131.渦中の庫裡、火中の栗
《起きろ》
悪夢のような呼びかけに目を擦り、ゆっくり身体を起こす。
どうやら少女の肩に頭を預けていたらしい。いまだ瞳を閉じる彼女から離れ、ウーフニールを眠気眼で一瞥する。
働かない頭で「おはよう」と告げるも、返事代わりに嘴は焚火跡へ向けられた。
視線の先には冒険者たちが集い、“朝”から話し合っているらしい。思わず立ち上がろうとしたが、即座にウーフニールが狸寝入りを推奨。
訝しみながらも渋々瞼を閉じ、指示通り身体をソファへ預け直した。
傍目には寝返りを打ったようにしか見えなかったろう。
「…それで何が起きてるんだよ、皆して急に集まって。オレたちに内緒で何か食べてるわけじゃないだろうな」
《調達した食料の予期せぬ減少に伴い、容疑者の調査中》
「ようぎしゃって何だ?」
《盗み食いの犯人だ。現在貴様と小娘、並びにザーボンの関与が第一候補》
「……はぁっ!?オレは盗みなんてっ…」
思わず声を荒げそうになったが、鼻先を嘴でつつかれて思わず口をつぐむ。
《動くな。喋るな》
口を開きたいのも山々だが、恐ろしい声音に大人しく従う。黒翼の向こうでは冒険者たちが話し合い、緊急会議で調達にも出向いていないらしい。
早期解決を図るべく、いつ容疑者として召喚されるとも分からなかった。
《現状、小娘にまで疑いが広がりつつある…先に忠告するが騒ぐな》
「おんッ!……女の子が食べられるわけないだろ?全然動かないし、ずっと一緒にいたけどオレが持ってきた食べ物が減った事だってないんだぜ」
《言われずとも把握している。そして貴様もまた小娘を危険に晒す真似はしない》
「……えーっと、信じてくれてありがとう、なのか?」
《だが奴らに我らの行動を分析する情報は持ち合わせていない。声が掛かるのも時間の問題だ》
ウーフニールの落ち着いた声に反し、まるで見えない壁が迫っているようで。しかし事前の忠告がなければ、今よりも酷い失態を晒していたろう。
「……どうすればいいんだ?」
《まずは落ち着け。無暗に騒げば、ますます疑いの目を掛けられる》
「でも盗み食いしてないなんて、どうやって証明するんだよ。子供が何言ったって、多数決でオレが犯人扱いされて終わりじゃんか」
《騒ぐなと言っている…現状、1つ確かな事は盗難者が奴らの中にいること。なれば真相を究明し、犯行を明るみに晒すまで》
「そんな事できるかよっ」
[何が何でも女の子を守る]
《以前吐いたその言葉。偽りが無いならば、貴様がただの“小僧”ではないと奴らに証明するほかあるまい》
過去に吐いた自身の音声にドキリとするが、相手は8対1。その上彼らは大人で、フーガは子供。
証明の方法など見当もつかないが、容疑が確定すれば碌な目に遭わないだろう。
最悪ザーボンが魔法で一蹴する事を期待するが、ふいにカラスが肩に停まる。尻は正面に向けられ、視線を移すとケイルダンが向かって来る所だった。
《落ち着いて対処しろ。貴様にやましい事はない》
直前の囁きに緊張も解け、大人の影が徐々にフーガを覆う。やがて正面に立てば事前の情報通り、食料が減った旨を告げられた。
見張りは立てていても、厳密に食料を監視していたわけでもない。暗がりの中、小回りが利けば誰でも盗める状態に。
疑いは必然的に新参者へ掛かり、さらに少女は食事を殆ど口にしていない。空腹に耐え切れず、フーガの就寝中に動いても不思議ではなかった。
さらにペットのカラスもいる。羽ばたかずとも、歩いていけば誰にも気付かれないだろう。
