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135.暗夜行路

 ギーィ――っと。


 建て付けの悪い、重々しい音を響かせながら扉を開く。松明をかざしながら慎重に進むが、即席の明かりでは足元を照らすのが精一杯。

 足底の感触や下半身になびく冷気が、地下牢にいる心持ちにさせられた。


(…どうだ。何か見えるか?) 

【視覚情報は皆無】

(こっちも同じく、だ……なんだか懲罰房を思い出すな。隊員が誰かしら“面会”に来て、こっそり食料を差し入れてくれたもんだよ)

【警戒を怠るな】

(言われるまでもないって) 


 音にならない嘆息を吐き、次の1歩が床へ触れる直前で振り返る。背後には円陣を組んだ男たちが、それぞれ外を向きながらギコチなく進んでいた。

 全員分の松明が用意できず、明かりの歯抜けによって見える顔もまばら。最後尾のパクサーナでさえ辛うじて視認できる程だった。


 しかし全員が入室した所で足を止めれば、扉傍の壁に寄るよう指示を出す。

 誰1人逆らう者はおらず、大人しく従う間に最後尾へ速やかに移動。端に佇むリーダーの手首を掴めば、咄嗟に向けられた松明を降ろさせる。


 密談に注意を集めるべきではないだろう。


「パクサーナ。戻るぞ」

「…な、なんでだ?まだ部屋の中を進んでもいないんだぞ…」 

「私が屋敷に訪れた直後は壁も床もなかった。こいつはまたどこか別の部屋に繋がっているだけだろう」

「…だからって、まだ諦めるには早い。いままでと様相も変わってるところを考えれば、探索してみる価値はある。それに貴重な油まで使って“何もなかった。今すぐ引き返せ”なんて言える状況じゃないんだ」

「……壁伝いにグルっと回って、何もなければ撤退だ。別の部屋へ抜けられるか、最悪元の扉に戻ってくる頃には、さっきよりマシな場所に変わっている事を祈ろう…あと君が怒られるなら、私も隣に並んで怒られてやる。それでいいな?」

 

 薄明かりの中で頷く動作が微かに見え、同意を合図に散開。アデランテが壁伝いに進み、背後から指示を出すパクサーナの声が聞こえる。

 

 程なく行進の足音が1人ずつ響き、彼らの片手は常に壁を。残る手は前方、そして部屋の中央へ振り回すように松明で照らしていく。

 後方の警戒はウーフニールに任せ、情報を集めるべく一寸先の闇を凝視。松明を足元にいくら近づけても、床が朧に見える程度だった。


(…部屋に入って結構経ってる気がするけど、外に出してもらえる感じは無いし、やっぱりココは別の部屋だよな……それにしても家具が全く置いてない気がするのは私の勘違いか?)

【物理的接触も現状皆無。脱出に関わらぬ以上、長居は推奨しない】

(そういう事は最後まで見てから言うもんだぞ?もしかしたら手掛かりがあるかもしれないし、最悪明かりを完全に消す方法でも見つかれば、中途半端な“夜”を過ごさずに済んで、パクサーナの面目も少しは立つ)

【屋敷の長期滞在を見据える発言と認識した】

(それは勘弁してくれよ。もともとお高く畏まった装飾とかは苦手なんだ…仕事じゃなかったら、そもそも屋敷に近付きもしなかったっての)


 雑談混じりに現状の確認を終え、気分が落ち着いた所で意識を探索に集中する。部屋の角に行き当たり、さらに壁を追いかけるが家具はいまだに無い。

 すでに部屋半分を移動し、収穫1つ無い状況に土下座も視野に入れ始めた時。


 ふいに硬い物がつま先に当たった。


「…なんだ?」


 それまで足音が囁くだけの静寂に、思わず間抜けな声を零す。背後で上がった小さな悲鳴に振り返れば、辛うじて後ろに立つ人影が見えた。

 

