132.這いよる悪夢
事件は犯人の目星がついていながらも未解決。それでも諍いを起こさず、食料の交渉も無しに去ってもらえれば上々。
銀等級相手と言えど、冒険者同士の殺し合いは2度と御免だった。
リンプラントも呆れた様子で見送るが、無血に勝る解決策はないのだろう。野次や嫌味の1つも飛ばさず、顔をしかめて静観していた矢先。
言葉の代わりに放たれたのは血飛沫。
それも扉を開けた、銀等級の男からであった。
「……あ……あ゛っ゛?」
覚束ない声を零しながら弱々しく俯いた彼に、太く。歪な針のような物が胸を貫き、壮絶な光景に驚く暇もない。
仲間が絶命する姿を間近で見た銀等級は、即座に部屋の中央へと舞い戻った。
「フーガくんっ、女の子のところ行ってて!!絶対こっち来ちゃダメだからっっ!」
リンプラントの声にハッと我に返り、慌ててフーガは周囲を見回す。一瞬どこに立っていたのかすら忘れ、頬をつつかれた拍子に行き先を発見。
急いで少女の下に駆け付け、ソファへ飛び込めば彼女ごと毛布で自身を覆った。
途端に世界から切り離された心持ちになるが、外の現実が変わったわけでも。ましてや聴覚を誤魔化せるわけでもない。
端を少し持ち上げれば、冒険者たちの鋭い眼差しはいまだ貫かれた男に注がれ。ふいに顔の横を黒い羽毛がくすぐれば、もう少しだけ毛布を上げてウーフニールの覗き場所も作られた。
「…あの人たち、大丈夫かな」
《一介の冒険者ならば何とかするだろう。それよりも貴様は逃げる準備に取り掛かれ》
「オレだってココの一員なんだから、勝手に逃げるわけにもいかないだろ?いくら女の子が優先だって言ってもさ」
《“一員”の半数は自主的に同盟を抜けている。貴様が退出したところで、戦力にも問題にも挙がるまい》
「……嫌な言い方すんなよな」
《黙れ。動くぞ》
歯牙にもかけない発言に、ムッとなったのも僅かな間だけ。意識は部屋へ向けられ、固唾を飲めば徐々に男を貫いていた異物が抜けていく。
べしょり、と。
濡れたタオルのように死体は崩れ、やがて扉が徐々に開かれた時。部屋に入り込んできた“ソレ”が何なのか。
百戦錬磨の金等級でさえ、誰も理解するには至らなかった。
頭部は以前パクサーナの拠点を襲った怪物と同じトカゲの形だが、目は2つだけ。地面を這いながら少しずつ姿が露わになり、4つの腕が床を掴んでいる。
それから2本の足が見えても、いまだ立ち上がる気配はない。全身が露わになっても屈み続け、尻に当たる部位からは足が尾のように1本掲げられている。
左右上下に開かれた口からは、空気が掠れる唸り声が漏れ。赤黒い歪なサソリの怪物に誰1人声を出せる者はいない。
戦闘どころか近付きたくもない相手に、しかし赤い瞳は鋼鉄の意思へ向けられた。
それまで緩慢に這っていたのも束の間。突如ヤモリの如く走り出すや、リンプラントの矢が怪物の眉間に放たれる。
だが当たりはすれど、刺さりはしない。鋼鉄のように跳ね返し、勢いは衰える事無く冒険者たちの集団へ突貫。
咄嗟に彼らは飛びずさり、すれ違い様に各々の武器を振り下ろすが、その度に鈍い感触と音が響くだけで手応えはまるで無い。
怪物も意に介さず方向転換するや、向かった先は“犯人候補”の男の下。当然彼は後ずさり、他の冒険者たちも果敢に一撃を怪物へ見舞っていく。
しかし強固な防御力を過信してか。怪物は振り払う素振りも見せず、赤い瞳に映すのは1人の冒険者だけ。
時折上がる掠れ声は、まるで亡者が地獄へ引きずり込もうとしているようで。接敵した瞬間に前腕を上げては、男の足を掴もうとする姿は身の毛もよだつ。
男も逃げ回りながら大剣を振るい、針の如く突き出される尾を次々弾き返す。それでも逃げ場は徐々に奪われ、武器を振るう腕にも疲労が見えた時。
執拗に襲い掛かる尾に、男は咄嗟に女魔術師を掴んだ。
直後に彼女の二の腕が貫かれ、用済みの仲間を捨てれば再び逃走を開始した。
