表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
170/269

169.仲間の形

 赤毛の女の肘から先が拳に包まれ、魔法のように消えて見えなくなる。

 軽く指を締めれば、ゴギャっ――と。続けて手首をしならせるや、バキバキっ――と。

 凶手の中で異音が響き、骨が砂に変わる感触を楽しむようにタリアレスが指を動かす。

 

「最初は依頼の出先で襲ってたんだけどさ。魔物とか目撃者のせいで、ゆっくり食べてる暇もなくってな。それで今はこーして腹を膨らませてるってわけよ。食べる前によーく砕いとかないとなー。食べる……前、に…」


 お楽しみの最中だったのだろう。最初に見せていた不敵な笑みは増々つり上がっていたが、違和感を覚えた途端に表情が崩れた。



 痛くはないのか。何故悲鳴を上げないのか。


 出会った時には涙さえ見せたはずが、今やピクリとも表情を動かしていない。片腕はグシャグシャに砕けているというのに、挙句にヌルンっ――と。

 あっさり腕がすり抜ければ、赤毛の女は後方へ飛びずさった。拷問に対する反応も含め、液体の如く脱出した手腕にタリアレスは茫然自失。

 その隙に間合いを詰められたろうに、問題が起きてしまった。

 

 地面には槍を覆っていた布が転がり、包んでいたはずのロゼッタが背中いない。呆けながらもタリアレスが抜け目なく掴み取っていたらしく、摘まんだロゼッタを宙でぶら下げていた。


「…もう何なんだよ!?あんたと言い、このガキと言い……おら泣けっ」


 乱暴にロゼッタを揺するが、乱れるのは金糸の髪だけ。彼女の反応に飽きれば、再び赤毛の女に視線を戻した。

 折った腕を一瞬誇らしく見つめたが、少女同様の無反応ぶりにやはり顔が曇る。


「…コレ。盗られてんのに何とも思わないわけ?」

『ご自由にどうぞ』

「命乞いの1つや2つするなら、逃がしてやってもいいんだよ?その代わりガキは置いてってもらうけど」

『ご配慮頂き感謝致します』

「……恨みはないっつってたよな。じゃあ何でアタイに構うんだ?正義のヒーローにでもなるつもりだったのか?」

『貴女様の存在が迷惑なだけですので。悪しからず』


 まるで女中のように振る舞う様に、タリアレスのこめかみに青筋が立つ。だが少女も絶体絶命の危機に反応せず、関係を推し量れない2人の存在に足が動かない。

 柳の如く夜風に揺れる女たちが、不気味にすら思えてしまった。



 もっともロゼッタはともかく、ウーフニールも抵抗する気はなかった。むしろ少女ともども自身も始末されてしまえば、全ては有耶無耶に出来る。

 分身ごと喰われたとあっては、流石のアデランテも責めはしないだろう。


 あるいは良識ある親元が見つかり、引き取られたと嘯く手もある。子供が臓書の存在を口にしても、一体誰が信じようか。

 ゆえに手放しても問題は無かったと理由を添えれば、アデランテもさぞ残念がったろうが、彼女自身もまた怪物と一体化している身。

 子育てなど、夢のまた夢だったとすぐに考えを改めるはず。


 あとはタリアレスの凶行を待つだけとなったが、一向に襲って来る気配は無い。いっそ自ら歩み寄って煽ろうとした矢先。

 タリアレスから生えた3本の矢が、無情にも作戦の失敗を告げた。

 


 手首。肘。目。


 突然の事態にタリアレスが苦悶の声を上げ、ロゼッタを咄嗟に落としてしまう。すかさず通り過ぎた人影が彼女を拾うが、直後に彼女を労わったからだろう。

 慎重な足運びの隙をつかれ、タリアレスが残った目で睨みつければ、虫ケラが如く蹴り飛ばした。


 途端に人影は宙を舞い、そのままウーフニールの立ち位置まで滑空。思わず受け止めた相手は、その腕にロゼッタを固く抱きしめていた。


「…ごほっごはっ……あ、アタシ。メアリに会ってから蹴られてば~っか…」


 ウーフニールの腕の中、リンプラントが儚く笑みを浮かべた。いつもの元気は当然無いが、何故か彼女らしいとも思えてしまう。


「……あ…アタシの仲間なんだから……ちゃんと…大事、に…」


 伸ばされた手が頬に触れる直前、だらりと垂れ下がったが最後。そのまま動かなくなるが、彼女の胸は上下に動いている。

 抱きとめた腕には彼女の鼓動も伝わり、全身が汗でびっしょり濡れていた。恐らくウーフニールたちを探すべく、町中を走り回ったのだろう。

 度重なる疲労に加え、トドメはタリアレスの重い一撃。その衝撃で意識は飛び、当分は目覚めないと思われた。

 

