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147.暫定措置

 ギルドでの報告も終え、オルドレッドとの“交渉”も乗り越えた。やっと過ぎ去った嵐に人心地を覚え、宿のロフトでボーっと横たわる。


 しかし慣れない余暇に落ち着かず、ウーフニールの言う通り。それこそ森や川へ繰り出し、獣が如く駆け回った方が性に合っているのだろう。

 嘆息を吐けばチラッと立てた膝を一瞥し、停まっていたカラスと視線を交わす。 


「……あのさ。何か悪い物でも食べたのか?」


 きまりが悪そうに顔をしかめ、それでも話題を切り出した途端。背筋を這い上がった疼きに身体が震え、危うくロフトから落ちそうになった。

 

「…~ッッなっ、なんだよ!ちょっと質問しただけだろッ?」

《侮辱に聞こえた》

「ウーフニールをバカにするだけの知恵も度胸も無いっての!…そうじゃなくて、なんでオルドレッドとの活動を許可したのか分からなくてさ。屋敷で怪物を2回も…一応少年もか。ソイツらを摂り込んでたから、調子が悪いのかと思ったんだ」

《ウーフニールが血迷ったゆえの判断だと言っているのか》

「だからその理由を今聞いてるんだろ?」


 ムッとしながら睨めば、黒真珠に不満そうなアデランテの表情が映り込む。一方でウーフニールの感情は読めず、だからこそ不安ばかりが募っていく。


 

 オルドレッドと組む上で、懸念材料はいくらでもあった。その中でもっとも心配されたのは、ウーフニールの存在に他ならない。

 彼女と話す間もいつ腹底から這い出してくるか。そればかりが脳裏を占めていたが、覆面の脱着戦で痺れを切らした事を除けば、最後まで彼が口を挟む事はなかった。


 そして宿を離れた今も異論は唱えられず、魂胆を聞くまでこの先も落ち着かないだろう。だからこそ返答を辛抱強く待ち、向けられた嘴を撫でたい衝動をグッと堪えた。


《貴様が女の提案に乗った理由を先に問う》

「…へっ?何でって、そりゃあ約束通り待ってくれたから、私も守らないとだろ。万が一屋敷まで追ってきて、すれ違いにでもなってたら目も当てられなかった」

《女の存在ごと確約を失念していた人間の発言とは思えん》

「ははっ。ウーフニールが言ってくれなかったら拳1発じゃ済まなかったろうな。あとはそうだな…“金等級でも行けない場所”っていうのも気になったからってところか…ウーフニールは?」

《ギルドの入場を禁止されている現在、女ならば問題なく受注が可能。暇を持て余す貴様が余計な行動を起こす懸念と依頼同伴を天秤にかけ、後者が適切と判断した》

「……そういう考え方もあったか…」

《貴様の承諾理由も同様のモノと認識していた。女の有効活用に感心していたが杞憂だったか》

「何度も言うけど篭絡じゃないからな!」


 ビシッと指を差せば、バクンっと嘴に挟まれる。鈍い痛みに手を軽く振るが、深淵から覗くような瞳以外の返答は無い。

 頬を掻きながら彼の反応に苦慮するも、ふと思い出した右頬の傷痕にソッと触れた。刻まれた屋敷の記憶が途端に溢れ出すが、おかげでもう1つの疑問が自ずと浮かぶ。


「…ウーフニール。なんで傷痕を残してくれたんだ?」

《貴様の要求に従ったまでだ》

「それは感謝してるけど、あの時はパクサーナたちの目があったから言った話で…今となってはもう必要ないだろ?」

《不要ならば消すが》

「そういう話じゃないってのッ……屋敷を出た後も残してくれって頼んだら、あっさり受け入れられたし、いつもなら一悶着あったり、呆れたように唸って渋々やる感じだからさ。それもあって調子が悪かったのか最初に聞いたんだよ」