「くっそ!!フォーメーションF!リンは引き続き怪物の気を引け!!」
「えー、矢がもう無くなりそうなんですけどー!?ってか全っ然、こっちのほう向いてくんないし!」
「口を動かす暇があれば、手と足を動かせゴラァア!」
「ドゥーランうっさいっっ!」
戦力がまた1人削がれ、途端に金等級の怒鳴り声が飛び交う。
それでも男から注意を逸らすべく、ケイルダンやドゥーラン。そしてリンプラントが立ち回り、女魔術師の救助にビリヤード台の男が当たる。
一方で銀等級パーティからは声すら上がらない。
男がいまだ狙われる最中、ロレンゾともう1人の仲間も怪物相手に奮闘。しかしその視線は時節、扉と捨てられた荷物へ向けられていた。
「…あいつ、仲間もみんな見捨てて逃げる気かな」
毛布がもぞりと動けば、静観するフーガの問いかけにウーフニールも身をよじる。視線が合う事はなく、やがて他人事とばかりに嘴が開かれた。
《同盟を破棄した手前、奴がどのように行動しようとも咎める理由はない》
「化け物をお姉さんたちに押し付けて、1人だけ逃げたらダメに決まってんじゃん」
《戦闘がどのような結末を迎えようと問題ではない。あるとするならば貴様が次に取る行動だけだ》
「……オレの?」
唐突な議題に思わず横を向ければ、鼻先に嘴が突き付けられた。
《屋敷の脱出は最優先事項ではあるが、事案1つを優先すれば良い貴様とは異なり、奴らのプレートを回収する追加任務がザーボンにはある》
「…じゃあ助けた方が良いんじゃないのか?苦戦してるっぽいし」
《だが“最”優先事項ではない。全滅したのちに回収するも、今の内に小娘と脱出を図るも、全ての判断は貴様に一任する》
「……あいつらを見捨てるか、死ぬとこ見た上で死体漁りしろって、どんな選択肢だよ…」
委ねられた判断に動揺を隠せず、少女をチラッと一瞥する。外界の怒号を物ともせず、人形にしか見えない容貌に思わず手を伸ばした矢先。
「――ぎぃぁぁあああああああっっっ…」
鼓膜を破らんばかりの断末魔に、少女の耳を咄嗟に塞いだ。代わりにフーガの無防備な聴覚へ、恐ろしい音色がキリキリ轟く。
「…っっ、ザーボンはオレの耳を塞いでくれよ!!」
《この身では不可能だ……男が魔物の腕に足を掴まれ、生きたまま捕食されている。その間も冒険者の猛攻を受けているが、平然としている模様》
「実況すんなっ!!」
固く閉じた瞼を片目だけ開ければ、嘴で上げた毛布からウーフニールが外を覗いている。少しでも音を遮断するために片足で毛布を降ろすが、妨害した事でギロッと睨まれた。
もっとも、つぶらな瞳を向けられても怖くはない。
恐ろしいのは今も聞こえてくる悲鳴に怒号。そして歯で擦り潰すような咀嚼音で、永劫続いた阿鼻叫喚は――ゴトンっと。
魂が底を尽く音が聞こえた事で、ようやく終わりを告げた。
だが戦闘は続き、会話から魔物の次の標的がロレンゾに移った事を知る。
《いつまでそうしている》
再び戦闘音が部屋中に轟き渡り、ガタガタ震えていた矢先。無機質かつ鋭い声に目を開ければ、足元でカラスがジッと見上げていた。
少女の耳を解放し、ゆっくり外を覗くと男の“食べかけ”が隅に転がっている。
女魔術師も死人のように青ざめ、もはや手の施しようがないのだろう。ロレンゾを追う怪物に対し、「縄でふんじばれ!」と時節怒号が飛び交う。
「……オレに何しろって言うんだよ」
《逃げる準備をしろ。奴らが敵う相手ではない》
「そんなのまだ分かんないだろ?まだ2人…3人?やられただけで、金ピカのネックレスつけてる奴らの方が強いってザーボンも言ってたじゃんか!」
《一撃毎の反響音から致命傷すら与えていない。生餌に気を取られている隙に避難する。小娘を抱え、直ちに部屋を移動せよ》
「…なんか卑怯な感じがして嫌だな。それに多数決的には今のところ……ひーふー…4人?オレたちが残っても良いって言ってくれた人たちが頑張ってるんだし、ズルしたくない」
