166.物言わぬ目撃者
空は闇夜に覆われど、臓書の中では外界の天気など関係ない。パラパラ書物がめくられ、片手間でロゼッタの講義を進めていく。
日課とばかりに繰り返される毎日だが、決まって中断もされてしまう。
「……あーーー…あむっ!……むぐむぐ…うん!美味い!!」
いつもの机。いつもの椅子。
そして講義の最中に、毎度の如くアデランテが割り込んでくる。
肝心のロゼッタはプリンをすくい、彼女の口へ運ぶ作業で大忙し。本日の講義は終いとなったが、一方でスプーンの持ち方には改善が見られる。
「あーーーんッ…むふふふ~。ロゼッタも食べるか?」
【行儀が悪い】
「いいじゃんか、ちょっとくらい。今日だって沢山歩いたりして頑張ったんだろ?」
【悪習を助長するなと言っている】
ウーフニールと会話しつつ、受け取ったスプーンでロゼッタに一口食べさせる。
しかし2口目を与えようにも“保護者の眼”が鋭い。ロゼッタの頭を撫でれば、彼女の開かれた口も閉じられた。
渋々残りを1人で頬張るが、一向に視線が外れる気配は無い。チラッとアデランテが見上げれば、九割九分がウーフニールのもの。
そして残りが緑に彩るロゼッタの瞳に、食べる手も思わず止まった。
交互に2人を見つめるも、途端に少女は手元の巻物裏に絵を描き始める。黒塊は全ての眼を手持ちの書籍へ向け、アデランテから完全に注意を逸らす。
浮かぶ疑問符に当人は首を傾げるが、もう一口頬張れば舌の上をプリンの味が広がった。関心は一瞬で甘味に向き、緩み切った表情のままパクパク食べて行く。
視界に入るのもプリンだけで、周囲を警戒する必要も無い。そんな表情を浮かべられるのも、全ては臓書にいられるがゆえである。
現実では“実戦力学”と“魔晶石学”が併合され、受講者の超過が日常茶飯事となった今。人気を博した結果狙われる頻度も上がった。
魔晶石による爆破から短剣の持ち込み。発動した魔法の誤射。
それらを事件だと気付かれる前に収束させ、講義の中断を回避するため。はたまた依頼主たちが職務を全うできる環境を作る事も、アデランテたち護衛の務めでもあった。
おかげで大学にいる間は常時神経を尖らせ、オルドレッドとの会話も目で済ませる程度。口を開くのも準導師と話す時だけだが、それでもアデランテの笑みが損なわれる事は無い。
表情を滅多に変えないオルドレッドも、同じように評価が出来ようが、苦言を呈すならば思いきり身体を動かせない事だろう。
素早くかつ小さな動きで“事”を済ませる日々に、臓書への訪問は必須。甘味を貪る所から始め、地下闘技場での戦闘シミュレーション。
そして何よりもロゼッタやウーフニールとの会話が、アデランテの乾いた心を癒す。
身体は何処にあろうとも、帰る場所は常に共にあった。
「ところで街の方はどうなんだ?何か事件が起きたり、新たな出会いがあったり、って展開になったりしてないか?」
【何も無い】
「屋敷の件でギルドから何も言われてないか?」
【何も無い】
「……ウーフニール?」
返事に素っ気無さを感じたのか。恐る恐る名を口にすれば、ギロリと巨大な瞳が一斉に向けられる。
「……い、一応悪いとは思ってるんだぞ?ロゼッタのお守りをするって言っても、宿にいるだけで暇だろうし、勉強だって見てくれてるわけだし…」
そして何を勘違いしたのか、肩を竦めれば途端に謝罪を始めた。食べ終えた小皿も机に置かれ、ウーフニールの返事を待っているらしい。
その場に座ったまま動かないアデランテに、渋々瞳をゆっくり書物に落とした。
1つは彼女に残し。もう1つはロゼッタに向けて。
【…小娘に問題はない。街の治安にも変化なし……訂正。ギルドにおいて、新人冒険者の優遇措置が開始された】
「新人、って鉄級のことか?どんなだ!?」
【現状では銅等級以上の冒険者が受付及び出入口を分断されている】
「そっかぁ…確かに待合スペースで勧誘されてたのは面倒臭かったからな。少しはギルドも落ち着くだろうよ」
【貴様の護衛案件における要求は】
「私か?うーーーーん……特に無い、かな。動いてるのは私でもウーフニールと2人で仕事してるようなもんだし、オルドレッドもいるから今は困ってないな」
【了承した】
「あぁ、でも1つ聞かせてくれ。ギルドから何も言われてないって話だけど、屋敷についてウーフニールが知った事ってあるか?」
新たに出されたクラッカーを、溶けたチーズに浸して頬張っていく。十分気持ちも落ち着いたのか、表情にもはや強張りは無い。
視線をクラッカーとウーフニール。そして時にロゼッタを一瞥し、金糸の髪を愛でるように撫でつける。
再び妖瞳が無数の眼へ向けられるや、淡々とギルドの筋書き。加えて救出された冒険者たちのその後を告げた。
「――“怪物”を倒した功績でギルドの幹部かぁ…緘口令が解けたら、私らも職員にされたりしてな」
【法外な報酬をすでに接取している】
「…そういえば口止め料をもらってたな。ロゼッタの事もだけど、当分は路銀に困らない、と」
嘆息を吐けば最後のクラッカーを取り、口に運んだところで突如止める。虚空を眺めながら首を傾げ、そのままロゼッタの前に差し出した。
すると絵に熱中していた少女は顔を上げ、パクリと指ごと食む。小さな舌で指先を舐められ、ゆっくり引き抜けば柔らかな唇がプルンっと震える。