 不貞腐れるようにアデランテは告げるも、聞かねば前に進めないのも事実。爪痕は屋敷に留まる間は、あくまでパクサーナを欺くための偽装だった。

 そして脱出後も残っているのはアデランテの意思であり、ウーフニールの承認あってこそ。


 何より彼が返答する意思が無ければ、その場で即座に断っていたはず。だからこそウーフニールが小さな首を傾げ、言葉を模索する姿を見ていると笑みが綻んでいた。

 膝を揺らせば身体は上下に揺れ、嘴も呼応してカクンカクンと動く。


 本来の目的も忘れ、待ちの姿勢から一転。如何にカラスを捕らえるか。

 その考えばかりが脳裏によぎり、嘴が開かれた拍子にあわや飛び掛かる所だった。


《どうした》

「な、なんでもない…何か言おうとしたか?」

《貴様がまともに憶えた名は、ウーフニールとの邂逅を経てから2つのみ。その内の片割れは新たな傷痕に由来し、“記憶”に値すると判断されたならば止める道理はない》

「……残してもらえたのは有り難いけど、お前と旅してから曲がりなりにも色んな人に会ってきたんだから、そんな事はないんじゃないか?」

《なればウーフニールを喰らった日より遭遇した者の名を述べてみろ》

「別にお前を摂り込んだつもりは……んん~…」


 挑戦を受けて立ったのも束の間。脳裏に浮かんだのは、オルドレッドとパクサーナの2人だけ。

 過去を遡って順を追えど、最初に辿り着いた町の名がまず思い出せない。摂り込んだ宿の店主は仕方ないとして、次に指輪を取り戻した山賊戦が浮かぶ。


 それから樹木の家で魔術師の師弟を救った記憶。冒険者に初めて身を扮し、ガラスの都へ向かう道中まで案内役がいた気がしないでもない。

 ギネスバイエルンでも多くの冒険者に関わったが、捜索隊の名や顔も掠らなかった。


 

 よくよく考えてみれば、“カミサマ”の名前すら記憶にない。



「な、名前で思い出したんだけどさぁ…」


 追及される前にロフトを飛び降り、軽やかに着地を決める。数歩進めばベッドに辿り着き、横たわった眠れる少女を見下ろした。 


 彼女のために里親を探す前に、まずはオルドレッドの依頼を果たすのが先。当然少女を連れて行くわけにもいかず、留守は分身が担う事になる。 

 だがアデランテ“単身”でオルドレッドのパートナーを務められるとは思ってもいなかった。


「――“小娘の件は問題ない”なんて言うから…むしろそのおかげでオルドレッドの案も安心して飲めたんだけどさ。具体的にどうするつもりなんだ?」

『ウーフニールの声真似をしているつもりか』

「私の声でわざわざ言い返さないでくれよ。それで何か案はあるのか?正直万が一に備えて動物の分身は、仕事中にいつでも出せる状態にはしておきたいんだ」


 少女の枕元に降りたウーフニールに視線を移し、静かに返答を待つ。


 まさか連れていくつもりなのか。あるいは気が変わって摂り込む事にしたのか。

 前者はともかく、いまさら後者を選ぶとも思えなかった時だった。


 急速に足の力が抜けるや、苦しくも甘い衝動が全身を駆け巡る。うわずった声を身体ごと床へ押し付け、下腹部の火照りに足を擦り合わせた。

 持て余した感情に思考は沸騰し、文句を言おうにも口を開けば嬌声が漏れそうで。立ち上がろうにも、痺れるように敏感な身体が行動を阻む。

 

 だが“甘い一時”は、すぐさま背骨を引き抜かれる激痛に取って代わった。身体が裂ける衝撃に仰け反り、肺が爆発したように空気を弱々しく零せば、その場に力なく倒れ込んだ。

