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014.銀糸の魔獣

 コンマ数秒。

 左目に迫った矢を仰け反って躱し、額を掠めた一閃に片目を咄嗟に瞑る。


 即座に後退して傷口に触れてみるが、痛みはおろか出血もしていない。

 熱を帯びた感触は額に残るが、掠り傷程度では負傷にすら値しないようだ。


「…つくづく、とんだ体になったもんだよ……まッたく」


 肉体の便利さに助かる半面、人間性を引き換えに得た力に儚く微笑む。


 だが感傷に浸っている時間はない。

 腹底を揺さぶる警鐘から、即座にその場を飛びのいた直後に矢が背後に突き立つ。


【気を抜くな】

「くッ、分かってるッ。少し休憩をしてただけだ!」


 唸るように言い返せば、黒円に新たな紫点が浮かぶ。

 次の矢を警戒しつつ、接近する重々しい足音にも身構えていた時。


 首から下を甲冑で纏い、天井ほどもある背丈の大男がのっそり姿を現した。


 落ち窪んだ眼下はアデランテを観察し、やがて薄ら笑いを浮かべて弓を放るや、大斧を舐めるように取り出す。


「…今のと言い、最初の1発といい、よぅ避けたなぁ~銀糸の魔獣さんよぉ?」


 躊躇なく仲間の死体を踏み越え、悠然と距離を詰めてくる様子は、むしろ1対1の状況を望んでいたのか。


 一方のアデランテは近付く度に警戒を露にし、1歩ずつ距離を置く。

 来たるべき戦闘に備えるも、脳裏に引っかかった言葉が瞬く間に集中力を切らした。


「……ぎんしのまじゅう?なんの事だ」

【該当情報なし】

「おいアンタ!銀糸の魔獣ってなんの事だ?」

「あ゛ん!?順番待ちしと~た雑魚どもがそう言うとったぞ…違ぅてか?」

「そんなこと私が知るかよッ…それよりいいのか?お仲間まで仕留めちまって。見たところ、残すはアンタ1人みたいたぞ」

「はんっ。軍隊と違ぅて、山賊の下は替えがいくらでも利くきんな。テンメが気にするこたないば」


 快活に話しかけられるが、言葉の理解よりも訛りを聞き取る労力に神経が割かれる。

 情報を整理する隙を逃さず、一気に距離を詰めた男は壁を削りながら斧を横に一閃。

 振りかぶった凶悪な一撃が、礫ごとアデランテを襲う。


 咄嗟に屈んで避け、背後の壁が砕けると同時。

 足元をすり抜け際に膝裏を斬り付けるが、火花を散らすだけで手応えはない。


 挙句に相手が屈んだ事で狙いも逸れ、苦虫を噛み潰すアデランテの体を影が覆う。



 立ち上がる時間もなく、振り下ろされた斧を這うように素早く躱し、身をよじった拍子に投けたナイフは片腕で弾かれる。


 間髪入れずに本命の一撃を脇へ突き出すも、見た目にそぐわぬ身軽さで男は横に回転。

 甲冑で追撃を阻まれ、振り向き様に繰り出された斬撃に、相手の胴当てを蹴って辛うじて避けた。

 

 そのまま距離を取るが、目まぐるしい戦闘でウーフニールの警告に反応しきれない。

 おかげで勢いよく背中を壁に打ち付け、息が詰まると一瞬動きが止まってしまう。

 


 素早く動き回る獲物を仕留めるには絶好の機会。

 だというのに、男が攻めてくる様子はない。


 苦し気に見上げれば斧は肩に担がれ、アデランテを遠巻きに観察していた。


「……テンメ危なかぁ。あんに回避したんは生まれて初めてだで」 

「…そう言うアンタも随分強いんだな。軍隊がどうのって言ってたのは、どこかの国にでも仕えてたのか?」

「おうとも!つーても、ほかの国と合体しちまって規律だーなんだーのお飾りの騎士団になってば。つまらんて傭兵やって、儲からんで今は山賊やっと…それにしてもテンメも強ばってん。戦争慣れしちょー動きして、テンメも騎士ばい?」