その間も金糸の髪の隙間からジッとアデランテを見つめ、再びお絵かきに戻った。
「……いまさらだけどさ。私らと一緒に捜索に向かった連中はどうなったんだ?」
しばしロゼッタを眺めていたものの、それが思い出す鍵となったのか。ウーフニールの眼を1つ見つめれば、再び返答を催促してくる。
【金等級“眠れる麒麟”の生存者2名。及び銀等級“錆谷一家”の生存者2名。それぞれパーティを統合し、青銅等級として再編成】
「…トップが1人やられて、錆谷の方が……?」
【4名中2名死亡。貴様と屋敷の外で待機していた輩だ】
「あいつらか!…~ぁぁぁ……やっぱり行かせずに引き留めた方が良かったのかな」
【貴様に責は無い】
「う~~~んん…そういえばパーティがあと1つ…いたような気がするんだけど。確か私を含めて4パーティでの行軍って話で…あぁ、そうだ。やたら突っかかってきた奴がリーダーのところだ!」
【全滅】
「……そっか。全部が全部とはいかないけど、私らが…ウーフニールが頑張った成果もしっかり残ってるからな」
激動を思い出すように遠い目をしていたが、視線はすぐ近場のロゼッタに移される。
彼女を始め、囚われた人たちを確かに救えたかもしれない。だがロゼッタを守る騎士は、ウーフニールに摂り込まれてしまった。
アデランテが約束を交わした“元”奴隷商も、約束を十分には果たせていない。
そんな暗い過去を瞳に浮かべる様相はリンプラントを彷彿させたが、ふいに暗雲が立ち込めれば身体ごと首を傾けだした。
視線の先はロゼッタの落書きで、ウーフニールもつられて覗けば、紙の上の登場人物は全部で3人。
棒人間に肉付けされた程度の画力だが、内1人は身の丈ほどの長い枝を持っていた。もう1人は半円の物体を握り、小さな棒を数本飛ばしている。
そして最後の1人は前者の半分にも満たない体躯を有し、離れた場所で寂しそうに佇んでいた。
不思議な構図の落書きにアデランテは疑問符を浮かべ、口を開く前に。絵に指が差される前に、黒い腕が叩きつけるように紙を覆った。
【就寝時間だ】
睨みつけるような瞳の数々が、ロゼッタを一瞬で萎縮させる。直後に金粉を漂わせて消え、アデランテは少女の残り香と隣人を交互に見つめた。
困惑は最もだが、説明するつもりは毛頭ない。アデランテを一瞥するや、無言で階上へ去って行った。
それから臓書の底に1人取り残され、当初こそ呆然としていたのだろう。だが彼女の嗅覚は机に注意を惹き付け、視覚は眼前のステーキにだけ集中する。
「――…い た だ き ま す!!」
階下で腹の音と共に、威勢の良い声が臓書全体に轟く。液状の黒塊が波紋しそうであったが、ウーフニールの関心は己が手元。
数秒前に回収した、ロゼッタの落書きにあった。
彼女の言語習得は急務であるが、特に聞く力を。“ダメ”と言われた事に従う能力を身に着けてもらわねばならない。
落書きから察するに、壁を向くよう指示したにも関わらず、リンプラントとの小競り合いを一部始終見ていたのだろう。
まだまだ教育の余地がある娘に、溜息とも取れる唸り声が零れた時。ふと連なった巻物が崩れ、下部の瞳が他の落書きに目を通す。
戦闘描写の他にも、長い枝を持った棒人間と小さな棒人間が手を繋ぐ姿。
衣服と思しき物体が宙に散乱し、着せ替えに興じる光景。
線だけで構成された机の上で、甘味を食べるロゼッタの絵。
そして彼女を囲むように、長い枝を持った棒人間と半円を抱えた棒人間が佇む様子。
広げた巻物に6つと瞳を必要とせず、絵にザッと眼を通し終えた矢先。意識は宿の一室を映し、ロゼッタが座っていた椅子からベッドに視線を移す。
いつもは顔を出して眠るはずが、毛布にくるまった彼女の姿は見えない。無造作にめくれば、まず金糸の髪が視界に飛び込んだ。
頭を抱えて丸く縮こまり、チラッとウーフニールを一瞥。緑の瞳が赤毛の女を捉えるや、小さな腕でおずおずと顔を覆った。
“命令違反”にようやく気付いたのか。はたまた怯えているだけか。
どちらにしても、その方が楽と言えば楽。余計な事をせず、大人しくしていれば願ったり叶ったりだろう。
しかし理想論に反し、現実ではリンプラントのような手合いもいる。懐かないロゼッタの様子に、引き取りを進言されるわけにもいかない。
しばし身を縮めるロゼッタを見下ろすや、溜息を漏らすように彼女の頭を掴む。飛び上がる勢いでビクつかれるが、それからは親指。
そして人差し指と重ねていき、やがて掌全体を乗せて頭を撫で回した。
アデランテやリンプラントの見様見真似ではあるが、親愛を示す行為の一環。
あるいは対象を落ち着かせるためか。自身の不安を誤魔化すための手段である事は知っている。
必要性はいまだ理解できないが、ふいに顔を覆っていたロゼッタは、ウーフニールの手をキュッと握った。
徐々に引き寄せれば顔の下に敷き、しばらく頬擦ればやがて枕のように頭を乗せる。程なく寝息が聞こえてくるが、その場から身動き出来ない。
この後は食べ終えた皿を受付に運ぶつもりだったが、明日の食事を頼む必要がない分、急ぐ理由も無いだろう。
次の合流場所。もとい外食の誘いをリンプラントから受けては、それも仕方が無い事。
宿に木霊するには心許ない寝息に耳を澄ませながら、赤毛の女は人形の如く傍に寄り添っていた。