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163. 宿屋“ツバクロ”

 小さな中庭を囲う柵向こうに、一軒の古民家が建っている。宿にはとても見えないが、表に掲げる鍋型の看板が何よりの証拠だろう。


 “新人冒険者を応援!!”――と。宿名ともども彫られた謳い文句に、リンプラントもまた初見なのか。

 物珍しそうに見回していたが、鋭い眼差しは抜け目なく窓にも向けられていた。もしも彼女に“分身”が出せるのなら、裏口も監視していたに違いない。


 軒先に着くと扉を叩きそうになるが、外観は何であれココは宿泊施設。腕を上げたリンプラントに構わず、ウーフニールたちが無言で扉を抜けていく。

 慌てて背後から調査官が付いてくるが、内装は外観相応の造りだった。


 まるで実家に戻ったようなリビングが広がり、受付の類は無い。2階に並ぶ扉に刻まれた数字が、辛うじて宿の体裁を示している。

 むしろソレらや表の看板が無ければ、今頃は不法侵入も良い所だろう。店主の姿も見当たらず、ひとまずロゼッタを長椅子に座らせた途端。


「いらっしゃい!お宿“ツバクロ”によう……こそ」


 雰囲気に馴染む暇もなく、開かれた左端の扉から割腹のいい女が飛び出してきた。愛想よく笑みを浮かべていたものの、表情も声も次第に陰りを見せる。


「……場所、変えるよ」


 短く告げるや、店主はすかさず元来た道を戻っていく。ロゼッタを腕に座らせれば後を追い、小綺麗な厨房を抜けてまた別の居間に到着。

 一段と生活感で溢れた空間は、店主のための物らしい。1人掛けの椅子の傍に、淹れたてのコーヒーやビスケットが置かれている。


「あんたらも飲むかい?」


 客に構う事なく、腰かけた店主はコーヒーを指差す。無言の返答に同じく言葉を用いず、代わりにビスケットを皿ごとロゼッタに渡した。


 もっとも人形然とした反応に不気味がり、程なく彼女の腕は引っ込む。自ら手を付ける事もなく、カツンっと音を奏でながら机へ戻された。

 それから居住まいを正せば、啜ったコーヒーをゆっくり膝上に載せる。


「…で、用事を聞かせてもらえるんだろうね?」

「宿泊に来たお客さんかもしんないのに、そんな態度でいいんですかぁ?」

「こんな宿らしくもない所に来るのは、決まって金に困った冒険者ばっかさ。あんたの態度を見りゃ、うまくいってる事くらい分かるさね…そっちの若い子たちは……なんの用か見当もつかないけど」


 それ以上余計な会話を挟まず、鋭い眼差しだけが珍客へ向けられる。不用意に情報を晒さない警戒心は、冒険者相手に商売をしてきた経験ゆえか。


 一方で長椅子にも目を配り、ロゼッタ共々座るよう勧められる。どの道立ったままでは、無用な威圧感を与えてしまう。

 大人しく好意に従ったものの、リンプラントはその場に留まった。


「…えーっと、仕切り直しって事で話させてもらうと、ギルドから派遣された冒険者係特別補佐のリンプラントです。それとコチラの2人が……その…」

『行方不明になった冒険者パーティ“ソラミエ・ブランデー”に加わっていたメンバーの1人。ダッシュ・アルカニックの姉です。この度は弟がご迷惑をおかけしました』


 両手を腹の前で組み、深々と頭を下げる様子に店主はおろか、リンプラントも目を見開く。


 もちろん内容は口から出任せ。事前に聞いた行方不明者の情報を事もなく告げ、店主の顔に一層皴が寄る。

 リンプラントも打ち合わせにない“嘘”に毅然と佇むも、瞳には狼狽の色が浮かぶ。


「…ダッシュ坊とは髪の色も顔もだいぶ違うようだけどね」

『腹違いの弟ですので』

「……そうかい。コツコツ貯金してたのは知ってたけど、あんたら関連だったのかい。なんだか申し訳ないねぇ。預かった時は元気だったってのに、ダッシュ坊を見失っちまって」