 冒険者の執念に呆れつつ、ふと見上げればタリアレスが片目を覆い、奇声を上げながら悶えていた。

 ご自慢の筋肉も目までは守れなかったのだろうが、一方で大人しく始末される目論見も潰えた。


 ロゼッタや分身はともかく。リンプラントが消えればギルドも重い腰を上げ、捜査規模も拡大されるだろう。

 遅かれ早かれアデランテの耳に入り、最悪の場合は目の前の“面倒事”と鉢合う可能性も否めない。むしろ彼女の性格を考えれば、積極的に探し出す姿が、容易に想像が尽く。


 悉く予定が狂っていく現状に深い溜息を吐けば、リンプラントをソッと後ろの壁に運んだ。

 

『動くな』


 彼女に抱かれたままのロゼッタにハッキリ伝えるが、反応がなくとも構わない。すぐさま踵を返せば筋肉の怪物に歩み寄り、甲高い足音に彼女も顔を上げた。


 口の端からは泡を吹き、もはや女どころか人間ですらない。咆哮を上げたタリアレスは走り出し、引いた拳を一気に突き出した。

 しかし砕いたはずの腕が平然と渾身の一撃を受け止め、痛みで我を忘れていた彼女ですら青ざめる。


『申し訳ありませんが、従来の予定に戻らせて頂きます。彼女とは3人で食事をする“約束”がありますので』


 理解できない文言に首を傾げる暇もなく、掴まれた指先がそのまま握り潰される。

 今度はタリアレスが液体の如くスルリと抜け、戸惑う間に一瞬意識が暗転。膝をつけど無意識に腕は首に伸ばされ、ぱっかり開いた傷口が温かい液体を零す。

 身体は瞬く間に赤く染まり、見下ろしていた無事な瞳をウーフニールに合わせた。


 口を開けばブクブクと泡立つが、彼女が言わんとしている事は分かっている。幾度も尋ねられた質問に答えるべく、ゆっくりタリアレスに近付いた。


『挨拶が遅れました。メアリー・スレイベルと申します。世に広がる良い子たちの味方にして…悪しき芽を刈り取る者です』


 腰を淑女のように軽く落とすや、槍の刃が90度傾く。鎌の形状を彷彿させる “命の狩人”に震え上がるが、声を出したくとも喉は裂かれている。

 だが悲鳴を上げた所で、無人の住宅街ではそれも無駄な足掻き。安心して泣き叫べる環境の最中、タリアレスの凶行は静寂に包まれて幕を閉じた。









 混濁する意識の中、重い瞼を開ければ勢いよく身体を起こした。直後に脇腹に走った激痛で顔を歪めるが、視界の端で屈み込む赤毛の女を。

 彼女が抱えるロゼッタの姿を捉えるや、散漫になっていた思考が途端に覚醒した。


「…め、メアリィィィイイイ!!それに女の子もぉぉおおお!!2人とも大丈夫っ?怪我はなかっ…あ痛ててて…」

『強いて言うのであれば、リンプラントが肋骨を4本折っています』

 

 振り向き様に2人を抱き締めたが、同時に身体の中で嫌な悲鳴が響く。苦悶の声を必死に押し殺すも、すぐさまハッと顔を上げた。


 彼女の肋骨をへし折り、ロゼッタを危険に晒した忌々しい冒険者がまだ近くにいるはず。痛みを堪えながら一帯を見回せば、すぐに標的を赤毛の女の肩越しに見据えた。

 血だまりの中に転がり、ピクリとも動かない様子から生死の確認をするまでもない。


『目を貫いた矢で絶命されたようです。お手柄でしたよリンプラント』

「……首、斬り落とされてない?」

『末恐ろしい御仁でしたので、恐怖のあまりに念を入れてしまいました』


 感情の籠もらない声のせいで説得力はないが、砕かれた壁や地面の傷痕は生々しかった。顔に出さないだけで、実際は怯えていたのかもしれない。

 そう思うと怯ませるために放った咄嗟の一撃も、あながち正解だったのだろう。


 ホッと胸を撫で下ろせば脇腹が泣き言を洩らすが、安心するにはまだ早い。赤毛の女に視線を移すや、痛みに顔をしかめながらキッと睨む。



 兵舎のソファで目覚めれば、毛布を掛けられていた挙句に周囲は整頓されていた。衛兵に聞けば子連れの女が訪問していた事を知り、慌ててギルドへ向かっても2人の姿は無い。

 受付から職員を引きずり出せば“銀髪の女”も去った後。それからは死に物狂いで捜索し、道行く冒険者に片っ端から尋ねて回った。

 

