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159.パクサーナ・サイド・ストーリー

 臓書に侵入して以来、ロゼッタが自発的に動くようになった。自ら足を上げ、手も彼女の視線を追うように操れている。

 もっとも全ての動作は至って緩慢で、臓書を走り回った素早さも。書架を荒らした手癖の悪さも影を潜め、スプーンを掴む手は小刻みに震えている。

 いまだ介護生活は続くが、もはやされるがままの人形ではない。 


 匙に伸ばされる指先からは、彼女自身が食べようとしている意思が伝わる。壁に掴まりながら部屋の端から端へ歩く様に、もはや意地すら感じてならない。


 繰り返される練習は彼女を成長させ、ついには自力で食べられるように。そして支えが無くとも、1人で歩くようになれば監視どころではなかった。

 ドアノブにぶら下がれば、遊具が如く身体を左右に揺らし。窓に触れると、身体を伸ばすように両腕を突っ張り出す。


 その度にロゼッタを摘み上げれば、抵抗も無くベッドに放り込んだ。

 傍の椅子に腰かけ、それから少女と覇気の無い睨めっこが続く。互いに視線を逸らさず、気付けば半日以上がそのまま経過。

 差し込む明かりも傾けば、すかさずウーフニールがカーテンを閉ざした。


 その場でクルっと振り返るも、ロゼッタが後ろ姿を追う事はない。いまだ一点を見続け、そうなった彼女がしばらく動かない事も知っている。


 ツカツカ部屋を後にし、ハシゴを滑り降りれば軽やかに着地。丁度奥から出てきた店主と目が合い、彼が両の手に持つ料理に視線を移す。 

 立ち昇る湯気はつい今しがた出来たばかりなのだろう。近付けば颯爽と受け取り、慣れたやり取りに店主が皴だらけの笑みを浮かべる。


「いっつも済まねえなぁ~ネィちゃん!こんな歳食ってなきゃ~、3階までチョチョイのチョイっ!てな感じで飯を運んでやるってのによぅ」

『雇用主が無計画に部屋を借りた結果ですので御心配なく』

「ひゃっひゃっひゃ!手厳しいメイドさんだこった!飯以外に必要な物がありゃ、何でも言ってくれぃ。もちろんジジィが手伝える範囲でな!」

『お心遣い感謝いたします』

「な~に!長く泊まってくれりゃ~コッチの生活も潤うってもんよぅ!……ところで本当に部屋は変えなくていいんでぃ?小っさいとは言え、嬢ちゃんと2人でベッド1つを使うのは狭かろうに?」

『変更が必要な際は申し上げますので、お気遣いは無用です』

「そうかぃそうかぃ。んじゃま、嬢ちゃんにもよろしくな、“パクサーナ”ちゃん!」


 ヒラヒラ手を振る主人に軽く会釈し、片腕で2人分の皿を抱え込む。そのまま一気に3階まで駆け上がるや、ヒラリと小さな廊下を横断して再び部屋へ戻った。


 時間にして1分と掛からなかったかもしれないが、その間もロゼッタはベッドに座ったまま。

 同じ姿勢。同じ虚空をジッと見つめ、机に料理を置いても微動だにしない。それでも少し待てば、やがてピクンっと震えたロゼッタが頻りに宙を嗅ぎ出す。

 それから覚束ない動きでベッドを降りれば、食卓の椅子に苦労して登り。ようやく座した頃には息切れを起こしていたが、食欲は十分あったらしい。フォークを掴めば遅々と料理を口に運び出した。

 