『指摘はごもっともですので、お気になさらないでください。それに本日は弟の件でリンプラントさんに無理を言って調査をお願いしたものですから、突然の訪問誠に申し訳ございませんでした』

「あぁ、もぅそんな改まんなくったっていーのいーの!ダッシュ坊の姉さんならウチの家族も同然だよ。何っっでも聞きな」


 それまでの態度が一変。途端に眉間の皴が消えれば、店主はコーヒーを注ぎに厨房へ発った。

 程なく戻ってくれば各々に配り、ロゼッタの分はリンゴジュースが渡される。


 無反応の彼女に変わってウーフニールが受け取れば、宛がったストローをゆっくり吸い始めるが、店主の傍のビスケットもいつの間にかロゼッタの隣に移っていた。


「それにしてもギルド連中は新人をずーーっと放っぽってたくせに、ずいぶんサービスが良くなったもんだね。あの時応対したのも衛兵だったよ?」

「ギルド長も変わったんで制度もだいぶ改善するらしいですよー。新人の教育に力を入れよーって」

「ふんっ、遅すぎるくらいだね。いいかい?この街はそもそも冒険者で成り立った街なんだよ?だってのに道端を見れば生活に困った若者ばっかで……どんだけ変わってくのか見ものだね」

『街の懸念はワタシめも重々理解していますが、弟についてお話を伺えますでしょうか』

「あぁ、すまなかったね。どうも初心を忘れたような冒険者を見るとイライラしちまって…」


 笑みを浮かべる傍らでリンプラントを睨むも、捜査の協力は惜しまないらしい。もったいぶる事も不要な情報も含めず、求められた解答だけを適確に埋めていった。



 曰く、宿の売りは“自主性”。

 借りた部屋の掃除は自分でやる。皿洗いや家事も、“客”が担う事で格安の宿泊料を実現した。

 当番制を敷く事で冒険者稼業と折り合いを付けつつ、横の繋がりも出来る。


 ゆえに宿泊するからにはおサボり厳禁。“ソラミエ・ブランデー”が朝当番を守らなかった日は、店主の雷が降り注いだ。

 カギが掛かった扉を合鍵で開けるも、貸し与えた部屋はもぬけの殻。急な依頼が入る事は新米の間では滅多にないが、だとしても事前に店主へ連絡を。

 最低でも当番を交代すべきところ、掃除がなされていない事実が全てを物語っていた。


 書き置きもなければ、他の宿泊客も彼らの行方を知らない。如何なる理由があれ、簡単なルールも守れない輩に冒険者など務まらないだろう。


 それからは彼らの帰宅を待ち、日が経つにつれて怒りも増幅していく。厳罰のアイデアが次々浮かぶも、1週間を過ぎた頃には不安に取って代わった。

 鉄等級の依頼で。それも新人の彼らが、長期間留守にしているなど普通ではない。


 荷もそのままに、忽然とパーティは姿を消してしまった。

  

「――そもそもおかしいと思ってたんだよ。礼儀正しい良い子たちだってのに、何も言わず消えちまうなんて…あたしがもっと注意を払ってりゃ、こんな事にならなかったかもしんないね」

「悪戯心でこっそり宿を出たのかもしれないですよ~?夜の街とかぁ~、女将さんに隠し事があるとか?」

「伊達に宿を経営してるわけじゃないんだ。これでも人を見る目はあるつもりだよ。ちなみにあんたは路頭に迷っても宿泊はお断り。面倒ごとの匂いがぷんぷんするね」

『彼らの外出を目撃した方々は?』

「……聞いた限りじゃあ、いないね。夜中に出てったって所でないんかい。一応ギルドに仕事を受けてんのか聞いたら、答えられないって言われて渋々衛兵に頼ったってとこさ」


 語尾を強調し、怪訝そうに視線を向けた店主に作り笑いで返すリンプラント。互いに険悪な空気が漂うも、気にせず話を整理しても目ぼしい情報はない。

 ロゼッタがようやく2枚目のビスケットを食べ終えた所で、強引に話題を変えた。


『失礼ですが弟の所持品を確かめても宜しいでしょうか?ご迷惑はお掛け致しません』

「……さっき通り過ぎた厨房の壁にカギが掛かってるから、2番のを持ってきな。それと“冒険者係”の嬢ちゃんをあたしの代わりに見張ってくれると助かるね」

「ご協力ども~…そういえばさっきアタシたちが宿に来た時、確認もせずに初めてのお客さんとして応対してましたよね?泊まってるお客さんが帰ってきても同じ風に声かけるんですかー?」

