155.二限目、実戦力学
「…おまじない。あまり効果なさそうね」
占い屋から逃げるように去ったのち、ポツリとオルドレッドが愚痴を零す。ペンダントの返品も丁重に断り、不満そうにパートナーが口を尖らせた刹那。
「ひゃぁんっ!!?」
突如上ずった声で彼女が囀り、胸の谷間に手を突っ込んだ。勢いよく取り出した通行証は不自然に輝き、文字も真っ赤に光っている。
直後にキッと鋭い眼差しで睨まれたが、同時にオルドレッドの意図も伝わった。即座に走り出せば、数分と経たずに会議室へ繋がる扉に辿り着く。
しかし開けた先に広がった光景は、壁の紋様も絵画も無い。学徒が行き来するだけの空間に戸を1度閉め、もう1度開いてみるが結果は同じ。
恐らく学徒の寮に繋がるであろう通路に、オルドレッドと互いに見合わせた。
直後に足音が背後から響き、一斉に振り返れば女子学徒たちがビクリと肩を震わす。冒険者たちの視線に慄いたものの、すぐに道を譲れば恐る恐る通り過ぎていった。
チラッと一瞥されるとニッコリ微笑みかけ、途端に1人は俯いて耳を赤く染める。1人はそっぽを向いて頬を紅潮させ、オルドレッドは憮然とした表情で睨んできた。
一瞬不穏な気配が漂ったものの、すぐに扉を閉めれば通行証が突き付けられた。
「“鍵を回さば門は開く。オルドレッド・フェミンシアに命じるは、導師カルアレロス・デュクスーネなり!”」
呪文を唱えれば扉が輝き、迷わず飛び込んだ先は見慣れない空間だった。中央には巨大な水晶球が浮かび、それを囲うように長机が段ごとに並んでいる。
それでも場所そのものは想像がつき、奥で手を振る準導師が何よりの証拠だったろう。
「…まるで子供のお迎えみたいだな」
「しーっ!準導師様がお見えになるわよ!」
ふと零した感想をピシャリと黙らされ、歩み寄ってきた依頼主と合流を果たす。再会の無事を祝いたいのも山々だが、ふと笑みを浮かべる彼に疑問を覚えた。
どことなく落ち込んで見えるのは、会議の進捗が芳しくなかったのかもしれない。
「いやはや、出迎えご苦労!待たせてしまった間に有意義な時間は過ごせたかね?」
「おかげさまで…ところで会議の方はどうだったの?浮かない顔をされているけれど」
「む?う~むオルドレッド殿の観察眼には感服いたす……それに関しては小生より謝罪せねばならない事がある…」
すかさずオルドレッドが指摘するや、彼の背後に迫った影に素早く護衛は反応した。脇を固めるように佇めば、冒険者たちの並々ならぬ気迫に相手もたじろく。
「……うぉー…そいつらがお前の言っていた護衛かぁ?」
「かっ、彼は小生の同僚にして“実戦力学”の講義を受け持つ…」
「準導師ズィレンネイトだ!宜しく頼むぞ冒険者諸君っ!」
依頼主が慌てて捕捉し、妻との間を取り持った友人とも説明を付け足す。ひとまず警戒を解いた所で空気も和らぐが、知人もただ居合わせたわけではない。
準導師が互いに目で会話するや、何も告げずに進み出した彼らの後を追った。
部屋を出れば再び独特な壁の紋様と絵画が出迎えるも“門番”の姿は無い。他の導師も帰路に就いているが、依頼主はズィレンネイトに付き従っているらしい。
その間も彼は肩を深々と落とし、すかさずオルドレッドが直前の会話を問い直す。
「…実は彼と合同で講義を行なう運びになってしまい、貴公らにも参加してもらう事になる……いずれ護衛の件を知られるとはいえ、うっかり話したばかりに…誠に申し訳ない」
「私たちの実力を示す機会になるんだから、丁度良いんじゃないのか?」
「貴公らの腕前を疑うつもりは毛頭ないが、これより会う生徒たち含め、互いに怪我をされては元も子もない。出来る限り穏便に済ませてもらいたいのが本音になる」
「……それで、具体的に何をする事になっているのかしら?」
「模擬戦闘、と聞いてはいるが会議中の話ゆえ、小声でよく聞こえなかったのだ…」
安請け合いよりも、内容を知らぬまま同意した自身に辟易しているのだろう。次回の講義変更も余儀なくされ、嘆息を零す依頼主から“知人”へ注意を移す。
他の魔術師と同じくローブを羽織っているが、鍛えた筋肉が服越しにも伝わる。動きを制限する要素を極力削り、腕周りも机仕事とは無縁に感じた。
“実戦”力学の講師を務めるだけあって、護衛も引き連れていないらしい。
カルアレロスに留まらず、ズィレンネイトの腕前も見たいと思う傍ら。ふいに廊下端の扉で立ち止まるや、かざした手が放つ鈍い光が戸を包み込んだ。
間も置かず中へ入っていき、アデランテたちも遅れずに移動した時。突如吹き付けた風に髪がなびき、視界には巨大なグラウンドが広がった。
手入れの行き届いた芝生は瑞々しく、寝転がるにも丁度良いだろう。