 一帯には静けさが漂い、首を絞めつけるような火照りと気怠さが心身を蝕み。身体の熱を逃したくとも、腕を突けば指先が痺れて声が漏れそうになる。



 せめて窓を開けられたら。



 熱い吐息を洩らし、叶わぬ願いにそのまま瞳を閉じようとした刹那。ふいに風が頬を撫で、身体の強張りが解けていく。

 どうやら窓が開いたらしく、ウーフニールが気を利かせたのかもしれない。カラスの身では難しかろうと微笑むも、疑惑がすぐに笑みを打ち消した。


 窓は持ち上げなければ開かず、嘴や足だけでは到底無理だろう。甘い痺れに抗いながら首を上げ、火照った目頭を絞り込む。

 凝視すれば窓際に人影が朧気に映り、途端に警戒心が這うように背筋を昇っていく。



 いつの間に。そもそも誰が。


 無理やり身体を起こせば、疼きに抗って顔を上げた先で。人影は背後の日差しを受け、胸や腰のくびれをハッキリ表していた。

 街でも十分通用する村娘の衣装を纏い、赤毛の長い髪をフワリと。首を振って華麗に払えば、射抜くような瞳が脳裏に焼き付く。


 絵画さながらに窓辺で佇む姿に、右頬の傷痕が途端に疼いてしまう。


「――…パク、サーナ?」


 声が震え、それでも目が合えば名前を呼ばずにはいられない。


 への字に曲げた口も。無愛想な顔つきも。

 炎の如く彩られた、情熱的な赤い髪も。


 初めて彼女と屋敷で会った際に見た姿そのものだった。


「パクサァァーーナァアアッッ!!」


 気付けば大声を上げ、床から弾けるように飛び出していた。真っすぐ彼女の下へ向かうが、勢いよく抱き締めた腕が虚しく宙を空振る。


 感動の再会は不発に終わり、突如視界に広がった窓の外の景色に急停止。辛うじて窓枠に掴まれば、必死に下半身で踏ん張った。

 動作が1つでも遅れようものなら、そのまま3階から落下していたろう。


《気安く触れるな》


 ホッと安堵していた刹那、背中に投げられた冷たい一言で肩が震える。外の空気を1度吸えば気持ちを落ち着け、身体を引き入れると同時に振り返った。


 まずはベッドに佇むカラスを見つめ、ウーフニールの姿を確認する。それからさらに振り返れば、窓際に立っていた女と目が合う。

 腕を組み、憮然と見つめてくる姿は屋敷でも見覚えがある。しかし一方で名状し難い疑問が見え隠れして止まない。


「……ウーフニール?」

《他に誰がいる》


 姿はパクサーナ。だが中身はウーフニール。

 腹底に響く無機質な声に、ようやく“成り代わり”である事。そして数秒前に味わった、狂おしい程に切ない拷問の意図も理解した。


「…もしかして、カミサマに貰った新しい力か?」

《恐らく》

「……カラスのウーフニールだろ。パクサーナのウーフニールもいて、私もウーフニールなわけだから…ウーフニールが3人も部屋にいるのか!?」 

《臓書の空き具合から察するに、恐らく保有できる個体数も増えている》

「おおぉぉっ…ウーフニールがいっぱいだ…」

《稚拙な感想に返す言葉も無い》

「そんな事言ったって、もうスゴイ!って気持ちしか浮かばなくて…でもこれで安心してパクサーナ姿のウーフニールに女の子を預けられる…って事で良いんだよな?」

《認識に相違はない》

「そうか。やっぱりウーフニールは頼りになるな……1つだけ我儘を言っていいか?」

《どうした》


 訝し気に“パクサーナ”は眉をひそめ、初めて見る同居人の表情にクスリと笑う。同時に自身の胸に手を当て、力強く打ち返す鼓動にウーフニールを感じる。 

 少女の枕元にもカラスが佇んでいたが、彼とパクサーナ体を見るのとでは落差があった。


「その……ウーフニールの声は好きなんだけど、出来ればその姿の時はパクサーナの声で話せないかなって…」

『……これでいいか?アデライト』

「…ぱ、パクサーーナァッッ!あの時は助けられなくて、すまなかったぁ!!」

『うるさいから黙ってくれないか』


 距離は目と鼻の先。今度こそ飛びつけばパクサーナを抱き締めるが、抵抗される事はない。

 耳元に囁かれる辛辣な言葉すら心地よく、再び心が掻き乱されてしまう。


 しばし胸元に抱えていたが、やがて懺悔と慟哭を上げ終えたのか。涙を拭いながら解放すれば、ふと少女の“護衛”はどうするのか疑問が浮かぶ。

 