「……階段がある。すぐに戻ってくるから、この場で待機していてくれ」


 手短に要件を伝え、首を縦に振るのを待つとギコチない反応を了承と捉える。すかさず段差に足を1歩乗せれば、冷気と硬いコンクリートの感触が返ってきた。

 気風の異なる空間に増々首を傾げ、壁から突き出した階段を1段ずつ。慎重かつ何度も松明を前方に突き出し、確認しながら行き先を確認した。


 その間も最上階で別室に続く扉がある事を。あわよくば“出口”が待ち受けている事を期待した矢先。

 腹底を震わす声に足を止め、背後に振り返るが依然何も見えない。


 だが点々と灯る明かりは、すでに全員が階段を登っている事を示唆していた。


「…待ってろ、って指示を出したような気がするんだけどな」

【貴様の指示に従うか否かは奴らの判断次第。命令でもなければ、拘束力もない】

「……所詮私らはよそ者って事か…このまま進むほかないな」


 斥候としては複雑な気持ちで一杯だが、確かに一行を直接指揮する立場にはない。今となっては足元も見えない状況で、荷を背負う彼らに戻らせる方が危険。

 パクサーナの独断とも思えないが、とにかく進み続ける他ないだろうと。ウーフニールに引き続き監視を頼み、再び階上を目指して歩き出す。


「……なぁウーフニール」

【どうした】


 慎重な歩みに痺れを切らし、何も見えない光景にも飽きてきた。時折油断して踏み外しそうになるが、無機質な応答が足取りを軽くしてくれる。


「もし階段を出た先が本当に出口だったらさ。子供たちもちゃんと出してやってくれよ?」

【脱出は契約上の対価に含まれている】

「そうだったのか?…あ~、でも確かに扉を開けてもらう代わりに、って話だったもんな…それとさ。2人に会えた時は私の事を偉大な魔術師のカッコいい従者だって紹介し直してくれよ」