「――っっ大体アタシの捜査なんだから、一般人が勝手に先走らないでっ!しかも調査結果を勝手に持ち去ったでしょ!徹夜までして書いたものを簡単に忘れると思ったの!?」

『叫んでは身体に障りますよ』

「うっさい!!痛つつつ……そもそも女の子まで巻き込んで、何考えてんの!」

『我々を隠れ蓑に推奨したのはリンプラントが先です』

「うっさいっての!それとこれとは……っ」


 ガバっと起き上がるが、叫び過ぎに肋骨の痛み。仕上げに立ち眩みでよろめけば、赤毛の女に優しく抱き留められる。

 痛みと疲労はなおも残るが、人肌の温かみに不覚にも気分が落ち着いてしまう。絆されまいと押し退けようとすれば、伸ばされた腕も自然と背中に回してしまった。

 身体も為すがままに預け、力なく胸元に頭を預ける。


「……衛兵連中が掃除に感謝してたよ」

『左様で御座いますか』

「何ならギルドで働いてくれても…」

『遠慮させて頂きます』

「…そう」


 顔を埋めたままモゴモゴ零すも、気付けば涙が溢れ出していた。脇腹の痛みも意に介さない程強く抱き締め、現実と過去が思考をかき混ぜる。


 共に過ごした陽だまりの喫茶店。怪物を封じ込めた少年と黒いカラス。

 扉1枚を閉ざす早さで消えてしまう仲間たちに、感情がボロボロ崩れていく。


「……も゛う゛、仲間を失いたくな゛いんだよ゛ぉ゛…ぅぅぅう」


 とめどなく頬を伝う雫は止まる事を知らない。子供のように咽び泣き、親にすら見せなかった痴態をあられもなく。

 それもロゼッタの前で構わず晒し、押し倒さん勢いで全身を擦りつける。


『…娘を守るのがワタシの役目です。リンプラントが身体を張らずとも問題は…』

「メアリ゛も仲間じゃん!数日の付き合いでもずっど一緒にいだんだし…」

『警戒されぬよう親しい仲を演じろ、と要請したのはリンプラント様です』

「……こんな時に意地悪言わないでよぉ…」

『…よく頑張りましたね』

「優しくもしないでぇ~…わぁぁぁぁぁあんんっっ!!」


 ウォンウォン泣く彼女に交渉の余地は無く、いまだ離れる気配もない。顔を胸元にグリグリ押し付けられ、相手がアデランテならば制裁を加えていたろう。


 しかし“予定”を変えたのは、他でもないリンプラントの手柄。無事に元凶も打ち倒し、ロゼッタたちの生存に直結した。

 アデランテは落ち込まずに済み、記憶の補充はこれからも行なわれるだろう。


 功績は十分労うべきだろうが、そろそろ宿へ引き返したいところでもある。彼女も治療が必要であり、アデランテも臓書に遅かれ早かれ訪れるはず。

 むしろリンプラントに手柄がなければ、今頃引き剥がしていたろう。


 嗚咽を洩らし続ける彼女に、声を掛ける機会を窺っていた矢先。ふとロゼッタが傍に立ち、小さな手を伸ばしていた事に気付く。

 虚空でぷるぷる震え、やがてポンっ――と。掌をリンプラントの頭に乗せるや、ゆっくり左右に動かす。 

 

 アデランテが見れば発狂しかねない外的変化は、当分は黙っておくべきだろう。臓書を宴会の場にされても、恐らく止める手立てはない。

 神隠しの事件概要ともども、“無かった事”にするのが懸命だと判断すれば、ゆっくり瞳を閉ざした。


 リンプラントが子供のように泣き縋る声を聞きながら、心の中の書物もパタンっと閉じ。アデランテに決して見つからぬよう、閉架の奥に感慨も無く差し込む。



 こうしてウーフニールだけの冒険譚が、また1冊臓書へ加わる事になった。屋敷で少女を救った、勇敢なフーガ王子の物語の隣に――ソっと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