「…ウチの子たちだったら、“ただいま”って言うからね」


 憮然と溜息を吐いてコーヒーを啜ろうとしたが、中身は空だったのだろう。顔をしかめて器の底を睨み、客人が去るまで立ち上がる気はないらしい。

 腰をどっかり据え、退出を待つ彼女に従ってロゼッタをスッと持ち上げる。

 

 そのまま厨房へと向かうが、背後からリンプラントの足音は聞こえない。振り返れば店主をジッと見下ろし、火花が散るように互いを睨み合っていた。



 無言の応酬の末、ふとリンプラントが口を開く。


「……こんな宿。コッチから願い下げだけど、アタシがいたパーティさ。殆どの人が死んじゃったから、冒険者としてもぜ~んぜん上手くいってないんだよね~…女将さん、やっぱ人を見る目無かったんじゃん?」


 背を向けるリンプラントの顔は窺えないが、店主の表情はよく見える。

 

 最初は鬼の形相で。それから気が抜けたように皴が和らぎ、すかさすリンプラントは踵を返す。

 表情には笑みを浮かべていたが、彼女の心境などウーフニールには関係ない。足早に扉を抜けたリンプラントを追い、速やかにコーヒーが香る厨房を抜けていく。

 それから第二のリビングも通り、階段を昇れば1階を見渡せる通路を進んだ。

 

 5番。

 4番。

 3番。


 宿泊部屋の前を歩いて行き、すぐに目当ての扉へ到達すれば、カギを持ったリンプラントが鍵穴へ差し込むや。


「しーーーーっ…」


 唇に指を立て、ウーフニールとロゼッタを交互に見る。身体は扉の端へぴったり付けられ、慎重にカギへ手を伸ばす。


 それからカチャリ――と。程なく留め金が外れるや、室内に彼女は耳を澄ませる。

 次の瞬間には武器を引き抜き、嵐の如く転がりながら部屋へ突入。弓を構えて部屋中に矢を向ける彼女を尻目に、悠然とウーフニールは後に続いた。


 見回せば二段ベッドがそれぞれ四隅に置かれ、そのうち使われているのは3つだけ。4つ目は上下段に荷物がひしめき、残りはぴっちりシーツが整っている。


 あとは表通りに面した窓が1つ。中央に置かれた机が2つ。

 姿見が壁に1つ寄り掛かっているだけで、隠れられる場所はベッドの下だけ。

 部屋内の唯一の陰影も、リンプラントが抜け目なくしゃがんで確認していた。


「オールクリア!!……ってもう入ってきてるし」

『カギが掛かった部屋に誰かいるとも思えませんが』

「…女の子連れてんだから、もーちょっと慎重に動いてよ……そもそも名前をいい加減教えてってば!」

『メアリー・スレイベルと申したはずです』

「お・ん・な・の・こ・の・方ーっ!」


 小声の主張も意に介さず、部屋を改めて眺めれば自然と視線は荷物に向けられる。

 頬を膨らませたリンプラントも同じ結論に達し、下段は任せたとばかりに2段目へ跳ぶや、荷を漁る間に担当区分へ渋々足を延ばす。

 ハシゴにロゼッタを座らせ、3つある選択肢を端から開けて覗き込んだ。

 

 しかし不審な点はなく、2つ目に関しては女の必需品から所有者の性別が分かる程度。最後の荷は食料が隠すようにタオルで巻かれ、形が崩れるほどに腐っていた。


「なーんか見つかったー?」


 上段から顔を覗かせるリンプラントに首を振れば、軽やかに着地して隣に並ぶ。


「コッチも同じか~んじ…だけど1つだけ武器が入ってた荷物があったな~。ソッチはどう?」


 視線を合わす事なく、虚空を眺めて尋ねる彼女に一瞬言葉が詰まる。素早く臓書を漁ったところ、武器の類は荷物に入っていなかった。


『確認は出来ませんでした』

「冒険者装備も?」

『ソチラもありませんでした』

「う~ん、ギルドの記録でも仕事は受注してなかったし、外出を女将さんが気付かなかったって事は、プライベートで夜に全員出かけたのかなぁ…でも武器と防具が丸々1セット残ってたのは何でだろ」

