150.一限目、魔晶石学
講師室の扉を抜けた先は、アデランテたちが転移した応接間だったはず。それが部屋を跨いだ瞬間に広大な空間へ踏み出し、思わず足を止めてしまった。
奥まで続く階段状の床には長机が並び、所狭しと若人が着席。肩から下をローブで身を包み、一斉に向けられた視線の数はウーフニールに匹敵する。
もっとも両者共に固まっていたのだろうが、正面の教卓へカルアレロスが向かうや、彼の第一声が途端に空気を払拭した。
「それでは魔晶石学の講義を始めたく思う!そも、魔晶石へのアプローチは実に精密で、乙女の柔肌をくすぐるような繊細さが求められ……」
何事もなる始められた講義に、学徒も手元のノートに筆を走らせる。日頃の授業風景が静かに映し出され、いまだ戸惑うアデランテに反してオルドレッドは流石と言うべきか。
依頼主に合わせて歩き出していた彼女は、ごく自然に部屋の反対側へ移動していた。そのまま壁に背を預け、護衛の空気を醸す彼女を真似てアデランテも壁際に佇む。
それから依頼主の安否やオルドレッドの様子を確認しつつ、扉の状況を。さらに学徒たちの動向を観察し、程なく視線は彼らが所持する魔晶石に移った。
依頼主の合図に従って度々触れては戻し、繰り返される動作を見つめていたおかげで、時折目が合った学徒が気まずそうに目を逸らす。
(……座学の時間に私は何を警戒すれば良いんだ?)
【受講中の学徒による奇襲。部屋外より突入する侵入者の襲撃。移動中に想定しうる対立候補陣営の妨害行為ならびに生命への脅威。魔法陣による罠。毒殺。刺殺…】
(随分詳しいんだな)
【依頼受諾前に男が話していた】
(…たぶん、丸々聞いてなかった部分だな。とにかく誰も近付けるな、身の回りには常に注意しろ、って所か)
【現在の最大脅威は魔晶石による爆破】
(爆発って…デッカい蜘蛛の魔物に使ったやつか。あの時は生き埋めにされるかと思ったな)
【ウーフニールは分身ごと消し飛ばされた】
(でも目標は達成できたろ?)
唸り声に思わず笑いかけるも、今は覆面を外している身。強引に感情を抑え込めば、すかさず“当初の護衛対象”へ視線を移した。
彼女の海が如き青い瞳は、受講者と講師を交互に監視している。鋭い眼差しや護衛然とした貫禄に、刺客がいるのなら二の足を踏む事だろう。
だが1番の要因は彼女の注意が依頼主へ向いた途端。組まれた腕に胸が持ち上げられ、青年たちの視線を釘付けにしていたため。
時折女子も鑑賞会に混ざり、オルドレッドの容姿を隅々まで観察していた。
講義かパートナーへ集中しているおかげで、護衛の仕事も幾分か軽減されるが、だからこそ学徒による暗殺も想像できなかった。
依頼そのものに疑問を持つアデランテに、すかさずウーフニールが言葉を震わす。
【どうした】
(……何度見ても普通の授業風景って感じだし、依頼に対する緊張感ってのが湧いてこないんだよ。大学に来たって言っても部屋3つしか跨いでないから、単純に現実に追いついてない部分もあるんだろうけど)
【大学長に選ばれた者は魔術師の未来を握る立場にある。ゆえに所属陣営の候補が当選した場合、支持者もまた恩恵を授かるために、犠牲を厭わず過激な行動に出る輩も多いと聞いた】
(たとえば?)
【魔物学より持ち出した酸を相手陣営の講師に掛けた事件。植物学で盗んだ毒草を栽培し、敵対する支持者たちを殲滅すべく計画した事件。他多数】
(…“学びの場”って呼ぶには治安が悪すぎだろ。じゃあ依頼人も何かやられたからオルドレッドを呼んだって感じなのか?先生をやってるくらいなら、自分の身くらい守れるだろ?)
【助手が“事故” により療養中】
(……なるほどな)
警戒を続けながらも耳を傾け、いくらか緊張感を覚えた所で小さな溜息を吐く。
今でこそカルアレロスは堂々と講義しているが、彼の前に並ぶのは2桁を超える刺客候補たち。挙句に全ての敵が殺意を持っているわけでもなく、中には買収や脅迫。
やむにやまれぬ事情で刺客に仕立てられ、そんな輩をいちいち相手取っていてはキリが無い。
かと言って休講したくとも、長く休めば相手陣営に屈した証を立てる事にもなる。所属陣営の評価を落とす一端を担い、支持候補もまた影響を受けるだろう。
ウーフニールの話では大事を取って、水晶級による遠隔講義を行なう講師もいるらしい。
しかしあえて姿を晒す事で、支持候補の威厳を示す事にも繋がる。熟練の護衛も同伴すれば、当人の人脈の広さも同時に誇示できよう。
そして依頼主の一挙手一投足が評価に繋がるなら、アデランテもまた品定めの対象。改めて気を引き締め、監視任務に戻ればふとオルドレッドの視線とかち合った。
階上へ向かうよう瞳で指示され、歩き出した彼女に並行して脇の通路を昇っていく。
机を通り過ぎる度に学徒の緊張が伝わるも、やがて最上階の角に到達すれば、部屋全体を見下ろせる景色を一望した。
ここからなら学徒の手元も監視でき、新たな風景の感触を確かめていたのも束の間。ふいに反対側からオルドレッドが接近し、通路を半分歩いた所でピタリと止まった。
そのまま勿体付けるように正面へ向き直り、その場に留まる彼女にチラッと一瞥される。
するとアデランテの足は魔法のように動き、気付けばオルドレッドの隣に佇んでいた。壁に背を預ければ同じく依頼主を見下ろし、奥まで届く彼の声が鼓膜を震わす。
「――…随分と生徒に人気者みたいね。青銅等級冒険者のアデライト・シャルゼノート様?」
ぼそりと呟かれ、一瞬オルドレッドを見つめるが視線は交わらない。彼女の注意は学徒に向けられ、倣うように監視へ戻りつつ疑問を自らに問う。
(…そんなに見られてたか?)
