148.馬車道2
オルドレッドとパートナーを組んだ翌朝。早速ギネスバイエルンを出立したが、街を離れてから半日は歩いたろうか。
何もない荒野で待たされるや、1台の馬車が2人を迎えに現れた。
乗車すれば囲うように帆を降ろされ、オルドレッドを見ても肩を竦めるだけ。外界の景色を遮断されてしまったが、少なくとも警戒する状況では無いらしい。
彼女の口数の少なさに倣い、アデランテもまた口をつぐんだ。
それからも止まっては別の馬車に移り、全部で8回は乗り継いだかもしれない。
ようやく外が見える荷台に座れても、豊かな平原が地平線まで続くだけで。御者もいなければ、道を覚えた馬が黙々とアデランテたちを運んでいた。
一帯には車輪が街道を転がる音が木霊し、その間にチラッと席の向かいを一瞥する。
真っ先に視界に映るのはオルドレッドだが、彼女は進行方向か。はたまた馬を見ているのだろう。
緑がかった白髪のショートヘアは風になびき、美しく映える一方で褐色の肌を照らす日差しが、精悍な戦士の一面も垣間見せる。
吸い込まれるような魅力に呆けていたのも束の間。ふと彼女の視線がアデランテのものに重ねられた。
「暇になっちゃったかしら。ごめんなさいね、こんな長旅になるとは思わなかったでしょう?」
「乗り継ぎの回数には驚かされたが問題はないさ…それよりも何処へ向かってるのかは、まだ教えてもらえないのか?」
「ギルドにやらされた秘密の仕事内容と引き換えならいいわよ」
「…言えるならとっくに話してるよ」
「うふふっ…知ってる」
クスクス笑う姿は、やはり戦士よりも美女の側面が勝る。だが箝口令さえ無ければ話せる内容に、当人はもはや気にしていないようだった。
目的地のサプライズが勝っているのか。それとも冒険者としてギルドの意向に従っているのか。
どちらにしても彼女らしい気がして、思わずほくそ笑むと肩の力も抜けていく。再びオルドレッドに視線を向けるが、彼女もまたアデランテを観察していたらしい。
瞳は足周りに始まり。やがて下から上へゆっくり上がっていけば、必然的に目が合った途端に顔を逸らされた。
不思議な反応に思わず見つめ返し、ようやく観念したのか。小さな嘆息を吐くと彼女もアデランテに向き直った。
「……食料とか最低限必要な道具は用意するから、いつも通りの荷で平気って言ったのは私だけれど、軽装の域を超してるんじゃなくって?」
「身軽さが私の売りなんだ…と思う」
「腰に剣1本だけ差して遠出する事を身軽とは呼ばないわ。無謀って言うのよ」
「行き先を教えてもらえたら、何か持ってきたかもしれないぞ?」
「あら、責任転嫁するつもり?」
互いに見つめ合えば、自然と声にならない笑みが零れる。落ち着く姿勢で居住まいを直し、それまでの沈黙を晴らすように会話が始まった。
ギネスバイエルンで受けてきた仕事の話や、オルドレッドが泊まる宿の話。世話好きな女将に助けられる反面、有難迷惑な面も多々あった事。
無口な割には行動力があるため、止まった心臓の回数はもはや分からないと。しかし彼女の存在を差し引いても、宿泊する部屋は前パーティとの思い出がある。
だからこそ留まり続けていたが、過去に囚われないためにも。街へ戻った際は新しい住処を探すのだと意気込みを伝えられた。
彼女の決心を称えるように、あわやアデランテの宿泊先を伝えそうになるも。途端に喉がキュッと絞められ、ウーフニールの規制に止む無く口を閉ざす。
パートナー制度は了承しても、明確な境界線は引かれているらしい。それでも話題は今後築くであろう、2人の関係性について移った。
「――…パートナー契約?」
「そっ。アデライトも言っていたでしょう?複数パーティで1つの依頼をこなす事もあるって。そういう時は両者間で大抵は1つや2つ決め事をしておくものなの」
「戦闘の邪魔はしない、とか?」
「例えばの話だけれど、ギルドで受けられる依頼は1つ。実績も1パーティ分だけ。だから実績を得るパーティは少なめに報酬を貰ったり、活躍したら頑張ったで賞みたいな形で多めに渡したり…そんなところよ」
「報酬が少なくても私は全然構わないんだが…」
「そんなみみっちい話がしたいわけじゃないのっ」
困惑するアデランテの膝に両手を突くや、グッと顔が近付けられる。思わず仰け反れば上半身が荷台から乗り出し、胸倉を掴んだオルドレッドに引き戻された。