 もちろん彼は屋敷を“ただ1人”で生還したアデランテとは違う。

 ウーフニール自身の事はもちろん。カラスの身で少女を守り抜いた実力が、何よりも信頼できる証だろう。


 それでもパクサーナの外見は“女”。男を惹きつける十分な容姿を併せ持ち、襲われないとも限らない。

 武器を購入するか問うも、あっさり問題がない旨を返される。直後に伸ばされた掌がアデライトの鳩尾に当てられ、奇行に首を傾げる間もなくズブンっ――と。

 まるで指先を水へ浸たすように。パクサーナの細い手首が、アデランテの体内へ徐々に押し込まれる。


 耐え難い異物感に加え、身体の内側を蹂躙されるような。為す術も理解も追いつかない感情に、もはや立ってはいられなかった。

 しかしパクサーナの腕が腰に回されて。咄嗟に肩に掴まって堪えれば、執拗な責め苦にひたすら耐え忍んだ。


「……パクサッ、あぁん!!…ウーフニッ…だめ…中で、ぐにって…はぅッ」

『もう少しだ』


 弱々しいアデランテの嗚咽に反し、パクサーナの雄々しい声音が下腹部に響く。腰に腕を回されては後退も許されず、やがて足の力が抜けた時。

 グッと身体を引き寄せられるや、内側から上り詰めた感覚が鳩尾に集まった。


 ズルズルと。長々と。

 延々続く得も言えぬ衝動に、もはや声を抑える事を諦めた直後。内臓を引き出すような激痛に反り返り、力なく床に倒れ込んだ。

 飴と鞭の疼きに痙攣し、ようやく起き上がれても突き立てた腕は震えっ放し。


 憎まれ口を叩く余裕も無く、持ちうる限りの不満を瞳に乗せたが、鬱々とした感情は途端に吹き飛んでしまう。

 

 パクサーナの手には槍が握られ、一体何処から取り出したのか。問うまでもなく、いまだ疼く鳩尾が代わりに応えてくれた。


「…わ、私の“中”から……武器を、引き抜いた…のか!?」

『形状は以前物色していた店の品を参考にした。戦闘はお前が蓄積した経験則を応用すれば問題ないだろう』


 狭い部屋を物ともせず、ぶんぶん振り回せば鋭い風切り音が唸る。洗練された動きは容易く敵の首を斬り落とせそうで。

 武将さながらの貫禄に目を輝かせていたものの、ふと視界の端に少女が映った。すかさずベッドに這い寄るが、それでも立ち上がるのに数分を要してしまう。


『どうした』

「…実は屋敷にいた時から、ずっと名前の事を考えていてな」

『子供のか』

「そう!いつかこの子の口から聞かせてもらえるとは思うけど、それまで呼び名が無いのは私らも困るだろ?」

『小娘で十分だろう』

「だから戻ってくる道中もずーっと考えて…いや、屋敷で彼女の事を知った時からピンっときてたんだ。この名前しかないって」

『小娘じゃあ駄目なのか』

「ダメだ!…その名も何を隠そう、“鉄枷のロゼッタ”!!……どうだ?」


 少女を見下ろすパクサーナに、天才的な閃きとばかりにアデランテは胸を張る。だが返された訝し気な瞳は、『また架空の登場人物か』と物語っていた。



 もっとも“鉄枷のロゼッタ”は酷く悲しい物語。

 貴族の子供が政略争いの末に幽閉され、やがて命を病で落としてしまう。死後も彼女の怨念は生き続け、地下室からガシャリっ。ガシャリと。

 重々しい鎖の音が響いた時、少女の霊が必ず姿を現す。



 そんな話を聞かされたのも、“変幻自在のウーフニール”の物語と出会う前。当時は地下室どころか、如何なる暗がりにも怯えたものだった。

 恥ずかしくも懐かしい記憶を語り、自信満々に語っていたのも数秒だけ。ふと顔色が曇るや、ぎこちなく“ロゼッタ”を見下ろした。


 ホラー色の強い人物名を、儚くも可憐な少女に付けるのは如何なものかと。途端に罪悪感がアデランテを蝕み、他に特徴を探して上から下に。

 余すことなく少女に視線を走らせた。



 長い金糸の髪に、白いワンピース。

 足を見れば、重々しい鉄枷が嵌められている。


 小さな手に、同じく小さな身体。

 視線を落とせば、小さな足に鉄枷が付いている。


 長い睫毛に、赤子のような柔らかいモチ肌。

 鉄枷さえ無ければ、何処から見ても普通の少女。むしろ美人と言っても過言ではない。


「……ダメだ。どうしても鉄枷にばかり目が行く…ウーフニールは何か良い名前を思いつかないか?」

『小娘で十分だ』

「だからダメだって言ってるだろ?…ひとまず“ロゼッタ”で今はいこう。正式な名前は追々考えて、里親に上書きされないような、アッと驚く可憐なモノにするぞッ」

『暫定のロゼッタ』

「鉄枷のロゼッタだッ!ってそうじゃなくて、別の名前はちゃんと考えるっての!」


 興味が無さそうにウーフニールは振る舞うも、曲がりなりにも“保護者”の身。彼に名の重要性を解くも、捲くし立てるあまりにアデランテは小さな変化を見落としていた。


 “ロゼッタ”と命名された時、ベッドに横たわる少女が瞼を開いた事に。

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