170.実戦に勝る教材なし
グラウンドの青々とした草原は手入れされ、日向の下で受ける講義は平穏そのもの。私用で来たのなら仰向けで寝転がり、そのまま昼寝にも興じられたろう。
もっとも講義以外での入場を禁止されては、妄想を抱く事すら夢のまた夢。
何よりも魔物が突如乱入しては、教鞭をとっている場合でも無かった――。
「――っ皆の衆!準導師カルアレロスの後ろへ下がれ!不用意に騒いで魔物を決して刺激せぬように!!」
「実戦力学とかこつけて生徒をけしかけないあたり、貴公も随分成長した事になる」
「ふざけている場合か!!それより本当に大丈夫なのか!?お前んとこの冒険者1人だけに行かせてっ」
「……オルドレッド殿?」
「私の依頼は準導師様の護衛だから離れるわけにいかないわ。“アレ”はアデライトに任せて、お2人は生徒たちとご自身の安全だけを考えてっ」
臨戦態勢の準導師2人に、努めてオルドレッドは冷静に話しかける。だがショートボウを悠然と構える姿に反して、彼女の心境は大荒れ。
護衛の仕事さえなければ、瞬く間にアデランテの下へ駆けつけていたろう。
出現した魔物は牛3頭分の大きさを有し、トカゲの手足が重々しく地面を踏みしめていた。ネズミのような顔から生えた出っ歯は大人の体格ほどで、首から下を強靭な鱗が覆っている。
魔物の奇襲に悲鳴こそ上がっていたが、講師たちはすぐに怯える学徒に避難誘導を。そしてオルドレッドは防衛を。
残るアデランテは攻勢に飛び出し、魔物の注意を惹く作戦がひとまず成功する。
だが本来は3人で仕留めるべき魔物。単独で挑むのも不可能ではないとはいえ、オルドレッドの主任務は護衛。
依頼者の評価を下げぬようズィレンネイトや、学徒の一団を守る必要があり、そして彼らもまたカルアレロスを狙う刺客とも限らない。
そのためにも今できる最善手は講義を解散し、準導師たちに講師室へ避難してもらう事。それから戦闘に加勢すべきだが、現実とは大抵思い通りに進まないもの。
溜息を吐きながら一瞥すれば、初めて目の当たりにした“実戦”に、誰もが心を囚われているらしい。その場で全員が留まり、好奇心混じりに観戦を続けている。
普段なら大声で追い払っていたろうが、オルドレッドもまた魅了された観客の1人。相棒の軽やかな身のこなしに目を奪われ、刺客の警戒にも難儀してしまう。
もちろん万が一の場合はアデランテを優先するつもりだが、まだ割り込むわけにはいかない。信じて送り出した手前、決戦を見届ける責務が必然的に纏わりついてしまった。
歯痒い思いを噛み締めつつ、歪な音が軋むほどオルドレッドは弓を握り締めた。
【右前方。左爪の一撃に注意】
(あいよッ)
巨大な前歯を蹴り、横へ薙ぐように振るわれた前脚を跳んで躱す。着地と同時に前進し、放った一閃は顎の鱗にあっさり弾き返される。
苦虫を嚙み潰す暇も無く魔物に追撃され、渋々引き下がればキッと敵を睨みつけた。
相手は体格も相まってリーチが長く、顔は前歯で。それ以外は鱗が覆い、掠り傷1つ付けられていない。
素早さも見かけによらず早く、油断1つで重傷は免れないだろう。しかし避け続けたところで、やはりダメージを与えられるわけでもない。
ゆっくりしていれば、いずれオルドレッドたちに注意が向く危険性もあった。
(……硬いなぁ…それにしても、あそこにいる連中。私らのこと呑気に観戦してないか?)
【避難勧告は聞こえない】
(まさか魔物が襲ってきたのも講義の一環じゃないだろうな……オルドレッドと依頼人は大丈夫そうか?)
【襲撃の危険性は現状皆無】
(りょーかいッ。さてと…)
観衆から目を逸らすや、再び魔物に意識を戻す。勝ち筋はいまだ浮かばず、ウーフニールも魔物の知識を持ち合わせていない。
目撃者の多さに摂り込めないのは残念だが、新たな敵と戦う事も冒険者の務め。嘆息をポツリと零すや、咆哮を上げた魔物の突進に跳び上がって背中の甲羅に着地。
迷わず剣を突き立てたが――ガチンっ!と。刃先から伝わる硬度に肘まで痺れ、直後に背後へ弾き飛ばされる。
宙で身体を捻って着地するが、足場ごと持ち上げられた現象に困惑を。だが直後にウーフニールの観察眼で理解し、はち切れん笑みを浮かべたのも束の間。
口元はすぐにへの字に曲げられ、気怠そうに肩を落とした。
(…こういう時こそウーフニールと共闘できれば良いんだけどなぁ……まだアミュレットの方は片付きそうにないか?)