忍び寄れる大きさに疑いの目も集まり、すでに鶏肉加工の案まで浮かんでいた。
「――…あくまでも仮定の話だ」
肩を落とすように零すが、第一容疑者は“ザーボン”。
そしてフーガや少女の順に疑われ、ケイルダンの背後から冷たい視線を感じる。リンプラントだけは心配していたが、フーガの肩を持てば孤立では済まされない。
命懸けの環境下で“子供だから”という特権も通じないのだろう。
鼓動が激しく打ち付けるが、“落ち着いて”ケイルダンに向き直る。彼の瞳には戸惑いが浮かぶも、同時に猜疑心も渦巻く。
「…つまりオレか、ザーボンか、女の子が犯人だって多数決で決まったのか?」
「評決は取っていない。ただ状況が状況なんで、どうしても疑いの目が集中してな」
「だからってオレたちを疑うなんて…」
《疑惑の信憑性を……訂正する。貴様を犯人とした明確な根拠を尋ねろ》
「えー…と。オレが、オレたちが盗ったって思った理由は分かるけど、実際盗った証拠はあったのか?」
「あれば調達作業を止めてまで話し合ってないっての」
「でも、そうまでして話し合った答えが、新人のオレたちって事だろ?それって酷すぎ…」
《落 ち 着 け》
たびたび覚える苛立ちも、片端から相棒が諫めてくれる。それから囁かれる言葉を復唱すれば、いくつも答弁を重ねていく。
まず食料の保管場所は部屋の反対側にある。隅で寝るフーガたちには距離も遠く、途中で身を隠す遮蔽物もない。
加えて獣皮が照明を覆っていても、完全な暗闇ですらなかった。見張りが立っていたのなら、例え小柄な獣であっても移動は難しいだろう。
腹話術の如く淡々と話し続け、それから盗まれた物や量について尋ねる。するとケイルダンが顎を擦るや、ついてくるように首を傾げて促してきた。
少女に毛布を掛けてやれば後を追い、大人が集う部屋の中央へ合流。罪人とばかりに視線が振り注ぐも、すかさずケイルダンが疑惑を砕く。
被害が遭った食料庫の位置。
子供たちの距離。
状況を考えれば、冒険者の方が犯行に及びやすいだろう。
続けてフーガの質問にあった食料について告げ、盗まれた物はバナナ。りんご。
そして燻製魚。
再びケイルダンがフーガを見れば、“助言”に従って口を引き続き動かした。
果たしてカラスが盗み出せる量なのか。そもそも飛べば、羽ばたきで確実にバレる。
かと言って歩いてその場でついばんでも、食料の特徴から必ず屑が残るはず。
例え部屋の端から端へ引きずり、物陰へ隠したとしよう。音で見張り以外の誰もが気付かないのは、あまりにも不自然ではないか。
当初は盗人猛々しいとばかりに睨まれていたが、正論を前に疑いは徐々に晴れていく。必然的に視線は冒険者同士に向くも、話し合いは長く続かなかった。
可能性を秘めた人物として、真っ先に浮かんだのは昨晩の見張りたち。
常に2人で行ない、交代で1人ずつ起きて扉の警戒にあたる体制だが、昨晩はどちらも鋼鉄の意思のメンバーが担当。
その内1人はロレンゾが庇い、必然的に注意は残る女魔術師へ向く。
疑惑の眼差しに彼女は仲間を見るが、誰もが火中の栗に触れたくないのだろう。これまで従ってきたリーダーも、彼ら同様に顔を背ける。
このまま沈黙が続けば、当人の主張も泣き言として処理されかねない。しかしケイルダンの裾を引く甲冑の音が、冒険者たちの注意を一斉に引いた。
「本当にやったかどうか分かんないのに、決めつけるのは良くないんじゃないか?」
「…アタシもフーガ君にさ~んせぃ。今のとこ彼女がやったって証拠も出てない訳だしー?まだ話し合いの余地はあると思いまーす」
「リン。お前は黙ってろ」