再び険しい表情が眼前に迫るも、解放されると元の座席に腰を下ろした。
「例えばの話だけれど、相方に何かあれば財産をどうするのかって規約ね。冒険者の間では珍しくもないわ」
「そういう話はあまりしたくないな…」
「あら、お金の話はしっかりしておくものよ?ちなみに私は半分をダニエルの実家に送って、残りをアデライトに渡そうと思っているの」
「いらないし、私が生きてる内は絶対にさせない」
「…ふふっ。頼もしいのね。それなら全部ダニエルの両親に送るから、あなたは見届け人って事でよろしく」
「させないって言ってるだろ?私が生きてる間に死なれてたまるかっ!」
「なっ、それはコッチのセリフよ!言っとくけどダニエルの二の舞なんて御免だし、勝手に死んだらタダじゃおかないんだからっ」
気付けば互いに腰を浮かせ、瞳しか映らない距離に立っていた。険悪な空気にアデランテが視線を切り、何も言わずに席へ着く。
オルドレッドも腰に手を当て、しばし見下ろしていたが程なく座り込んだ。
気まずい静寂に早くも解散の危機が訪れるも、決裂に至るまでは程遠いのだろう。アデランテはいまだ馬車を降りず、オルドレッドも契約の破棄を主張する事はない。
何よりも2人は顔を逸らすだけで、膝がまだ互いに向き合っていた。
「――…君が死なないと言うのなら、パートナー契約を結んでも良い」
ポツリと告げたアデランテに、ようやくオルドレッドが瞳を向けてくる。不可解な言動にいまだ表情は険しく、それでも長い耳がピクンっと震えた。
「…何よ、死なないのならって。ダークエルフの寿命ナメてるんじゃないの?」
「私が幸せになるまで一緒にいるんだろう?だったらそれまで死ぬなと言ってるんだ」
「……幸せになったら解散、って言いたいのかしら。言い出したのは私だけれど、それも少し寂しいわね」
「それなら君が幸せになるまで私も死なない。どうだ、これで対等だろう?」
「…2人とも一生不幸せなら?」
「“何があっても死なない”。良いパートナー契約だと思わないか?」
胸を張って答えるアデランテに、オルドレッドの困惑は止まない。だが眉間の皴が和らぎ、瞳も穏やかになった途端に腹を抱えて笑い出した。
身体を折り曲げ、腹筋を引き攣らせ。初めて見る一面に驚いたのも一瞬だけ。
大真面目に語った手前、ムッとしながらオルドレッドを見つめるが、フード越しでは伝わらないのだろう。
ヒクつく身体も徐々に落ち着き、涙を拭えば再び交渉が再開された。
「…何も笑う事はないだろ」
「ふふふっ、だってあんな真剣に言うんですもの。誰だって聞いたら笑うわよ…でもさっきの話。どんなにおかしくても私は好きよ?」
「……交渉成立か?」
「もちろん!」
差し出した手を力強く握られ、溝が瞬く間に埋まっていく。“契約”も無事完了し、ご満悦の様子でオルドレッドは離れようとした。
ところが腕はグッと引っ掛かり、アデランテはいまだ手を掴んで離さない。目を見開く彼女が不安そうに見つめ返せば、すかさず議題の続きを口にした。
「今度は君の番だ」
「……どういうこと?」
「私の要求は受け入れてもらったんだ。次はオルドレッドの条件を聞かせてもらいたい」
【余計なことを】
(なんだよ。本当のことだろ?)
【何 が だ】
腹底を揺さぶる声に飛び上がるが、1度放った言葉は取り消せない。突然の提案にオルドレッドは目を瞬かせ、呆然としていたのも束の間。
途端に考え込むように俯けば、彼女の条件はすぐに提示された。
「……顔、出してもらえないかしら…」
伸ばされた手がアデランテの袖をキュッと掴み、真っすぐ瞳を向けてくる。声に力強さもなく、断られる可能性を加味しての要求なのだろう。
(…ウーフニール)
【貴様の判断に任せる】
(……もしかして怒ってるのか?)
「そのっ、これから行くところは秘密主義の吹き溜まりみたいな街だから、噂が流れる心配もないし、顔を出しておいた方が何かと便利だし…」
「やっぱり目的地は人里だったのか?」
「うっ…だ、だから脱ぐのは街に着いた時だけで良いし、何なら私と2人だけの時でもっ……ほら、やっぱり話す時は顔を見て話したいから…」
徐々に顔は俯いて見えなくなるが、それでも袖をつまむ指は離れない。返答を渋るアデランテに、幾分か諦めの色さえ見えている。
(ウーフニール?)
