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134.奈落に見た兆し

 野営地を出発してから3部屋目。到着した来賓室は収納箇所が殆どなく、部屋の狭さに探索もすぐ終わるだろう。

 食糧難に追い打ちを掛ける空間に嘆息を吐き、次の移動先を素早く覗いた直後。


 すぐに閉めて振り返れば、パクサーナを一瞥して呼び寄せた。驚いた彼女も走り寄り、隣室の“有様”を僅かに開いた隙間から披露する。

 

「どうする?」

「……アデライトはどう思うんだ。行けるなら俺は進みたい」

「…垂直の崖を下るよりは簡単だろうけどな」


 短い話し合いを済ませるや、一行に向き直ったパクサーナが説明を始める。その間に扉を全開にすれば、隣室は部屋全体が渦潮の如く捻じれていた。

 家具も内装に合わせた配置で律儀に留まり、禍々しい環境に思わず喉を鳴らす。

 

 しかし捻じれのおかげで次の扉までなら、家具に触れずとも移動は出来るだろう。

 

「――と、以上で説明は終えるが、何も屋敷そのものを恐れる心配はないんだ。調達は出来ずとも、そのための移動だと思ってくれ。安全は俺とアデライトが保証する」


 振り返れば昨晩の不安は成りを潜め、毅然と説得するパクサーナの姿が映る。


 流石はリーダーと言うべきか。あるいは彼女がそれだけ信頼されている証なのかもしれない。

 反論を述べる者はおらず、パクサーナの一瞥にも無言の了承で返す。


 それから調達したシーツで2本のロープが作られ、それぞれの端をアデランテの腰に結ぶ。


「じゃ、下で待ってるぞ」


 挨拶も程ほどに準備が整うが、その先の具体的な話は誰ともしていない。パクサーナもまた疑問符を浮かべる最中「よっ」――…と。

 気の抜けた声が聞こえれば、躊躇なくアデランテは部屋に飛び込んだ。


 壁を蹴りながら衝撃を吸収し、豪快に底へ着地すればパッと頭上を見つめる。

 家具に一切触れる事なく、ギャラリーの驚愕を一身に受ければ、腰のロープを外して降下の合図を出した。

 ようやく我に返ったパクサーナも意図を読み、途端に男たちに指示を出していく。彼らも最初は戸惑っていたが、諦めたように列を為せば2人ずつ降り始めた。


〔…どうだ?“克服作戦”はうまくいってそうか?〕


 1人目が到着し、2人目の着地を補助がてら次の降下を合図する。ついでにパクサーナへ瞳で問いかければ、視線に気付いてザッと上階を見渡した。


 彼女の視界に映るのは恐る恐るロープを降り、喉を鳴らして自分の番を待つ男たち。その様子に再びアデランテに目を向けるも、顔色は少しばかり曇って見えた。


〔まだ始めたばかりだ。昨晩も言った通り、まずは不安の一端を克服することが大事だし、繰り返せばロープ下りにも慣れてくる…それよりアデライト!飛び降りるなら一声かけろ!!心臓が止まるかと思ったじゃないか!〕

〔次からは気を付けるよ。降下にばかり気を取られないで、自分の背後も警戒してくれよ〕

〔…そっちこそ次の行き先から誰も来ないか見張っていろ〕


 符牒を交えつつ、力強い瞳で訴える彼女に謝意を手で示す。しかしアデランテの説得力がない表情に、ますます機嫌を損ねてしまったらしい。

 パクサーナは顔を歪めるが、そんな彼女につい笑みを綻べてしまう。


 戯れも程々に隣室への警戒も続け、時折振り返って降下の進捗も確認する。一見順調にも見えるが、“全財産”を背負う上にロープでの移動の不慣れ。

 それらに体力はみるみる消耗し、無事着地した後も家具が頭上に浮かび、下敷きの恐怖に晒されなければならない。

 部屋全体の異様さも相まって、一時も気が休まってはいないのだろう。


(…おまけに部屋で食料調達も出来ない、か……ひとまず今日1日か2日はロープでの移動に慣れてくれるか様子を見て、ダメそうならリーダーにまた相談だな)

【確認するが室内の異変程度に何故慎重な移動を要している】

(なんでってお前…触った家具がドカドカ落ちてきた事があったろ?ロープを降りる時にしろ、降りた後も、いつ手違いがあって頭の上に落ちてくるとも分からないんだ。棚1つでもぶつかってみろ。下手すれば頭に直撃して死ぬぞ?)