しかし背後で聞こえた咳払いに振り返れば、満面の笑みを浮かべるズィレンネイトの姿が映る。
「突然すまなかったな!いやいやいや実戦力学と言いながら、模擬戦をいざ始めれば子供の遊び染みてしまうんでな!より緊張感のある教材を生徒に提供したいと思っていたところだ!」
「…だからと言って小生の護衛を独断で講義に参加させるのは如何なものか。貴公でなくば謀反で警戒を露わにしていた事になる」
「細かいことは気にするな!お前の祖父さんが言ってた冒険者を護衛にしたって聞かされて、誘わない手はないだろ!?いやいやいや噂に違わぬ別嬪だな!!」
「カルアレロス様のお爺様をご存じだったのですか?」
「知ってるも何も、祖父さんの冒険譚を聞いて己は一時期冒険者をやっていたからな!こうして会えたのは光栄の至りだ、オルドレッド・フェミンシア殿!それに…アデライト殿、だったな?ようこそ魔法大学へ!」
豪快な笑い声は腹底まで響くが、2人の関係もまた明け透けて伝わってくる。
片や祖父の昔話を聞くだけに留まり、片や期待を胸に大学を飛び出した。その冒険譚の登場人物たるオルドレッドに、賑わいが一際騒がしくなった直前。
「こちらこそよろしく。それで、私たちは何をすればいいんだ?」
アデランテが割って入るように冷静な一言を零し、彼らを現実へ引き戻す。ズィレンネイトが咳払いすれば、改めてグラウンドを眺めながら説明を始めた。
“実戦力学”では、魔力の放出量と距離を測るため。強いては出力を自在にコントロールすべく、練習用の杖が使用される。
先端から無害な着色料が噴出され、普段は的を相手に。あるいは学徒同士で精度を競わせるが、緊張感の欠如から講義は雪合戦も同然。
そこで“熟練”の冒険者を投入し、本場の戦闘を片鱗だけでも体験してもらう。己の実力が何処まで通用するのか学ぶ良い機会だとのたまった。
「――…つまり私は生徒を片っ端からシバけばいいのか?」
「無傷による無力化、最低でも打撲程度で留めてもらいたい!己が立ち会っても “相手が準導師だから仕方がない”と言い訳されるばかりなのでな!」
「貴公の講義内容が単純すぎるのだ。もっと生徒の探求心をくすぐるような内容をといつもだな…」
張り切るズィレンネイトの相手を依頼主がする間、スッと2人から距離を置く。準導師たちを視界に捉えつつ、護衛もまた肩を突き合わせた。
「何だかあなたが参加する流れになっているけれど、アデライトはそれで問題ないの?」
「片方は依頼人の傍を離れるわけにもいかないだろうからな。それにオルドレッドの身に何かあっても私が困る」
「あら?まるで私の実力を疑っているように聞こえるわね」
「パートナーの身を案じるのは当然だろう?依頼を受注したのも君だしな。私は性格柄、交渉ごとには向いてないんだ」
「…あなたの方が私より冷静な気がするのだけれど……でもアデライトの実力をこの目で見た事がないのも事実だし、お手並み拝見させてもらうわ」
「パートナー契約を切られないよう精進するよ」
肩を竦めるアデランテにクスクス笑みが囁かれるも、話が纏まったところで一行が通った扉が開かれ、ぞろぞろ学徒が姿を現す。
手前に置かれた実習用の杖を手に取るが、参加人数は魔晶石学の半分にも満たない。
それでも皆一様に冒険者を注視し、ズィレンネイトの号令に誰もが飛び上がった。
「皆の衆!!本日は準導師カルアレロス並びにその護衛2名の協力の元、実戦により近い形で講義を行なう事になった!本講義は魔晶石学も兼任するため、心して参加されよ!」
講師の熱意に反し、鼓膜を震わす声に学徒は辟易した様子を見せる。それを除けば彼らの反応は様々で、“実戦”と聞いて気合を入れる者。
魔晶石学の講義を予期せぬ機会に受けられて喜ぶ者。“冒険者”の参加に不満を表す者。
いずれにしても普段と異なる様相の講義に、期待を膨らませているのが見て取れた。
ズィレンネイトが講義を進め、早速学徒が1人。そして冒険者を代表し、アデランテが前に進み出る。
「片や剣。片や魔法。互いに十分距離を取り、開始の合図と共に相互仕掛けること。勝敗は片や着色料が身体の半分を染めた時。片や前面、あるいは背面を地面につけた時…以上!」
説明は至ってシンプル。開始位置も互いに遠く、身を隠す場所もなければ遠距離戦は魔術師の土俵。
早々にハンデを背負う中、アデランテが出来る事は限られていた。
「はじめっっ!!」
開戦と同時に相手は杖を掲げ、ブツブツと詠唱を始めた。
だが途端にアデランテが眼前まで間合いを詰めるや、驚いた拍子に集中力を切らす。最初に傷だらけの顔が見え、直後に学徒の背中に衝撃が走った。
それから空が視界に映り、直後に剣の切っ先が眉間に突き付けられる。
