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140.三面鬼

――おかしい。



 部屋を周回し、翼を休めたところで床に着地した。慣性に従って小さな身体が前に押し出され、それから嘴を忙しなく動かす。

 黒真珠の瞳には変哲もない豪華な空間が映り、それから壁を辿るように天井をゆっくり仰ぎ見た。

 

 奇怪な屋敷とはいえ、美術展示室や巨大な水槽へ踏み入れた事もある。ゆえに今視界に捉えている物も、斬新な照明器具の一種と言えるかもしれない。


 その死体を繋ぎ合わせたような外観や、全体的に肉々しい色合いに。翼を広げればもっと近くで見る事も出来たろう。

 しかし1度飛び立てば真っすぐ扉に向かい、身体を縦に寝かせて僅かに開いた隙間を滑り込む。そのまま翻ってフーガの肩に停まれば、一同の視線に応えて嘴を左右に振った。


「…ザーボンちゃんが“ノー”ってはっきり言ったの、初めてだね」

「話してはないだろ。しっかし本当に危険なのか?敵の数は?」

「イェスかノーだ、ドゥーラン」

「ねぇねぇザーボンちゃん?危ないのは何人いたの?1人?それとも…」


 指を1本ずつ上げようとしたのだろう。だが最初に上がった人差し指を軽く小突かれ、驚くリンプラントが仲間を見回す。

 さらに続けて指を上げるが、手が開かれてもウーフニールは反応を示さない。今度は逆に指を1本ずつ折っていき、最後に残した小指を再び小突かれる。


 疑念は確信に変わるが、訝しむドゥーランは扉の隙間から隣室を覗く。ついには顔を突っ込んで部屋を見渡しても、一見して脅威を覚える事はない。


「ちょっとぉ、偵察はザーボンちゃんに一任したんでしょー?部屋が変わるまで待機っしょ」

「あくまで判断材料の1つだ。そんな権限を譲ったつもりはねぇよ」

 

 背後の野次を鬱陶しそうに払い、不本意ながらもリンプラントは引っ込む。


 魚の燻製を貯蔵したとはいえ、食料は調達できる時に入手しておきたい。何よりもケイルダンを休ませる意図があったのだろう。

 鳥1羽の報告を真に受けるわけではないが、そもそも部屋の何が気に食わないのか。疑問を覚えながらも念の為、再び覗いたドゥーランの身体が硬直する。



 さっきは確かに誰も。


 何もいなかった。



 しかし今は部屋の中央に1つの“何か”が佇んでいた。



 タコ、かと思ったが違う。まるで2人の人間を背中合わせに結合したようで。

 足らしき床に伸びた物は4つ見えたが、腕は2本だけ。自らの身体を抱き締めるように前後で巻きつき、首から上に顔がある。


 だが目や口はおろか、耳も鼻も無い完全な能面。よく見れば“顔面”が3つは付いているように見える。

 気味の悪い彫像に悪寒を覚え、何よりも先程までソコにはなかった事実に。ゆっくりドゥーランが後ずされば扉を閉め、ドアノブを縄でギュッと固定した直後――。



――ドォォオオンッッっっ!!



 衝撃が扉を突き抜け、一瞬内側へめり込んだ。



――ドンッ!ドンッ!ドンッ!



 音も、衝撃も。小刻みに扉を震わし、ドゥーランが押さえつければ遅れてリンプラントが。

 そしてケイルダンも後に続くが、大人3人掛かりでも身体が衝撃で浮く。

 