【ならば縄や投擲物を用いて調度品を事前に全て落とせば問題あるまい。食料も落下した収納品より回収できる】

(……あとでパクサーナに提案しておくよ)

 

 思わぬ回答に雷が落ちたようで。その手があったかと心打たれるも、ふとアデランテの視線が扉で止まった。

 普段なら真っ先に覗くはずが、降下や家具に気を取られて忘れていたらしい。


 1番緊張しているのは案外自分なのかもしれないと。自らの失態を鼻で笑い、己の役目を果たすべく扉を覗く。

 だが最初に覚えた違和感に首を傾げ、目を凝らしても結果は変わらない。


「…ウーフニール。今のって私の見間違い…」

【貴様の認識に相違はない】


 言い終える間もなく唸り声に肯定され、ますます険しい表情を浮かべた刹那。ふいに山羊の鳴き声が聞こえ、振り返れば男たちが全員無事に降りたらしい。

 残るは家畜を身体に巻き付けたパクサーナのみで、流石の彼女と言えど厳しいのか。浮かべている表情は険しく、挙句に異様な空間に。

 あるいは新たな移動法に怯え、山羊もここぞとばかりに暴れ出す。


「――ぁッッ」


 目を見開き、小さな悲鳴が上がるよりも先にアデランテが駆け出した。先に落ちてきた山羊を掴み、男たちに放れば次はパクサーナを。

 しかし大棚もアデランテの空を覆い、もはや一刻の猶予も無い。両腕で彼女を抱えるや否や、急いで身体から引き離した直後。


 アデランテの上半身を棚が押し潰し、猫が潰れたような声が一帯に轟いた。


「あ、アデライトぉ?!!」

 

 慌てて起き上がったパクサーナが家具を持ち上げるが、1人では到底運べない。遅れて男たちも手を貸し、徐々に浮いた棚に隙間が出来た時。

 素早く潜り込んだパクサーナの手を、反射的にアデランテが掴んだ。瞬く間に抜け出せば、顔を擦りながら一行を見回す。


「…痛ッッ…てててて……んんっ、パクサーナ…?ッッ大丈夫だったか!?怪我は?」


 失態に怒るわけでも、不満を愚痴るわけでもない。自分の身も顧みず、覗き込んだ色違いの瞳にパクサーナは硬直。

 反応がない様子に思わず腰回りを掴めば、ビクついた彼女が慌てて飛び退いた。


 快調な反応にひとまず安堵し、一瞥されたパクサーナは肩を震わせたが、軽く扉に視線を投げると彼女にも思惑が伝わったらしい。

 途端に扉へ近付けば恐る恐る隣室を覗き、それから石像の如く固まった。中々離れない彼女に続いて隙間を眺めるが、瞳を凝らしても何も見えない。


 隣室には明かりが無く、1歩先も見えない漆黒に包まれているがゆえに。



 可能性としては光源そのものが完全に覆い隠されているのか。それとも破壊して“夜”を再現しているのか。

 ならば魔物か人か。いずれの生物が潜んでいる可能性も否めない。何処へ通じるかも分からず、しかし異質な光景は皮肉にも一縷の希望を灯していた。

 

「…パクサーナ。聞いてく……私の顔に何かついてるのか?」


 情報を共有すべくパクサーナに視線を向けるが、彼女はすでにアデランテを見据えていたらしい。

 互いに驚いた拍子に沈黙し、同時に声を出そうとすれば再び口を閉ざす。無言の譲り合いにパクサーナが先に折れ、俯けば赤髪が彼女の顔を覆い隠した。


「……さ、さっきは、助けてくれて…その、迷惑もかけて…」

「…君も、男たちも…それに山羊も。全員無事に下へ降りて来られたんだ。問題は何もなかったと思わないか?」

「それでも…ありがとう。アデライトも無事でよかった……とてもよかったが…」


 恥じらう乙女の如く視線は泳ぎ、歯切れの悪さについ覗き込む。しかしグイっと顔を上げた瞳には疑念が渦巻き、思わずアデランテが身を引いた。


「あれだけの物を顔面で受け止めていながら、痣が1つも無いんだな。俺1人じゃピクリとも動かせなかったのに」

「……頑丈なのが私の取り柄なんだ…そ、それより隣の部屋について少し話したい事がある」


 頬が引き攣る前に話題を逸らし、パクサーナの注意を強引に扉へ向ける。それから屋敷へ入ってきた時の状況が、隣の部屋と同じように暗闇で包まれていた事を伝え、ポカンとしていた彼女も記憶を手繰り寄せたのだろう。