【検討しておく】

「……知り合いだって思われるのが嫌だとか言わないよな…」


 小声の会話に再び気が沈むも、ふと意識が子供たちへ向けられた。思えばフーガに守られた少女はいまだ動かず、名前すら語っていないと聞く。

 彼女に嵌められた足枷も脳裏に浮かび、酷い事をする輩がいたものだと。人知れず憤慨する一方で、借金の肩に売られる人間も珍しいわけではない。


 しかし出会えたら真っ先に外す事を決意し、新たな原動力を胸に足を動かした時。響き渡った男の悲鳴が、アデランテを一瞬強張らせた。

 反射的に階下を覗けば、同じく身を乗り出した一行の影が松明と共に見える。


――ぐしゃっ


 遅れて聞こえた歪な音に顔をしかめ、松明を下に目一杯伸ばしてみる。当然見えるはずもないが、恐らく足を滑らせたのだろう。

 音も然る事ながら、呻き声すら下から聞こえてこない。絶命していると思われるが、無駄と知りつつギリギリまで身を乗り出した時。


 ビュンっ――と。


 宙を鋭く断ち切った風切り音に煽られ、松明が激しく乱れる。咄嗟に明かりを手放せば、暗がりへ吸い込まれるように光は落下していった。

 底へ辿り着いても死体は見えず、唯一の光源を失った痛恨のミスにも思えたろう。


 だがウーフニールの眼は、確かに明かりを一瞬遮った影を捉えていた。


「…魔物か?」

【咀嚼音と思しきものが聞こえる。音量の増幅を望むか】

「いや、自分で確認しに行く……何とかして駆け降りれないかな」


 長閑な声に反して鋭い眼差しを背後に向け、片手は自然と武器の柄を掴む。

 しかし熱意に反して暗闇で見えず、手すりもなく。下手をせずとも容易く踏み外せる足場に、ほとほと難色を示していた矢先。


 ふいに明かりが等間隔に。それも足底の形をした、不思議な光源が点々と続いた。

 怪奇現象に首を傾げそうになるが、すぐに“道標”に合点がいけば、それを証明するように。グッと足を伸ばして明かりの上を躊躇なく踏んだ。


 片足に全体重を乗せ、さらに次の光源に1歩。また次の明かりに1歩。

 記憶から再現されたアデランテの“軌跡”を、小気味よく飛び移っていく。


 最初は慎重かつ大胆に。やがて慣れてくれば、2段飛ばしで勢いよく駆け降りた。

 瞬く間に最下層へ戻れる速度を維持するも――。


【――7歩先。前方注意】


 腹底を揺さぶる音声案内に顔を上げれば、松明が急接近してきた。速度を落とせず、しかし壁際に身を寄せているだろうと予想した途端。

 光る足跡を目安に、獣の反射神経をもって脇へ飛び退いた。時折足が半分ほど虚空を踏み占めるが、作戦はひとまず成功したらしい。

 一行の真横を風が吹き抜け、怯える悲鳴が耳元を掠めるように響く。

 

 そのまま走り抜けてしまえたが、ふと最後列の松明を捉えると踵を返した。


 近付いた途端に明かりをキラリと。おもむろに反射した殺意に素早く仰け反り、顔横を物騒な風が凪ぐ。

 咄嗟に相手の腕をガッと掴めば、松明へ寄せるように顔を近付けた。


「パクサーナ落ち着けッ!私だ!!」

「…アデ、ライト?」


 あと少し声を掛けるのが遅ければ、松明で容赦なく殴られていたかもしれない。暴れていたパクサーナも少しずつ落ち着きをみせたが、すぐさま呆れたように顔をしかめた。


「さっき松明を上から落としたの、お前だろ?何かあったんじゃないかって心配したんだぞ!?そのあとに階段を何かが猛スピードで降りてくるから、また怪物が出たんじゃないかって皆騒ぎ出して…」

「それより誰か階段から落ちたろう。また山羊が暴れたのか?」

「……多分、足を滑らせたか、踏み外したんだと思う。山羊を抱えてる奴は無事だから」

「そうか…ところで階段に昇らず待っているよう指示したはずなんだが、こうして全員が揃っているのは君の判断か?」

「…そんな話、俺は聞いてない」


 顔をしかめる様子に複雑な思いが絡むも、優先順位は他にある。


 落下した男。その後に続いた風切り音の正体も、今すぐにでも探らなければならない。

 パクサーナの肩を掴み、ゆっくり壁に押さえつけるとその場に座らせた。今度こそ“決して”動かないよう念押すが、驚いたように目を見開くだけで返事はない。


 無言を了承と判断し、再度光る足跡を追うべく踏み出した途端。片足が宙で引っ掛かり、バランスを崩すと数段先の足跡に両手を突いた。

 腕立て伏せをするように勢いを殺し、すぐさま注意を足元へ向ける。


 まさかパクサーナの荷物に躓いたのか。訝し気に振り返ってみれば、掴んでいたのはリーダー本人。

 すぐに解放されると這うように立ち上がり、彼女の傍に屈み込んだ。


「危うく階段から落ちるところだったぞッ」

「そうならないよう足は押さえてた。それに頑丈なのが取り柄なら、段差の1つや2つ、お前なら平気だろ?返事も聞かずに走り出すし…」

「……私に何か話したい事でもあるのか?」


 顔を近付けすぎず、すぐ隣の段差に座れば彼女が話し出すのを待った。

 内心――もといウーフニールには階下の調査を急かされているが、“護衛”が雇用主の意向を無視するわけにもいかない。

 辛抱強く彼女に耳を傾ければ、やがて小さな溜息を零したパクサーナがぽつぽつ呟き出す。

 

 食料の入手が難しくなっているのは事実。だが原因は屋敷の供給量だけではなく、調達隊が各々くすねているからだと。


「俺自身が見てるんだ。間違いない」

「…最近になっての話か?集団で行動する手前、協調性が欠けるのも考えものだが、移動ばかりで体力を酷く消耗しているからな。少しくらいなら大目に見ても…」

「拠点があった時から……アデライトと会う前からずっと、だ」


(……調達してる連中の監視をしてた時はどうだった?)