【平均約13名は必ず貴様を観察していた】
「う~ん…警戒されてるのかもな。顔に傷だらけの冒険者なんて物騒なだけだろうから…授業の邪魔にならなければいいんだが」
「な~に言ってるんだか。あなたを見てるのは女の子ばっかりよ…まぁ色香を振り撒いてもらえれば?奇襲を警戒しなきゃならない相手も減るし、顔を覚えてもらえたら将来有望な魔術師と縁が出来るかもしれないわねっ」
「……色香?」
心なしか不機嫌なオルドレッドに、チラッと殆ど晒された褐色の肌を一瞥する。
太もも。腹。
胸から首。二の腕。
仮に装備を全て脱いだところで、見た目はほぼ変わらないだろう。彼女の妖艶な雰囲気も相まって、街でも流し見る男たちは大勢いた。
「…案外視線って本人は気付かないもんなんだな」
「な に が?」
声は依然小さく、しかしウーフニールに引けを取らない気迫に肩がビクつく。
ソッと盗み見れば、彼女の瞳は真っすぐアデランテに向けられ。怪訝な表情に喉を鳴らすと、慌てて話題を切り替えた。
「オ、オルドレッドは依頼人のジイさんとは親しかったのか?」
「…あらっ、もしかして妬いてるの?」
「孫に頼られるくらいの仲なら、本人に色々教えてもらったのかと思ってな。大学のことや魔法の使い方とかさ」
「……魔晶石が爆破に使える知識だけね。今では知ってる人も珍しくはないけれど、当時は門外不出の技術だったのよ?」
肩透かしとばかりに顔が歪むも、気を逸らすには十分な話題だったらしい。首を捻れば記憶を辿り始め、しばしの沈黙の末にようやく口を開く。
「……それと…そうね。一応当時の大学の様子も聞かされてはいたわ」
「どんな感じだったんだ?」
「聞くだけ無駄よ。学長の入れ替わりが激しくて、その度に制度もがらりと変わるんだから。大学の名前だって昔はトップに就任した人が毎回付けてたらしいわよ?」
「そうか……私も授業を聞いてたら、魔法が使えるようになると思うか?」
「…魔晶石学の講義では難しいんじゃないかしら」
訝し気な回答に落胆するも、ふいに大声を上げたカルアレロスに思わず視線を向けた。彼の片手には拳大の魔晶石が掲げられ、急速に青い光で満たされていく。
周囲の光を吸収するような錯覚を覚えるや、次の瞬間には――ボンっと。爆発するような小音が室内に響き、青黒い石ころが夜空の如く輝いていた。
「実戦力学と運用は同じ!杖を用いずに己が掌から魔術を直接行使するように集中!さすれば魔晶石は充填され、貴公らの実戦に役立つ頼もしい魔力補給の道具として役立つだけでなく、体内の魔力を操作する術も同時に身に着ける事になる!」
高らかとカルアレロスが説明するや、学徒も一斉に魔晶石へかじりつく。両手に包めば“気合”を籠め始め、中には手首を掴んで身を震わす者もいる。
苦悩と努力の末、彼らの成果も実ってか。石を明滅させる者もいれば、ロウソクの火が如く淡い明かりを延々灯す者もいた。
課題をクリアした学徒には賞賛を。難航すれば原因は才覚でなく、個人の魔力の貯蔵量が足りない可能性を指摘。
実戦力学の重要性を説いた上で、よく食べ。よく運動し、よく休息するようにカルアレロスは告げる。
「…オルドレッド。実戦力学ってなんだ?」
「さぁ?」
(ウーフニール?)