『夜間の外出に装備は持ち歩くものなのですか?』

「まぁね~。ギネスバイエルンの夜は物騒だし……あ゛っ、でもこれからは見回りを強化して治安改善を図るって兄貴も言ってて、護身用に武器を持って街を歩く必要はなくなる…かもよ?」


 それまでウンウン唸っていたリンプラントが、失言とばかりに慌てて弁明する。視線は時節ロゼッタへ向けられ、より住みやすい街を目指していくんだと。

 まるで市長のように熱弁する彼女を、無言でただただ見つめ返す。


 おかげでようやく本題を思い出したのだろう。ハッと我に返るや、すぐさま冒険者の顔に戻った。


「…おほんっ。とりあえずカギは掛かってて、行き先も告げずに借主たちは消えた。“バルジの怪”っぽいって言えば似てなくもない…かな?」

『宿泊者であれば合鍵の位置を把握しているでしょう。店主含め、入る機会はどなたにでもあったかと存じます』

「じょ、冗談だって。そんな目で見ないでよ……でもそうだね。ナイトマンの話とは関係なさそうだね~。あくまでアタシ個人の意見だけど」

『断言される相違点は?』

「ずばり、消え方だね!!」


 自信たっぷりに胸を張れば、グッと顔が近付けられる。視界がリンプラントによって全て塞がれるが、距離感を誤ったのだろう。

 ウーフニールの訝し気な視線に、すぐさまスゴスゴ引き下がった。


「…え、宴会とか喧嘩の途中で、煙みたいに消えたって証言が多いのっ。室内だとチェーンが掛かってる事もあって、ついさっきまで誰かいたような状況だからって不気味がられてて…まぁどれも直接見たわけじゃないんだけどぉ」

『……今回の事件は如何様にお考えで?』

「ナイトマンの…模倣犯?とは限らなくても、出掛けたって証拠が残ってるし、一応衛兵の報告書にも外にいるとこ見たって目撃証言はあるって書いてあって……でも当てになんないんだよね。誰が、とか書いてなくってさ~」


 深々とリンプラントは溜息を零すも、出先で行方不明になった不明瞭な証拠はある。ただ行き先が何処なのか検討がつかず、追跡するにも情報が足りない。

 下手をすれば別の宿も片端から調査する必要があるのだろう。その際は“ソラミエ・ブランデー”以外の案件も当たり、その度に嘘を重ねていく必要も。



 だが現場の痕跡を考えるに、何処へ行っても結果が覆る可能性は低い。その間にも犠牲者が増え、極秘任務と呼ぶには調査員たちの顔も知れ渡るはず。

 暗い未来を見据えたリンプラントは、宙を仰ぎながら深い溜息を吐いた。 


「…でもメアリーのおかげで情報はゼロじゃないんだなぁ~」

『部屋に侵入できた件でしょうか』

「それもだけど、パーティの1人が貯金してたって女将さん言ってたじゃん?この街で男が金を貯める理由なんて、大抵は女絡みって相場は決まってんだよねぇ」

『金銭の受取人が関係していると?』

「全部が全部じゃないかもだけど、手掛かりはあるってこと!あとはだね~…」


 衛兵から市長。市長から冒険者。

 そして今は探偵の顔を張り付けるや、ふいに階下で音がした。



――ただいまぁ。



 足音がぞろぞろ続き、2人の意識は自然と扉へ向けられる。


「…身近な証人に聞くのが1番早い、かな?」


 笑みを浮かべたリンプラントが颯爽と扉を抜け、宿泊者の下へ向かう。残り風が赤毛をなびかせるも、隠れ蓑が彼女から離れるわけにもいかない。

 ロゼッタを抱えれば、扉のカギを閉めてリンプラントの足跡を追った。

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