169.仲間の形
赤毛の女の肘から先が拳に包まれ、魔法のように消えて見えなくなる。
軽く指を締めれば、ゴギャっ――と。続けて手首をしならせるや、バキバキっ――と。
凶手の中で異音が響き、骨が砂に変わる感触を楽しむようにタリアレスが指を動かす。
「最初は依頼の出先で襲ってたんだけどさ。魔物とか目撃者のせいで、ゆっくり食べてる暇もなくってな。それで今はこーして腹を膨らませてるってわけよ。食べる前によーく砕いとかないとなー。食べる……前、に…」
お楽しみの最中だったのだろう。最初に見せていた不敵な笑みは増々つり上がっていたが、違和感を覚えた途端に表情が崩れた。
痛くはないのか。何故悲鳴を上げないのか。
出会った時には涙さえ見せたはずが、今やピクリとも表情を動かしていない。片腕はグシャグシャに砕けているというのに、挙句にヌルンっ――と。
あっさり腕がすり抜ければ、赤毛の女は後方へ飛びずさった。拷問に対する反応も含め、液体の如く脱出した手腕にタリアレスは茫然自失。
その隙に間合いを詰められたろうに、問題が起きてしまった。
地面には槍を覆っていた布が転がり、包んでいたはずのロゼッタが背中いない。呆けながらもタリアレスが抜け目なく掴み取っていたらしく、摘まんだロゼッタを宙でぶら下げていた。
「…もう何なんだよ!?あんたと言い、このガキと言い……おら泣けっ」
乱暴にロゼッタを揺するが、乱れるのは金糸の髪だけ。彼女の反応に飽きれば、再び赤毛の女に視線を戻した。
折った腕を一瞬誇らしく見つめたが、少女同様の無反応ぶりにやはり顔が曇る。
「…コレ。盗られてんのに何とも思わないわけ?」
『ご自由にどうぞ』
「命乞いの1つや2つするなら、逃がしてやってもいいんだよ?その代わりガキは置いてってもらうけど」
『ご配慮頂き感謝致します』
「……恨みはないっつってたよな。じゃあ何でアタイに構うんだ?正義のヒーローにでもなるつもりだったのか?」
『貴女様の存在が迷惑なだけですので。悪しからず』
まるで女中のように振る舞う様に、タリアレスのこめかみに青筋が立つ。だが少女も絶体絶命の危機に反応せず、関係を推し量れない2人の存在に足が動かない。
柳の如く夜風に揺れる女たちが、不気味にすら思えてしまった。
もっともロゼッタはともかく、ウーフニールも抵抗する気はなかった。むしろ少女ともども自身も始末されてしまえば、全ては有耶無耶に出来る。
分身ごと喰われたとあっては、流石のアデランテも責めはしないだろう。
あるいは良識ある親元が見つかり、引き取られたと嘯く手もある。子供が臓書の存在を口にしても、一体誰が信じようか。
ゆえに手放しても問題は無かったと理由を添えれば、アデランテもさぞ残念がったろうが、彼女自身もまた怪物と一体化している身。
子育てなど、夢のまた夢だったとすぐに考えを改めるはず。
あとはタリアレスの凶行を待つだけとなったが、一向に襲って来る気配は無い。いっそ自ら歩み寄って煽ろうとした矢先。
タリアレスから生えた3本の矢が、無情にも作戦の失敗を告げた。
手首。肘。目。
突然の事態にタリアレスが苦悶の声を上げ、ロゼッタを咄嗟に落としてしまう。すかさず通り過ぎた人影が彼女を拾うが、直後に彼女を労わったからだろう。
慎重な足運びの隙をつかれ、タリアレスが残った目で睨みつければ、虫ケラが如く蹴り飛ばした。
途端に人影は宙を舞い、そのままウーフニールの立ち位置まで滑空。思わず受け止めた相手は、その腕にロゼッタを固く抱きしめていた。
「…ごほっごはっ……あ、アタシ。メアリに会ってから蹴られてば~っか…」
ウーフニールの腕の中、リンプラントが儚く笑みを浮かべた。いつもの元気は当然無いが、何故か彼女らしいとも思えてしまう。
「……あ…アタシの仲間なんだから……ちゃんと…大事、に…」