【該当情報なし】
回答の行き止まりに顔を曇らせ、学徒に倣って掌を開閉する。魔力の流れについて考えるが、内に流れるのはウーフニールのみ。
魔術を習った所で行使できるか不安を覚えるも、ふと依頼主に視線を戻した。
彼の手元では魔晶石が輝き、独りでに形を変えていく。程なく鳥の像が模られ、続けて造形術についても語られた。
熟練者ならば魔力を操作し、魔晶石の形を変える事さえ出来る。戦闘には不向きな技術であっても、自室に置けば装飾品に早変わり。
非常時の魔力供給にも使え、訪問客に自らの実力を仄めかす事も可能。また部屋を美しく飾る事により、魔術師の目と心を保養する効果もある。
「魔術の基本は揺るぎ無い精神にある!何も魔晶石の造形に捕らわれる必要はない。貴公らの思う通りに生き、そして魔術を人々のために役立てるように!」
彼の演説はまだまだ続く。再び魔晶石の基礎を繰り返す依頼主の話に飽き、学徒へ再び警戒を移した時。
「――…聞きたい事があったなら、準導師様にもっと話しかけても良かったのよ?」
ふいにオルドレッドが顔を寄せ、小声で話しかけてきた。
「…口下手なんでな。余計な事を言って会話をこじらせたくはなかったし、依頼を受けたオルドレッドの顔を潰すわけにもいかない」
「パートナーなんだから気にしなくたっていいわよ。向こうも必死みたいだから、ちょっとの事で騒ぎ立てたりもしないわ」
「……その心配もなさそうだがな」
「そうね」
二言三言交わしたのち、2人の視線はカルアレロスへと移される。 彼の立場や魔法大学の現状から質問に際し、罵られる可能性は十二分にあった。
“外部の人間が余計な事は考えるな”
“冒険者風情が口を慎め”
“言われた事だけをこなせ”
しかし想定された言葉は無く、最悪のケースも視野に入れた冷静さを持ち。支持候補を盲信していなければ、彼なりの信念から陣営に所属しているのだろう。
そんな男が支持する次期大学長が一体どんな人物なのか。まだ見ぬ相手への興味を惹き立てる事も、講師としての彼の魅力に違いない。
加えて万が一落選したらば、冒険者に転向した彼がオルドレッドと組む。そのような未来があったとしても、アデランテには好都合であった。
「――…でもね」
思考に埋没するなか、語り掛けられた声が注意を惹き付ける。視線を移せば、オルドレッドの微笑みがすぐ傍で映し出された。
「もしクビになって帰れなくなったとしても、私たちならきっとココから脱出できると思うわ」
一瞬肩をつけ、耳元に囁きかけた彼女はすぐに離れていく。元来た道を戻って行き、階段を下りるオルドレッドの横顔をジッと見送った。
それから彼女に続くべく階段を降り、講義風景をのんびり横目に捉える。“持ち場”まで残り6段を切り、一跳びで行けそうだと考えていた矢先。
腹底の唸り声に反応するよりも早く、颯爽と机の端に屈み込んだ。
「…やぁ」
小声で。それでいて傍の青年に聞こえる声量で話しかけ、目を見開いた彼は硬直する。
蒼白な表情は今にも倒れそうで、すぐにでも医務室へ運ぶべきだったかもしれない。
だがニッコリ笑みを浮かべたアデランテに、彼の強張った表情も一瞬緩んだ。
「少し教えて欲しいんだが、実戦力学とは何だ?」
「……そ、その名の通、り…実戦に、用いるため…ために、破壊魔法をまな、学ぶ…講義……です」
「そうか。話が難しくて理解が及ばなくてな、助かったよ。勉強の邪魔をして悪かった」
コクコク頷く彼に再び微笑みかけ、感謝を手で示せばサッと離れていく。依頼主の注意は惹かなかったものの、鳴り響いた鐘の音が彼の集中力を切った。
「時間である!次の講義では魔晶石より効率的に魔力を抽出する方法を伝授すべく、訓練場にて集合されたし!」
カルアレロスの号令に伴い、学徒がざわつきながら部屋を去って行く。通る扉はアデランテたちが入ってきた入口で、まさか全員が依頼主の私室へ向かうのかと。
目を瞬かせる護衛をよそに、やがて物音1つしなくなる。程なく準導師が深い嘆息を漏らせば、アデランテたちに交互に向き直った。
「うむうむ!貴公らには感謝してもしきれない!何事もなく講義を終えられたのも、ひとえに貴公らを雇った結果にある。この調子でこれからも護衛を頼み申す!」
1人満足そうに頷き、颯爽と歩き出せば向かう先はやはり同じ扉。今頃は学徒でごった返し、刺客候補だらけの密室に向かうのも気が引けた。
すかさずオルドレッドに視線を向けるが、疑問は共感されなかったらしい。むしろ講義中の“奇行”を無言で問われ、首を振って答えた所で注意は依頼主に戻される。
扉に触れた彼は講義室へ来た時も同じ事をしていたが、一体何をしているのか。疑問に答えるかの如く、開かれた先に現れたのは広大な渡り廊下だった。
流石のオルドレッドも驚くが、一方でアデランテは“慣れて”しまったのだろう。動じずに彼女を肘で小突けば、ハッとなってカルアレロスの後ろについていく。
その間に後ろ手に扉を閉め。一行の最後尾を悠々と歩くが、幸い彼らに気付かれた様子はない。
小さなナイフが、青年とアデランテの秘密と共に懐へ隠された所を。