「元、な…ただアンタよりひっどい落ちぶれ方したけど」

「ギババババババババっっ!!同業者じゃチンピラの群れで相手になりゃせんと!しっかし見たとこ、酷くなかぁ見た目しちょるき。落ちぶれたゆんは、誰かの小間使いでココに来させられたんけ?1人で攻めるにゃ割に合わん仕事きの」


 笑いながら斧で素振りを始めるや、風を切る重々しい音は断頭台を彷彿させる。



 かつて懲罰房に放り込まれた前科の数に、「累積的に死刑となってもおかしくない」。

 そんな事を岩の下の仲間たちから忠告された思い出が蘇るも、すでに1度滅んだ身。


 ついほくそ笑めばピタリと男は動きを止め、不気味そうにアデランテを見つめる。


「…指図されて旅をしてるのは事実だし、割に合わないって猛反対を喰らったのも本当だ。けどな、ココに来たのは――私の意思だッッ!!」


 地面を蹴り、十分呼吸の整った突進に今度は男が面食らう。

 咄嗟に斧で防ぎながら下がるも、彼の注意はアデランテの腰に下げた剣へ配られる。





 何故手下の武器を使い続けるのか。

 それらの切れ味の悪さは頭領たる彼が1番良く知っていた。


 十分警戒していたものの、ようやく抜いたと思えば危うく首を落とされそうになり、息を呑んだのも束の間。


 弾いた剣が即座に反転し、繰り出される連撃にたまらず下がりながら応戦する。

 獲物を確実に仕留めるために振るわれる猛攻は、男に反撃の隙を一切与えない。

 部下と死闘を続けていたとは思えない勢いも衰えず、速度はさらに増していく。


 挙句に切っ先は生身の首だけでなく、関節をも的確に刃先が掠め、アデランテの技量に恐怖すら抱かされた。

 


 だが重装備の相手にはそれがセオリー。


 表情を一変させた男は甲冑で強引に斬撃を弾き、アデランテに斧を振り下ろす。

 避けられた刃先は深々と地面に突き立てられたが、引き抜かれる事はない。

 そのまま大地を割って振り上げ、一閃を躱そうとも無数の石礫が容赦なく相手を襲う。


 常人ならば怯むか引き下がり、その隙に距離を詰めてズバっと一撃を入れる。

 それが重戦士にのみ許された戦闘のセオリー。


 だというのに、アデランテは迷わず前に突き進む。

 頬を掠める礫に瞳を細めれど、鋭い眼光は男にだけ向けられていた。



 振り上げた剣は斧の柄で受け止めるも、体格差を物ともせずに背後へ押し込まれる。

 咄嗟に踏み堪えれば鍔迫り合いに移行するが、上半身に体重をかければ男が有利。

 今度こそ圧倒的な体格差で押し返すや、瞬時にアデランテが背後へ身を引いた。

 

 当然バランスは崩れ、前のめりに倒れ込んだ刹那。



 空間を切り裂くように刃先が振り上げられ、咄嗟に仰け反った男は下に。

 斬り上げたアデランテは上へ。


 互いの位置が瞬時に逆転し、崩れ落ちる男にトドメを刺すべく、振り下ろした剣が眉間に振れる寸前。

 腹部を殴られる衝撃がアデランテを襲い、背後へ無防備に転がっていく。


 ようやく両者は起き上がるが、一方は地面に這いつくばって腹を。

 もう1人は片手で顔を押さえ、勝ち誇った笑みを浮かべていた。


「…ギ、ギバババババ!テンメ…テンメの剣は模造けえのぅ?片目潰されでも、斬られちゃあせんと!!」


 男の声は落盤を引き起こしそうなほど大きく、また頭痛すら覚えてくる。

 少しでも離れるように体を引きずったアデランテは、背後の壁に体を預けた。

 思考と疲労を落ち着けようとするが、息をするだけで腹部が痛む。


 見下ろせば短剣が深々と刺さり、戦場で幾度も経験しているとはいえ、一生慣れる感覚ではない。



 激しく体を動かしていた運動量とは関係なしに、鼓動も速く脈打っている。

 視界はボヤけ、意識も時折火花が弾けるように明滅する。


 ありったけの意識で短剣を凝視すれば、刃には薄っすらと緑色の液体が浮いていた。


「目ん玉テンメにやる代わり、ちーっとズルしちょん。毒の刃はキツかろうて?でも自業自得き。木偶の剣使わんばったら、今頃俺がドタマに一撃もらって勝負は終わっとう。テンメに刃ぁぶつける時間もなかけ」