《瀕死の女を数に含める必要はない。呼気も弱まり、時期に終わりを迎える》
黒い嘴がぱかぱか開かれ、ハッキリと戦力外通告を言い渡される。反論しようがない分析に肩を落とし、改めて毛布の外をソッと覗いた。
ロレンゾはいまだ逃げ回り、残る冒険者たちは魔物に縄を掛けて奮闘している。
しかし決して速くはないが、強靭な足運びに作戦は上手くいっていないらしい。標的が捕まるのも時間の問題に見え、そんな状況で子供に一体何が出来ようか。
戦う術を持たない足手纏いに、だからこそリンプラントは開口一番に避難を命じた。1人でも戦力が必要な時でも、その場にいた誰もが反対をしていない。
それでもこんな事ではいざという時。そしてこの先も、少女を守れっこないだろう。
己の無力さを噛みしめ、まだカラスの方が脅威たりえる現状に相棒を見下ろす。
彼が羽ばたけば屈強な男さえ慄かせ、フーガの必殺技はせいぜい脛を蹴る事だけ。挙句に大人の2倍以上の体格差を有する怪物相手に、最初から勝ち目などあるはずがない。
諦めの気持ちも徐々に肥大し、本格的に脱出経路が脳裏をよぎった刹那。嵐の如く荒ぶった部屋を見回せば、ピタリとフーガの瞳が固定される。
「……なぁ。オレが余計な事したら、ザーボンは怒ったりするか?」
《何を考えている》
恐る恐る口にした問いかけに、無機質な声音が返される。不機嫌なのか、単純に質問されているのか判別はつかない。
しかし冒険者たちの包囲網が失敗する様を眺めれば、意を決してザーボンを一瞥した。
「…うまくいくか分かんないけど、うまくいけば皆助かるかもしれない」
《小娘を危険に晒す可能性を加味した上での提案か》
「……うん…その代わりさ。うまくいったらオレに魔法の1つや2つ教えてくれよ。弟子入りっていうか、そしたら女の子を守る事だって、何ならザーボンの露払いくらい出来るかもしれないぜ?」
《成果次第では検討もやぶさかではない》
「それって成功してもダメって言われるパターンじゃんか!!」
《余計な事は考えるな。今は貴様が提唱する戦略にのみ集中しろ》
はぐらかされる申し出にムッとしつつ、考えは試さなければ絵に描いた餅。下手をすれば少女の身に何が起こるかも計り知れない。
喉を鳴らせば鼻で笑われる事を覚悟し、思い切って計画を口にした。その間も嘴を挟まれる事はなく、話が終わりに近付いた途端。
フーガの身体を登ったウーフニールは、頭の上にちょこんと乗る。
《作戦が破綻したらば、責任を問われる前に逃げ出す準備をしておけ》
「…分かってるけど、失敗しないし逃げないし、何としてもやり切って見せるから!!そこんトコ、よろしくっ!」
そして狼煙は上がった。
フーガの決意を合図に飛び立ち、少女に毛布を素早く。かつ優しく丁寧に被せ、急いで部屋の奥へ走り出す。
横目には怪物の視界を覆うように羽ばたく相棒の勇姿が映り、その様子に冒険者でさえ驚くが、当の怪物は反応を示す素振りも見せない。
けたたましい鳴き声に注意も払わず、あくまで標的はロレンゾ1人なのか。ただ愚直に前進を続け、これまで通り周囲の猛攻を気にも留めていなかった。
例え首を斧で叩かれ。赤い目を矢で撃たれようが、狙った獲物以外には一切感心を示さない。
今も黒翼が視界を阻んでも、まるで猛牛の如く振る舞っていた。
ひとまず読みは当たり、あとは作戦通りに戦況が進む事を祈れば、急いでフーガは配置につく。
疲労を見せる冒険者たちに向け、精一杯の大声を掛けた。
「――おーいっ!!偉そうなお兄さん、こっちに来てよー!!」
「んだとクソガキがぁー!!?」
「そっちじゃなくて、化け物に狙われてる方のお兄さんだよ!こっちこっちー!!」
ドゥーランの怒号を退け、続けて唱えた言葉にロレンゾが反応する。だがそれどころではないとばかりに。
そもそも子供の言う事を聞いている場合ではないと。当初は顔を背けるが、フーガの立ち位置にケイルダンが計画の全貌に気付く。
