんなもん私だってあるわよ!そうじゃなくって……夜の…男女の……営み、とか」
「…私に子供がいるように見えるか?」
まるで平行線を辿るような会話だったが、ふと緊張の糸が切れる。疑問符を浮かべるアデライトを尻目に、気付けば腹を抱えて笑っていた。
ダニエルでさえ全身を真っ赤にしていたが、恐らく彼が“むっつりスケベ”ゆえ。文字通りの“純潔”を前にして、笑わずにはいられなかった。
涙を浮かべる程腹を引き攣らせ、ようやく彼の顔を見れば増々困惑させたらしい。むしろオルドレッドを心配する様相に、不本意ながら落ち着きを取り戻す。
彼の反応にしばし考え込み、やがて手を伸ばせばアデライトの頬を包んだ。そのまま引き寄せれば妖瞳を覗き込み、美しい色彩に思わず見惚れてしまう。
いつまでも眺めていたい衝動に駆られるが、物事には優先順位がある。
そのままクッと顔を下げさせ、鼻先に軽くキスをすればアデライトをすぐさま解放した。
「今回はそれで許してあげるっ」
悪戯っぽく舌を突き出し、踵を返せば再び矢だらけの通りに出る。遅れてアデライトの足音が聞こえたが、“貧乏くじ”としか思えなかった依頼内容も途端に悪くないように思えて。
昼間の陽気を浴びるオルドレッドの笑みが、彼女の想いを全て物語っていた。