 時折彼女の手を摘まめば持ち方を正し、皿まで降ろされた顔もクイっと上げる。身体は背もたれに付けさせ、口を開けながら食べれば顎をクッと押し上げる。

 テーブルマナーによって食べる速度は格段に下がったが、もともと早い方でもない。半分食べ終わる頃には料理も冷め、完食する事なく胃を満たしてしまった。


 残りはサッサとウーフニールが処分し、口元を拭ってやれば洗面所へ移動。歯を磨かせ、半ば力尽きた少女をベッドに押し込んだ。



 途端に彼女は瞳を閉じ、その隣で椅子に腰掛ければ監視は続行される。空き皿は寝息を立てた隙を見て、後ほど階下に運べば良い。

 それまでの時間を持て余せば、自ずと思考は“パクサーナの初日”に振り返っていた。



『――本日より雇用主アデライトに代わり、お世話になるパクサーナと申します』


 アデランテが魔法大学へ出立してすぐ。宿の主人に挨拶を交わし、ロゼッタを“身体が弱いアデライトの身内”と紹介。

 彼女の世話係として宿泊する旨を告げれば、店主に二つ返事で了承された。


 自ら名乗ったのは、あくまで里親を探す上で身元預かり人を明確にするため。だったが、他者に委ねる選択肢はとっくに消滅。

 “奴隷商”パクサーナの名も、今やロゼッタの買い手や関係者を知るための撒き餌でしかない。



 一方で【喰らえば全て分かる】のも事実。“人間のような”捜査をせずとも、数秒と経ずにロゼッタの過去。

 何よりも臓書へ踏み込んだ秘密も解き明かせる。今後も似た力に遭遇すれば、対策を立てる事も出来るだろう。


 しかしフーガに交わされた、“一方的な約束”はともかく。ロゼッタを守るアデランテと衝突するのも得策とは言えなかった。

 だからこそ手を出さず。愚直に身体を椅子に預けるほかなかったが、ふいにロゼッタが目を開いた。


 しばし天井をぼんやり眺めれば、緑色の瞳がゆっくりウーフニールへ向けられると同時。意識は臓書へ移され、パクサーナの身体から黒塊の視点に切り替わった。

 周囲も書架の階層が囲み、下部の瞳には最下層のソファで座るロゼッタの姿を映る。


 そして黒い太陽を見上げるように。ゆっくり顔を上げたロゼッタは長い睫毛を瞬かせるが、相変わらず表情に変化はない。

 声を出すわけでもなく、すぐさま下降すれば机の周囲に積まれた本を掴んだ。それぞれ彼女の前に開いていき、ようやくロゼッタの視線は文字へと移される。


【…“す”だ】


 ページに浮かぶ文字を指し、ロゼッタに辛抱強く語り掛ける。


【“す”、だ】

「……ぅぅう」

【“れ”だ】

「ぇぇぇええ……」


 目は指を追って文字を見つめ、発声する努力は垣間見える。だが結果は思うように振るわず、舌そのものが上手く使えないのかもしれない。

  

 そもそも言語症に気付いたのは、臓書に潜ってから2日目のこと。アデランテが話しかけても反応せず、ただ不思議そうに首を傾げるだけ。

 それでも指差した方角や視線の先は追い、音にも過敏に反応する。試しに本も読ませてみたが、瞳が文字を読む事はなかった。


 

 それから始まったロゼッタの座学は、決まって臓書の底で開催されるようになった。ソファに座って文字を暗記し、発声させる反復練習が今や彼女の日課の1つ。

 

【書け】


 一通り発声が終われば次は書き取りに移った。獣の食生活を描く巻物の裏に文字を書かせ、自書をもう1度読み上げさせる。


 喰らって秘密を探れない以上、自ら言葉を覚えてもらうほかない。出生や奇怪な能力を自ら吐かせるのも1つの手だろう。

 幸い就寝前に勉強をねだるほど熱心に取り組み、口を開く日も遠くはないと思われる。


 だが一方で臓書内の活動能力は“元”の肉体に同期しているわけではなかった。

 今は自由に走り回れても、再び宿に戻れば覚束ない足取りで壁を伝うのが精一杯。元の肉体に経験が表面化するまで、時間差が生じるのかもしれない。



 ロゼッタのペンの持ち方を直せば、鳥が歩いたような手書き文字を一瞥。 解読に参考文献との比較は必須だが、後半に差し掛かれば様にはなっていた。

 文字が裏面にびっしり書き込まれ、新たな紙に交換しようとした時。休む事なく走っていた筆が、少しずつ遅くなっていく。

 眠気を覚えたわけでも、疲労が窺えるわけでも無い。頻りに顔を上げてはキョロキョロ見回し、何かを待っているように振る舞っている。


 言葉を交わさずとも意図は察せられ、もはや座学の監督も無意味。音もなくロゼッタから離れ、書架へ身体を押し込んだ直後。


「――おおぉ、今日も遅くまで頑張ってるんだな。勉強は捗ってるか?」


 階下から聞こえた騒がしい声の主は、一瞥せずとも判別できる。今頃はアデランテがロゼッタの隣に腰かけ、頭を撫でている事だろう。

 それから彼女は次に、決まってウーフニールの名を叫ぶ。


「ウーフニール!どこにいるんだ~?」

 

 口があれば溜息を零すのだろうが、代わりに獣染みた唸り声が漏らされる。いまだ聞こえる呼び声に渋々向かえば、少女はアデランテの膝に座っていた。

 あるいはロゼッタ自ら腰かけたとしても、ウーフニールには興味のない話。


【どうした】

「今日のロゼッタはどうだった?何か話したとか、変わった事はなかったか?」

【変化は皆無】

「……いつも通り少しずつ歩けたり、ご飯も自分で食べられるようになったり、ってところか?ロゼッタは頑張り屋だなぁ」


 自主的にロゼッタが動くようになったとはいえ、目に見える大きな成果はない。

 にも関わらず我が事のように。ロゼッタを抱え込んだアデランテは、不定形な文字列を誇らしそうに見つめながら褒め称えていた。

 

