161.パクサーナ・サイド・ストーリー3
――…来たか。
“尾行”に気付いたのは服飾店に入る前。ゆえに店員をも警戒したが、反応から察するに無関係。
買い物を終えたのち、宿へ向かわずに大幅な回り道を強いられた。
相手は“人買い”の可能性が大。しかしパクサーナに接触するつもりなら、普通に話しかけても良いだろう。
そうしないのは、ひとえに仕事内容が公に出来ないため。あるいは“商品”を連れ歩く姿に、警戒しているのかもしれない。
もっともアデランテと違い、分身の視界は瞳2つ分だけ。背後を確認するには振り返るほかなく、下手に探れば逃げられる危険性が孕む。
歯痒い状況ではあるが、それは相手も恐らく同じ。ピタリと止まっては適当に店頭を眺め、また進んでは同じ理由で止まる。
ロゼッタの足の遅さに一層移動は捗らず、追跡者もヤキモキしている事だろう。
人の多さに接触も叶わず、アデランテが苦手な根比べを続ける最中。ようやくウーフニールが目指していた場所に辿り着いた。
負傷中のオルドレッドを見張る間、伊達に鳥の姿で街を飛び回ったわけではない。
路地裏。脇道。店の場所。
あらゆる地形情報を取り入れ、その内の1つに差し掛かった直後。ロゼッタを素早く抱えるや、瞬く間に袋小路まで疾走した。
勢いを止めずに垂直の壁を駆け登り、片手で壁を万力の如く掴む。
そのまま宙で待てば、程なく慌ただしい足音が路地を木霊した。追跡者の困惑ぶりが窺えるが、姿を現した相手が息を切らした様子はない。
それでも唯一の抜け道は、入ってきた路地のみ。あとは全て壁に囲まれ、素人目にも隠れ場所が無い事は明らかだろう。
信じられないとばかりに追跡者が数歩進み出せば、その背後に素早く飛び降りた。
反射的に相手は奥へ退くが、結果的に逃げ場を失った袋のネズミ。ウーフニールの出現に困惑するも、狼狽していたのは一瞬だけだった。
背後の弓に手を伸ばすが、取り出す事はしない。獣の如く相手の出方を窺うも、先に警戒を解いたのはウーフニールだった。
『何か御用でしょうか』
冷静な振る舞いに、今度こそ追跡者は驚きを隠せなかったのだろう。大きく見開かれた目は瞬き、場違いな声音に毒気を抜かれたのか。
バツが悪そうに構えを解けば、チラッとパクサーナを。それからロゼッタを一瞥する。
「……その子さ~。お姉さんの親戚…じゃないよねー?どーゆー関係?」
『お答えする義務はありません』
「つれない返事しなくたっていいじゃ~ん?これでもアタシ、冒険者ギルドの人間だしー?」
『ご用件は』
「…隣の子さ~。良かったらアタシに引き取らせてくんなぁい?その子を大事にしてた子と友達だったからさ~。何ならお金っ……今のは忘れて」
それまで飄々と笑顔を浮かべていたのも束の間。咄嗟に顔を背け、後味が悪そうに口元を歪める。
再び向き直った時には笑みを張り付けていたが、己を戒めるためか。ロゼッタを視界へ入れないよう、ウーフニールだけを瞳に捉えていた。
「お姉さんが何でお世話してるのかとか、そーゆー難しい話は抜きにしてさっ。さっきも話した通り、アタシにその子の面倒見させてくんない?こー見えて手堅い仕事についてて、少し前まで金等級の冒険者やってたから腕にも自信があって、蓄えも結構あって…」
『ご用件はそれだけですか』
「…その女の子。短い期間だったけどアタシのパーティにいたんだよねー。信じてもらえるか知んないけど~…その時一緒にいた……友達っ…仲間が!…その子を一生懸命守ってたのよ。それで…まっ、そーゆー事だからさ?チョーダイ?」
『お断りします』
「そーは問屋を降ろせません!その子を引き渡してくれるまで、ずーーっと付き纏うつもりだから!」