伸ばされた手が頬に触れる直前、だらりと垂れ下がったが最後。そのまま動かなくなるが、彼女の胸は上下に動いている。
抱きとめた腕には彼女の鼓動も伝わり、全身が汗でびっしょり濡れていた。恐らくウーフニールたちを探すべく、町中を走り回ったのだろう。
度重なる疲労に加え、トドメはタリアレスの重い一撃。その衝撃で意識は飛び、当分は目覚めないと思われた。
冒険者の執念に呆れつつ、ふと見上げればタリアレスが片目を覆い、奇声を上げながら悶えていた。
ご自慢の筋肉も目までは守れなかったのだろうが、一方で大人しく始末される目論見も潰えた。
ロゼッタや分身はともかく。リンプラントが消えればギルドも重い腰を上げ、捜査規模も拡大されるだろう。
遅かれ早かれアデランテの耳に入り、最悪の場合は目の前の“面倒事”と鉢合う可能性も否めない。むしろ彼女の性格を考えれば、積極的に探し出す姿が、容易に想像が尽く。
悉く予定が狂っていく現状に深い溜息を吐けば、リンプラントをソッと後ろの壁に運んだ。
『動くな』
彼女に抱かれたままのロゼッタにハッキリ伝えるが、反応がなくとも構わない。すぐさま踵を返せば筋肉の怪物に歩み寄り、甲高い足音に彼女も顔を上げた。
口の端からは泡を吹き、もはや女どころか人間ですらない。咆哮を上げたタリアレスは走り出し、引いた拳を一気に突き出した。
しかし砕いたはずの腕が平然と渾身の一撃を受け止め、痛みで我を忘れていた彼女ですら青ざめる。
『申し訳ありませんが、従来の予定に戻らせて頂きます。彼女とは3人で食事をする“約束”がありますので』
理解できない文言に首を傾げる暇もなく、掴まれた指先がそのまま握り潰される。
今度はタリアレスが液体の如くスルリと抜け、戸惑う間に一瞬意識が暗転。膝をつけど無意識に腕は首に伸ばされ、ぱっかり開いた傷口が温かい液体を零す。
身体は瞬く間に赤く染まり、見下ろしていた無事な瞳をウーフニールに合わせた。
口を開けばブクブクと泡立つが、彼女が言わんとしている事は分かっている。幾度も尋ねられた質問に答えるべく、ゆっくりタリアレスに近付いた。
『挨拶が遅れました。メアリー・スレイベルと申します。世に広がる良い子たちの味方にして…悪しき芽を刈り取る者です』
腰を淑女のように軽く落とすや、槍の刃が90度傾く。鎌の形状を彷彿させる “命の狩人”に震え上がるが、声を出したくとも喉は裂かれている。
だが悲鳴を上げた所で、無人の住宅街ではそれも無駄な足掻き。安心して泣き叫べる環境の最中、タリアレスの凶行は静寂に包まれて幕を閉じた。
混濁する意識の中、重い瞼を開ければ勢いよく身体を起こした。直後に脇腹に走った激痛で顔を歪めるが、視界の端で屈み込む赤毛の女を。
彼女が抱えるロゼッタの姿を捉えるや、散漫になっていた思考が途端に覚醒した。
「…め、メアリィィィイイイ!!それに女の子もぉぉおおお!!2人とも大丈夫っ?怪我はなかっ…あ痛ててて…」
『強いて言うのであれば、リンプラントが肋骨を4本折っています』
振り向き様に2人を抱き締めたが、同時に身体の中で嫌な悲鳴が響く。苦悶の声を必死に押し殺すも、すぐさまハッと顔を上げた。
彼女の肋骨をへし折り、ロゼッタを危険に晒した忌々しい冒険者がまだ近くにいるはず。痛みを堪えながら一帯を見回せば、すぐに標的を赤毛の女の肩越しに見据えた。
血だまりの中に転がり、ピクリとも動かない様子から生死の確認をするまでもない。
『目を貫いた矢で絶命されたようです。お手柄でしたよリンプラント』
「……首、斬り落とされてない?」
『末恐ろしい御仁でしたので、恐怖のあまりに念を入れてしまいました』
感情の籠もらない声のせいで説得力はないが、砕かれた壁や地面の傷痕は生々しかった。顔に出さないだけで、実際は怯えていたのかもしれない。
そう思うと怯ませるために放った咄嗟の一撃も、あながち正解だったのだろう。