【窃取は幾度も観測している】

(なんだ“せっしゅ”って)

【食料を無断で懐にしまい込む行為を幾度も確認したと言っている】

(あ~そういう…なッ、だったらその時に教えてくれよ!?)

【依頼内容はあくまで護衛のみ。素行に関する報告を貴様は担っていない】


 憮然と答える内なる声に苦言を呈すが、すぐにアデランテも窃盗を黙認していた事。よそ者として咎め辛かったと、もっともらしい言い訳を付け足した。


「…階段の事も、どんどん登っていくから後ろをついてったんだ……アデライトの話も聞かないとなれば、もぅ…」

「互いにいつ死ぬか分からない身なんだ。考えれば疲れるだけだぞ」

「……曲がりなりにもまとめ役を務めてきたんだ。アデライトだって俺のせいで、こんなどうしようもない集団のお守りを任せられて…悪かったよ」


 弱々しく告げるや、赤毛に隠された顔は徐々に膝へ埋まっていく。彼女から視線を逸らせば今も松明は階段を登り続け、もはや明日は我が身なのだろう。

 もはや集団としての体裁は瓦解し、パクサーナの心も限界を迎えようとしていた時。

 

 胸いっぱいに空気を吸い込めば、躊躇なくパクサーナを手前に引き寄せた。鼻はぶつかりそうな程近く、松明の明かりに彼女の潤んだ瞳が妖しく浮かぶ。


「1度しか言わないからよく聞いてくれ…私はあくまで護衛として雇われた身だが、契約を取り交わしたのはパクサーナただ1人だ。連中が君と一緒にいるなら全員私が守る。いないならそれまで。分かったか」

「…契約って、そんな大層な事はしてない…」

「食事と寝床の提供が私の報酬だろう?……それにな」


 言葉を切り、大粒の涙をソッと拭ってやる。


「――必ずパクサーナの下に私は戻る。それが君と結んだ契約だ」


 笑みを綻ばせ、出来る限り明るい声音で伝えたつもりだった。


 それが突如パクサーナの涙腺を決壊させ、徐々に頭を傾けてくる。咄嗟に抱き留めようとするが、触れる寸前で彼女に押しのけられた。

 あわや落下する所であったものの、服はしっかりパクサーナが掴んでいる。


 ゆっくり身体を戻せば彼女を見つめ。階段で燻る松明を嗅ぎながら、嗚咽を漏らす彼女の手に触れようとした時。


「……必ず。戻ってきて、くれるんだよな」

「…あぁ。必ず」

「俺を外に連れ出してくれるんだよな」

「そうだ」


 まだ言葉が足りなかったのか。服を掴んで離さないパクサーナに、そろそろ行かねばと。

 恐る恐る顔を覗き込もうと身体を傾けた時だった。


 滑るように手は首に回され、反応する間もなく抱き寄せられた。

 


 直後にとても柔らかく。鼻をくすぐる甘い香りと共に、グッと唇が重ねられた。

 事態の把握に一瞬時間を要したが、理解した頃には再び押しのけられ、彼女から強引に離されてしまう。


「戻ってきてくれたら…その……続き、させてもらえないか?」


 顔は背けられ、暗闇から聞こえる囁き声に目を瞬かせる。それでも松明は赤く火照った彼女の耳元を照らし、心情がはっきり伝わってきた。


 だがこんな男紛いに。それも人間の形をした怪物に。

 次々浮かんだ拒絶の言葉も、無理やり呑み込めば腹底へと沈めた。


 代わりに笑みを綻ばせ、梳くったパクサーナの髪を耳元にソッと掛けてやる。


「仰せのままに」


 耳元で囁けば彼女が一瞬震えたが、すぐさま踵を返すと光る足跡を辿っていった。パクサーナの嗚咽も遠のき、踏みしめた振動と風だけが鼓膜を震わせる。

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