『であれば冒険者ギルドへ苦情を申し立てに参りますが』
「ざーんねん!兄貴が副ギルド長だからアタシ関連の文句はぜ~んぶもみ消されるんだよね~。まぁ条件付きなんだけど……でも今回の…女の子の件に関しては兄貴もお姉さんを説得すると思うから、ずっと付き纏われるか、ギルドに行って留められるか選ぶしかないよ」
道を塞がれているのは彼女の方。だと言うのに、追い詰められたのはウーフニールだとばかりに胸を張る。
必ずロゼッタを連れ帰るつもりらしいが、普段なら2つ返事で了承したろう。少女も命じれば、異論なく彼女の後を追うに違いない。
だが“フーガ”の約束も。アデランテの要望も関係は無い。
ロゼッタが臓書に踏み入れた以上、手放す選択肢は最初からなかった。
『“保護者”の基準とは』
「……急に何さ」
『保護者の基準とは』
「…一緒にいてあげて、遊んだげて、ご飯あげて……あとお勉強、を教えてあげる…とか?」
『それらの条件を満たすならば、貴女でなくとも娘の後見人は十分務まるはず。お引き取り願います』
「イ・ヤ・で・すぅ!彼女はアタシのパーティの一員だったから、何が何でも守ってあげるんですぅー!」
『なれば基準に武力も求められるようで…』
不穏な空気を敏感に察したのだろう。今度こそ女は弓を取り出すが、ウーフニールは左端の壁を指差す。
間を開けてロゼッタがゆっくり歩き出し、額をぶつける寸前で足を止めた。
自主的に動く彼女に驚く一方、人形のような挙動にショックを受けたらしい。顔を歪めた女はキュッと口を結び、親の仇とばかりに睨みつけて来た瞬間――。
一気にウーフニールが飛び出すや、目を見開いた相手は咄嗟に矢を放つ。素早く躱した直後に次弾を装填されるが、背負っていた布の塊を前方に投擲。
射手の視界を防ぐと同時に飛び上がり、見上げた彼女が放った矢を槍で斬り伏せる。
そのまま鋭い一閃を突き下ろすが、咄嗟に女は横へ転がった。起き上がり際に撃ち込まれた矢を薙ぎ、次々放たれる一撃を余さず叩き落とす。
間合いはどんどん詰めていくが、近付く度に背後へ飛び退かれる。壁が迫れば巧みに方向を変え、距離をさらに開けられてしまう。
しかし速度ではウーフニールが上回り、狭い空間で逃げ回るのも不利。接敵も時間の問題であろうという時、ふいに女の足並みが乱れた。
それまでの流れるような動きに淀みが生まれ、突如飛ぶ方向を変える。
フェイントか。はたまた油断を誘うつもりか。
即座に反応したウーフニールは回り込み、横薙ぎに振った槍を屈んで躱される。それでも一瞬動きが止まれば、躊躇なく女を蹴り飛ばした。
胃を吐き出すような嗚咽と共に転がっていき、勢いよく壁に背をぶつかった彼女は、身じろいだのを最後に動かなくなる。
しばし相手を見下ろすも、ロゼッタへ視線を移せば指示通り壁を向いていたらしい。背後で繰り広げた戦闘にも反応せず、佇む場所も女が飛び退いた地点から数歩先。
ロゼッタを巻き込むまいと咄嗟に離れ、結果隙が生まれたのだろう。
『…肉体の動きは上々。動体視力の可動領域は……測定不足』
掌を開閉し、戦闘を分析する限りは機動力そのものは想定内。だがウーフニールを負傷させまいと“手心”を加えられては情報の価値も眉唾もの。
無駄な時間に溜息を零し、矛先で布を拾い上げれば手早く槍に巻き付ける。それから地面を突いて少女に追従を命じ、ネジを巻いたように彼女は足元で静止。
相変わらず緑の瞳には何も映さず。倒れて動かない女にも目を暮れないが、いずれにしても一難去り、ウーフニールも追跡者への興味を失った。
宿に戻るべく、表通りへ踵を返した刹那。
「…ま゛っ……待ってっ!!げっほっえほっ…うぇぇ…」