ホッと胸を撫で下ろせば脇腹が泣き言を洩らすが、安心するにはまだ早い。赤毛の女に視線を移すや、痛みに顔をしかめながらキッと睨む。
兵舎のソファで目覚めれば、毛布を掛けられていた挙句に周囲は整頓されていた。衛兵に聞けば子連れの女が訪問していた事を知り、慌ててギルドへ向かっても2人の姿は無い。
受付から職員を引きずり出せば“銀髪の女”も去った後。それからは死に物狂いで捜索し、道行く冒険者に片っ端から尋ねて回った。
「――っっ大体アタシの捜査なんだから、一般人が勝手に先走らないでっ!しかも調査結果を勝手に持ち去ったでしょ!徹夜までして書いたものを簡単に忘れると思ったの!?」
『叫んでは身体に障りますよ』
「うっさい!!痛つつつ……そもそも女の子まで巻き込んで、何考えてんの!」
『我々を隠れ蓑に推奨したのはリンプラントが先です』
「うっさいっての!それとこれとは……っ」
ガバっと起き上がるが、叫び過ぎに肋骨の痛み。仕上げに立ち眩みでよろめけば、赤毛の女に優しく抱き留められる。
痛みと疲労はなおも残るが、人肌の温かみに不覚にも気分が落ち着いてしまう。絆されまいと押し退けようとすれば、伸ばされた腕も自然と背中に回してしまった。
身体も為すがままに預け、力なく胸元に頭を預ける。
「……衛兵連中が掃除に感謝してたよ」
『左様で御座いますか』
「何ならギルドで働いてくれても…」
『遠慮させて頂きます』
「…そう」
顔を埋めたままモゴモゴ零すも、気付けば涙が溢れ出していた。脇腹の痛みも意に介さない程強く抱き締め、現実と過去が思考をかき混ぜる。
共に過ごした陽だまりの喫茶店。怪物を封じ込めた少年と黒いカラス。
扉1枚を閉ざす早さで消えてしまう仲間たちに、感情がボロボロ崩れていく。
「……も゛う゛、仲間を失いたくな゛いんだよ゛ぉ゛…ぅぅぅう」
とめどなく頬を伝う雫は止まる事を知らない。子供のように咽び泣き、親にすら見せなかった痴態をあられもなく。
それもロゼッタの前で構わず晒し、押し倒さん勢いで全身を擦りつける。
『…娘を守るのがワタシの役目です。リンプラントが身体を張らずとも問題は…』
「メアリ゛も仲間じゃん!数日の付き合いでもずっど一緒にいだんだし…」
『警戒されぬよう親しい仲を演じろ、と要請したのはリンプラント様です』
「……こんな時に意地悪言わないでよぉ…」
『…よく頑張りましたね』
「優しくもしないでぇ~…わぁぁぁぁぁあんんっっ!!」
ウォンウォン泣く彼女に交渉の余地は無く、いまだ離れる気配もない。顔を胸元にグリグリ押し付けられ、相手がアデランテならば制裁を加えていたろう。
しかし“予定”を変えたのは、他でもないリンプラントの手柄。無事に元凶も打ち倒し、ロゼッタたちの生存に直結した。
アデランテは落ち込まずに済み、記憶の補充はこれからも行なわれるだろう。
功績は十分労うべきだろうが、そろそろ宿へ引き返したいところでもある。彼女も治療が必要であり、アデランテも臓書に遅かれ早かれ訪れるはず。
むしろリンプラントに手柄がなければ、今頃引き剥がしていたろう。
嗚咽を洩らし続ける彼女に、声を掛ける機会を窺っていた矢先。ふとロゼッタが傍に立ち、小さな手を伸ばしていた事に気付く。
虚空でぷるぷる震え、やがてポンっ――と。掌をリンプラントの頭に乗せるや、ゆっくり左右に動かす。
アデランテが見れば発狂しかねない外的変化は、当分は黙っておくべきだろう。臓書を宴会の場にされても、恐らく止める手立てはない。
神隠しの事件概要ともども、“無かった事”にするのが懸命だと判断すれば、ゆっくり瞳を閉ざした。
リンプラントが子供のように泣き縋る声を聞きながら、心の中の書物もパタンっと閉じ。アデランテに決して見つからぬよう、閉架の奥に感慨も無く差し込む。
こうしてウーフニールだけの冒険譚が、また1冊臓書へ加わる事になった。屋敷で少女を救った、勇敢なフーガ王子の物語の隣に――ソっと。