「あんたリーダーなんだろ?ならちゃんと公平に見ないといけないんだぞ。仕事に出掛けられなくてイライラしてっからって、八つ当たりするのわぁあ!!?」
フーガに便乗したリンプラント。彼女を叱責するケイルダン。
さらに少年が言葉を続けた瞬間、肩に停まっていたカラスが鳴き出した。
翼も羽ばたかせ、否応なく後退すれば徐々に群衆から離される。それに一行もまた驚かされていたが、やがて“解決”に向けて話し合いが再開された。
「…な、なんだよぅ。ザーボンの言った通りに話したから、オレもお前も女の子も疑いが晴れたんだろ?」
《そして罪は他者へ移り、貴様が関与する必要は無くなった。何故自ら火の粉を巻き上げる真似をする》
「火の粉の巻き上げってなんだよ」
《事態の収束を何故阻む》
「……なんでって、いじめられてるみたいで可哀そうだったろ。あの人が盗んだのかも分かってないんだし…大体なんで庇っちゃいけないんだよ。ザーボンだってオレたちのこと助けてくれたじゃん」
《貴様と小娘以外の安全は二の次にも値しない》
「…でもさ。本当の悪い奴が残ったら、また起きるかもだろ?」
剣幕に慄きながらも疑問を聞かされるや、チラッと嘴は群衆へ向けられる。今や女魔術師を庇うリンプラントまで疑いが広まり、事態はますます悪化。
もはやフーガたちの安全を保障する集団は影も形も無かった。
しかし子供と言えど、彼の訴えもまた真なり。この先で盗難が再発生すれば、疑いが少年らに掛からないとも限らない。
溜息混じりの唸り声を合図に、意気揚々とフーガは和の中心へ赴く。和睦の使者とばかりに踏み込むが、戦況はすでに泥沼化。
いまだ疑われるリンプラントに、彼女の容疑を否認するケイルダン。今や銀等級と金等級の派閥争いへ発展しつつあった。
そんなところに子供の声が届くはずもなく、会話へ割って入ろうと手を振った矢先。警鐘のように響いたカラスの鳴き声や、彼らの眼前を羽ばたく黒翼が会話を止めた。
中には驚くあまりに武器を抜いた者もいたが、その頃には少年の肩へ着地。素知らぬ顔で尻を全員に向け、フーガに視線を集める事に成功した。
「…えーっと……どうも」
《啖呵を切っていながら、何も考えていなかったのか》
「……その…えっと」
《復唱しろ》
「さ、さっきさ!無くなった食べ物がバナナと…りんごと、あと魚だって言ったろ?それが証拠になる…本当になるの?……なっ、なるんじゃないのか、なぁ!?」
しどろもどろの主張は怪しさ満点。だが殺気立った大人に囲まれては、それも仕方がないのだろう。
子供の特権に翻弄された所で場は一旦落ち着き、話の続きをケイルダンに促される。
調達した食料を盗む機会は、恐らく誰にでもあった。しかし“食べる機会”を持ちうるのは誰か。
りんごは咀嚼音が鳴り、空腹でもバナナの皮や魚の骨まで貪る者はいないはず。
証拠の廃棄方法も至って単純。日課の調達時に捨ててしまえば良い。
出掛けた5名全員が互いの作業状況を見張っているわけでもないのだから。
そこまで胸を張ってフーガは告げ、“子供の戯言”以外に話を否定する材料はない。盗人は拠点の外へ移動できる人物に絞られ、フーガたちの無実が一層証明される。
一方で冒険者たちの疑心暗鬼は最高潮に達するが、答えはすでに出ていたも同然。各々の荷を検める事を提案したケイルダンに、反対する者は誰もいない。
面倒臭がる者から、仕方がないと溜息を吐く者。女魔術師に至っては心底ホッとしていたものの、狼狽を見せたのは1人だけ。
そんな冒険者の変化を、ウーフニールが見逃すはずはなかった。