「フーガ君、奥に隠れて!!」


 ふいに木霊した悲鳴に飛び上がり、フーガの首が忙しなく回る。必死に扉を押さえる彼らを置いて逃げるべきか。

 背負った少女の安否を優先すべきか。迷った末に止まっていた足は、耳に触れた黒い嘴が彼を突き動かした。


《下がれ》


 腹底に食らいつくような声に、気付けば扉から離れていた。ベッドの後ろに隠れ、少女ともども毛布を被ればソッと顔を覗かせる。

 すると頬を羽毛がくすぐれば、直後にカラスが定位置とばかりに隣で嘴を突き出した。


 それだけで気も緩みそうになるが、同時にサソリの怪物の襲来が記憶によぎる。扉が軋む音に視線を移せば、2人の冒険者の間で意見が分かれているらしい。

 撤退と防衛の2択で怒号が飛び交っていたが、ふいに衝撃が止むと彼らのざわつきも収まる。


 諦めたのか。はたまた部屋が変わったのか。

 緊張混じりにホッと一息吐いたのも束の間。再び扉に重い衝撃が走ると、留め金が弾けるように飛んだ。

 

「戦闘準備!フォーメーションCで行く!」


 釘が地面を跳ねるや、ケイルダンの声に合わせて全員が即時に散開。扉の破片が宙を舞う頃には、部屋の三隅へ移動していた。

 


 しかし武器を握り締める音に反し、一帯はまた静寂に包まれる。扉は酷く湾曲し、開くには蹴りの一撃で事足りるだろう。

 それでも警戒をやめず、武器を握る手が緩む事もない。弦を絞るリンプラントの指先に力が籠もり、彼らの緊張が最大に達した時。


 巨大な氷塊が扉を貫き、部屋の端へ串刺しにした。


 

――…ひたり。


 冷気が漂う入口から裸足で歩く音が――ひたり、とまた続く。やがて姿を現したソレは、一瞬人のように見えなくもなかった。


 それでも頭髪が。顔が無いのっぺりとした3つの能面が、見る人々に悪夢を突き付ける。

 腕は左腕が逆に生え、身体の前後判別がつかない。産毛1つない足が蜘蛛の如く這い、やがてピタリと部屋の中央で止まった。



 足4つ。

 腕2本。

 顔3つ。


 大柄のケイルダンですら見上げる体躯は、置物のように動かなくなった。むしろ歩く姿を見ていなければ、とても生き物と認識できる外見ではない。

 もはや彫像であって欲しいと願ったのは、ひとえに思い出してしまうからだろう。

 

 冒険者たちを瞬く間に屠った、歪な怪物の存在を。


 

 ふと、誰かが喉を鳴らした気がした。


 それが自分だったのか。他の誰かだったのか。

 おかげで意識が怪物から逸れ、互いに目配せすると視線はケイルダンに集まる。


 先手。撤退。

 またしても分かれる決断に顔をしかめ、自らの容態を加味。さらに敵対的な存在である事は、砕け散った扉が物語っていた。


 最初から決まっている答えに、ケイルダンが片手を伸ばす。それを合図にリンプラントが照準を合わせ、ゆっくり。

 力強く弦を引いていく。


 恐らく敵は盲目。動かないのは見えないからに他ならず、優位を保つ間に仕掛けなければならない。

 矢を放つ準備が整い、あとはケイルダンの指示に合わせて手放すだけ。そして怯んだ隙に男たちが飛び掛かり、一瞬で制圧する予定だった。


 しかし上げられた手が合図を出す寸前。


――ギンっっ、と。


 能面の中央に。顔にそれぞれ1つずつ開かれた瞳が、鋭い眼光を放つ。

 怪物と形容される姿が心の臓を凍てつかせ、背中を流れる冷や汗が止まらない。血走った眼から逃れるべく、横に移動しても瞳は冒険者を追いかけた。



 敵意は十分。

 交渉の余地もなし。



 ケイルダンの合図で我に返ったリンプラントが射った瞬間。彼女を監視していた瞳が青く光り、怪物の前に氷壁がそそり立つ。

 矢はあっさりへし折れ。直後に串刺しにされた扉の事を思い出せば、敵は氷魔法の使い手。

 認識を改めた所で瞳が光り、射手を貫かんばかりに氷の槍が飛ばされる。


 すかさず躱したリンプラントに合わせて男たちも動き、怪物に睨まれながらも懐へ飛び込んだ。

 魔術戦においては接近に持ち込むのが王道。しかし瞳がカッと開かれるや、それぞれが再び光り出した。


 1つは赤く、火球がケイルダンに放たれる。

 1つはただ眩しく、雷の一閃がドゥーランを襲う。

 