 途端に騒がしく感じる臓書に辟易し、颯爽と書架へ戻ろうとした刹那。足を引っ張るような声音に宙で静止すれば、瞳をギョロリとアデランテに向けた。


「今日オルドレッドと服の話をしてたんだけどさ。ロゼッタに新しい服を買うのはどうかなって思ったんだ」

【興味はない】

「…まぁ、ウーフニールならそう言うだろうな……ロゼッタはどうする?新しい服を着てみたいか?」

【小娘に言語能力はない】

「書庫に来てから自分で動けるようになったんだから、もしかしたら急に話し出すかもしれないだろッ」


 ムッと言い返すアデランテも、すぐに膝で座るロゼッタの顔を覗き込む。期待を込めた瞳に反し、言葉で返される事もなければ表情の変化も乏しい。

 それでも話しかければ顔は向け、“ロゼッタ”の名も認識しているのだろう。答えの無い平穏な見つめ合いが続くが、オルドレッドと交わした“服の話”は決して穏やかな物でもない。

 

 講義中に何度も負けた学徒が自暴自棄になり、魔晶石を使って暴走した結果。巻き込まれた数人がローブを焦がした事案を暗に指している。

 幸い“迅速な対応”のおかげで怪我人は出ず、またロゼッタとの睨めっこも勝敗を決したらしい。先に忍耐力を切らしたアデランテが、諦めたようにウーフニールに視線を移す。


「ひとまず服を買ってあげたいんだけど、どこかで見繕ってもらえないか?金はまだあるだろうし」

【小娘はいまだ自力での歩行が困難】

「そうなのか?うーーーん……ウーフニールにずっと抱えてもらうのも悪いしな。それなら歩けるようになったら、で頼めるか?」

【衣服の選定基準は】

「きじゅん……基準ッ!?言っとくけど私は騎士団の隊服しか着てこなかったから、“ふぁっしょん”なんて全然分からないぞ?」

【種類。色。原料。金額上限】

「……足首が…鉄枷が隠せるものなら、あとはウーフニールに任せるよ…コレって鍛冶屋で外してもらえないのかな」

【ギルドより秘匿命令が出ているうえ、鉄枷を嵌めた小娘の存在は注意を惹く】


 きっぱり断られた案件に顔を曇らせるや、ロゼッタの足を優しく持ち上げる。鉄枷をジッと見つめ、自身で破壊できないか検討しているのだろう。

 片足をバタつかせるように様々な角度で見回すも、やがて無念そうに溜息を吐いた。


 ロゼッタも床に降ろし、ニッコリ彼女に微笑みかける。


「じゃあ話も決まった事だし、夜更かしも良くないだろうからな。そろそろ寝た方がいいぞ?勉強は明日でも出来るからな」


 金糸の髪を梳くように撫でるが、緑の瞳は無表情のままアデランテを見つめ返していた。

 途端に覚えた言葉の壁にギコチなくウーフニールの助けを乞い、すかさず本を差し出せば、開かれたページの内容に途端に顔色が明るくなる。


 直後に受け取ったアデランテは本を見開き、子供がベッドで寝ている挿絵を何度も指す。


「お・や・す・み…だぞ?」


 同じ言葉を何度もアデランテが繰り返せば、ようやく伝わったのだろう。突如閃光が走って顔を逸らすや、次の瞬間にはロゼッタも消えていた。

 即座にウーフニールを見れば、細めた瞳が彼女の安否を保証してくれる。


 ホッと胸を撫で下ろし、それから他愛のない雑談を交わせば、日課通りアデランテは地下闘技場へ向かった。

 その間も教材を書架へ戻していくが、同時に意識はパクサーナの視点も映し、ベッドで仰向けに寝るロゼッタを見下ろしていた。


 

 雑談の中、更新された目標は新たに2つ。


 1つは彼女の運動能力向上。次に衣服の購入。

 前者はロゼッタの頑張り次第だが、日頃の奮闘ぶりからそう長くは掛からないはず。後者もアデランテが告げたように、十分金は余っている。

 加えて外出が出来れば、“ロゼッタ”に関する情報が集まる可能性もあった。


 パクサーナの姿が共にあれば、確率は一層増すだろうと考えた矢先。ふいにロゼッタが瞼を上げ、ジッと天井を見つめ出した。

 それからウーフニールに視線を移すが、臓書に飛び込む気配は無い。意図の伝わらない瞳を眺め、やがて諦めたように肩を落とす。


『……いいから寝ろ』


 パクサーナの声で零された一言に、ロゼッタも素直に瞳を閉ざした。程なく小さな寝息が聞こえ始めるが、監視の眼を緩める事はない。

 おもむろに少女の長い髪に触れ、太陽が如き金糸にソッと指を通す。


 赤子のような柔らかさは、アデランテが何かと頭を撫でるには十分な理由であろう。しかしウーフニールの関心はかき上げた彼女の髪の下。

 オルドレッドよりも少し短く、人間に比べれば長く尖った耳にあった。


 白い肌は“ダーク”エルフと呼べず、果たして彼女が何者なのか。アデランテを通して情報を集めるほかない事態に、暗闇で小さな溜息を零した。

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