苦悶の呼び声に足を止め、振り返れば女が拳を地面に突き立てていた。咳き込みながら身体を起こし、腹部を抑えながら気怠そうに見つめてくる。
手負いの彼女を引き離す事は容易だろうが、ギラついた瞳は執念の証。例え放置したところで、性懲りもなくロゼッタを探し回るに違いない。
諦めて彼女に向かい合えば、嗚咽を繰り返す女が落ち着くのを待った。
「……お、お姉さんが強い事は…よく分かったよ…でもちょっとは、手加減してくれても…良かったんじゃなぁい?…痛ててて」
『最初から加減されていた方に文句を言われる筋合いはありません』
「はっは~バレちったかぁあたたた…女の子は……うん。とりあえず諦める…けどっ、代わりに仕事を手伝ってもらえないかな!?」
『…手伝い?』
「も、もうちょっとだけ待って……おーけー!実はアタシ、チョー極秘の任務を遂行中でね?あっ、お姉さんたちは偶然見つけたってだけだから、関係ないってゆーか…」
『ご用件は』
要点を話さない女に語気を強めるが、慌てる様子は微塵もない。
ただ悪戯っぽい笑みを浮かべ。時に腹痛で顔を歪めつつ、演技がかった口調で“極秘任務”の概要を語り出す。
まとめればギネスバイエルンの街中で、不可解な失踪事件が多発しており、捜査を秘密裏に進めているらしい。
心当たりしかない案件に手を引きたくなるが、話題はすぐにウーフニールの注意を惹いた。
消えているのは新人や、特に問題も報告されていない冒険者も含まれている。事件が公になる前に解決を“副ギルド長”に命じられ、現在も彼女は任務を遂行中。
それらを声高々に語った直後、慌てて女は首を引っ込めて口を塞ぐ。
チラッと唯一の出入り口を一瞥するが、幸い覗き込んでくる者はいない。路地の奥とはいえ、反響すれば表通りに機密情報が流れていた事だろう。
ホッと女が胸を撫で下ろせば、再び視線はウーフニールに向けられる。
「それでさ?一応アタシも元金等級の冒険者だったわけで~、それなりに顔も知れてるから街中を1人でウロウロすると怪しまれるってゆーかー…ね?」
『ワタシたちを隠れ蓑に使用する要望だと認識しました』
「…ん~まぁ、そう言われると聞こえは悪いし、女の子も巻き込みたくはないんだけど……でも街中を歩く間だけ一緒にいてもらえれば良いわけで、危ないトコにはゼっっタイに近付けないから!!」
懇願しながらにじり寄る女を、一睨みでその場に留める。
それでも流石は“元”金等級冒険者。怯む事はあっても身は引かず、抜け目なく視界にロゼッタも捉えている。
そもそも“機密事項”を漏らした時点で解放するつもりもないのだろう。強引に関係者として巻き込まれ、面倒事に飛び込む事は百も承知。
だがウーフニールとて思う所がないわけではない。
ロゼッタを見つめ、それから呆れたように視線を移した女はビクリと肩を震わす。
『……報酬は』
「言い値でオッケー!女の子の事もあるし、兄貴は金に糸目をつけないと思うな~……で、仕事を手伝ってくれるって事でいいの…かな?」
笑みを浮かべたかと思えば、突如不安そうに影を落とす。報酬を聞いた時点で答えは出したつもりだったが、渋々頷いて意思を示した直後。
身構えんばかりの勢いで女に抱き着かれ、感謝と歓迎を浴びせられる。ロゼッタの頭も素早く、かつ羽毛が触れるように優しく撫でまわされた。
「あっ、アタシはリンプラント・カリシフラー!ギルドの冒険者係特別補佐~って長ったらしい肩書もらったんだけど、ようは問題事の取調官ってとこ。改めてよろしくね~…お姉さんは?」
『…こちらの娘を世話しております“メアリー・スレイベル”と申します。報酬の件はまたのちほど』