 不意打ちに驚かされたが、経験が彼らを動かせば轟音が家具を焼き焦がした。



 氷。炎。雷。



 隙の無い視界に加え、三者を1度に相手取れる敵にドゥーランが舌打つ。それでも男たちは果敢に接近を試み、射ち続けるリンプラントの戦闘は激化。

 だが規模に反して移動する距離は短く、部屋半分ほどの広さで戦いを続けている。


 冒険者が攻めあぐねているから。あるいは怪物が1歩も動かないから。

 どちらも大いに考えられたが、見つめている内にフーガも気付いてしまう。彼らに被害が飛び火しないよう、あえて戦場を制限している事に。


「どどどど、どうするっ!?今度はやばいって!いや、前もやばかったけど、今はリーダーだって怪我してるし、オレたちのせいで戦い辛そうだし…っ」

《意識が奴らに向いている隙に逃走を推奨する》

「ザーボンはまたそういうこと言うし!見捨てる選択肢以外に何か案を出してくれよぉ!」

《貴様と小娘の存在が行動を制限するならば、戦線を離脱する事により思う存分戦えよう。貴様は安全を確保し、冒険者は足手まといを失う。一石二鳥》


 辛辣な助言に怒鳴りそうになるが、怪物を一瞥すれば慌てて口を塞ぐ。その拍子にプレートが首から下がり、無意識に指ですくい上げた。


「…なぁザーボン。これって何て書いてあるんだ?」

《今知る必要があるのか》

「ある」

《……壇上の咆哮。冒険者登録番号315984。満足したならば撤退の準備を始めろ》

「…お姉さんがさ。オレもパーティの一員だって…それでコレを貰ったんだ。なのに子供だからって、オレだけ逃げるわけにもいかないよ」

《ギルドの規定に基づけば、正式な冒険者としての基準は満たされていない。安心して離脱するが良い》

「そうなのかっ!?…でも仲間だって言われて渡されたわけだし…」

《貴様は冒険者ではない》


 でもでもだって。プレートをいじりながら煮え切らないフーガに、冷酷な現実が突き付けられる。

  