【捜索中。いずれにせよ分身を出すには目撃者が多すぎる】
(……それもそうだな)
無機質な返答に嘆息を吐き、チラッと視界の隅に浮かぶ群衆の映像を見つめる。今こそ協力者が必要だというのに、オルドレッドは護衛の真っ只中。
折角の分身2体も片やロゼッタの世話。残りは突発的な“依頼”を遂行すべく、当分は引き戻す予定もない。
早々に諦めれば振るわれた前脚を足場に、再び背中へと跳躍する。着地と同時に“不思議な力”で弾かれるが、魔物の習性はすでに把握済み。
懐に手を突っ込めば――チラッと。あえてオルドレッドたちへ振り返れば、取り出した石細工を指先で摘まむ。
宙へ投げると掴み直し、着地と同時に突進してくる魔物に観衆からは悲鳴が。オルドレッドは今にも飛び出しそうであったが、すぐに笑みの1つで彼女を制す。
それから石細工を前方へ放るが、魔物は警戒もせずに突進を続けた。もっとも投げた物を見せたところで、傍目には夜空色の石にしか見えなかったろう。
やがて石ころが前歯に直撃するや、魔晶石の爆発と共にけたたましい悲鳴が轟いた。猛々しい風音から弱ってはいないが、爆炎の中で相手は標的は見失ったらしい。
すかさず煙幕の横を回り込めば、わざとらしく大声で叫んだ。
「おーーーーいぃぃッ!!コッチだコッチぃーーッッ!!」
傍から見なくとも、不可解な行動に正気を疑われたろう。それでも魔物は予想通りに煙を切って飛び出し、再びアデランテに突進する。
それも口を開き、今度は獲物を噛み殺すつもりらしい。
巨大な前歯が妖しくギラつくも、如何なる攻撃もアデランテには同じこと。接触する瞬間に“土台”を足場に、魔物の頭部を軽々と跳び越えた。
そのまま背中に着地するも、足場が持ち上がるよりも早くに飛び降りる。素早く一瞥すれば魔物の背中には鱗がなく、普段は硬い尻尾で蓋をしているらしい。
敵の叩きつけにも使えるだろうが、無防備な部位を晒しておくのが心許ないのだろう。弾く時と同じ勢いで尾が閉じるも、着地前に放った魔晶石が挟まれた衝撃で爆発。
魔物が悲鳴を上げる猶予も与えず、日差しよりも眩い光が一帯を包み込んだ。
ようやく静寂が訪れた時、焦げ臭い香りが一帯に漂った。黒煙がグラウンドの中央で上がり、近付かずとも魔物の生死は明白。
そのまま横を悠然と通り過ぎ、魔物が突き破った鉄柵に触れた。眼前には森が続き、砕かれた巨大な通り道が奥まで延々伸びている。
咄嗟に踏み出したい衝動を堪え、チラッと振り返れば魔物には人だかりが出来ていた。どうやらカルアレロスたちが講義を始めたらしく、傍のオルドレッドも呆れ顔。
溜息すら聞こえてきそうな彼女を見つめれば、自ずと視線も合う。
〔……行くなら気を付けなさいよ?〕
〔分かってるさ〕
視線で素早く会話し、颯爽と奥へ走っていけば魔物の足跡を辿っていく。豪快な獣道を追うのは容易であり、やがて目的地へ到達すればピタリと足を止めた。
地面には無数の板切れが散乱し、巨大な木箱が内側から破壊されたのだろう。設置した人物たちの足跡も、逃げるように森の奥へ続いていた。
「…面倒なことになったな」
【想定の範囲内だ】
「頭の片隅にはあったけど、本当に魔物をぶっ放してくるなんて思いもしなかったよ……ところでウーフニールが想定するに至った判断材料は何だったんだ?」
【大学への侵入者対策は話を聞く限り厳重。転移の森に魔物が生息できるとは思えん】
「そういえばそんな話もあったな…足跡を追いたいけど、オルドレッドを1人置いていくわけにもいかないか」
【日差しの向きを攪乱する魔術が存在しないのであれば、足跡の方角は南。“アーザー”の区画へと向かっている】
腹底から響く声に耳を傾けていたが、聞き慣れない単語に一瞬首を傾げ、直後に補足されると表情が歪む。
麻袋を着る面々が関わっているならば、今回の騒動で一層肩身は狭くなるだろう。
報告するか迷うところではあるが、所詮は雇われ冒険者。伝えないわけにもいかない。
踵を返して瞬く間に森を抜け、再びグラウンドへ戻れば講義はまだ続いていた。学徒の好奇心も褪せておらず、下手をすればアデランテの不在にも気付いていなかったろう。
「……おかえり」
「ただいま」
挨拶もほどほどに、何食わぬ顔でオルドレッドの隣に立つ。流れるままに会話を始めようとするも、白熱した準導師の“講義”が直後に割って入った。
「――つまりだ!強大な魔法があろうとも、的確に弱点を突かねば勝てない敵もいるのだ!先程の人間離れした動きを真似ろとは言わない。魔力の生成や発動だけでなく、実戦において体力もまた重要である事を重々意識するように!先の戦闘に関する考察レポートを次回の講義時に提出せよ!」