突然の情景に誰もが言葉を失うが、我に返ったズィレンネイトが「次ぃ!」と叫べば、声にビクつきながら新たな挑戦者が進み出た。
しかし結果が覆る事は以降も無く、詠唱中に無力化されるとやがて2人。3人。
ついには集団で投入されようとも、後半は剣も抜かずに素手で制圧していく。
ようやく静寂が訪れる頃には、学徒があちらこちらで意気消沈。自身の能力と現実の差が身に染みた所で、すかさず講師が彼らの前に立つ。
「いいか!お前たちが決して弱かったのではない!知恵が足りなかっただけだ!」
「……ズィレンネイト。言いたい事は分かるが、言葉をもう少し選ばねば誤解を生む…おほん。我ら魔術師の武器は知識であり、知識は経験から生まれるものである。諸君らは知識を学ぶべく大学の門を叩いたのだろうが、小生たち導師相当の魔術師から話を聞いているだけでは、決して高みを目指す事はできない」
「早い話が身体を動かす事だ!自ら動かねば経験など得られようはずもない!先程も体感した通り、敵は呑気に詠唱を待つわけでもなければ、発動したところで当たるとも限らん!」
「ゆえに体力作りも実戦では大切になる。走りながらの詠唱。あるいは接近に際し、最低限抵抗できる筋力や身のこなしを備える事も…」
交互に講義を続ける2人に、学徒も熱心に耳を傾けている。
話の中には魔術が決して万能な力ではない事。そして自らに足りない力は他者に委ね、自身もまた他者が求める力となる事。
講師としての威厳を感じる説教が続くが、程なく話はズィレンネイトの冒険者時代へ移行し始め、慌てて依頼主が話題を戻した。
魔晶石学において、体内における効率的な魔力の操作による詠唱の短縮。杖から円滑に魔術を発動する方法。
それらを座学ではなく、身体を動かしながら見せる講義に学徒は目を輝かせた。
一方で置いてけぼりの冒険者は警戒しつつ、ソッと距離を取って互いに歩み寄った。
「…私でも相手をしたら負けてしまうわね。怒涛の勢いで青銅等級に上り詰めた冒険者の噂もバカにできないって事かしら」
「褒めても何も出せないぞ……あぁでもペンダントの…」
「お礼はいらないったら。ところでアデットもあなたと同じくらい強いの?最後に会った時は鉄等級で止まっていたと思うのだけれど…」
隣に立つオルドレッドが身体を傾け、否が応でも豊満な胸が視界に入る。だが彼女もアデランテの胸元を見つめ、首から下げられた鉄のプレートを一瞥していた。
“妹”が存在する証とは言え、彼女が表に出てくる日は何時になるのか。見当もつかない事象に憂鬱を覚えるも、ふとパートナーの腕がアデランテに密着した。
心配そうに顔を覗かれ、吸い込まれるような青い瞳が絡みつく。
「…必ず会えるわよ。私だって彼女に伝えなきゃいけない事があるんですもの。2人で探せばきっと……そう考えるとギネスバイエルンにずっと留まってるのも得策じゃないのかしら。何か心当たりになるものでもあなたの方でない?」
「……私よりしぶとい奴だから心配はしなくて良いと思うぞ…そ、それより依頼人とその知人がコッチを見てるんだが…」
慌てて話題を変えれば、オルドレッドの意識を無理やり逸らす事に成功する。
彼女の視線の先には大学陣営が呆然と2人を眺め。ようやく互いを認識すると、すかさずカルアレロスたちが近付いてきた。
「…大変申し訳なく思うが、貴公たちにも指導役として今後参加を頼めぬだろうか?」
「……私たちが講義に?それって大丈夫なのかしら」
「魔術の行使は当然だとして、接近戦では為す術が無いというのも問題だ。かと言って己が教えられるのは、筋トレや体力の向上が関の山…」
「早い話が生徒への体術を指南してもらいたい。もちろん報酬は特別手当として払う事になる…ズィレンネイトが」
「己がっ!?割り勘、割り勘でどうだ!」
「…報酬手当はともかく、護衛が本来の依頼だから、私たちの内1人は必ずカルアレロス様に就く事になるわ。ですからズィレンネイト様の実力を過小評価するわけではありませんが、あなたのお守りをするのは厳しくなります」
「な~に心配ご無用!命を取られる程重要な立場でもなきゆえな!お2人が良ければ是非“実戦力学”の助手として参加してもらいたい……それと割り勘だからなカルアレロス!お前も魔晶石学を教えやすいからと言って乗った話だろう!」
「小生には妻がいるうえ、自腹を切った研究費と合わさって生活が困窮してしまう事になる」
「そもそも己が紹介した女であろうが!!そうでなければ今頃うじうじと手も出せずに…」
他愛のない口論が熱を帯びる前に、オルドレッドが素早く間に割って入る。報酬は事後交渉として話がまとまったところで、遠巻きに眺めていた学徒たちの“実戦”力学が再開された。