 所詮は無力な子供。サソリの怪物を倒せたのも、環境が味方してくれたからに他ならない。

 負傷しているケイルダンも支えられず、少女と自分の安全だけで精一杯の身で。今も袖を咥えたウーフニールに移動を急かされて、思わず顔を向けた時。


 ふいに少女と目が合い、鼓動が一瞬飛び跳ねる。全身の血が沸騰しそうになったが、特別フーガを見ているわけではない。

 ただ最後に寝かせた姿勢を維持したまま、毛布の外の世界に反応を示さないだけ。



 “だけ”だが、彼女の虚ろな瞳に映るのは冒険者ではない。不安に怯える、ただ1人の情けない少年の姿だった。


「…っっオレは!…オレは冒険者じゃなくっても……臆病者じゃないんだっ!!」


 いきり立つ心情に反し、声は至って小さい。しかし意思はウーフニールにはっきり伝わり、その拍子に袖を解放された。

 最大の好機に毛布を跳ね除ければ、素早く少女を床に横たえてから毛布を掛け直す。


 誰もいない壁へ一目散に走り出し、急いで机に置かれた砂時計を回収。再びウーフニールの元へ滑り込めば、戦利品を床に叩きつけた。


《……何を考えている》

「オレはっ、臆病者っ、じゃないっ!」

《それは聞いた》


 毛布の下で砂時計を叩き、そんな彼の傍に歩み寄る。訝し気に首を伸ばすが、一心不乱の彼に話しかけるだけ無駄だろう。

 ようやく半分に砕けた所で片割れを少女に。残る一片は自分の懐にしまった。


 半ば息は切れているが、回復を図る彼の前にカラスが躍り出る。


《何を考えている》

「……オレは…臆病……者いたいっ!?」

《何を、考えて、いる》

「いたい、いたいっての!言うからやめっ、痛ったぁっ!?」


 最初は足。それから飛び上がり、腕や首とフーガを小突いていく。

 執拗な“取り調べ”の末、腕を擦りながら零す彼は批判の1つは覚悟していたのだろう。

 所在なさげに視線は泳ぎ、それでも行動にすぐ移したいのか。足の置き場も忙しなく、ようやく落ち着いた頃には全て自供していた。


 以降は許可を待つように無言で佇むが、返事は溜息のような深い唸り声。続けて黒翼が舞い、フーガの肩に停まる。


 途端に笑みが浮かべられ、飛び出した少年は次々と設置物を手に取った。


 枕。灰皿置き。小壺。


 掴める物は全て回収し、すぐ腕一杯になれば1投2投と。怪物目掛けて果敢に投擲し始めた。

 だが歳相応の膂力に、良くて足先に掠る程度。擦り傷すら負わせられないが、注意を惹き付けるには十分だったらしい。


 ギロッ――と。


 鋭い眼差しを向けた怪物に竦み上がるも、直後に頭上を鋭い鉤爪が襲う。自ずと視線は上に移され、鳴き声や引っ掻き。

 さらに翼で顔面が打たれるのを嫌ってか。それまで身体に張り付いていた腕さえ動員して追い払おうとしていた。


 時折フーガの投擲物が身体に当たり、瞳が忙しなく動けば、3つ“しかない”目が、徐々に冒険者から逸れていく。

 思わぬ好奇に冒険者も突貫するが、近付けば即座に怪物も反応。


 氷柱。業火。雷撃。


 各々の目が迎撃するも、リンプラントからは決して目を離さない。だがケイルダンは無警戒とばかりに。

 度々視線を逸らす様子から脅威判定をも可能らしい。思わぬ知性に警戒が増すも、一方で冒険者としての意地なのか。

 額に脂汗を掻くケイルダンが、歯を食い縛りながら走り出した。


 張り上げた怒声は怪物の注意を惹き、赤く光った瞳が火球を放つも、臆せず飛び込んだ彼が避ける事はない。

 むしろ躱せなかったのか、直撃すればリンプラントの悲鳴が上がる。



 しかしケイルダンは炎を突き抜け、武器を掲げたまま怪物に突貫。あと数歩で間合いに入ろうと言う時、威嚇するように2本の足が持ち上がった。


 4本脚の間に見えたのは、1つの巨大な口。形状は人の物と同じで、薄気味悪い外見に一層拍車を掛けたのが不幸中の幸い。

 ケイルダンが思わず足を止めるや、吐き出された緑色の液体が彼の腕に掛かる。


 直後に苦悶の声を上げ、肉の焦げる臭いが部屋に漂った。リーダーの悲痛な姿に士気がみるみる下がるが、空気を払拭したのは1人の少年。

 それも足置きを両手に掲げ、一気に近付いた彼が放った渾身の一投だった。



 鈍い風の音が響くや、怪物の肩に直撃。氷面がフーガを睨みつけた隙に、すかさず鋭い嘴が瞳を一突きにする。

 反射的に瞼は閉じられて奇襲は失敗するが、それでもリンプラントから注意は削がれた。


 弓に2本の矢が装填され、同時に放つと心臓があるべき場所に1つ。さらに閉じられた瞼に突き立ち、下半身の口が発した奇声が部屋を震わす。


 ぐるっと回転すれば赤く輝いた瞳が射手を捉えるが、直後にケイルダンが首に剣を突き立てるや。火球は狙いを外して天井に放たれる。

 追撃に出たドゥーランを雷光が迎え撃つが、頭に刺さった矢が再び軌道を逸らした。


 彼の鉄槌は容赦なく雷面の真芯を捉え、ケイルダンがさらに追い打ち。リンプラントは連射し、ウーフニールは投擲を続けるフーガを戦線から離す。

 しかし少年が3歩下がる間もなく、鼓膜を震わす慟哭を怪物が発した途端。全身がみるみる黒ずみ、眠るように頭を項垂れた。


 冒険者一同は警戒を続けるが、やがて怪物はピクリとも動かなくなる。

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