【好きにしろと言っている】
(そんな投げやりな言い方しないでくれよ…なぁ、悪い事したなら――…正直心当たりが多すぎるけど、ちゃんとダメならダメって理由を話してくれてもいいじゃんか…)
【…その女は貴様の管轄だ】
「……へっ?」
「ふぇ?」
アデランテの素っ頓狂な声に、オルドレッドまで顔を上げる。すかさず彼女の肩を誤魔化すように掴めば、風が首筋に当たっただけだと弁明。
不意打ちにオルドレッドも固まってしまうが、その隙にウーフニールを呼び出した。
彼の反応があるまで、何度でも。
【な ん の よ う だ】
(……お、オルドレッドの要求を聞いたのがまずかったのか?)
【同じ事を何度も言わせるな】
(…~ッッ!じゃあ間抜けで単細胞な騎士くずれが1回で分かるように説明してくれよ!)
【…ウーフニールの防衛対象は貴様と小娘の2名のみ。女を守護するかは奴隷商に同じく、貴様の判断で行動すればいい】
(……問題ないって事か?)
【ウーフニールの契約を優先する限りは】
思わぬ承諾に驚き、そして喜ぶ一方で急速に声が遠ざかっていく。不思議と肌寒さすら覚えてしまったが、掌からはオルドレッドの温もりが伝わってくる。
ようやく肩を握っていた事も思い出せば、慌てて彼女を解放。勢いのまま覆面を脱ぎ取り、太陽が惜しみなく顔に降り注いだ。
「一応、次の街限定という事で…1つよろしく」
「……はい」
外したところで何1つ五感に変化はない。せいぜい外見と表情が周囲に伝わるくらいだろう。
もっとも顔に出さないよう注意する必要はあるが、ふとオルドレッドを一瞥した時。いまだ耳の先まで赤く染めた彼女は、目を丸くしたまま惚けていた。
笑みを浮かべてやれば、再び驚いたオルドレッドも戸惑いながら笑みで返し。ようやく長閑な時間が訪れたと思えば、直後に立ち上がったパートナーが隣に腰を下ろした。
今度は何事かと身構えてしまうが、柔らかな声音に緊張も解かされていく。
「髪、解いてもいいかしら?2つ目の要求ってことで…」
「…私から求めるものはこれ以上無いから、新しく交渉を持ち掛けられても困るんだけどな…それに髪ぐらい好きにしてくれて構わないぞ?」
「私がそうしたいだけっ。それにアデライトから先に2つも要求してきたのよ?あなたが死ななくて、私も死ぬなって、2つも…」
「……好きにしてくれ」
それで要求が満たされるのであれば。
無言でそっぽを向けば、すかさずオルドレッドが編まれた髪を解きほぐす。梳かすように指を通していき、囁かれる微かな鼻唄に耳を澄ませた。
だが一節も終わらぬ内に解放され、手を回せばポニーテールにされていたらしい。
「アデットと同じ髪型だったから、ずっとダブって見えてたのよね。これで気兼ねなくアデライトって呼べるわ!」
満面の笑みを浮かべるオルドレッドが自身の席に戻る事はない。少女のように足をばたつかせ、細やかな成果を喜んでいるのか。
あるいはパートナー契約が無事に結ばれた事を祝っているのか。また1つ“アデライト”の証が生まれた所で馬車が突然止まった。
否応なく前方へ意識を向けるが、オルドレッドと過ごした時間のおかげだろう。周囲の景色が目に入らず、突如空を覆う森林が行く手を立ちはだかっていた。
呆然と見上げる内にパートナーは荷を背負い、彼女を追うように下車。続けて人参を胸元から取り出し、馬に与えてやるのが合図だったらしい。
荷台ごと踵を返せば客人を一瞥せず、運び手は元来た道へ去っていく。車輪はガラガラ音を立て、撫で損ねた案内人を惜しむようにアデランテは見送った。
「…じゃ、ココからが本番だから…何があっても絶対に離れてはダメよ?」
ゆっくりする暇もなく、オルドレッドに振り返ればニッコリ微笑みかけられた。直前の言葉が聞き間違いにも思えたが、言われずとも彼女の後ろにピッタリ着く。
これから何処へ行くのか。何が起きるのか。
いまだ答えのない問いに、未知への好奇心で期待半分。そして“本番”の意味を理解できず不安半分。
複雑な感情が心中で入り乱れたが、今は黙ってパートナーに従うほかなかった。