「そして魔晶石の重要性も実戦的に感じられたと思われる。何も魔力の補給だけが使い道ではない。危険だが扱いを熟知すれば如何なる困難も――」
戦ったのはアデランテのはずが、準導師の熱はいまだ冷めない。学徒もまた志を同じにしているらしく、刺客が付け入る隙も無いだろう。
束の間の休憩に溜息を漏らせば、ふいにオルドレッドの肩が触れた。
「お手柄ね……それとごめんなさい」
「…何度でも言うが謝られる謂れも、感謝される事も何1つしてないからな。むしろオルドレッドが前に“刺客”から…生徒から没収した魔晶石を渡してくれたおかげで助かった。ありがとうな」
「お礼も謝罪も当然でしょ?魔物をあなた1人に任せてしまったのもあるけれど、試す真似もしてしまったから…」
「ははっ、それで?パートナーとしての評価はどうだった?」
「…満点よ。ただ煙幕は不要だったんじゃない?」
「せっかくの“実戦”力学だからな。魔晶石の使い道を実践して見せただけさ」
体重を預けてくるオルドレッドに、悪びれも無く満面の笑みで返す。おかげで毒気と罪悪感が一辺に抜け、呆れたような微笑みが浮かべられた。
だが穏やかな空気もすぐに陰り、険しい表情でオルドレッドは魔物の亡骸を睨む。
「……それで?やっぱり仕組まれてたのかしら」
「オルドレッドまで想定してたのか?…私が楽観的過ぎるのかな」
「…“まで”って、他に誰かいるの?」
「だ、誰でもないぞッ!?…ところで仕組まれたって思った判断材料は?」
「…さっきの魔物。確か“ビバサウルス”っていうのだけれど、広大な水源に生息する魔物なのよ。大学周辺は森が覆っているし、何よりも水場のない陸上を徘徊する事なんて滅多にないわ。縄張り意識が強いから、人がいる所に進んで襲撃したりもしないはずだし」
「……そういう見方もあるのか」
「伊達に冒険者をしてるわけじゃないのよ?それで森の調査はどうだったのかしら」
砕かれた柵を一瞥すれば、カルアレロスの監視に戻ったオルドレッドに木箱の話を。続けてアーザーが関係している事を報告すれば、さらに彼女の顔が曇る。
行き着いた結論は同じでも、講義の終了に答えを擦り合わせている暇も無い。解散する学徒は興奮気味に囁き合い、去り際に誰もがアデランテを一瞥する。
目が合えば男子は慌てて視線を逸らし、女子は黄色い声を上げて口元を隠す。
「…人気者ね」
脇を小突くオルドレッドが意地悪い笑みを浮かべるが、勢いは少し強め。痛みは無くとも一瞬息が詰まり、彼女を一瞥する前に準導師たちが合流してしまう。
「度重なる働き。貴公らには感謝してもし切れない事になる。今回の件と言い、依頼料の増額をズィレンネイトと検討したい所存である」
「己もかっ!?お前と違って安月給なのは知っているだろう!」
「貴公の講義に多大な貢献をしてくれているのだぞ。一介の魔術師ならば義に応じよ」
「“合同”講義だ!合・同・講・義っ!金を惜しむつもりは毛頭ないが、せめて割り勘だ、割り勘!!」
言い合う2人を尻目にオルドレッドと目が合い、蠱惑的な眼差しを向けてくる彼女に首を振れば、クスリと笑いながら会話に割って入る。
すかさず金銭の変動が生じない旨を告げれば、片や申し訳なさそうに。片やホッとするも、本題に移れば空気は一転。
“計画的な犯行”に準導師たちも互いに見合うや、二言三言交わす。
それだけで済んだのは、彼らの間で答えはすでに決まっていたのだろう。程なく結論に至れば再び冒険者たちに向き直った。
「重ね重ね、本件の収拾に感謝を申し上げたい。貴公らがいなくば生徒はパニックになり、被害は甚大になっていたろう」
「そのために私たちがいるんだ。気にしないでくれ…それに折角の“実戦”だからな。余裕があれば生徒たちにも戦闘に参加してもらおうと思ったけど、想像以上に硬くて流石に諦めた」
「……仮に生徒だけで処理させていれば全員死んでいた。己とカルアレロスだけで対処したとしても、どうなったか分かった物ではない」
「終わった事を話しても仕方がないわ。これからどうするの?」
「生徒の口には戸を当てられぬゆえ、魔物の襲撃は瞬く間に大学へ広まる事になる。至急柵の修復と警備の手配。それから…」
やる事は山ほどあるのだろう。頭を整理しながら周囲を見回すも、ズィレンネイトが肩を叩けばカルアレロスの背筋が伸びた。
いつにも増して真剣な眼差しを向ける、彼の言わんとしている事が伝わったのか。カルアレロスが肩を落とせば、緊張した面持ちでアデランテたちを見返した。
「じ…事態を重く鑑み、レミオロメ・ジュゼッテ大学長候補へ直ちに報告せねばならない。こ、これより貴公らにも、彼女に会ってもらう事になる…――」