「…ぐふっ……アンタがいい装備を着込ん、でなきゃ、とっくに勝負はついて、た……お゛ぉ゛ぅッ」

「地道な山賊業の賜物じゃけんな。ええ鎖帷子も普段から着込んじょる。何なら今かんらでも脱いじゃるで?」

「…それで…ハァ、勝っても、つまらない…だろ」


 顔の痛みも忘れ、豪快に笑う男の声が遠くに感じる。


 荒い息遣いも、激しく脈打つ鼓動も。

 胸を握りしめたところで、音はますます大きくなるばかり。


「助けてほしか?」


 ふいに声が木霊し、気怠そうに顔を上げる。


「ギバババ。毒回ってば、まだそげな貌が出来んか。いい面構えじゃき…どうで?今からでも一緒に組んで山賊やらんき?」

「……俺の女になれ、位は…ぐっぷ言われると、思ってたけど…な」

「ギババ。確かにテンメの両の目ン玉は宝石みてぇに不思議で綺麗ば…じゃけん女で終わらせる方がもったいなか。テンメとなら、町1つ乗っ取れって!どうで?そんなら毒消しをやるき」 

「…んぐぅッ、うぇ………げぼぁッ!」


 辛うじて話を聞いていたものの、ひと際大きな衝動に嗚咽を堪えられなくなる。

 体を折り曲げるや、酸味と禍々しい色が混じった血反吐がまき散らされていく。


 吐けば吐くほど喉は焦がされ、腹に力が入る度に刺さった短剣が小刻みに震える。




――戦闘不能。



 脳裏をよぎる敗北の言葉に唇を噛みしめ、酸味を利かせた鉄の味が唇に滲む。


 しかし頬を緩め、強引に口元を腕で拭うとゆっくり顔を上げた。

 どこか遠くを見るような惚けた表情は、彼女の死期すら匂わせる。


 

 そして瞳の奥に宿る、底知れない深淵が男の表情を豹変させた。


「くっ、げほっげほっ…口説き文句としちゃ上出来だけど、悪党の仲間なんざ死んでも願い下げだ」

「…ほうかい」


 笑みを綻ばせるアデランテに、男は斧を構える。

 彼女に反撃する余力がなかろうと、幾度も死線を越えた直感が「殺せ」と男に囁く。


 無意識に地面を蹴って猛然と走り出すや、視界の先に映るのは相手の頭部。

 斧を容赦なく振り下ろせば確実に息の根を止め、たとえ両腕で庇おうとも、そのまま切断できる勢いを有していたはず。



 だが渾身の一撃は意図も容易く。

 それも片腕で軽々と止められてしまう。


 松明の光を反射する鉄籠手に阻まれたと思いきや、切っ先は確かに肉へ食い込んでいた。

 それでも出血はおろか、柄を掴む指先に伝わる感触は脂でも骨でもない。

 まるでブヨブヨした水袋のようで、手応えは一切感じられなかった。




《……専守(選手)、交代だ》


 ふいに聞こえた声に顔を上げるが、周囲にいるのはアデランテと男ただ2人。

 それも最初に聞いた勝気で、生意気な女のものではない。

 同じ口、同じ姿でも、底知れない暗闇から染み渡る声に血の気が引いていく。




――カラン、っと。



 続けて響く乾いた音に意識を向ければ、腹部の短剣が独りでに抜け落ちていた。

 傷口に広がっていた血の染みも消え、奇怪な現象に開いた口も塞がらない。

 切り込んだ斧も徐々に押し返され、比例してアデランテの腕が徐々に肥大していく。



 やがて男の腕回りを優に超すほど膨張した時、女の姿は跡形もなく消えていた。


 代わりに現れたのは男よりも大柄で、全身を黒い剛毛で覆われた魔物。

 見上げれば4つの目が妖しく光り、頬まで裂けた口から生暖かい息が吐き出される。


 心の臓が凍てつく光景を前にしながらも、不思議と理性は冷静に呟く。

 