「…おにーさん。見られたらイヤな物でもあるの?」
《よく観察しろ》と耳打ちされたフーガの目にも、1人の男が不審に映ったらしい。思わず口にすれば一斉に視線が集まった先は、ロレンゾが庇った見張りの1人。
重い沈黙を破ったのもまた同じ男だった。
「…ま、まさか俺のこと疑ってんのか!?」
「誰も何も言っていない。ただ全員の持ち物を念の為に確認するだけだ」
「申し訳ありませんが金等級の命令と言えど、彼はボクのパーティに所属しているんです。職権の乱用…特に現状における無用な混乱を引き起こすのは、得策ではないと断言します」
「ならさー。持ち物検査するか多数決したらいいんじゃな~い。いつもみたいにさ?」
「まぁ待てよご両人。職権云々はともかく、ここまでやってきた仲だ。状況がどうであれ、パーティの機密事項を漁られる可能性だってある。何よりも新参者の、それもガキが言い出した事を真に受ける理由もなければ、これ以上調達の時間を削るだけ価値のある捜査なのか、正直悩ましいところだ」
ケイルダンの疑惑にロレンゾが噛みつき、リンプラントは仕返しとばかりに呟く。
一瞬空気が張り詰めるも、程なくドゥーランの発言で幾分か緊張も弛緩する。鋼鉄の意思も安堵の表情を見せ、直後に現場を混乱させたフーガを睨む。
しかし視線を遮るようにドゥーランは少年を掴み、背後へグッと引き寄せた。
「…だが現状起こった事は前にもあった。ほれ、リーダーも覚えてるだろ?」
「……浮浪者然の男3人の事か」
「そうだ。一応冒険者って立場上、連中を部屋に引き入れたが、赤の他人を無条件で信じられるほど俺たちもお人好しじゃねえ。ガキ同様、物資から遠ざけて寝かせたあと、就寝中に食料が盗まれた……今と全く同じ状況だと思わねえか?」
僅かに飽和した空気が一瞬で固まり、再び焦点は鋼鉄の意思へ戻される。
「……あくまでもボクたちを疑うんですね」
「俺は例えケイルダンだろうがパーティのメンバーは誰も信用しちゃいない。人は魔が差すもんだからな。だが間違った相手を処断した挙句、2度も同じ手を食わされるのだけは筋が通らねえし、“全員の荷を平等に確認する”って言ってんだ。てめえんトコの女だ、リンプラントの仕業だって決めつけるよか、よっぽど合理的だ」
自分以外は全員が敵と言わんばかりの発言に、鋼鉄の意思も驚きを隠せない。一方で当人が所属するパーティは、通常運行とばかりに呆れた様子を浮かべる。
場は仕切り直され、まずは言い出したケイルダンの荷物から調査を開始。順繰りに金等級の荷を検め、それから銀等級の荷を確認すれば不公平もない。
これ以上言い合う方が時間の無駄だと告げるが、なおもロレンゾは引かなかった。
“容疑者”は冒険者になる前から付き合いのある男。盗難などするはずがないの一点張りで、荷物検査を頑なに受け付けない。
それから彼が出した結論は“同盟の破棄”だった。一方的な宣言に全員が息を呑むも、ケイルダンはあっさり許可を出す。
不思議とロレンゾが豆鉄砲に撃たれた様相を見せたが、恐らく調査を考え直すか。あるいは引き留められるとでも思ったのだろう。
いずれにしても双方のリーダーが同意したからには、あとは部屋を出ていくのみ。戸惑いながら鋼鉄の意思は動き出し、荷造りは瞬く間に終わる。
次々扉に向かっていくが、別れの挨拶もなければ安全の祈祷もない。唯一リンプラントが女魔術師を引き留めるが、彼女は首を振って誘いを断った。
大人しくロレンゾの後に付き従う様に、その後ろ姿を怪訝そうに見送っていた。