「ロレンゾっ!いいから坊主に向かって走れ!!いま、すぐにだっ!」
部屋を揺るがす声が、少年と冒険者全員を飛び上がらせる。咄嗟の命令にロレンゾは踵を返し、そのまま真っすぐフーガの下へ向かった。
怪物も迷わず彼を追跡するが、少年の下には金等級パーティがすでに集っていた。鉄の容れ物から覆いを剥ぎ、「せーのっ!」の掛け声と共にカゴを一斉に押し出した時。
甲高い音に続いてロレンゾの悲鳴が零れ、同時に小さな鼻息が無数に聞こえてきた。
鼻を刺す獣臭も一帯に漂い、顔を出すピッキーマウスは眩しそうに目を細め。直後に頭上を飛び越えたロレンゾに驚く間もなく、怪物に蹴散らされてしまう。
しかし生まれて半日と言えど、身体を覆う剛毛は衝撃を遺憾なく吸収。“母親”に至っては分厚い肉の壁で、軽くグラついただけだった。
それでも瞳には敵意を宿さず、ぶつかってきた物に好奇心を向けたらしい。視界にサソリを模した怪物を捉えるや、途端に大柄なピッキーマウスが移動を開始。
子もまた後に続く間も、怪物は依然ロレンゾにのみ執着していた。
だが自身に向かって来る異形の行進に、流石の“生餌”も計画に気付いたらしい。恨みがましくもその場を走り回り、リンプラントも援護すべく矢を放つ。
矢じりに結ばれたロープは尾の前を通過し、両端で冒険者たちが引っ張り合う。
引きずられつつ、幾分か怪物の速度を落とす事に成功するや、時間稼ぎをする間にピッキーマウスが赤黒い奇怪な肉体を登っていく。
鋼すら齧り切る強靭な前歯に加え、腹を空かせた魔物たち。さらにピッキーマウスの“母体”は、食べる物を選り好みをしない。
子もまた味覚が発達しておらず、視界に映れば何でも咀嚼する――以前ウーフニールから聞いた魔物の話に、身震いしたフーガの記憶は新しい。
ゆえに“うまくいけば”の話に過ぎなかったはずが、怪物は痛覚がないのか。徐々に蝕まれているにも関わらず、己に降り掛かる災厄を気にも留めていなかった。
最初に落ちたのは“腕”。
次に足。
そしてもう1本の腕。
機動力が少しずつ奪われ、引っ掛けたロープに伝わる力も緩んでいく。
やがて“尾”が落ち、残る2本の腕で這う怪物の首に牙が突き立てられた時。ゴトンっと鈍い音が響いたのを最期に、貪る歯音だけが生存者の耳に残る。
怪物の脅威は去り、勝利を宣言できる状況でも誰1人口を開く者はいない。犯人探しで摩耗している矢先の強襲に加え、犠牲者も多数出てしまった。
とても喜べるはずもないが、早速ケイルダンはピッキーマウスの回収を命じる。
彼の声に金等級の面々も生気を取り戻すが、指示を尻目にロレンゾは心ここに非ず。フラつく足取りで、虫の息の女魔術師へと向かう。
“鋼鉄の意思”最後のメンバーたる彼女の隣に跪き「きっと大丈夫だから」と。声を掛けるや否や、不自然な嗚咽が部屋にいる冒険者たちの注意を惹いた。
また怪物でも現れたのか。即座に武器を構えたものの、彼らはすぐに警戒を解いた。
一同が見たものは喉にナイフを突き立てられ、微弱に震えるロレンゾの姿。
「……姐さんの、カタキ…っ」
ナイフを掴んでいた腕が力なく床に落ち、彼女のリーダーも遅れて倒れ込む。しかし呆然とする間もなく、突如響いた絶叫にまたも背後へ振り向いた。
恐らく落ちた怪物の首を蹴ってしまったのだろう。ビリヤード台の男に頭部が噛みつき、足を蹴って外そうと試みている。
だが顔色はみるみる青ざめ、やがて泡を吹けば彼もまた力なく崩れ落ちた。
後を追うようにピッキーマウスも転がり、腹を見せたまま痙攣を続けたのち、最期の息を零しながら動かなくなってしまう。
怪物が毒を蓄えていた可能性は、姿形からも十分想像できたはず。しかし討伐を終え、全てが終わった今となっては後の祭り。
同盟は解消される前に壊滅し、結果的に食料源も軒並み消滅。戦いに勝利したのは怪物であったと、生き残った人間は如実に感じてならなかった。