 どこかで見た覚えがある。

 何かの機会で接したはず。



 頭の片隅で整理されていく記憶に、ふと“檻の中にいた魔物”が浮かんだ。

 思いのほかすぐに辿り着いた答えにハッとするが、では何故商品が外にいるのか。


 どうやって上物の女に化けていたのか。 



―グルォォォォォオオアアアッッッ!!



 思考が現実に追いつく間もなく、洞窟中に響き渡った咆哮に足が竦んでしまう。


 それでも長年の戦闘経験が咄嗟に武器を構えさせ、直後に薙ぎ払われた一撃を防ぐが、衝撃で斧の柄が捻じ曲がってしまった。



 まともに正面から戦える相手ではない。

 斧をトロールに投げつけ、踵を返せば洞窟の奥に向かって一目散に走り出した。

 

 脳裏には自室に置かれた高価な酒瓶が、机に置かれている情景が浮かぶ。

 2週間前に得た収穫品の中でも1、2を争うお宝だったが、命あっての物種。

 トロールに酒を浴びせ、松明で点火すれば切り抜けられるはず。


 勝算はまだあるが、封じられた片目と疲弊した体では甲冑の重さが堪える。

 思うように速度が出ず、いっそ脱いでしまいたいがそんな時間もない。



 そんな折、突如背中を襲った衝動に抗う術もなく、前のめりになぎ倒される。


「な、なんば!?」


 慌てて体を起こし、忌々しそうに振り返る。

 見れば足元には手下の死体が纏わりつき、外傷から察するに、女ごと弓で射抜いた男だった。

 虚ろな瞳は恨みがましく向けられ、絡みつく恐怖に邪魔者を必死に蹴り飛ばす。



 直後にズシンっ、と。

 地面が振動し、表情を硬直させたままゆっくり視線を上げる。


 それと同時に死体の武器を素早く抜き、トロールに投げつければ額に命中。

 うめき声をあげる内に急いで手下を蹴り出すが、足を手下ごと踏み抜かれてしまう。


 かつてない激痛に悶え、喉が潰れるほど悲鳴を上げた途端。

 黙れとばかりに口を掴まれ、軽々と持ち上げられた。



 視線が合い、魔物の熱い息が顔にかかる。


 相手は所詮獣。

 挙句に一撃見舞ったのだから、怒り狂って当然のはず。


 だというのに不思議と興奮した様子はない。

 まるで全てを理性的に処理しているようで、不可解な振る舞いに疑問符まで浮かんだ。

 さらに額から独りでにナイフが抜ければ、謎はますます深まるばかり。



 しかしタダで殺られるつもりはない。

 最後の抵抗にトロールの腕を殴り付けるが、一向に成果は振るわなかった。


 むしろ口が徐々に開かれるや、血の気が瞬く間に抜けてしまう。



 ずらりと並ぶ牙は糸を引き、すでに顔半分まで広がっていた口の端は、さらに首まで裂けていく。

 断面には鋭い歯が連なり、その姿はもはや魔物とすら形容し難い。



「――…銀糸の、魔獣ぅ…」


 引き込まれる刹那、手下が叫んでいた言葉が何度も反芻される。


 雑兵の戯言と嘲笑した事が悔やまれるも、全てはもはや手遅れ。

 祈る暇もなく、頭から口内へ放り込まれてしまう。



 彼にとって幸いだったのは、視界に映る牙に咀嚼されずに済んだ事。

 そして消化される痛みや恐怖も知らず、深淵へ沈むように意識が溶けた事だろう。

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