 深い森に堂々と佇む、窓1つない不気味で豪華な屋敷。

 好奇心の赴くままに踏み込めば、風も音も感じない。何処までも続く暗闇にやがて光が差し込み、次の瞬間には煌びやかな部屋が侵入者を出迎える。


 アデランテの呼び水が如き一言に、彼女の目は爛々と輝いていた。


「……まさか。本当に…」

「まだ分からない。ただ状況が状況だからな。部屋が変わる前に最低でも調査はしておきたい」

「何をする気なんだ?」

「私が先行する。身体にロープを巻き付けておくから、ソレが途中で切れて先端が捻じれてたら、そのまま後に続いてくれ。もちろん無理強いはしないが」

「…ねじ切れたロープと安全性に何の関係がある?」


 冷静に伝えたつもりが、困惑するパクサーナにすかさず屋敷突入時の状況を説明し、納得してもらった所で降下に使ったシーツを腰に巻く。


 あとは扉を潜るだけだったものの、背後へ引かれるような抵抗に思わず足を止めた。振り返ればパクサーナがシーツの端を握り、怪訝そうに睨んでくる。


「もし底の見えない落とし穴だったり、何か恐ろしい物が待ち構えていたらどうする気だ?」

「…そうだな」


 さらに引き寄せられてヨタヨタ後退するが、彼女の鋭い眼光に臆する事はない。解決策を模索すれば捻じれた暖炉から砂時計を取り、躊躇なく半分に叩き割った。


「ほらっ。コレで何があっても君たちと合流できるだろう?ただ次に扉越しに声をかけた時は、すぐに開けてくれると助かる」


 無造作に宙へ放られ、慌てて受け止めたパクサーナが手元を見下ろす。砂が殆ど零れたガラクタが、本当に合流の“カギ”足りえるのか。

 いまだ疑念は尽きないと言うのに、アデランテは扉を潜る準備に入っていた。

 

 すかさずシーツが再び掴まれ、2度目の妨害にまだ何か問題があるのかと。今度はアデランテが顔をしかめて見つめ返した。


「俺は合流の心配なんかしていないッ!お前に…アデライトに何かあったらどうするんだ!?」

「扉向こうに魔物か何かいるかもって話の事か?その時は大声で指示を出すから、扉を閉めて安全そうな部屋でも探してくれ」

「…そんな事で“はい、そうですか。じゃあ行って来い”なんて言えるわけないだろ、お前は!このっっばかやろう!!」


 それまで小声で話していたはずが、ふいに胸倉を掴まれると扉から引き離される。パクサーナの顔が眼前に迫り、覗き込む瞳に自身の鏡像が見えそうで。

 しかし燃え盛る怒りの表情に反し、悲しみが溢れているように思えた。


 指先の震えも。唇のわななきも。

 見ているだけでズキンと胸が痛み、咄嗟に抱き寄せれば耳元に顔を埋めた。


「大声を出さないでくれよ、リーダー。皆が不安がる」

「……お前がそうさせるからだろ」


 小声は呟きで返され、アデランテの胸に預けた顔を上げる様子はない。


「…脱出の手掛かりになるかもしれないんだ。私が先行して安全を確認する。いつもの事だろう?」

「自分を捨て駒みたいに扱うのが気に食わないんだ」

「もしそうなら帰ってくるなんて無責任な事は言わないさ。それに何時までも危険な場所に皆を待機させるわけにもいかない…だから行かせてくれ」


 ソッと腕に触れ。ゆっくり離しても涙ぐんだ彼女の表情には、了承の意思が微塵も伝わってこない。

 パクサーナの肩に手を置き、毅然とした態度でもう1度告げようとしたのも束の間。振り切るようにアデランテから離れるや、彼女の声が威勢よく部屋に響き渡った。


「全員出発の準備だ!次の部屋は明かりがないため、松明を作る事にする!万が一に備えて武器をいつでも抜き出せる場所へ!」


 それまでの弱々しい声や涙は嘘だったのか。彼女の逞しい肩越しには男たちが跳び上がり、支度を始める姿が見えた。


 集めたシーツに油を浸し、パクサーナも一丸となって手伝いに加わる中、気付けばポツンと扉の隣で佇んでいた。

 

(……私が言っても説得力はないだろうけど、ウーフニールの苦労が少し分かった気がするよ)

【“少し”だと?貴様は常日頃から息をするように面倒事を推奨する悪癖がある】

(だから悪かったって。今度からは……なんでもない)


 初めてウーフニールの心中に共感するが、謝罪はほんの一時凌ぎに過ぎない。罪悪感以上にパクサーナの気持ちが理解できてしまい、もしも彼女の立場なら。

 待っていろと言われても、迷わず進む自身の姿が容易に想像できてしまう。


 屋敷へ飛び込む時さえも、ギンジョウやピットジークの帰還命令まで無視している手前。責めるような腹底の唸り声に笑みで返し、死んでも変わらない己の愚直さに、やはり謝罪する他に気持ちを示す方法はなかった。

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